「わたしは」

 

 ―半日。進と少女が山岳の洞窟を抜け出すのに要した時間。

 2人が外の空気を吸う頃には空はすっかり月光と星に照らされ、勝色が淡く白く輝いていた。



(…空か)



 いつも見ているはずの夜空なのに。この場所から見える夜空は何故か、とても美しく見える。

 地形的な問題もあるだろう。進たちがいるこの場所は山岳地帯。いつもよりも大分高い場所から夜空が見れるのが影響しているかもしれない。


 進は歩く事も忘れて、その幻想的な光景に見惚れていた。




「…勇者様?」


 進が動く気配を見せないので、少女は心配になって進に呼び掛ける。

 その呼び掛けで進は意識を現実に引き戻す。


「いや、何でもない。行くぞ」


 そう言うと進は、急な斜面になっている山道を下山しようと歩き出す。道の起伏も激しく、夜に歩くのはあまり安全ではない。



「え…?」


 しかし今度は進の後ろの少女が動こうとしない。まるで進のやっている事が理解出来ないような表情で、困惑の声を上げる。


「…何してんだ?」


 進は立ち止まり、振り返って少女の方に顔を向ける。

 進がそこで目にしたのは、少女の絶望したような顔。




「…なんで、村に帰ろうとしてるんですか?」


 おそるおそる、と言った様子で少女は進にそう訊ねる。その声には明らかに恐怖の色が含まれており、進の行動に不審を抱いているようだった。


「何でって…。そりゃお前の親が捜しているからだ」


 “親”という言葉。それは少女にとって禁句の一字だった。








「―わたしは!あんな人たちの所に戻りたくありませんっ!!!」


 少女は突然叫ぶ。あまりに突飛な少女の反応に、一瞬、進は怯んでしまう。

 先程までの明るい素振りからは想像もつかないような少女の豹変ぶり。進はあの家族に何かあったことを察する。




「命を賭けてまで逃げ出してきたのにっ!!どうして、牢屋よりも酷い場所に戻らないといけないんですか?!わたしが何かしたと言うのですか!!

 わたしに『罪』があるなら、一生を捧げて償います!!『罰』があるなら、どんなものでも受け入れます!!


 …だからもう、あそこに戻るのだけは嫌です…!!」



 『牢屋よりも酷い場所』と言う程の家庭環境。あの農夫の両親は、よほど少女に酷い仕打ちを与えてきたようだ。

 それ両親は少女にとっての『絶望』。この世の何よりも忌むべき存在。


 少女もまた、この世界で生きる意味を見出せない人間の一人だったのだ。



「…」


 少女の嘆きを目の当たりにして、進は考え込む。



 ―本当に、この子をあの家族の下に送り届けるのが正しいことなのか?

 ―確かにそれは家族にとっては幸せなことなのかもしれない。自分たちの『財産』が帰ってくるのだから。

 ―だけど。



(それはメイアの幸せでは無いだろ)



