これから

 

 ハイナはリボルバーの銃口をシエルのこめかみに押し付け、彼女の体を腕でしっかりと固定する。

 カチリと撃鉄を起こすと、その引鉄に指を掛ける。


「動くなよ、『14番目』。その場から動けばこの子を撃つ」


 その言霊に躊躇いは感じられない。もしも進がハイナに飛び掛かろうものなら。もしも進が淑女を斬り伏せようとしようものなら。彼女は躊躇せずに撃鉄を倒すだろう。



(やっぱりグルだったか…!)


 先の村人たちが進に行った仕打ちから、ハイナに対する進の信頼はゼロを通り越してマイナスの域まで達していた。そんな彼女の言うことなど聞きたくもない、と思う進だったが。


「勇者様…」


 彼女の腕の中に囚われているシエルは、未だに泣いている。そしてか細い声で進を呼ぶ。

 そんな彼女を見殺しにするなど。進には











「知ったことかぁぁ!!!」


 出来る。




「えぇ!?」


 進は槍を構えたままハイナに突進する。想定外の行動を取った進にハイナは困惑しながら、進の攻撃をヒラリと避けた。



「き、君は馬鹿か?!この子がどうなってもいいって言うのか!!」


「知るかよ!!シエルは俺の連れじゃねぇし、ソイツの命なんかよりもテメェを殺すことの方がよっぽど大事だ!!」


 進は手に持つ三叉槍を鎌の姿に変化させ、土を躙り再びハイナに斬り掛る。



「君は『勇者』の事となると倫理観が欠如するようだ…!」


「ああそうだ!!お前ら『勇者』を殺すのが俺の『復讐』だからなぁ!!」


 ハイナも進に対抗すべく、右太腿のホルスターに閉まった勇者の武器リボルバーを抜き、進の戦闘力を無力化すべく両肩に弾丸を撃ち込む。


「効くかっ!!」


 音速を超えて放たれた弾丸を、進はそれを“気”だけで軽くあしらってみせた。



(厄介な…!)


 ハイナは近接戦闘では進に敵わないことを悟り、リボルバーを閉まい進の攻撃の回避に専念する。


「あの時の強さはどうしたよ!!このままだったらいずれ死ぬぞぉ!!?」


 じっくりと、じわじわと、恐怖を植え付けていくように進はわざとハイナへの直撃を避けながら鎌を空振らせる。




「わたくしを忘れて貰っては困りますわ!!」


 進の背後から淑女の銀剣が襲いかかる。


「テメェはどっか行きやがれ」


 背後からの攻撃に振り返り、進はそれを素手で受け止め、淑女を自身の手前に寄せるとその鳩尾に強烈な蹴りを見舞った。


「か、っは…!」


 進の指からは微かな血が滲む。

 淑女は剣の柄から手を放し、その場で腹を抑えながら蹲り咳き込む。


「今はテメェに構ってる暇はねぇんだよ。そこで寝てろ」


「…こ、コケにして…!!」


 呻く淑女を無視して、進は再びハイナへと向き直る。


「さて、殺し合お―」




 しかし、進が振り返った先には誰もいなかった。


「あぁ!?」



 進が淑女に意識を向けていたその数瞬の時間で、ハイナはこの場を逃げ出していたのだ。

 音もなく、気配も悟らせず。その姿はまるで『陰』そのもの。


(どこに消えやがったあの野郎…!)


 前にも一度、進は似たような経験をしたことがある。

 ハイナがその時と同じ行動を取ったのであれば、考えられるのは転移。進とハイナの距離は絶望的なまでに開いていることになるはずである。



「今度は逃がすかよ…!」


 ハイナを追跡すべく、進は歩き出す。

 その後ろから淑女の声が掛かり、進を引き止める。



「ま、待ちなさい…!あなた、この場に及んでまだ逃げ続けますの!?」


「逃げるって何だよ。俺はお前らのお仲間を殺しに行くだけだ」


 進がそう言うと淑女は怪訝そうな表情を浮かべ、よろよろと立ち上がろうとする。


(コイツに追われても面倒だな)


 淑女が膝をついて立ち上がろうとしているところに、進は淑女の顔に再び蹴りを入れた。



「がっ…」


「お前は寝てろ。ついでに二度と俺に付きまとうな」


 鼻血を垂らしながら淑女は宙を舞う。

 地面に倒れ、淑女が動かなくなったのを確認すると、進は森の中に姿を眩ませた。








 ―それから淑女が目を覚ますのは、翌日となる。その頃には既に進とは大きく距離を離していた。








 ―――








「『勇者』ぁぁぁぁぁ!!!!出て来やがれぇぇぇぇぇ!!!!」


 叫びながら進は森の中を猛進する。その姿たるや狂人の如く。


 村を飛び出してから30分。進はシエルを、否、シエルを連れてどこかへ消え去ったハイナを捜すべく、ひたすら走り続けていた。



(やっぱりワープでも使ってどこか遠くに逃げられたか…?)


