『リィム』

 

 ―500年前。世界は一度滅びかけた。

 突如として現出した魔神『ベルメス』がもたらした災いは、瞬く間に世界に蔓延した。



 魔神の遣わせた魔物によって世界が破滅の一途を辿る中、魔物に対抗する一人の青年が現れた。


 青年の名は『フォルテ』。フォルテは人々の前に現れる魔物を、時には剣で斬り伏せ、時には斧で両断し、また時には槍で穿った。

 人々は彼を『救世主』と崇め、彼は世界の導き手として、一国の領主としての地位を獲得するまでに至った。




 しかし、世界が混迷を極める中でも人々の間から争いが消えることなど有り得ない。

 一国の領主となったフォルテを、世界各国の王たちは『魔神の御使い』と蔑み、彼を世界から追放しようとした。


 さらにそこに追い討ちを掛けるように、彼が『異世界』から召喚された人物であることが公表された。異世界から召喚された者は『魔神』と手を組んである可能性があるとされ、フォルテは世界の救世主から一転、『滅びの使者』という俗名を貰うことになる。



 その後、彼は世界中を逃げ回るようにあてもなく回った。彼の命を狙う者は半殺しにされ、彼に見つかった魔物は例外なく命を奪われた。問答無用で命を刈り取っていく残虐非道なその様から、人々はいつしか彼のことを『魔神の御使い』と呼ぶようになった。


 一見、暴挙の限りを尽くしているように見えるフォルテだったが、彼も無闇に命を奪っているわけではない。

 命を奪うのはあくまで『魔物』だけであり、人の命は一つたりとも奪っていない。抵抗の意思を潰すために痛めつけこそされど、殺したことは一度もない。


 あくまで人のために、あくまで世のために。

 たとえ世界から蔑まされようとも、彼の平和を願う気持ちは揺らぐことは無かった。






 ―。






「そんな中、旅の途中の彼と私は出逢いました」


 昔を懐かしむような遠い目で、九尾は過去の出来事を振り返る。



「あの時の私はまだ幼く、彼がどういった存在なのかも、彼と言葉を交わすこともまだ出来ませんでした。


 彼は私が行き倒れそうになっているところに偶然彼が通りかかり、私を助けてくれました。それだけでなく、幼い私に自然で生き抜く術を教えてくれました」



 九尾は『彼』と進の姿を重ねる。

 不器用ながらも優しく、がむしゃらに振る舞う『彼』の姿を。もちろん九尾は、進の存在や性格を知っているわけが無い。

 しかし、進と『彼』にはどこかが似通っているところがある。九尾は直感でそれを感じ取っていた。




「…そんなことを俺たちに伝えて、何を考えている?」


 ただ昔話を聞かされているのではない。これは九尾の辞世の句である。そんなものをただ聞かされるわけが無い。

 偶そこにいただけの進たちであるが、九尾にとっては“誰か”というのは関係ない。


 誰かに自分の存在を知っておいて貰いたい。ただそれだけの理由で、九尾は自分の存在を残そうとしている。




「ふふ、老いぼれの昔話には興味がありませんか」


「そうじゃない。お前、何か企んでるだろ」


 九尾は誰かに存在を憶えていて欲しい。もちろん、九尾にそれ以外の目的があることを進は見抜いている。

 九尾は勿体ぶっていたが、自分の命が尽きる前に最期の願いを託そうと、九尾はその願いを口にする。






「そうですね。私がまだ生きているうちに、貴方がたに最期の願いを託しましょう」


(やっぱりそういう系か…)



