『その程度の事』

 暗闇。夜はまだ明けない。


 進は村からかなり離れた地点まで到達し、行方不明となったメイアという名の少女を捜索していた。



 闇に包まれた森は視界が悪く、生物の区別がつけづらい。現に、進はここまで来るおよそ1時間のうちに狼や毒蛇などと遭遇してきた。

 暗闇、索敵を行うのはほぼ困難な状況の中、進はただひたすらに森を突き進む。



(さすがに朝まで待った方が良かったか?)


 夜の森で過ごした事があるとはいえ、危険が伴うのは変わらない。たとえ進であったとしても、不意に『魔物』と遭遇して命を落とすという可能性も有り得る。


 しかし、だからこそ。


 このような危険な状況下に置かれた少女を、一刻も早く救い出さなければならない。

 戦う術を持っていたとしてもまだ子供。猛獣に襲われれば命は無いだろう。



(いや、もう既に死んでいる可能性も―)


 と考えて、進はその思考を止めた。


(…いや、たとえそうだとしても事実は伝えないとな)


 この世界は残酷だ。魔物の子の命さえ簡単に奪われる世の中、人の命などさらに脆い。進はそれを知っている。


 ならば、やるべき事は一つ。



「とっとと連れ帰って、家族を安心させないとな」




 そう呟くと、“気”を使って脚を強化した進であった。






 ―――――






 それから3時間。

 暗闇は朝日に照らされ、夜が終わりを迎えようとしている頃。






「マズったな…」


 進は山岳地帯の方までやって来てしまっていた。



 まだ森は続いている。しかしそれも途切れ、やがて完全に岩肌が露出してしまう。そんな所まで足を踏み入れてしまった。


 捜索範囲が広いに越したことは無い。

 が、捜索対象はまだ子供の少女である。住み慣れた森から離れた場所まで来る気概があるだろうか。


 ここはまだ山の四合目付近。引き返すなら今の内。

 このまま先に進めば見知らぬ土地で迷ってしまい、最悪あの村に帰れなくなる危険性もある。




(…帰れなくなる?)


 進はそこに目を付けた。



 少女が行方不明になったのは昨日、いや、もう一昨日と言った方がいい。

 進が歩んできた道のりは険しけれども、あの村から休みなく歩き続ければ一日足らずで着くような距離だ。


 少女がもし。この場に足を踏み入れていたら。

 一日何も飲まず食わず、食料水分一切持たずにこの山に入ってしまったとしたら、どうなるだろうか。



 行き倒れ。


 最悪の場合、餓死している可能性も考えられる。




(…まさか)


 子供にそんな活力があるわけない、と進は考える。


 しかし、子供の好奇心というのは底知れない。少し目を離せばすぐに見失い、気付けばいつの間にか戻ってきている。子供とはそんな存在だ。


 しかし好奇心は旺盛でも、活力には限界がある。

 子供もまた人の子で、腹が減れば脳の働きが鈍り、喉が乾けば体が危険信号を出す。それらが行き過ぎてしまえば、体は活動を休止する。

 その休止期間の間は誰でも無防備になる。その間を魔物などに狙われれば、その者の命は無いに等しい。



「…急ぐか」


 色々な可能性を考慮しながらも、一番最悪な可能性を避けるために進は山岳地帯を登りつめることにした。






 森の中は大丈夫。今頃、あの家族たちが捜索しているはず。


 そう信じて。








 ―――――








 山の五合目付近で、進は山に空いた空洞を見つけた。



「洞窟か」


 中は深淵を連想させるような黒に染まり、その奥がどうなっているのかは窺い知れない。



 この中に少女がいる。その可能性は十分に考えられる。


 疲れた少女は登山の途中、偶然この洞窟を発見。夜を明かすために少女はこの中で一夜を過ごすことに決め、それが原因で行方不明になった可能性。


 少女の年齢では、このような洞窟に足を踏み入れて無事に脱出できる確率はかなり低い。

 良くて意識不明、悪くて跡形も無くなっている。




 急がねば、と思うと同時に、進の中に不安が募る。



(この中、入っても大丈夫なのか?)


