『依頼』

 空に輝く日は落ち、闇夜は月に照らされる。


 進はその晩、森の中のとある村のとある一家で一晩を過ごすことを決めた。








「世話になる」


 家の玄関に立つと、進は農夫の帰りを出迎えた女性に挨拶をする。


「あなた、この人は?」


「旅人だ。今晩泊めるという話になってな」


 農夫と女性は気軽に話している。

 同棲していることや女性の言葉遣いから、この2人は夫婦と見て間違いない。


 主婦は突然我が家にやって来た進をジロジロと見定め、そしてにっこりと優しく微笑んだ。



「こんな所までよく来てくれました。我が家で良ければどうぞ泊まっていってください」


「…助かる」


 主婦の気遣いに進は素っ気なく答える。


 誰かの家に泊まるからと言って、進はこの夫婦たちを信頼している訳ではない。


(あくまで『利用している』だけ)


 進にとって、この2人は都合のいい鴛鴦夫婦というだけの存在に過ぎなかった。





 ―――――





 程なくして、その一家では夕食が始まった。




「こんなものしかないですけど、良ければどうぞ」


 進の前に出された皿の上には、食欲をそそるような焼き色をつけたコッペパンが2つと彩りのサラダ。もう一枚の皿にはコーンスープが装われていた。


 これが貧相な食事なのか進には分からないが、彼の今まで食事と比べると随分文化的な食卓だった。



「ありがとう」


 短く礼を言って、進はコッペパンに手を伸ばす。




「ダメですよ、お客さん」


 進のその行動を阻害する少年の声が、5畳もないダイニングに静かに響く。

 その声の主は進と対面に座っている。



「ちゃんと食事の前に挨拶をしないと」


「挨拶?」


 進が声の主である少年の言うことに首を傾げていると、進の隣に座る農夫が突然謝った。


「すみません、うちはシムノ教を信教しておりますので…。

 こら、エルデ。客人に宗教を押し付けるのは良くないだろう」


「…すみません」


 父親に怒られると少年はすっかり萎縮してしまい、先程進を注意した自信に溢れた表情はしょんぼりとしていた。


(宗教はどの世界でも共通なんだな)



「…あの。もしかしてどこか信教している宗派がありますかね?」


 進が宗教について考えていると、今度は主婦の方からそんな事を聞かれた。

 もちろん進は無宗教。


「『神様』は信じていないんだ」


 「強いて言うなら『魔神教』」。出かけた言葉を寸前で止めた。


(それは『異端者』として見られるんだったか)


 勇者である少女が言っていたことを思い出し、この場は穏便に済ませようと言葉を慎む。

 別にこの一家に嫌われるのは構わない。が、それは今じゃない。


 今は『14番目』である事を隠し通し、屋根と壁のある家で休息を取る。それが進の考えだった。



「申し訳ない、私たちが挨拶するまで食事は待ってもらえないだろうか」


「ああ…」


 進は戸惑いながらもそう答える。

 それを聞いた農夫一家は全員目を閉じて、両手を祈るように組む。


 それから宗教じみた詠唱を始める農夫に続いて、主婦と少年も詠唱を始めた。



「―【我が主よ。今日この日に生きる全ての命に、感謝を】」


「「【感謝を】」」


 ―祈りを終えると、3人はゆっくり目を開けて組んだ手を放す。




「お待たせしました。さぁ、いただきましょう」


「あ、ああ…」


 宗教行為を初めて目の当たりにした進は、その光景に唖然としていた。

 何事も無かったかのように農夫一家は匙を取り、各々の食事を始めた。



(…食事の挨拶、ねぇ)


 一家の姿を見て思う所があったのか、進は


「いただきます」


 と両手を合わせて食事の挨拶をした。



「…その行為は?」


「うちの国の習慣みたいなもんだ。気にするな」




 進も一家に遅れながらも食事を始めた。






 ―――――






 一家との食事を終えた進は、主婦の計らいで久しぶりの風呂に入っていた。



「ふぅ…」


 久しぶりの湯船に進は心を落ち着かせる。


 思えば進は、この世界に召喚されてから一度も風呂に入っていない。

 いきなり宿屋のベッドの上で目覚め。突然暴行を受けたと思いきや牢屋に入れられ。空を飛んで下水道を進んで。


 そして、血を浴びて。


(思い返せばろくな事ねぇな)


 元の世界もこの世界も、進はあまり良い経験をしてこなかった。


 しかし、その経験があったからこそ今の進がいる。

 この世界で運命的な出逢いがあったからこそ、進は変わることが出来た。


 進を変えてくれた少女はもういない。しかし、彼女の存在を進は忘れることは無い。



(待っててくれ、エリアス)


 進は追憶の意を込めて少女の名を想う。


 改めて誓う。この世界を壊すことを。

 改めて誓う。この世界を救うことを。



 改めて、誓う。


(お前を殺した『勇者』は全て、根絶やしにしてやるからな)