「俺たちに出来ないことは叶えられないぞ」


 予め保険を掛けておく。

 相手が九尾となると、どんな無茶振りを押し付けられるか分からない。念の為、という訳では無いが、「出来ないことは押し付けるな」という圧を掛ける。



「なに、そんなに難しい事ではありません。ある意味人には難しい事かもしれませんが。








 …どうか、この子の面倒を見てやってくれないでしょうか」


 自分に寄り添う白狐を残った一尾で少し引き離しながら、シエルの足元に引き渡す。

 白狐は駆け寄って九尾の元に戻ろうとするが、九尾はそれを白狐の何倍もある大きな尻尾で拒む。


「クゥ、クゥ!!」


「あなたは旅立ちなさい。『勇者』と共に世界を巡り、自分の納得の行く道を歩むのです」



 獅子は我が子を千尋の谷に落とすという。九尾が白狐を引き離そうとするのは、我が子である白狐に強くあって欲しいという願いが込められている。


 本来なら自分の手で育て上げたかったはずだが、それを誰かの手に託す。九尾の不安は進たちには計り知れない。

 しかし、それよりも自分の子が孤独の中で、誰か見知らぬ者に捕獲されるぐらいなら。彼と同じ『勇者』である進に託す方がまだ信頼出来ると考えた。




「いいのか?俺は『14番目の勇者』だぞ」


「…あの人も、『14番目の勇者』を名乗っていましたよ。まさか渾名まで同じとは、奇妙な縁を感じますね」


「俺が知るかよ」



 シエルは白狐を抱き抱える。白狐はシエルの腕の中で暴れるが、シエルがそれをしっかりと押さえる。


「…ごめんね」


 九尾の傷は最早、二人にはどうすることも出来ない。白狐に残酷な現実を押し付けることに、シエルはただ謝ることしか出来なかった。








「…最期の願い、聞き入れてくれますか?」


 ゆっくりと目を閉じ、九尾はやがて呼吸の間隔を長くしていく。間もなく九尾の命はつきるのであろう。


「…仕方ねぇな。その願い、引き受けてやるよ」


 九尾の最期の願いを、進は受け入れた。


 自分が受けたい訳でも、嫌々引き受けるわけでもない。

 九尾の最期の願いだからこそ、進は九尾の願いを聞き入れたのだ。


「せめてもの手向けだ。安心して逝け」


「…ふふ、ありがとうございます」








 進が九尾の願いを聞き入れると、九尾は最後の力を振り絞ってよろよろと立ち上がる。


「おい、無理するな」


 立ち上がる九尾に静止を呼び掛けるが、九尾は構わずに脚を真っ直ぐに張る。ふらふらの尻尾を白狐へと近付け、先端を白狐の額に当てる。

 尻尾の毛先が白狐に触れると、触れた部分が仄かに光を放つ。




「私の『力』を託します。あなたが生き抜くための力を…」


 血反吐が九尾の口から溢れ出る。白狐はそれを見て悲鳴を上げるが、九尾は力の継承を止めない。


「あなたの『想い』が、力となって具現されるでしょう。だから、想いをつよ、く、持ちなさい…―」



 光が徐々に淡く弱くなっていく。そして光が輝きを失くすと共に。








 九尾は力尽きたように、崩れ落ちた。








 ―――――








(…安らかに眠れ)


 鼓動を止めた九尾の亡骸を土に埋め、静かに手を合わせる。

 シエルも進の行動に倣って手を合わせ、白狐は涙を流しながら九尾が埋められた跡を静かに見つめる。




 ―手を解くと、進は踵を返してその場を後にしようとする。

 シエルもそれに続いて、白狐を抱き抱えてその背中を追いかける。



「…これから、この子をどうするんですか?」


「さっきも言っただろ。コイツは俺たちで面倒を見る」


 歩きながら、焚き火がある地点まで足を進める。


「さっきまでは全くそんな気を起こしてなかったくせに、どういう心境の変化ですか?」


「気が変わった。それだけだ」




「…ふふっ。

 じゃあ、この子に名前が無いと不便ですね」


 シエルは愛おしそうに白狐を抱きしめながら見つめる。



「名前?」


「はい。いつまでも『この子』とか『コイツ』とかだと、この子も可哀想ですよ?」


「…それはお前に任せる」


「本当ですか?それじゃあ…










 これから宜しくね、『リィム』」




 白狐は『リィム』と名付けられ、進たちと共に歩んで行くことになった。

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