『貪欲の大蜘蛛』

 

 進は大蜘蛛と対峙する。

 大蜘蛛は変わらずその触鬚を休ませることなく駆動させ、不意に溶解液を撒き散らす行動を繰り返す。進はそれに当たらないように回避しながら、どうにか死角に入り込もうと位置を変えながら隙を伺う。



(やっぱりそう簡単に隙は見せないか)


 大蜘蛛の視界の中で走りながら、進はこの状況を打開する案を考える。


 何か、あと一押し。

 それさえあれば、大蜘蛛にも隙が生じるはず。











「―『火炎フレイム』!!」




 その時、少女の澄んだ声が空洞内に響き渡る。



 それは、大蜘蛛の巨大な図体に比べるととても弱く、小さな炎。

 しかし、その1つの火炎は確かに、大蜘蛛に隙を与えるように2つ目の眼球を焼き潰した。






「キィィィイイイィィィイイィ!!!!」


 大蜘蛛の甲高い悲鳴が進の鼓膜を割らんばかりに鳴り響く。

 大蜘蛛はその場を暴れまわり、天井から脚を離して進と同じ土台に再び降り立った。



「今のは―」


 火炎がやって来た方向。

 進がそこに振り向くと、両手を掲げて大蜘蛛を睨み付ける少女の姿があった。




「―勇者様!

 わたしの事は気にせずに、戦闘に集中してください!」


 少女はそう呼び掛けると、再び魔術を繰り出した。



攻撃魔術アタックエフェクト、『火炎フレイム』!!」


 少女の掌から生み出される炎の球は、火の粉を散らしながら大蜘蛛の頭胸部に焼け跡を刻む。しかしその程度の攻撃は効かない。






「―シャアアァァァァアアッ!!!」


 少女の攻撃をものともせずに大蜘蛛は態勢を立て直す。

 すかさず脚を高速で動かし始めたかと思うと、そのまま進に向けて一直線に接近する。


 だが、標的は進ではない。



「まずい…!」


 進は真っ直ぐ突っ込んでくる大蜘蛛を避けようと、横に飛び退いてその進路から逸れる。しかし大蜘蛛はその脚を止めない。

 そのまま、少女へと向けて速度を増していく。


「え…?!」


 少女の小さな嘆声が漏れる。




(狙いはそっちか!!)


 進はすぐさま弓の形状を対物狙撃銃に変える。ずっしりとした重量が進の両手にのしかかる。


 スコープを覗き込んで、大蜘蛛の脚関節に狙いを定める。



(外せばあの子メイアが死ぬ)



 その引鉄には、少女の命が賭けられている。

 外せばその時点で少女は死ぬ。当てても少女への被害が無いとは限らない。

 どこへ当てたら、被害を最小限に抑えられるのか。

 きっと、どこへ当てても被害は大して変わらないだろう。



 ―狙え。外すことは許されない。



 自分にそう言い聞かせ、引鉄に掛ける指に神経を巡らせる。



 ―チャンスは一度。二度は無い。



 狙うは大蜘蛛の右後脚。腹部との基節。



 ―貫け。



 弾丸に意思を込める。一発に“気”を込める。








「―貫けぇっ!!!」


 引鉄を引く。

 進の体に自由反動が伝わる。その衝撃に耐えきれず、進は大きく仰け反ることとなる。

 ドォン、と。対物狙撃銃の名に相応する爆発音が、洞窟全体に響く。

 銃口から放たれるのは一発の弾丸。撃鉄に叩かれ、雷管が発火し、薬莢の火薬が破裂し、一発の弾丸が銃口を飛び出して標的に向けて一直線に風を切る。



 それはすぐ。刹那の瞬間。

 弾丸は大蜘蛛の基節を的確に






「キィィィイイシャアアアァァ!!!!!」


 弾丸は大蜘蛛の右後脚の基節を貫き、対角に位置する左前脚の基節まで貫通。一気に2本の脚の関節を潰された大蜘蛛はバランスを崩して、その場に滑り込むようにして倒れる。


 カランカラン、と。薬莢が地に落ちる音が響く。






(隙が出来た!)


 大蜘蛛はそのまま体勢をすぐに立て直す。しかし、進はその一瞬の隙を見逃さない。



 狙撃銃を片手剣ショートソードに。その剣を両手で掲げ、進はその剣身に最大限の“気”を込める。











「―【我、偽りの勇者。真なる勇者に非ず。

 壁となる敵を屠り、我が道を往くことを望む。なれば、偽りの我が剣に今一度力を与え給え】」


 進の持つ黒のショートソードに集まる“気”は、剣身と真逆の色の黄金の輝きを放つ。しかしそれは、かつて秀義が放った剣の輝きには及ばない。



 進の武器は『何者にでも成れる』特性を持つが故に、『真作に勝ることは無い』。たとえ進が秀義の奥義を模倣しようが。贋作それ真作オリジナルに勝つことはない。

 進の放つ奥義は全て、オリジナルのそれと比べると一段階劣る性能になる。進の“気”が放つ輝きが秀義の“気”に及ばない理由はそこにある。




(それが何だ)



 ならば。

 同じ“気”の量でオリジナルに届かないのなら、オリジナルに届くだけの“気”を注ぎ込むだけ。

 贋作は真作にはなれない。しかし威力だけなら、真作と同等にまで上げられる。


 進は“気”を集中させる。一撃決殺の剣を、ただ一度振り下ろすためだけに。




「シャアアァァアアァッ!!!!!」


 本能的な直感が進の脅威を察したのか、はたまた不意打ちに怒りを覚えたのか、大蜘蛛は少女から進に体を向けて一直線に突進する。脚が2本使えなくなったとはいえ、その速度はさほど変わらない。



