第2話 翼あるもの
四月が来た。いよいよ憧れの高校時代生活が始まる。
わが桜台高校は、住宅街の坂の上。その名の通り春は桜が咲き誇る、美しい環境にある。新しい制服を着た一年生たちが、柔らかな陽射しの中、春風に吹かれながら坂を上る。僕もその一人だ。
これから新しい生活が始まる。
桜台高校は、女子の制服がスタイリッシュな紺のブレザーで、学区の中でも一、二を争う可愛い子揃い、と評判だった。そんなことも高校を選んだ裏理由だったりする。動機が不純と言われれば、その通りだ。十代の僕らにも建前と本音ぐらいある。
初めての電車通学。JRから私鉄への乗換駅まで、舞花の最寄り駅から二駅、僕の最寄り駅からは一駅。僕が後から乗り込むと、いつもの電車、決まった車両に必ず舞花が友達と乗っている。気付かない振りをしたり、目で会釈をしたり。
彼女のブレザー姿は誰よりも素敵だ。これから彼女と同じ高校での三年間が始まる。僕は希望に胸を膨らませていた。
ただ結果を言うと、舞花と三年間、ずっと同じクラスにはなれなかった。せめてもの選択科目、クラスを越えての授業になるのだが、僕は音楽、彼女は書道。三年生での受験のための選択科目も、僕は世界史、彼女は日本史。見事にすれ違った。世界史だろうが日本史だろうが僕はどちらでもよかったのに。彼女と共有できる時間がなくて、彼女の志向を知らなかった。残念だ。
高校でのクラブ活動。僕は何か運動部に入ると決めていた。
中学では最初の一週間、卓球部に入っていた。初日にラケットを持って部活に行くと、先輩達に笑われた。最初からラケット握れると思っているのか?と。初日からひたすら走らされ、目をつけられたのか、他の一年より上乗せで腹筋や腕立てを命じられたり、特にこってり可愛がられた。そんなこんなで面白くなく速攻で退部した。
それ以降は、ほぼ部員がいない、顧問の先生の趣味で成り立っているようなギター・マンドリン部に途中から所属したが、フォークギターやエレキギターに興味はあってもクラッシックギターには興味がなく、練習には参加するもののこれといって活動もなかった。
卓球部を辞めた時に、お前は
二年生の先輩達が、代わる代わるクラブ紹介をし、それを見て、我々新入生は入部するクラブを決める。バレーボール部の先輩が、体型もカッコよくて、優しそうで、髪が長かった。背が高い人ばかりでもない。170センチちょっとの僕でも大丈夫そうだ。
よし、決めた。バレーボール部にしよう。みんな同じことを考えるようで、入部三十数名。勧誘側としては大漁だ。しかし誤算があった。顧問だ。顧問はたまたま僕のクラスの担任で、細マッチョの体育教官、大卒すぐで今年の新任らしい。日焼けした顔に真っ白な歯。山田先生だ。後に僕らは鬼ヤンマと名付ける。ニッと爽やかに笑って「みんな、よう来たのう」愛媛の出身で、大学は広島らしい。ちょっとだけ嫌な予感がした。
練習が、キツい。
ワンマン、ツーマン、スリマン。どれもレシーブ練習。名前はコート半面に入る人数だ。まだ、スリマンはフォーメーション練習に近い。ツーマンは思いっきりのスパイクや、フェイントが交互に、またはランダムに来る。最もキツいのは、ワンマンだ。コートの内外関係なく、どこに放られてもポールをレシーブに行く。届かなければ跳ぶ。
このいわゆるフライングに失敗し、僕は顎をしたたか床にぶつけ、割ってしまったことがあった。大流血で白いトレーニングシャツがみるみる赤く染まった。これは縫わないといけない怪我じゃないのか。「先生、やっちゃいました」鬼ヤンマ、怪我をチラッと見るなり、「ようし、体育教官室にバンドエイドあるから貼って来い!」さすが鬼ヤンマ、練習すら終わらせてもらえなかった。
ポールを触らない時は、サーキット・トレーニングや長距離走。ともかくハードに動く。反射神経に敏捷性、跳躍力に持久力、スタミナ等、全てが求められる厳しい競技、と気づいたがもう遅い。最もキツい夏合宿の後には、なんと一年生は七人にまで減っていた。バレーボールを愛してやまない訳ではないが、意地でも僕は辞めない。モテる男になるという、立派な目標がある。辞めることは自分で決めたことから逃げることだと思った。
舞花は、茶道部に入っていた。あれは文化祭だっただろうか、校内だがちゃんと茶室が
会うたびに見るたびに、舞花は洗練され、綺麗になっていく。そのうち舞花が誰かと付き合っている、と噂を聞く。僕に何ができるわけもなく、今や接点もあまりない。僕も他の子を好きになれれば幸せだったのかも知れない。どうしてもそうはならなかった。可愛い子はたくさんいるものの、舞花とは比べるべくもない。僕にとっては別格なんだ。
