閑話:『兄』

 

 ―幸せな生活、だったと思う。


 父がいて。母がいて。まるで同い年のような義妹いもうともいて。

 父さんや母さんは妹のことを良く思っていなかったみたいだけど。僕は妹を大事に思ってきた。『兄』として、妹を守るのは当然の事だと思った。




 それなのに。僕は。


 あの時、妹を。メイアを助けられなかった。『14番目の勇者』に、妹を連れていかれた。

 いや。それは甘えだ。僕がその気になれば、命を捨てて特攻すれば、或いはメイアを『魔神の御使い』から救い出すことも出来たかもしれない。

 だけど出来なかった。妹の命よりも、自分の命を優先した。父さんや母さんは「あんな奴のことは忘れろ」と言っているけど、そんなこと出来るわけがない。


 後悔だけが募る。メイアを助けられなかった、自分が許せない。

 僕にもっと力があれば。僕にもっと勇気があれば。




 きっと、幸せな生活を過ごせていたのかもしれないのに。






 ―――――






 村はほぼ壊滅状態になった。


『魔神の御使い』が引き起こした、村全体を襲うほど強力な突風によって、家屋は吹き飛び、家畜小屋は家畜諸共潰され、畑の作物の命を刈り取って行った。



「エルデ!大丈夫か!」


 僕は父さんに起こされて意識を取り戻した。

 体を起こして辺りを見回すと、視界に入ってきたのは目を疑うような惨状だった。



「…何だよ、これ」


 さっきまで見慣れていた景色が、一瞬にして壊された。一人の男の手によって。

 あの男は僕たちに「妹を助けてやる」などとほざいて、勝手に泊まりこもうとしてきた。その上に貴重な夕飯までだしてやったというのに。



(恩を仇で返しやがって…!)


 この村の惨状は全て、あの男が引き起こしたことだ。


 何を思ってそうしたのか。いや、既に答えは明白だ。

 魔神の御使いが、世界を壊すためにやったこと。この村はその犠牲になってしまったのだ。




 やられた、と思った。

 一度は恩を売っておいて相手を油断させたところに、すかさず絶望を埋め込む。あの男が、『魔神の御使い』がやりそうな狡猾な手口だ。

 実際、悔しいことに効果は覿面なようで、父さんや母さん、村の他の人たちも随分気が滅入っているように見える。


 こんな事をして何になるのかは僕には分からない。もしかしたら意味なんてなくて、ただの憂さ晴らしにやったことなのかもしれない。

 だとしたら。尚更許していいはずが無い。こっちだって生きているし、生活の場が無ければ生きていけない。

 その生活の場を、『憂さ晴らし』なんて下らない理由で壊されてしまっては、こちらの気も収まらない。



 それに。

 あの『勇者』を名乗る『魔神の御使い』は、僕の妹のメイアを攫って行った。メイアはあんな奴に着いて行くような馬鹿な子ではない。

 きっと、あの男に洗脳か脅迫かされて、仕方なくあの男に着いて行ったに違いない。




(許さない)


 僕たちを、村を、そこに住む人たちの生活を奪ったあの男。到底許せるものではない。




 復讐だ。

 あの男は、僕が殺さないといけない。






 その日。僕はあの男を追うことを決意した。






 ―――――






 あの男が村を壊滅状態に追い込んだ日から一日が経過した。


 村の跡地には王国からやって来た衛兵たちが、村人の運送をするために五両の大きめな荷馬車を連れて来た。



 あの男と交戦した女の人は『ニムリナ・エルベスタ』。つまりこの地方を統治するエルベスタ家の皇女殿下ということになる。

 皇女殿下が一昨日の夜のうちに放った信号弾を発見した兵士が、今こうして村に救援を連れてやって来たというわけだ。






「では皆様。『14番目の勇者』を見つけて下さった礼と、この村を壊滅状態にしてしまったお詫びとして、皆様を王都の移住先にご案内致しますわ」


 皇女殿下はそう言うと、村のみんなを馬車の中に誘導し始めた。



 僕たち家族はメイアを引き取ったことによって、この村に引越しをすることになった。だから、僕たちにとっては『移住』ではなく『帰還』に近い。

 4年前の元の生活に戻れることを父さんと母さんは喜んだ。村の人たちも、今までの生活より豊かな生活が出来ると喜んでいた。




 だけど。

 僕は、納得いかなかった。


 王都で暮らすことに対して、じゃない。元の生活に戻れることを喜ぶ二人に対して、でもない。


 に、僕は納得しない。僕は満足出来ない。

 たとえ義理と言えど、4年もの間『家族』として、『兄妹』として過ごしてきた妹を。簡単に切り捨てるなんて出来ない。


 それに。僕は幸せな生活なんて望んではいない。

 僕はあの男を追うって決めたんだ。皇女殿下の申し出は有難いことだけど、無礼になるかもしれないけど、あえて僕はその勧告には乗らない。




 衛兵と協力して村民の誘導をしている皇女殿下を見つける。

 そして、皇女殿下と目が合った。



(っ…)