 ハイナは忽然と姿を消し、どこかへ行ってしまった。進はそれを『転移魔法』か何かと捉えている。

 だとしたら、この場でハイナを見つけ出すことは不可能。遠くへ転移出来るのであれば、わざわざ命を付け狙う人間の近くには留まらないだろう。




 進は一度足を止め、“気”を使って聴覚を最大限研ぎ澄ませる。

 その聴力が及ぶ範囲、おおよそ半径1キロ。近くにいれば確実に捉えることが出来る。

 それに加えて持ち前の集中力も研ぎ澄まし、耳に入る全ての音を聴き分ける。



(……野生動物の鳴き声ぐらいしか…)


 声らしい声が聴こえないところで、進は索敵を中断しようとする。

 その時、僅かに人の声のようなものが進の耳に入った。






「―――――ま」




(!!)


 進は再び耳を澄まし、その声をもう一度拾うことに専念する。

 断片的に聞こえてきた声。今度はハッキリと進の耳に入ってきた。




「勇者様ぁ…」



 遠く離れた距離からでも分かる。これはシエルの声だ。

 すすり泣くような声を聞き取った進は、すぐさま声のする方を『磁針』スキルで確認する。


(東南…。あの山岳地帯方面か)


 進がシエルを発見した山岳地帯の方から聞こえてくる。進は方角を確認すると、すぐさまそこに向けて走り出した。


(待っていやがれ『勇者』)




「今すぐ殺しに行ってやるからな」




 ―。




 結果。進は泣き疲れて眠りこけるシエルを発見した。

 しかしその場にハイナの姿は無い。代わりと言うように、シエルの小さな手には一通の便箋が握られている。



「こんな所に放置するとか正気かよ…」


 森は既に黄昏色に染まり、梟の声が聞こえ始めている。

 そのような時間に、か弱い少女が独りで森の中で眠るというのは自殺行為である。―そもそも森の中で睡眠をとる事自体、あまり推奨されることでは無いが。―



 進はシエルの手に挟まれた便箋をそっと抜き取り、封を切って中身を確認する。



 =====



『14番目の勇者』へ


 この手紙を読んでいるということは、無事にシエルちゃんと合流出来たってことでいいんだね。安心したよ。


 妙な胸騒ぎがしたからエルベスタからあの村まで急いで戻ってみたら、案の定君たちが何やら揉め事を起こしていたようだからね。間に合ってよかったよ。


 君が対峙したあの赤髪の女は『ネムリナ・エルベスタ』。エルベスタ国の皇女にあたる。君を付け狙うのもきっと、『6番目の勇者』を殺された怨みからだろうね。

 君が殺されることは無いだろうけど、シエルちゃんはそうとは限らない。十分注意して保護してあげるんだよ?



 私は流浪の身。私と君の立場上、君たちを直接サポートは出来ないけど。

 旅の途中で出会うことがあって、もし君が困っているのなら、その時はまた力を貸そう。


 まずは、『勇者』を見かけたらなりふり構わず敵意を剥き出しにするそのクセをどうにかしといた方がいいね。そんな様子だと君、本当に友達出来ないぞ?



『勇者』より



 =====



 そのようなことが綴られた一枚の用紙を、進は細かく千切り、予め焚かれてあった火に全て注ぎ込んだ。


(んなこと信じられるかクソが)



 どれだけ綺麗事を並べようとも。どれだけ好意を見せようとも。ハイナが『勇者』であることには変わりはない。


 ならば進は彼女を殺す。『勇者』を殺す。


 もしも彼女が『勇者』でなければ、あるいは進と手を取り合う未来もあったかもしれない。

 しかしそれは叶わない。進の中に宿る復讐心が消えぬ限り、進は『勇者』を狙い続ける。



『勇者』は信用しない。信用出来ない。




(…だけど)