僕はバレーボールに打ち込んだ。そして、一人の時は詩を書き、ギターをつま弾いていた。
二年生も半ばを過ぎる頃には、舞花は高校の内外から『ミス桜高』と呼ばれるようになっていた。学校一の美女のお墨付きをもらったわけだ。何故だか誇らしい気持ちとともに、彼女が遠くに行ってしまったようで、寂しさをも感じた。
でも、遠目から見る限り、中学時代の天真爛漫さは何も変わっていない。そこが魅力だ。たとえ手が届かなくても、どうか舞花にはこのままでいて欲しい。近くにいて、偶然会えるだけでもいい、そんな風にさえ思った。
ある時、通学途中、珍しく舞花から僕に声をかけてきた。こんなこと、中学以来だ。「あの、
「三崎」
「私、引っ越しすることになったの。お父さんが家を買ってね、同じ市内なんだけどK台の三丁目、これ電話番号」はにかんだ表情でメモを渡された。電話番号までわざわざ知らせてくれたことが嬉しかった。一方で毎朝JRで彼女と会える楽しみは無くなってしまう。残念だ。そう思いつつ僕は、しばらくニヤニヤしていたと思う。
また舞花が誰かと付き合いだしたらしい…『ミス桜高』の噂はすぐに学校中を駆け巡る。今度の彼氏である
あれは二年の三学期。僕らの年代、修学旅行は長野県へのスキー旅行だった。貸切バスを連ねて行く。途中休憩のサービスエリアで、舞花と大吾を見た。舞花は見たこともない、大人の女の表情をしていた。大吾を見る目が優しかった。もちろん話しかけることすらできるはずもなく、僕はただ、唇を噛んで通り過ぎるのみだった。
飛び去る光の如く、青春の時は往く。
僕らは高校三年になった。間もなくクラブも引退になる。僕らの代は平均身長も低く、バレーボール部はさしたる戦績も残せなかった。でも、やり通した。僕は声と体力ではクラブ随一、という名誉なんだかなんだかわからない称号をもらい、ただ、やり通したという得難い自信を手にした。
大学受験が始まる。
そんな時期、クラスでとても気の合う仲間たちができた。全員男。やんちゃ友達だ。
授業をサボったり、トイレで煙草を吸ったり、帰り喫茶店で数時間たむろしたり。まるで明日がないみたいに、自由を貪っていた。青春が時限装置であることを、仲間たちは本能的に知っていたんだ。十代後半なんて、その時しかできないことだらけ、見えない将来より、現在を大事にしたい。だから受験勉強のみに打ち込むという、『時間の浪費』ができなかったんだ。
仲間のうちの一人、中本
そしてまた秋が来て…相変わらず、成就しない恋は成仏もできず、胸を焦がす。大吾とは、別れたとの噂を聞いた。そんなある日、何の勢いだったか、悪友どもに背中を押され、まるで肝試しのように告白に行くことになってしまった。もちろん、相手は舞花だ。どうやら放課後の喫茶店で、野郎どもに相手を顧みず、真情吐露を過ごしたようだ。反省も時すでに遅し。「わかった、行くよ」元バレー部、度胸一番、跳んでみると決めた。自爆の上流血しても、この際本望だ。
昼休み、今なら教室にいる、と放っておいた忍びから連絡が入る。敵地に赴き、廊下から舞花を呼び出す。危機を察知したか、友達と二人で出てきた。確か、小松原明美。去年僕と同じクラスだった。
なぜか明美の方がずいっと前に出て、僕に聞いてきた。
「鈴木くん、なんか用?」いや、君には用はない。
「舞花に用なら私が聞くけど」なんで、君に言うんだ?だから君には用はないんだって。まるでシーサーか狛犬のような明美の、斜め後ろで壁を背にして、うつむいて舞花は立っている。長い髪で表情が見えない。振り向けば、遠巻きに観察する悪友どもが見える。おいおい、他人の一大事で楽しみやがって。
僕は意を決して言った。
「あの、俺と付き合ってください!」
自分の大きな声に自分でも驚いた。
彼女のクラス中の視線が廊下にいる僕らに集まっている気がする。舞花の下を向く角度がさらに深くなり、用もなく足下を見てる。そして長い、永遠にも思える沈黙…多分、実際の時間は1分もなかったんだろうけど。ああ、中学二年から俺は何にも成長していない。玉砕は最初から分かっていただろう。
「ほら、舞花困ってるじゃん」
狛犬、いや明美が沈黙を破る。僕が君の存在に困ってるって。舞花はうつむいたまま、また沈黙が続く。衆目に晒された中で、僕を切ることはできないか。
「あの、今日一緒に帰らないか」その言葉に、ようやく舞花はうなずいた。