 洞窟の先に何が待ち受けているのか、進には皆目見当もつかない。

 もしかすると魔物が潜んでいる。もしかすると猛獣が犇めいている。どんな可能性も有り得る中、命を脅かしてまで突入しようと思うだろうか。


 進は否だった。


 何故他人のために自分の命まで危険に晒さないといけないのか。

 何故他人のために自分が尽くさないといけないのか。



(いや、それは飯代の代わりか)


 少なくとも、進があの家族の役に立たないといけない理由はある。

 一宿一飯とはいかないが、一飯の恩義は少なからず感じている。


 人を信用しないことと、人としての礼節を重んじることは別。進にとってこれは譲れないものであった。



 それに。

 進にも少しは思う所はある。


(これ以上、誰かが死ぬことで誰かが悲しむのはゴメンだ)


 少女が死ぬことで、あの家族はきっと悲しむ。たとえ『奴隷』として迎えた家族だとしても、『娘』同然に育ててきたならそれは確実だ。


 進はそれを酷く嫌う。

 誰かの命が散ることで、誰かが絶望する。自分のような存在はこれ以上増やしたくない。

 それは進のエゴかもしれない。しかし、目の前でそれが行われようとしていて、進は何もせずにはいられなかった。


 もしかすると、進は一飯の恩義がなくともメイアの捜索に手を貸していたかもしれない。




(急ごう)


 少女の命が散る前に。

 もし既に亡くなっていたとしても、その事実をあの家族に伝えるために。






 進は深淵の洞窟に足を踏み入れた。






 ―――――






 外は朝を迎えても、その洞窟に光が射し込むことはない。

 そんな深部まで進は歩みを進めていた。



(暗いな)


 洞窟の中は外から見えた通りで、その闇の深さは夜の森よりも深い。

 幸い好戦的な生物とはまだ遭遇しておらず、進が危険に晒されることは無かった。



 先の見えない道をひたすらに歩き続ける。そうして一体どれだけの時間が経っただろうか。

 もしかしたら数分。もしかしたら数時間。

 洞窟の中で経過した時間は、一瞬のようにも永遠のようにも思えてしまう。



「『日時計』」


 進は『日時計』のスキルを使って現在の時刻を確認する。



 =====



 プロセスエラー:使用不可能な場所


 スキル『日時計』は天体が観測可能な場所でないと使用出来ません。



 =====



 しかし、進に返ってきたのはスキル使用不可能の知らせだった。


(不便なスキルだな)


 洞窟の真上に穴でも空けてやろうか、と考えた進だったが、崩落の危険性を考慮して止めておくことにした。

 どこか天の光が射すところがあれば、現在時刻も確認出来るが。ここは山の中の洞窟。あまり期待は出来ない。


 時間のことは一旦忘れて、進は再び足を動かす。
















 ―それから1時間。もはや進自身にも今が何処辺りか分からないくらいの深さまで潜り込んでしまった。



「湖か」


 下る道を歩いてきた進は地底湖に出た。

 土蛍が僅かに放つ淡い光が水面に反射し、洞窟一帯を仄かに照らすその光景は幻想のようにも思える。しかし、今の進にはその光景を楽しんでいる暇は無かった。



 進は地底湖の水を両手にすくい、その水にスキルを発動する。


「『濾過』」


 汚水などに含まれる病原菌やバクテリアなどの有害物質を取り除き、飲料水へと変えるスキル『濾過』。進が泥水を飲もうとした時に突然派生した隠しスキルの一つである。



 =====



 プロセスエラー:発動対象の感知不可能


 スキル『濾過』は有害物質を認められた水分にのみ効果を発動出来ます。



 =====



 またもやスキル使用不可能の報知が表示される。しかしこの知らせはつまり、この地底湖の水が安全な淡水であることを裏付けている。

 進はそのメッセージウインドウを読むと、躊躇い無くその水に口を付ける。


「…ふぅ」


(水筒があればいいんだが、今の俺にそんな高価なもの買えないしな)


 そんな事を考えつつも、進はその場を立ち上がり、地底湖を後にしようとする。

 束の間の休息を済ませ、進は再びメイアを捜すべく岩肌が剥き出しになった通路を急いだ。
















 それから30分。

 進は行き詰りに辿り着いた。



「行き止まりか…」


 そこは広い空洞のような場所で、空を隠す天井には蜘蛛の糸のようなものが幾重にも張り巡らされている。

 集合体恐怖症の者は卒倒しそうな気味の悪いその光景に、進は若干の肌寒さを覚える。


(行き止まりなら早くここを出るか)


 何かが現れる前にここを退散しよう、と進が踵を返した時。

 僅かに聞こえてくるものがあった。






 ―スゥ






(呼吸?人の呼吸か?)