 それでも。ハイナがシエルをあの場から逃がしてくれたのは事実。その点に関しては、進でも感謝の意を示す。

 復讐心それ事実これとは話が別。進でもそれくらいのことは弁えている。

 心の隅で『勇者』に感謝しながら、進はその場にあった適当な岩に腰掛ける。






 ―。






「…ん」


 進が焚き火に薪を追加していると、シエルが目を覚ました。



「…勇者、様?」


 寝ぼけた目で進を捉えるとシエルはすぐに涙を浮かべ、進に抱きついた。



「勇者様ぁぁぁぁぁ!!!!」


「な、何だよ一体!寝起きからうるせぇな!」


 進の服がシエルの涙で濡れていく。そんなこと構わずにシエルは進の胸に顔を埋め、擦り付ける。



「本当に、本当に怖かったんです…!独りで置き去りにされて、勇者様を呼んでも来てくれないし…!」


 来れるかボケ、と内心思いつつ進はシエルの頭を優しく撫でる。


「まったく…」



(…それにしても、アイツの思考回路どうなってんだ)


 シエルを誘拐したかと思えば適当なところで放し、進と敵対しているかと思えば『協力する』などと言ったり。

 あまりに捉えどころが無さすぎて、進はある種の恐怖さえ覚えていた。



 ―。



 それから陽は落ち、何度目か分からない夜を迎えた。


 進たちが適当な木の実を夕餉にしていると、今後のことをシエルから聞いてきた。




「勇者様。これから、どうするつもりなんですか?」


「これから、か…」



 腕を組んで進は考え込む。

 進のやる事は既に決まっている。その為に必要な事と言えば、世界を旅する事。


 しかし、シエルはどうするべきなのだろうか。

 進には彼女を育てられる能力はない。進の旅にシエルを連れていこうにも、彼の旅は常に死と隣り合わせの危険なものになるだろう。そんな旅に、まだ子供であるシエルを連れては行けない。




 結果。


「お前はどうするつもりなんだ」


 まずはシエルの考えを聞いてみることにした進。しかし彼女から返ってきた答えは、ある程度予想が出来ていたものだった。


「わたしは勇者様が向かうところについて行きます。どうぞ何処にでも連れ回してください」


(ま、案の定だな)


 こう言うことは確実だろうと予想していたので、進はあまり意外そうな素振りを見せない。

 しかし、疑問に思うこともある。



「なんで『俺』なんだ」


「え?」


 シエルが進を慕う理由。

 別に『勇者』というだけなら進の他にもあと13人、いや、殺された秀義を除いて12人いる。その中から、何故わざわざ『14番目』の進を慕うのか。

 進にはそれがまったく理解に苦しんでいた。


 あの村で行われた迫害によって、シエルも進が『14番目の勇者』であることは知っている。ならば何故、あの場にいたハイナではなく進を選ぶのか。



「…『14番目の勇者』様ですよね?だからわたしは貴方に仕えるのです」


「いやだから。何で俺が『14番目』だと知っていてそんなに慕うんだ」


「なんで、ですか…」


 進の質問に返す答えを迷っているような仕草をしばらく続けると、シエルはやがてひとつの結論を導き出した。






「―だって、わたしを助け出してくれたじゃないですか」



 あまりに単純な。しかし少女にとってはそれだけでも十分だった。

 それは誰かに言われたからではなく。少女自身の確固とした意思である。


「―たまたまだ。依頼が無ければ見捨てていた」


「いいえ。勇者様はきっと見捨てていませんでしたよ。

 あの場でわたしが殺されそうになったら、きっと助けてくれます」


「なんでそう思うんだ?」


 シエルの持つ謎の確信に、進にはだんだん苛立ちが募っていく。



 ―違う。俺はそんな立派な人間じゃない。


 ―違う。俺は人を助けられるような人間じゃない。


 ―違う。違う。違う。



 自己否定を重ね続け、自分が何者か分からなくなっていた時。








「―あなたは、『勇者』でしょ?」



 シエルのその言葉が痛く胸に刺さる。



『勇者』。確かに進は『勇者』の一人であり、魔神を討つために召喚された者のうちの一人。

 たとえ『世界』から望まれていなかろうが。『勇者』としての自分を望む誰かがいる。




 進は『勇者』の意味を忘れていた。ただ『勇者』を殺せる特権としか見ていなかった。それ以上の意味は無く、また不要だった。


 しかし。

『勇者』とは。この世界に生きる人々の『希望』の象徴である。この世界を『魔神』の手から救う唯一の手段。

 進の目の前の少女もまた、進を『希望』としている。ならば進は、彼女のために生きようと考えるだろうか。




 否。




「俺は『勇者』に相応しくねぇよ。もう既に一人、この手で『勇者』を殺してんだ」


 進は協力するべきはずの相手である『勇者』を、既に一度手にかけている。たとえそれが正当防衛だろうと、殺してしまった事実を変えることは出来ない。



(そんな奴に、誰かを守ることなんて出来やしない)


