「ごきげんよう」

 

 雀の囀りで進は目を覚ます。まだ薄暗い森の中は昇る陽光に照らされ、陰と陽を生み出していた。

 体を起こして伸びをする。地べたで寝ていたことも手伝って、進の体の節々が変な痛みを引き起こしていた。



(仮眠のつもりが朝まで寝てしまった…)


 まだ眠気の残る脳を切り替えて、進はまだ重い瞼を開ける。



 進の視界にはまだ寝息を立てている少女、シエルの姿が映る。

 すやすやと安らかな寝息を立てて安心しきって寝ている、その姿には子供のあどけなさがあった。


「…子供だな」


 その様子を鼻で笑うと、進は立ち上がって軽い体操をする。体操が終わると、昨日で殆ど食べ尽くした猪の残りをどうしたものかと考える。

 食べられる部分は朝食にするとして、折角なら残った部位も有効に活用したい。そう考えた進は、猪の獣皮を毛皮にすることを決め、その作業に取り掛かった。






「…んん」


 進が毛皮の脂を削ぎ落とす作業に取り掛かってから10分ほど。シエルが目を覚ました。

 大きな欠伸をすると体を起こして背を伸ばす。猫のように脚の前に手を置いて、寝ぼけながら辺りをキョロキョロと見回す。


「起きたか、朝飯出来てるぞ」


 顎で焚き火に掛けている猪肉を指す。

 シエルはその肉を目にすると意識を覚醒させて、すぐさまそれに飛びついた。


「食べていいんですか!?」


「食べていいけど変な味したらすぐに吐き出せよ。しばらく放置してたから何が起こるか分からん」


 進の了承を得ると、シエルは目を輝かせて火の通った猪肉を口いっぱいに頬張った。


(よくそんなに食えるな…)


 一度に大量のサイコロステーキを口に運ぶシエルを見て、作業の傍ら進はそんなことを考える。

 シエルの食欲は異常と言える。子供のそれとはとても思えないぐらい大量に食べる。それが育ってきた環境のせいだとしても、普通は胃袋が小さくなって食事が喉を通らないはずなのだが。




「…なぁ。そんなに食べて、腹痛くなんないのか?」


 ふと、進はそんなことをシエルに聞いてみる。


「ふぁい、ふぁっふぇふぁふぁひふぉふぁふぉふーほへふはは」


 シエルは口に猪肉を入れたままその問いに答える。


「飲み込んでから話せ、行儀悪い」


 進にそう言われると、少女は口をモゴモゴと忙しなく動かして猪肉を噛んでしっかりと飲み込む。

 猪肉がシエルの喉を完全に通りきると、シエルは再び進の問いへの答えを述べた。






「わたし、龍人族ドラゴニュートなんです」


 シエルがそう答えると、進は作業する手を止めてシエルの顔をのぞき込む。



「は?ドラゴニュート?」


 シエルは頷く。




「お母さ…、わたしの母が龍人族の血を引き継いでまして。母はあまり多く食事を取らなかったみたいなんですけど。

 先祖返り、って言うんでしょうか。昔から、わたしは龍人族の中でも大分食事量が多いと言われていました。…今食べている量でも、実は抑えている方なんです」


「先祖返りか…」


(そんな暴食な奴がよくパン一つで生き残ってこれたな)



「と言っても、別に沢山食べていかなければ生きていけないってわけじゃ無いですよ?

 最低限の食料と水さえあれば、龍人族はそれだけで1ヶ月は生きていけますから」


 まるで進の考えを読んだかのように、シエルは説明に補足を加える。



 ー『龍人族』とは、この世界に存在する『龍種』から生まれ落ちた人間の子である。元々、龍種が人間の姿に化けて子を産んだことが誕生の起源と言われているが、その説は定かではない。

 龍種は遥か昔から存在しており、今日に生きる龍人族たちは龍種の血統が薄れてきていると言われている。―



「…だからって、腹が減らないわけじゃ無いだろ」


「…そうですね」


 人を凌駕した生命力を誇る龍人族と言えども、腹が減れば体力は削がれ、満腹にならなければ十分な力を発揮出来ない。龍人族も生命である。無尽蔵に活力が溢れてくるわけではない。



「でも今は、おいしいお肉が沢山食べられて満足してます。これも『勇者』様のお導きのおかげですね」


 シエルは再び、猪肉を口いっぱいに頬張って空腹を満たしていく。

 そんなシエルを見て、進は何だか心が苦しく感じた。


(こんな女の子が、満足に食事も出来なかったんだよな)