 ほんの微かに聞こえてくる、今にもかき消されてしまいそうな小さな呼吸音。ここが喧騒のある商店街などであれば、進はこの音に確実に気づけなかっただろう。


 進は耳に“気”を集中させ、その呼吸音の原因を探る。


 ―どこだ。何処から聞こえる。



 程なく進はその音の発生源の位置を特定した。


(…この奥か?)


 暗闇で先の見えない空洞内を慎重に足を踏み、ゆっくりと奥を目指す。


 この先にいるのが人とは限らない。

 すれば猛獣。すれば魔物。未知の領域であれば、どのような可能性も考慮することが出来る。

 どのような事態にも対応出来るように、進はその右手に勇者の武器ジョーカーを握り締めた。






 ―そして。




 蜘蛛の巣に絡め取られた、一人の少女を発見した。


 少女は顔を除く身体の全てが蜘蛛の糸にくるめられており、意識を失っているようにして首を下に向けている。

 呼吸音が聞こえることから、どうやらまだ命はあるようだ。



「大丈夫か!」


 トランプを仕舞い、ローブの裏からククリナイフを抜き取る。

 進は少女のもとに駆け寄り、少女を縛る蜘蛛の巣に刃を刺し入れた。

 蜘蛛の糸は頑丈かつ粘着性があり、少女の肉体を解放するには10分もの時間を要した。



 進が少女を解放すると、支えを失った少女の身体が進にのし掛かる。


「うわ、って軽…」


 少女の体重はおおよそ人のそれとは思えないほどまで落ちていた。

 女性の持ち味であるその肌は酷く痩せ細っており、その綺麗に整えていたであろう黒檀色をしたロングの髪はパサパサになり枝毛が散見している。

 少女を縛り付けた主に抵抗したのかどうか、茶色のロングスカートの裾はところどころ裂かれた跡があった。


 進はそんな少女をしっかりと受け止め、その場にゆっくりと壁に持たれ掛けさせる。






 進の目的はこれで果たされた。ように見えるが。


(…この子、本当に『メイア』なのか?)


 進は少女に対して大きな疑問を抱いていた。


 あの家族から聞いた話だと、メイアという少女は『今年8歳を迎えた奴隷の子』という話だった。しかし、進の目の前で目を閉じている少女の外見はそうには見えない。


 外見や身長から推定するなら、少女の年齢はおおよそ12~13歳。家族の聞いた話の少女の年齢とは大きくかけ離れている。

 それと厄介な事に、家族から仕入れられた情報は年齢に関する事だけだった。『奴隷』という事なので血は繋がっておらず、顔立ちを見ればすぐに判別出来るかもしれない。が、進は家族の顔がどのようなものだったか、いまいちハッと思い出せなかった。



 判断材料が年齢だけ。どのような容姿・性格だったか聞いておけば、確実に分かったかもしれないが。




(…とりあえず、この子を連れて洞窟を出るか)


 進は少女を背中に担ぎ、その場を立ち上がる。

 たとえこの少女が目的の子でなかったとしても、ここで見捨てるわけにはいかない。別の少女でも助けないといけないのは、進でも分かっている。


(もしかしたら、他の村人がこの子を捜索しているかもしれないしな)


 それは出来すぎた話かもしれないが。可能性としては有り得なくはない。

 進は少女を背負いながら、辿ってきた通路を戻ろうとした。







「…んん」


 その時、進のすぐ後ろで少女の声が聞こえた。進が背負う少女が目を覚ましたようだ。



「気が付いたか」


「…お兄、ちゃん?」


 少女の第一声。進の姿が慕う兄に見えたのだろうか。


(どうやらメイアで間違いなさそうだな)


「お前がメイアだな?家族が捜してたぞ」


 進は少女の正体に確信を持ち、少女に家族の様子を伝える。



「家族…?」


 進の言葉を曖昧に復唱する少女は、すると突然大声を上げ始めた。




「…いや、いやぁっ!!戻りたくないっ!!」


 少女は叫ぶと、進の背中で暴れ始めた。


「お、おい落ち着け!落とすだろうが!」


「いや、離して!わたしはもう、あの家に戻りたくない!!」


 進は暴れる少女に気をつけ、ゆっくりと少女を下ろす。

 開放された少女は、すぐさま進から大きく距離をとる。



「あなたも、あの人たちに言われてわたしを戻しに来たんでしょ!?

