九尾

 

「………」


 頭を抱えながら進はシエルの様子を眺める。

 当のシエルはと言うと、手のひらに収まるほどの小柄な狐に木の実を与えている。


「はい、どうぞ」


「クゥ〜…」


 シエルが差し出した木の実を、雪のような純白の毛並みを纏う狐は嬉しそうに受け取り、ちまちまとそれを口にし始めた。

 進はその光景に「はぁ〜…」と大きく溜め息をつく。



「どうかしたんですか?」


「『どうかした』じゃないだろ。お前、まさかだけどソイツを飼うつもりじゃないだろうな」


「え?飼いますよ?」


「…」


 シエルの即答に再び大きな溜め息をつく。



「あのなぁ。

 飼うにしたって餌や寝床はどうするんだ。そもそも、ソイツにも親がいるはずだろ」


「…それは…」


 進の問いに対する答えが見つからず、シエルは口篭ってしまう。


(やっぱり考え無しじゃないか)


 進はシエルの手から狐を取り上げると、そのまま地に足つかせる。

 そして邪魔だと言わんばかりに右手で払う仕草を見せ、この場から消えろと言うような意思を示す。



「肉塊にされたく無かったら今すぐ失せろ。とっとと親の元に帰れ」


 突き放すようなその言い方にシエルは口答えする。


「なんでそんな言い方するんですか!!」


 シエルは狐を優しく抱え上げ、抱きしめるようにして腕の中に隠す。

 怒りを込めた目で進を見つめ、その視線に思わず進はたじろぐ。


「いや、そりゃあ邪魔になるから…」


「この子はわたしが責任を持って育てますから!だから捨てないで下さい…!」


 心からの懇願に進は少し考慮する。

 が、出た答えが変わることは無かった。



「…ダメなもんはダメだ。野生の動物を勝手に連れ出して、環境の変化に耐えきれずに死んだらどうする」


「…」


 押し黙るシエルを宥めるように、進は言葉を続ける。


「ソイツはこの森に生まれたんだ。だったら、この森で過ごさせてやるべきだ」


「…そう、ですね…」


 悲しむような惜しむような、そんな掠れた声が俯くシエルから発せられる。

 シエルの様子に若干心を痛めながらも、進はおもむろに立ち上がって掛けていたローブを羽織る。



「行くぞ。ソイツを親の元まで連れていく」


「…はい」






 進たちは白狐の親を捜すため、夜の探索を始めることにした。








 ―――――








 進とシエルの前を白狐が誘導するように獣道を進んでいく。小さな体は茂みで容易に隠され、集中しなければ見失ってしまいそうな程である。

 進たちはそれを見失わないようにしっかりと追いかけながら、森の中を進んでいく。



(まさか、地方を跨いでも森の中を進むことになるとはな)


 邪魔な草木を剣で斬り落としながら道を作る最中、そんなことを考える。



 進がこの世界にやってきてから約1ヶ月が経過した。その中で過ごしてきた時間の大半が森の中であり、進は森との奇妙な縁を感じる気がしていた。


 これが運命なのか偶然なのか―運命ならば随分と下らない運命だが―、どちらにせよ進は中々奇妙な人生を送っていることに違いはない。








「クゥン、クゥン…!」


 そして500メートルほど歩いたところで、白狐は何かを見つけたかのように突然駆け出した。駆け出したとは言っても、その短躯で走ってもせいぜい人の歩行速度と大して変わらず、追いかけるのに苦労はしなかった。



 そして、白狐が反応した正体も二人の目の前にあった。






「こ、これって…」



 ―九尾。それの正体は、進が知る言葉で言えば九尾を持つ狐『玉藻の前』に近かったと言えるだろう。


 月光に輝く氷雪のように透き通った白の毛並みは、ところどころに深紅の斑点が飛び散っている。斑点はどこか一点から拡散するように飛び散っており、その跡を目で追うと腹部に大きな血溜まりが出来上がっていた。

 凛として立っていたであろう尻尾のほとんどは力無くへばっており、残り一本だけ依然として、伝説上の生物らしい威光を保っている。


 もちろん進は、この世界において九尾の存在がどのように扱われているのかは知らない。しかし、目の前の惨状から一体何が起こったのかは容易に想像出来てしまった。




「おい、大丈夫か!」


 言葉が通じるとは到底思えない相手に、進は思わず声を掛けて安否を確認する。

 かろうじてまだ息はある。死んではいないようだ。


(抉られた…。いや、これは何かに喰いちぎられた痕か)


 傷口の様子を確認して、何にやられたのかを考察する。

 腹部の損傷は内臓にまで至っており、無理やり引きちぎられたかのように臓物が垣間見える。



 何か出来ないか。

 いや。進たちには何も出来ない。


 それほどまでに九尾の損傷は深刻で、内臓損傷となると治癒魔術ヒールエフェクトの上位クラスのものを発動しても完治には至らない。




 何も出来ないと悟った進は、九尾の顔を見やる。






「…全く、魔物の次は人間ですか。今日は厄日ですね」


 進の視線に気付いたのか、九尾は目をうっすらと開けて進たちを横目で確認する。



「しゃ、喋った…!?」


 想定外の事態に進は九尾から距離をとる。


 現実では有り得ない、動物との対話。

 しかしよく考えてみれば、進は城郭都市エルベスタで何度か『獣人』と呼ばれる種族を見かけたことがある。それを考えたら、動物が喋るのも案外珍しい事ではないのかもしれない。



 そう考えた進は平静を取り戻し、深呼吸してから改めて九尾と目を合わせる。




「何があった?」


「…3時間前ですか。

 魔物に奇襲されてこのザマです。どうにか討伐には成功しましたが、私も甚大な被害を受けました」


 まるで他人事のように、九尾は淡々と自分に起こった事を簡潔に説明した。

 自分の死期を悟ったかのように。自分の生に興味が無いかのように。


 感情が読み取れない声に、九尾に対してシエルはそんな印象を抱いた。



「『九尾』は伝説上の生物のはずです。魔物に遅れを取るなんて…」


「ええ、そうですね。だったら、魔物なぞ軽く一蹴してやったでしょう」


 普段なら。ということは、普段とは異なる状況で襲われたということになる。

 異常事態の原因。それは二人にも答えを導き出せた。



「コイツか…」


 身動きの取れない九尾に寄り添い、無垢な頬を擦り合わせる。九尾は白狐のその行為に、ただただ優しく微笑んだ。


 その姿はまさに母親。

 おそらく、白狐を護りながらの戦闘を強いられたのだろう。


「クゥ〜ン…」


 甘えるように白狐は目を細める。しかし九尾は行動を示してそれに答えることはせず、ただ微笑みかけることしか出来なかった。






「…私はいずれ死ぬでしょう。

 ですが『勇者』と出会ったのです。死ぬ前に一つ、昔話でもしましょうか」


「昔話?てか何で俺が『勇者』だと…」


「あなた、常時“気”を使っているのがバレバレですよ。『勇者』を知る者であれば、私でなくとも容易に考え付きます」


 そんなに意識していない進は、出来る限り“気”を抑えるようにしようと努力することにした。




「…それで、昔話ってのは」


「ええ。私が今から話すのは、











『勇者』と『九尾』に関するちょっとした物語です」


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