 このまま少女を家に帰してしまっては、おそらく少女はこれから先の人生を不幸で埋めつくしてしまう。

 自由にもなれず。人としての最低限の生活すら与えられることなく。少女は一生を終えることになるだろう。



 進は蹲る少女に掛ける言葉が見つからない。

 何と声を掛ければ少女は立ち直ってくれるのか。進にはそれが分からなかった。



 だが。


 これだけは言える。






「んなもん自分でどうにかしろ」


 その言葉は少女を突き放すよう。しかし、確固たる意思を持った言葉。

 進のその言葉に、少女は下に向けた泣き顔を見せる。


 はぁ、とため息をついて進は言葉を続ける。



「根本的な解決は俺には出来ん。結局のところ、お前がどうにかするしかないんだよ。

 お前はその両親に何か訴えたか?自分に出来ることは全てやったか?…いや、だから家出最終手段に頼ったのか。


 俺に出来るのはお前の家族を説得することだけだ。もしかしたらそれでお前の親が改心してくれるかもしれない。

 だけどそうじゃなかった場合、後はお前自身でどうにかするしかないんだよ。他に縋るものが無ければな」


「…」


 少女は進の言葉を真摯に受け止める。

 進の言葉は少女に響く。それは、進自身も少女と似たような経験をしてきたからだ。進の経験論から紡がれる言葉には信憑性があった。




「…まぁでも。

 あの家族の中にも、お前の事を心配してくれる人間が少なくとも1人、いるだろ。

 家を飛び出すにしたって、まずはそいつに一言言っておいた方がいいんじゃないか?」


 進に言われて、少女の脳裏に1人の少年の姿が思い浮かぶ。



 見た目は少女と大して変わらない、義理の兄。年齢は少女よりも3歳ほど上になる。

 義兄はいつも少女に優しくしてくれた。父親に過酷な労働を強いられた時でも。母親に理不尽な体罰を受けた時でも。義兄だけは少女の身を案じてくれた。

 あの家庭で少女が今まで過ごしていられたのは、全て義兄のおかげ。義兄がいなければ、少女はもっと早くに生きる希望を失っていただろう。



「…わたしは」


「ウダウダ言ってねぇで早く行くぞ。後の事なんてその時になってから考えればいい」


 少女の顔を見て、進は再び前を向いて歩き出す。

 少女は己の中の葛藤に迷いつつも、進の背中を追いかけた。






 ―――――






 山を下り終えて、進たちは再び森の中に舞い戻ってきた。



「『日時計』」


 進は時間を確認する。『PM 10:34』と進の視界に時刻が表示される。



(このまま行けば昼頃には着くか。…しかし)


 進は後ろにつく少女を横目で確認する。

 その姿はとても弱々しく、歩くのがやっとといった感じだった。

 それもそのはず、少女は約1日半何も口にしていない。このまま進のペースに合わせて歩き続けるならば、栄養失調で野垂れ死ぬことになるだろう。


 進も朝から水しか口にしていないが、『勇者』は餓死することは無い。飢えや脱水症の苦しみは味わうが、一時的に気絶すると少しは回復する。―実際、進は1回それで半日の時間気絶したことがあった。―

 しかし少女は違う。彼女はただのか弱い子供なのだ。何か食べさせて、十分な休息を取らないと健康に支障をきたす。



 仕方なく、進は旅路を一時中断することにした。



「ここらで野営するぞ。お前はそこら辺に転がっている木屑を集めてから魔法で火を起こしておいてくれ」


「…勇者様はどうなされるのですか?」


「俺は適当な獲物を狩る。


 …そうだ。護身用にこれを持っておけ」


 進はローブの裏に隠したククリナイフを、鞘ごと少女に渡す。


「え?」


「もし何かに襲われたりしたら、すぐに大声を上げろ。駆け付ける」


 進はそれだけ言うと、“気”を纏って森の木々を忍者のように飛び移っていった。


「え!?勇者様!?」


 少女の声は、森の中に虚しく響くばかりだった。






 ―。






 それから30分程度で、進は猪を担いで少女の元に戻ってきた。


「待たせたな」


「待たせた、って…。何で急に飛び出したんですか」


 既に血抜きを終えた猪を肩から下ろし、燃える焚き火の前に座り込んで手早く解体作業を始める。


「何でって…。飯が無いと死ぬだろ、お前」


 トランプを小型のサバイバルナイフに変えて、内臓を取り出しながら進は少女の疑問に答える。見慣れないグロテスクな現場を目の当たりにして、少女は嘔吐感を覚える。



「…わたしに気を遣わなくても大丈夫なのに」


「何言ってんだ、そんなに死にてぇのか。

 だったらこの肉は全部俺が食う。あーあ勿体ねーなー、猪肉は上手いのになー」



 進はわざとらしく演技をしながら、解体を終えて取り出した猪肉をサイコロ状にして自然の串に通す。平らな石の面に油代わりの猪の脂を引き、その上に串を置いて焚き火の上に乗せ、十分に加熱する。

 肉汁が溢れて美味しそうな香りが辺りに漂う。少女もこの誘惑の前には、生唾を飲まずにはいられなかった。



(即興でも案外いけるもんだな)



 =====



 Information


 ・固有スキル『サバイバル心得』の派生スキル『自然調理』を習得しました。

(習得条件:文化的な調理を器具を使わずに行う)



 =====



 隠しスキル解放の通知が進に渡る。「『閉止』」と唱えて進はその通知を消した。






「………」


 少女はじっと焼き上がりを待っているかのように見える。

 進は四面全てにしっかりと火を通し、殺菌していく。



「…食べたいなら食べていいぞ」


 進から許可が出ると少女は嬉々の表情を浮かべ、そしてすぐに咳払いして固い表情に戻る。

 しかし少女は肉の串に手を伸ばす。大きな肉が沢山刺さった一本の串を掴むと、少女はそれをまじまじと見つめ、そしておそるおそる口に運ぶ。



「あちっ」


 少女が舌の上に肉を乗せると、すぐさま口から串を離す。


「冷まさずに食うバカがいるか」


 進も串を一本手に取り、肉に息を吹きかけて熱を冷ます。

 十分冷めた辺りでそれを口に運び、舌の上で溢れる肉汁を味わう。


(…やっぱり少し臭いか)


 本来の処理方法とは違うやり方で肉を取り出した故、その肉には血生臭さが残っていた。食べられない程では無いので進は気にしていなかったが。



 少女も進に倣って、熱々の肉に息を吹きかけて熱をとる。

 そして、一思いに口に入れた。




「…おいしい」


(は?)