 衛兵さんから聞いた話では、皇女殿下はあの男を追って王都を飛び出したという。

 ―ここにいるのはニムリナ皇女殿下の手のかかった衛兵。極端に言ってしまえば、皇女殿下が秘密裏に動かせる衛兵たちの一部らしい。国王に無言で飛び出したために、王都ではパニックになってるとかなってないとか。―


 皇女殿下は自らの身の危険を冒してまで、あの男を追い続けるだろう。皇女殿下が往く旅路の先には、必ずあの男がいるはず。



 なら。僕は。






「―あ、あの!」



 気付けば僕は誘導の列を飛び出し、ニムリナ皇女殿下の前に躍り出ていた。

 声を上げたことで、馬車に乗った人たちや誘導を受ける村人、衛兵や皇女殿下、その場にいた全員の注目を浴びることになった。



「…どうしたの、坊や?」


 そんな僕に、皇女殿下は穏やかな声で聞いてくる。




 僕は決めた。あの男を追い続けるって。僕の手で、あの男を殺すって。

 たとえ相手が『勇者』でも。大きな実力差があろうとも。

 たとえ、僕の命を落とすことになろうとも。あの男だけは、メイアを奪ったあの男だけは、絶対に許さない。








「こ…、皇女殿下!

 僕を、あなたの旅に連れて行って下さい!!」


 頭を深く下げて、僕の願いを伝える。

 皇女殿下は「ふう」と鼻で音を鳴らすと、やがて言葉を発した。



「顔を上げなさい、坊や」


「は、はい!」


 皇女殿下に言われた通り、下げた顔を皇女殿下に向ける。



「どうしてわたくしの旅に付いていきたいと思うのか、理由を聞かせてみなさい?」


 皇女殿下はまるで物珍しいものを見るような興味に満ちた瞳で、僕にそう質問を投げかける。




 どうして、だって。理由は一つだけだ。






「僕は『14番目の勇者』に、メイアを攫って行ったあの男に復讐するって決めたんです。

 だから、どうか、僕もあの男を追う旅に連れて行って下さい!」


 嘘偽りない、本心から来る言葉をただ並べていく。




「こ、こら!エルデ!!皇女殿下に無礼だぞ!!」


「早くこっちに戻ってきなさい!!」


 後ろから父さんと母さんが僕を引き連れに来るが、そんなことを気にしていられない。


 父さんと母さんの生活ももちろん大切だけど。

 それよりも僕は、『メイアがいない生活』の方がよっぽど耐えられない。その生活を取り戻すためなら、僕は父さんと母さんとの生活を捨てる。




「メイアを、僕の妹を、取り戻したいんです…!」


 必死に訴える。心は今にも砕けてしまいそうで、涙が零れ出してしまいそうだ。

 だけど、こんな所で泣いてはいられない。もし皇女殿下が僕の同行を許さないのなら、僕は独りでもあの男を追う。そう決めたんだ。




 皇女殿下と目が合う。その瞳の奥に垣間見えるのは、どこかおぞましく感じるどす黒い感情だった。


 そして、皇女殿下は僕を見ると。



「ふっ」


 と鼻で笑い、村民の誘導を行っていた衛兵に歩み寄る。






 そして、


「持っていきますわよ」


 と言って、衛兵が腰に携えていたショートソードを鞘ごと強引に奪い取り、こちらに戻ってきた。


 そして、皇女殿下は僕の目の前にショートソードを突き出す。




「あなたにこの剣が持てるかしら」


「え…?」




「わたくしの旅は『復讐』のためだけの旅、それ以外にこの旅に意味なんてありません。この村に立ち寄ったのも、ただの偶然ですわ」


「ま、あの男がいたのは本当に運が良かったですわね」と、小声でそう付け足す。






「もしあなたがあの男に『復讐』したいというのなら、この剣を抜きなさい。

 この先は茨の道、何が起こるか分かりません。自分自身を守れない者に、自分自身を投げ捨てられない者に、この道を歩むことは許されません」



 自分自身を守る。

 それはつまり。自分のためなら誰かを斬る、ということなのだろうか。


 自分自身を投げ捨てる。

 それはつまり。自分を捨ててでも何かを成し遂げる、ということなのだろうか。




 そんなの。とっくの昔に覚悟している。


 僕は、メイアのためなら誰だって殺す。あの男を殺すと決めた以上、この手が血塗れになることは承知の上だ。

 僕は、メイアのためなら僕の命を捧げる。あの時のように無様な男としてではなく、『兄』として、今度は必ず助けるって決めたんだ。








 皇女殿下から剣を受け取り、鞘に右手を掛ける。初めて持つ実剣の重さは、まだ子供の僕の体にしっかりとした手応えを感じさせる。

 鞘を握る。この手がいずれ、血に塗れる日が来るかもしれない。いや、必ず来る。




 何故なら。








「―僕は、『14番目の勇者』に復讐します」




 僕があの男を殺すことは、もう既に決まっていることなのだから。











 ―こうして。


 僕の。

『エルデ・マイトゥリア』の復讐がここから始まる。

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