その日の放課後、校門で待ち合わせた。よかった、さすがにひとりで来てくれた。坂を下りる。「ROSEに行かないか」「うん」ROSEという喫茶店は、僕の仲間たちがたむろしている店とは別の、商店街を駅と逆側に少し行った場所にある。そこなら、桜高生はほぼいないはずだ。ちょっと待って。僕は駆け戻って、物陰に潜む悪友どもを追い払った。舞花は少しウケたようで「いい友達ね」とクスクス笑ってる。「あきれるよね」僕は首をすくめる。店は二階、外からの階段を上がって、すいた店内に入る。僕はアメリカンコーヒー、舞花は紅茶を頼む。
「ごめんね、急に」まずは無作法を詫びなくては。「ううん、いや…やっぱりちょっと困ったかな」本当に独りよがりに付き合わせてごめん、よく来てくれたね。
考えてみると、舞花と二人で話をするなんていつ振りだろう。果てしなく長い時間、彼女だけをこんなに思って、思いつめてきたのに、二人だけで共有できた時間って、ないに等しかった。テーブルの向かいに座る彼女を見て、改めて感心する。透き通るように白い。整っている。それでいて、小動物っぽい愛くるしさがあるんだ。僕と視線を合わせて、すぐ落として、まつ毛をパチパチさせる。細い指をテーブルの上で組んでみたり、ほどいてみたり。僕とのこのシチュエーション、君も落ち着かないんだね。
「ありがとう。でも」蚊の鳴くような声で「海くんとはお付き合いできないの」またうつむいた。
「うん、そうだよね、気にしないで」そうだろう。知ってるよ。知っているなら何故、告白したのか。悪友たちに背中を押されたからか。いやそれは単にきっかけに過ぎない。そんなことだけで、こんな重い行動には出られない。
中学二年の時とは明らかに心持ちが違うのは、おそらく、区切りをつけないといけないと思ったんだ。この5年に。舞花のことを追い続けた青春前半の日々に。何故ならもうすぐ、会えなくなる。舞花、君と会えなくなるんだ。泣きたいほどつらい。
「ねえ、聞いてもいい?どうして私なんかのことをずっと、そんなに想ってくれるの?」まっすぐに視線を合わせて、今度はそらさない。瞳が綺麗だ。どうして…?どうしてなんだろう。
「わからない。理由はわからないけど、ずっと舞花のことが好きなんだ。他の子のことは考えられない」その顔も、声も、仕草も、友達といる時のはしゃいだ姿も、全部。
「俺なんかじゃ、迷惑だよね」「ううん、そんなことない」即座に首を振る。ありがとう。完璧だ。
「そう言えば、明美ね、あの子可笑しいの。ボディガードみたいでしょ?」っていうか、狛犬だけど。
色々なことを話す。友達のこと、家族のこと、進路のこと。少しだけ、これまでの恋のことも。どうしてもっと早く、もっと長く友達としてこの子と接してこれなかったんだろう。こんなにも楽しく、素敵な時間が共有できるのに。彼氏・彼女であることにどれだけの意味がある?中学時代のあの頃から、君は友達として僕のことを認めてくれている、そう思ってもいいよね。
店に来てあっという間に一時間ちょっとが過ぎていた。永久にこうしていたいけど、そろそろ切り上げる頃合いかな。でも、できればもう少し一緒にいたい。
「ねえ、せっかくだからもうちょっと、寄り道して帰らない?」電車に乗り、途中駅で下車して、美味しいと評判のソフトクリーム屋に立ち寄る。
「どうだい?でっかいんだ、ここのソフトクリーム」それを舐めながら、ショッピングモールを歩いた。ちょっとしたデート気分だ。本当に、僕のことが嫌なわけじゃなく、友達と思ってくれているんだ。そして、こうして付き合ってくれたことが僕の気持ちへの感謝なんだね。ありがとう、舞花。多分、ずっと僕は今日のことを忘れないだろう。
そして、僕らは高校卒業の時を迎えた。僕は四年生大学の法学部、舞花も四年生女子大の文学部。すでに合格通知を受け取り、進路を決めていた。修学旅行の長野のスキー場へ、もう一度卒業旅行で一緒に行った悪友たちの大半は、やはり浪人生となった。
ともかく、これで舞花との物語は終わる。本当にそう考えていた。惜別の思いを込めて、僕は歌を作った。
翼
卒業式が迫るたび
日毎夜毎、君を想い
君の笑顔を浮かべては
切ない想い出をたぐる
君と過ごしてきた日々は
今は走り去る時の矢
少しの気まずさを残して
今日が本当のさよなら
僕の青春の一ページを
綴ってくれた君に、ありがとう
君に届かなかった愛を
僕はけして悔やみはしない
これから先僕は一生
君を忘れはしないだろう
やり場のない気持ちに
ひとり唇噛みしめる
君の人生の中で一番
煌めく時を僕は見ていた
目には見えない 翼広げ
今、君は羽ばたこうとしている
さよなら、さよなら
この世で一番 素敵な人よ
さよなら、さよなら
君の明日を祈ろう
もう制服は似合わない
今日からの、君には
初春の風に吹かれながら
後ろ姿を見送る
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