(遅い)


 だが既に手遅れ。

 大蜘蛛が進に向き直る頃には、“気”を纏った剣身は既に本来の姿の何倍にも膨れ上がっていた。






「―【偽りの剣に宿りし道化師よ。今一度かの者を一刀両断すべく、その力を解き放て】!!」





 =====




 特殊技能ブレイブエフェクト

『【偽剣ぎけん】エクスカリバー・ジョーカー』受理




 =====




 その名は【偽剣】。贋作が放つ虚構の輝き。

 そんな剣でも、目の前の敵を討つには十分だった。



 進はその名を叫ぶ。











「―【偽剣】《エクスカリバー・ジョーカー》ぁぁぁぁああああああ!!!!!!!」




 光の剣を振り下ろす。

 進の振り下ろす速度に比べて、虚光の刃は一呼吸遅れて傾く。




「キシャアアァァァアアア!!!!」


 大蜘蛛の鎌のように鋭い跗節が進を標的に迫る。

 その凶刃は光刃よりも疾く。標的の命を刈り取る為に無慈悲に振り下ろされる。このままでは進の刃が届くよりも先に、大蜘蛛の刃が進を切り裂く。




(させませんっ―!)



防御魔術シールドエフェクト、『岩壁ロックウォール』!!」


 そこに割り込むのは岩壁。

 少女の放った魔術によって、大蜘蛛の一撃は止まる。わけが無い。


 大蜘蛛の刃は岩を砕き、進の首筋への軌道を変えない。



 少女の魔術は『気休め』程度。魔術で防げるようなやわな攻撃では無かった。

 だが。その『気休め』が。

 進の攻撃の僅かなタイムラグを埋めることになった。






「―終わりだぁぁぁぁあああ!!!!!」




 大蜘蛛の刃が届くよりも先に。

 進の光の剣が、大蜘蛛を切り裂いた。






「―シェアァァァァァァァァァァァァァァァァァアアァアァアアァッ!!!!!!!!!????」


 その刃は大蜘蛛を二等に分けるかのように、ゆっくりと大蜘蛛の肉質に切れ込みを入れていく。

 緑の液体がその切れ込みから吹き出る。進と少女はそれをモロに浴びるが、それでもお構い無しに刃を突き立てる。


 その悲鳴は断末魔。魔物の最期の生命の咆哮。

 この世ならざる者が叫ぶのは、嘆きか。それとも怨恨か。それは進たちには知る由もない。



 ただ。『魔物』だから。

 進が大蜘蛛を斬る理由は、ただそれだけだった。








【…ダ…ズゲ…テ…ェ…】




「―――」



 そして、大蜘蛛はその巨躯を真っ二つにされた。




 その間際、進の耳に何かが聞こえた。





 =====



 Result



 Exp:4181(MVP BONUS:×1.5)


 LvUP:7→9


 次のレベルまで:3754



 =====









「―た、す、け、て」


 進はその言葉を、一文字一文字確かめるように呟く。

 誰が発した言葉なのか。無機質なその声は、人の声では無いのか。


 進の呟きに応えを返す者はいない。先程の無機質な声も聞こえない。



 大蜘蛛はその断面から、徐々に灰となり塵となり、風に乗って外へと昇っていく。

 やがてその姿は、跡形もなく空洞内から消え去った。




(…何だったんだ)


 あの声は何だったのか。誰が呼び掛けたのか。

 少女の声では無いことは分かる。あの助けを求めるような声は、まるでこの世の全てに絶望した人間が、悪魔にでも縋るように救済を求める声。

 実際にそんな声を聞いた事がある進ではない。しかし、あの声からはそういう印象が感じ取れた。






「―勇者様!!」


 少女が駆け寄ってくる。進はその声に反応して少女の方に顔を向ける。


「メイア…」



 ―さっきの声、お前か?



 いや、絶対に違う。

 少女の目はまだ、絶望しきっていない。それどころか、まだまだ活力に溢れている。

 進は質問をすることはなく、少女に微笑みかける。



「助かった。あそこでサポートしてくれなかったら、今頃は死んでた」


「―いえ!それがわたしの使命ですから!」


 進が感謝の意を述べると、少女は込み上げる感情を抑えるように意気揚々と応えた。

 その笑顔に、進は気張った心を少しばかり緩めた。






「それより勇者様、いいのですか?あの魔物に名前を付けなくて」


「名前?」



 少女の言う通り、大蜘蛛には名前が無かった。

 魔物は二種類に分けられる。『名無しの魔物ネームレス』と『名を冠する魔物ネームド』の2つ。

 先程、進たちが討伐したのは前者、『名無しの魔物ネームレス』。名無しの魔物は遭遇者がその場で名前を付けてもいいことになっている。



(名付けなんて)


 ―そんな権利、俺には無い。


 ましてや、自分は自らの手であの魔物の息の根を止めた。命を奪った張本人が名付け親になるなど、悪趣味にも程がある。進はそう考えていた。


 しかし。

 名前も無いまま一生を終えるというのも、また酷な話だ。

 この世を去るのであればせめて、誰か一人にでも『名前』をその記憶に刻みつけてもらってから逝きたい。そんな考えも進は持ち合わせていた。




「…そうだな」


 しばらく考えた後、進はあの大蜘蛛の事をこう呼んだ。











「―『貪欲の大蜘蛛』」

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