 こんなのが美味しいとは随分変わった味覚をお持ちのようだ、と進は思ったが、それは違う。

 少女は熱を冷ますことを忘れ、次々と肉を口に運んでいく。


「おい、そんなに急いで食うと…」








「……、っ」


 嗚咽。串を運ぶ手を止め、少女は涙を流していた。



「お、おい…!?食中毒か?!」


 進は少女の様子を見て彼女の容態を案じる。少女の背中をさするが、少女は首を横に振る。


「ち、違います…。違うんです…」


 少女は両手で涙を拭う。しかし涙は止まらない。何故涙を流しているのか、進には一切理解出来なかった。



「…わたし、お肉を食べたのって、5年ぶりぐらいで…。いつもは、パン一切れしか貰えなかったから…」




「―――」




 少女の口から紡がれたのは、拷問のような日常。




 曰く、少女の生活は。


 朝。少女は5時に起床。5時半から義父の農地の耕作作業を強制される。

 昼。少女は働き続ける。他の3人は昼食を取りながらも、少女に休みは与えられない。

 夜。8時にようやく労働が終わる。夕食として渡されるのは、長めのパンが一つだけ。夕食を終えた後、少女は風呂に入ることなく10時に就寝する。

 唯一、日曜日のみ休みが与えられる。その日は義兄であるエルデと遊ぶことで一日があっという間に過ぎる。休みであっても、少女に与えられる食事は変わらない。



 少女にとって苦痛。拷問。地獄。絶望。その一家の両親の虐待は、しかし村の者たちが咎めることは無く。少女が村の者たちから憐れまれることも無かった。






「だって、わたしは『奴隷サーヴァント』ですから」


 そう言う少女の顔は、どこか人生を諦めたような表情で笑ってみせた。


 奴隷ならば何をしても許される。他人の家の奴隷に情けはいらない。

 そんな考えが蔓延っているこの『世界』に、進は嫌気がさした。




「…そうか」


 少女に掛ける言葉は無い。少女に掛ける言葉が見つからない。

 もしかすると少女は、進と同じぐらいかそれ以上の凄惨な人生を送ってきたから。自分程度が少女を憐れんではいけない、と。進は言葉を失った。






「…だったら、今は沢山食っとけ。この場は誰もお前の事を責めたりしない」


「…はい。ありがとうございます」


 2人は焚き火の音を聞きながら、束の間の安息を過ごした。






 ―。






「勇者様、隣で寝てもいいですか?」

「ダメに決まってるだろうが」


「即答ですか…?」


 満腹になるまで食事をした2人は、休息を取る準備をしていた。とは言っても、進は既に寝る体勢になっている。


 少女は進の背中に寄り添うが、進自らが少女の添い寝を拒否してしまった。



「じゃあ、わたしが寝るまで話し相手になって下さい」


「お前結構図々しいな?」


 進は体を起こして少女の方に体を向ける。

 少女も就寝の体勢に入っており、うつらうつらとしながらも進の顔を見据えている。



(まだまだ子供だな)




「じゃあ話をするか。メイアの母親は―」











「…勇者様」


 進の言葉を遮って出鼻を挫く少女。その顔には不安の色が込められている。


(人に頼んでおいて何だコイツ)


「どうした?」


 言おうか言わまいか。少女はそんな表情で口篭る。

 その様子に異変を感じた進は、途端に少女の事が心配になった。



「…具合でも悪いのか?」


 少女は首を横に振る。

 ならば一体どうしたんだ、と。進が少女の様子を勘ぐっていると。




「…勇者様には、どうしても伝えておきたくて」


 意を決して、少女は言葉を紡ぐ。その目には先程までの迷いは感じられない。

 少女の言葉を進は受け止める。


「伝えたいこと、か?」


「はい」


 ―わたしは。




「わたしは―」


 少女は―
















「―わたしの本当の名前は、『シエル』です」


 シエルは、初めて進に名を告げた。































 その夜。

 村の方で一発の銃声が響いた。




 それが何を意味するのか。

 眠りに落ちた進たちはまだ知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る