 ―俺はまだマシな方だったのかもな。



 家があって。優しくしてくれる家族がいて。暖かい食事が毎日食べれて。嫌な事があればすぐに逃げ出す事が出来て。

 少女の生活と比べると、進の元の世界での生活はとても生温いものだった。




「…まぁ沢山食べとけ。食える内にな」


「ふぁい!」


「だから口に入れながら喋るなと」


「ふぁい!」


「ハァ〜…」


 シエルのわんぱくさに頭を抱えながらも、進はそんな彼女を見て僅かに微笑んだ。






 ―――――






 それからおよそ10時間。進とシエルは着々と帰り道を進んでおり、シエルの家族が住む村の近くまで来ていた。



「そういえば、何でシエルは『メイア』なんて名乗っていたんだ?」


 村が目と鼻の先にあるというところで、進はシエルに問う。


「わたしが自分から名乗っているわけじゃないですよ。あの女の人が、わたしの名前を勝手に改名したんです。『奴隷なんだから名前も好きに決めていいでしょ』って言って。

 あの人たち…、義兄あにも含めてわたしの事を『メイア』という名前で呼びます」


 それは少女の家庭環境によるもの。シエルは『メイア』として育てられ、本名を呼ばれることは一切無かった。

 実の親から授かった名前すら捨てられた少女は、その時は屈辱すらも感じたという。



「なるほどな…」


 非常に苛立たしい。進の中で怒りの感情が込み上げてくる。

 人を『人』として見ないような人間たち。そんな奴らは全員一度死ねばいい。そんな過激な思考すら抱いた。


(これは一言、言ってやらないと気が済まねぇ)


 シエルのために、というわけではない。進自身がその一家のやり方に憤りを覚えたからだ。

 進は『理不尽』に口を挟まずにはいられない体質になっていた。











 そして。進は一日ぶりに。シエルは約二日ぶりに。

 シエルの義理の家族が住む村に帰ってきた。



「着いたな」


「…そう、ですね」


 シエルは進のローブの端を握り、隠れるように進の後ろに回り込む。

 家出と捉えられている以上、家族に、義兄に顔を合わせづらいのだろう。

 進は後ろの少女に気を遣いながら、ゆっくりと村の土地に足を踏み入れていく。




 そして、進たちは村の中央までやって来た。

 村の中心では何やら住人が全員集まっており、1人を取り囲むようにして円を描いている。


(何だか騒がしいな)


 決して多いとは言えない村民たちの観衆を外側から眺めていると、1人の村民が進の存在に気付いた。











 そして、発せられたのは忌避の念が込められた言葉。




「ひっ…!

『14番目』だ!!『14番目』が来たぞぉぉ!!!!」


 叫喚は村中に響き、その言葉を聴き逃した者は誰一人としていなかった。


(バレた…!?)



「『14番目』だ!逃げろ!!」

「【『勇者』殺しの異端者】め!」

「お前は家に隠れていなさい!殺されるぞ!!」



 泣き叫ぶ悲鳴。罵倒の怒号。その他諸々。進が現れたことで、村の広場は一気に阿鼻叫喚で埋め尽くされた。


「な、何ですか、これ…」


 村の人々が喚き、嘆く様子を目にしたシエルは困惑の声を上げる。



 ―知られてしまった、か。



 この惨状を目にして、シエルは進が『14番目の勇者』であることを知覚してしまった。と、進は思い込んだ。


 そして、それも「仕方がない」と諦めた。この村に『勇者』の情報が伝えられればどの道知られていたことだ。

 嘘がバレるのが少し早くなっただけ、と進は割り切った。



(しかし、情報の伝達がやけに早かったな…)




 進がそう思っていると。






 民衆の中から、紅蓮の鎧を纏った1人の女性が姿を見せる。

 そのカラーリングを見て、進は嫌な人物の事を思い出した。


(何であんな気色悪い配色を)


 その姿はまるで『6番目の勇者』である鏖魔おうま 秀義ひでよしを彷彿とさせる。


 鎧の面積こそ小さくなっているものの、作られている部分の構造は秀義が着込んでいた鎧の造りと全く同じ。例えば篭手やブーツ。その姿形、配色までもが秀義のものと一寸違わぬ造りになっている。

 赤髪に軽いウェーブを掛けた容姿端麗の淑女は、これまた秀義が愛用していた勇者の武器ブロードソードを模したような剣を鞘から抜くと、その切っ先を進に向ける。








「ごきげんよう、『人殺し』」




 淑女はその目に復讐の炎を滾らせながら、進にそう言い放った。

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