奇妙な男

 

 ―新たな旅の共を加えて歩き続けること1ヶ月。


 進たちは目的地である『バッキニアス地方』の中心、『バッキニアス国』にまで足を進めていた。



「ようやくバッキニアス国まで到着しましたね」


「そうだな。…疲れた」


 ぬかるんだ足場に自由を奪われながらも、進とシエルは止まることなく進んでいく。

 霧に覆われた湿原の中を進たちは約2日間の間、進み続けている。

 沼地で進行速度が遅いということもあるが、広大な湿原地帯が進たちの進行を邪魔しているのが、旅の進行を妨げる大きな理由だ。




「今日中に抜けられるといいが」


「それ、3回目ですよ。希望論じゃなくて事実にしましょうよ」


「クゥン」


「ほら、リィムもそう言ってます」


 シエルの肩に乗る小柄な白狐のリィムも、シエルの言葉に賛同するようにコンコンと鳴く。


「ガキは元気があっていいな…」


「シンも十分若いじゃないですか。まだ20にもなってないんでしょ?」


「俺はニートだったんだ。こういうフィールドワーク的なものには向かん」



 駄弁りながらも二人は歩を進める。

 泥沼は進の膝元まで浸かっている。シエルに関しては腰まで浸かっている。進の着けているローブやシエルが着ている服はそこら中泥だらけになっていた。


 前方を歩く進が、往く道が深くならないかを確認してなるべく浅瀬の所を選んで進み、それにシエルが続く形となっている。



「しかし、こうも霧が深いと先が見えないな」


 湿原は進たちが足を踏み入れたその時から霧が濃く、晴れる気配が全く無い。



 進たちが進むこの湿原の別名は『無散湿原むさんしつげん』。湿原の霧が晴れる機会は年に数回程度しか訪れず、常時霧に包まれていることからその名が付けられた。



 泥濘に足を突っ込まないように一歩一歩確かめながら、湿原をゆっくりと進んでいく。


 視界を奪われている以上、進たちが周囲の状況や足元の状況を確認するには触覚や嗅覚、聴覚しかない。

 人間の五感で一番重要な視覚が使えない以上、慎重にならざるを得ないのだ。




 ―。




 行っては引き返し、行っては引き返しを繰り返し続けて5日が経過した。


 進たちは久々に浸水していない大地に足をつけることが出来た。



「ようやく抜けた…」


 久しぶりの太陽に進は顔を顰める。懐かしい太陽の光に目を眩ませながらも、目的地の方角を確認しながら針路を変える。


 湿原で大幅に時間を取られてしまった以上、進の予定には大きなロスが生じてしまっている。

 この旅にタイムリミットがある訳では無いが、追っ手が迫ってくる前に早く次の街に紛れ込みたいというのが進の心情だった。



(ここを西か)


 傾き始めた太陽の進行に従うように針路を決め、進は再び都市に向けて足を進める。


「もう行くんですか?」


「当たり前だろ。

 ただでさえ湿原で時間を食っちまったんだ、休息は必要最低限で行くぞ」


 慣れない沼地での旅に疲弊し切ったシエルは少し休みたそうに進に聞くが、進は一向に旅を止める気はないらしい。



「分かりました」


 それにシエルは、文句一つ言わず付いていく。


 進とシエルの意見の違い。それはこの旅に対する二人の意識の違いから生まれる。

 シエルにとっては自由気ままな旅だが、進にとっては追いつつ追われつの逃避行でもある。






 つまるところ、進は少し焦りながら旅を進めていた。








 ―――――








 それから1週間。

 二人の視界にはようやく王都が微かに見えるぐらいの地点まで、二人は歩き続けていた。



「やっと王都ですね」


 米粒のように小さい王都を見つめながら、シエルは一息つく。


「そうだな。…世界は広いな」


 ここまでの旅路を振り返りながら、進は物思いに耽る。



『勇者』として召喚されたあの日から様々な経験を通して、はや2ヶ月が経とうとしている。

 どうしてこんなことになってしまったのか、と少し考えてしまうが、すぐに頭の中からその思考を追い出す。



(どうして、じゃないだろ)


 進が追われるように旅を続けるのも、世界中の人々から蔑まれることになってしまったのも。すべて進が悪い訳では無い。


(どれもこれも全て、『世界』が悪いんだ)


 自分を召喚した『世界』が。自分を『14番目』に選んだ『世界』が。

 望んでもいない生活に無理やり捩じ込んだ『世界』が全て悪い。


 そう。これは誰が悪いなどという話では無い。


 選ばれてしまったのだ。無作為に、無造作に、無責任に。

 運悪く、進は『14番目の勇者』として生きていくことを余儀なくされたのだ。


 たとえ普通の生活を送ろうとしても、進の肩書きはどこまでも着いてくる。この世界に生きる以上、逃げ場は無い。



 ならば受け入れるしかない。

 受け入れた上で、抗うしかないのだ。




(そうだな)


 何故『世界』に復讐するのかを改めて確認したところで、進は再び足を動かし始める。


 新たな『勇者』がいるであろう、『青藍都市・バッキニアス』に向けて。

 その魂に復讐を誓って。






 ―。






 夕暮れに平原が黄金色に染まり始めた頃。


 進たちの前に奇妙な男が現れた。



「…」


「…どうしましょうか、この人」



 奇妙な男は喋らない。

 ただ黙って、進たちに旋毛を向けて倒れ込んでいる。


 ボロボロになった軽装に身を包み、背中には槍を抱えている。旅の者だろうか。

 進が脈を確認したところ、少し衰弱はしているもののまだ息はあるようだ。気絶したのは2日以内といったところか。



「危ない人には関わっちゃいけません」


 進はその男を放置することに決めた。


「そんな親みたいな」


「実際、変な奴に関わるとろくなことにならない」


 気絶している男が変人かどうかはさておき、進たちにとって素性のしれない男であるのは確か。

 であれば、関わりを持たないのが最善手だろう。



「もうすぐ日も暮れる。早く飯を探して、とっとと野営の準備を終わらせ…」


 進がシエルに向き直ると、シエルは男の頭を指でつついていた。


「おい、無闇に触るな!頭に毒でも塗られていたらどうするんだ!」


「そんな人間いませんよ…」


 進の過保護ぶりに呆れるシエルとリィム。二人の冷めた目が進に向けられる。



「シン、この人放っておけませんよ。今日はここで野営しましょう?」


 シエルから提案が上がる。その事にも驚きを見せる進だが、それよりも驚いたのが提案の内容だった。


「正気か?コイツが狂人で、起きた瞬間に襲われたらどうするんだ」


「その時はシンが守って下さい」


「人任せな…」



 頭を掻きながら、進は悩んでいた。


 何せ、滅多にないシエルからの要望だ。これまでの旅の途中、シエルはほとんど自分の意思を示すことはなく、いつも進の指示に従って行動してきた。

 そのシエルが自分の意思を示した。ここは彼女の意思を尊重したいと思う進だが。


 内容が内容だ。どこぞの馬の骨ともしれない変人を保護するなど、進はあまり気乗りしない。


(気乗り、か…)


 ここで進はふと、これまでの旅を振り返る。



 いつも自分の指示に文句一つ言わずに従ってきたシエルだが、果たして納得して行動していたのだろうか。

 本当は納得なんてしておらず。ただ『指示されたから』嫌々行動していたのではないだろうか。




 考えに考え、進は結論を出した。






「一日だけだ。明日までにこの男が起きなければ、その時は置いていくぞ」


「はい!」




 シエルの意思を尊重して、変人の保護をすることに決めた。

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