 あんな家に戻るくらいなら、今ここで死んだ方がマシ!!」


 洞窟の暗闇で分からないが、少女の声は震えていた。おそらく涙目になっている。



 ―死んだ方がマシ、か。




「じゃあ死ねよ」



 進は腰のククリナイフを少女の足元へ投げつけた。カンカンという金属音と共に、少女の足元にはその顔よりも僅かに大きなナイフが滑り込んでくる。


「え…?」


 少女があの家族に何をされたか、進は知らない。しかし少女のその反応、少女の身分からそれは容易に想像出来る。

 それはきっと、少女にとっての絶望。少女は『死』よりも恐ろしいものとして、あの両親を見ていたのだ。


 唯一、『お兄ちゃん』という言葉を少女は呟いた。『お父さん』でも『お母さん』でもなく、『お兄ちゃん』と。

 兄、つまりエルデは少女との仲が良かったのだろう。両親が『絶望』の象徴だとしたら、兄のエルデは少女にとっての唯一の『希望』。

 だとしたら、この家出の原因もおそらくはその兄にある。




 しかし、進にはそんな事は関係無かった。




「なんだその反応は。お前の望み通り死ねるんだぞ。ほら、俺が後見人になってやるから早く死ねよ」


 進は少女を突き放すようにそう言う。

 少女はその言葉通り、震える手でナイフを手に取り、その刃を首元に押し付ける。


 その先の行動に移るには。

 少女にはまだまだ勇気が足りなかった。



 カラン、と。少女の手からナイフが滑り落ちる。


「…あ…」


 その様子に呆れた進は、少女まで歩み寄って地に転がるナイフを拾った。



「んだよ。死ぬ勇気も無いくせに『死にたい』なんて言うんじゃねぇ。


 お前が何をされたのかは知らない。それが原因で『死にたい』とも思ったのも事実なんだろう。

 だけどな。それを行動に移せないなら、お前にとっては『その程度の事』だったって事だ。本当はそこまで嫌じゃなかいんじゃないか?」


「そんな事は…!」


 死にたい。しかし死ぬのが怖い。

 だから少女は『逃げた』。だから少女は今の自分にも出来る事をした。


 進からすればそれはただの『甘え』。しかし、それをするにも少女には『勇気』が必要だった。だから進はその少女の行動を、笑うことはしなかった。



「いいから帰るぞ。それが嫌ならここで黙って死ぬか、俺から逃げるかどっちかにしろ」


 進は少女に手を差し伸べる。

 その手を見つめ、少女は迷い。やがて進の手を取った。



「いい子だ」


 少女の手を引き、無理やり立ち上がらせる。


「何かあったなら俺からあの家族に説得してやる。だからそう気負うな」


「…うん」


 進に手を引かれながら、少女は歩き出す。

 進と一緒にいれば安心出来る。謎の確信が少女の中にはあった。


























 ブチブチッ






「!?」


 進たちの頭上から、何かが破れるような音が聞こえる。

 何事か、と進と少女は上の蜘蛛の巣を見る。






「―キシャアアアアァァァアアァァッ!!!」




 蜘蛛。その姿はまさにそれ。


「…マジかよ」


 しかし、異様なその巨躯は蜘蛛のイメージを覆すものだった。


 蜘蛛は天井の穴を塞ぐ蜘蛛の巣を突き破り、この場に戻ってきたのだ。まるで脱出しようとする2人のタイミングを見計らったかのように。



 いや。戻ってきたというのは間違い。

 最初からこの場に留まっており、2人の一部始終を見届けていたのだ。




(最初のあの生き物の呼吸も、コイツのものだったのか…!)


 今にして思えば、最初の進と少女の距離はおよそ300メートルも離れていた。いくらこの空間が洞窟だったとしても、進が“気”を集中してその声を聞いたとしても、果たして少女の声が聞こえたかどうかは分からない。



 全部、この目の前の蜘蛛が仕組んだ出来事。

 少女を助けに来た何者かを、2人まとめて食糧とするために。




(知性のある蜘蛛とは、中々厄介だな)


「…だが」


 進は右手にジョーカーを作り出す。


「今回は相手が悪かったな」


 たとえ相手が知性のある生物だとしても。進は『勇者』であり、『勇者』か『魔物』以外には殺されることは無い。











「―返り討ちにしてやる」


 トランプをトライデントの槍に変え、その矛先を蜘蛛に向けた。

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