 誰かを殺した人間に、誰かを守る事など出来るはずがない。進はシエルの好意を受け止めながらも、心のどこかで彼女を遠ざけようとしていた。






「でも、それは理由があったんじゃないですか?」


「…あ?」






「勇者様が無闇に人を殺すような方には思えません。きっと『14番目』だからと言って命を狙われて、仕方なく殺めたのでは無いですか?」




「…だから何だ」


 たとえ理由があったとしても。それを正当化してはいけない。正当化出来ない。

 自分を守るため。それでも人を殺したのは確か。


 その罪が消えることは無い。赦されることも無い。

 その罪は消えてはいけない。赦してはいけない。




『世界』に反抗すると決めたあの日から、進は一生の罪を背負って生きていかねばならない宿命を強要されているのだ。






「確かに、世界の人たちは勇者様の命を狙ってくるかもしれません。


 ですが、わたしは勇者様をお慕いします。

 命を救われたあの時から、勇者様に全てを捧げることを決めたのですから」



 シエルの決意がどれ程のものか。それは進には計り知れない。

 しかし。強い決意だけは感じ取れたのか、進はシエルに対して




「…なら好きにしろ。

 ただし、自分の身は自分で守れよ。俺だって自分だけで精一杯なんだ」


 と、同行することを認めた。


「好きにしろも何も、拒否されても着いていきますよ」


「お前やっぱ図々しいな?」




 ―。




「それで、最初に戻りますけど。


 勇者様はこれからどうなされるんですか?」


 夜も更け、シエルが寝る前に進に再度確認を取る。



「そうだな。

 当面の間は『勇者』を捜して殺して回ろうと考えている」


「分かりました。じゃあ、次は『バッキニアス地方』ですね」


「バッキニアス地方?」



 進が分からない単語に興味を示すと、シエルは丁寧に説明を始める。



「勇者様はこの世界に召喚されてまだ間もないんですよね。じゃあこの世界について説明しますね。




 この世界には1つの主要大陸と無数の島々が存在します。私たちは現在、大陸南西の『エルベスタ地方』、そのまた東南辺りにいます。

『勇者』が召喚されたのは七大国で合計13…。すみません、14名ですね。


 もし勇者様が他の『勇者』を狙うのであれば、ここの隣にあたる『バッキニアス地方』の『バッキニアス国』に向かうのが妥当かと」


 シエルは木の枝で地面に歪なハートマークのような図形を描くと、自分たちが今いる地点に小さな点を付ける。その横あたりに同じように点を付けると、シエルはそこを指しながら『バッキニアス地方』の説明を始める。


「バッキニアス地方はあの山を超えたらすぐです。もし近くから順に捜していきたいと仰るのであれば、そこに向かうといいと思いますよ」




「お、おう…」


 シエルが説明を終えると、進はおどおどと返事を返す。



「? どうかしたんですか?」


「いや…。

 お前、いくら何でも動揺しなさすぎじゃないか?」


「動揺、ですか?」


 進が目的を決めると、シエルはそれに疑問を抱くことなく目的に賛同した。

 その姿には一片の迷いも無く、進はシエルのその姿勢に不気味さを感じていた。



「いや、俺の旅は言ってしまえば『人殺しの旅』だ。そこは少しぐらい拒否反応があっても…」


 むしろ進が動揺していると、シエルはそんな様子の進を見て笑った。



「何を言っているんですか。

 さっきも言った通り、わたしは勇者様に一生お供しますよ。勇者様が決めた事に異論は唱えません」


「いや、でもな…」


(こんな子供が『人殺し』と聞いて、少しも迷いもしないなんて。少し、いやかなり気味悪いな)



 シエルは目を閉じ、そしてうっすらと開く。




 その目を進は見たことがある。






 その目は、何かに復讐を誓った目。

 それは、『世界』に復讐を誓った進が見せる目と同じものだった。




「わたしも。両親を奪った『世界』を、許すつもりはありませんから」



 何かを奪われた。だから復讐する。

 まるで進自身を鏡写しにしているようで。少女の意志を否定する気は進に起きなかった。




「…だったら、尚更お前自身が強くならねぇとな」


「はい。よろしくお願いしますね、勇者様」











 こうして。


 シエルの復讐が始まった。

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