 彼女のための『復讐』を。



 右手を掲げ、その拳を強く握り締めた。






 ―――――






 農夫の衣服のうちの一つに身を包んだ進は、ダイニングテーブルで夫婦と顔を合わせていた。



「あの子供はどうした?」


「エルデなら先に寝かせました。ここから先は私たちの依頼なので」


「そうか」


 子供に聞かせたくないような内容。

 よほど深刻な話をするつもりなのか、それとも子供には聞かせられないような依頼なのか。


 どっちなのか、と進が2人の出方を伺っていると。






「―私たちの『義娘むすめ』の捜索を、どうか手伝って頂けないでしょうか」


「…あ?」


 農夫の方から驚愕の依頼が舞い込んできた。



 ―。



「昨日、私たちの義娘が行方不明になりまして…。


 名前は『メイア』。今年で9歳になったばかりの子です。

 その子は私たちとの血縁は持っておらず、4年前に『奴隷サーヴァント』として私たちが奴隷商人から引き取った子なんです。


 行方不明になった経緯に心当たりがありませんでしたが、年頃だし不意に家出をしたくなる事もあるでしょう。という考えで一日間は特に捜索もしていなかったのですが…。

 一日経ってこの時間になっても帰ってきません。きっと森のどこかで迷ってしまっているのだと思います」


「…」



 農夫の説明を黙って聞いていた進が口を開いた。






「一つ聞いておく。


 何故すぐに捜さなかった?」


「え…?」


「何故、ですぐに捜索に乗り出さなかった。

 そのメイアが奴隷だからか?それとも自分の命欲しさか?」


「いえ、ですから私たちは…」


 農夫が狼狽えていると、進はダイニングテーブルをバンと音が響くほど強く叩きつけ、静かに、しかし怒りを顕にしながら農夫を諭した。



「その行方不明になった奴が、血縁関係を持たない『メイア』ではなく、実の息子の『エルデ』だったらどうする。血眼になってでも捜し出すだろうが。


 メイアは奴隷だと言ったな。しかも大人の奴隷ではなく、わざわざ子供の、幼女の奴隷を買った。

 大方、そのメイアを買ったのも『奴隷』としての運用が主ではなく『エルデの妹』としてが目的なんじゃないのか?」


「い、いえ!決してそんな事は…!」


 農夫は反論を起こそうとするが、進の言葉に対抗する言葉が思いつかない。

 進が言っていることは全て図星だった。



「何だ、エルデが『兄弟が欲しい』とでも言ったか?誕生日プレゼントのつもりか?

 そんな下らない理由で他人の命を請け負うんじゃねぇ。たとえ奴隷でも生きているんだ。お前らが好き勝手にしていいわけ」






「あなたに何が分かるんですかッ!!」


 進の言葉を遮ったのは、それまで悲しそうな顔をして話を聞いていた主婦だった。



「確かにエルデは『兄弟が欲しい』と言いました!私たちも努力しようとしたんです!


 でも、どうしようも無いんですよ!!

 エルデを産んだあの日から、私の体は子を産めない体になってしまったんです!!だから、エルデの望みを叶える為に、私たちは王都の家を売ってまで、『奴隷』だったメイアを購入したんです!!



 一体、それの何処が悪いんですかッ!!!」


 親としての、悲痛な叫び。

 子を産めなくなってしまった親の叫びは家中に響き渡った。


「マーレ、エルデが起きるだろう…」


 泣き叫んだマーレと呼ばれた主婦を、農夫が慰める。



「…とにかく、そういう訳なんです。

 確かに私たちがすぐに捜索に出なかったのは大きな過ちです。しかし、それを承知であなたにお願いします。


 どうか、義娘の捜索を手伝って下さい…!」


「…」


「はぁ」と一つ溜息をつく。


 進は席を立ち上がり、ハンガーに掛けたローブと自身の衣服を手に取り、ローブを羽織る。


「…飯分の礼はしてやる。

 俺は先に森に出る。お前らも夜が明けたら捜索に出ろ」


「ありがとうございます…!」






「―だが女」


 ダイニングの扉のドアノブに手を掛けたところで、進はマーレに振り返る。




「お前がメイアの事を『奴隷』として見ていないことはよく分かった。

 俺に言う資格は無いが、お前は『親』としての自覚が足りない」




 それだけ告げて、進はダイニングを後にした。











 一家を出て、進は考える。


(奴隷か。

 …嫌な客に買われたものだな)



 父親の農夫は、メイアの事を『引き取った』と言った。しかし、母親のマーレはどうだっただろうか。



 『購入した』。



 咄嗟に出てしまった言葉だったかもしれないが、マーレはメイアの事を『奴隷サーヴァント』と見ているような発言を犯してしまった。


 それが進の怒りを買った。



(あの母親。果たしてメイアという子をあの家に帰すべきなのだろうか)


 ―もしかすると、どこか孤児院に預けた方がその子のためになるのではないだろうか。


 そんな事を考えていた進は、頭を横に振ってその考えを振り払った。



(いや、俺はあくまで飯分の『依頼』を果たすだけ。

 その後のことは俺が知ったことじゃない)


 そう。進はあくまで仕事を果たすだけ。それ以降のことは関与しない。

 たとえ不幸な人間が目の前に現れたとしても、進はその者に手を差し伸べない。


 それは進自身の経験からくる信念だった。






 『自分の力でどうにかしろ』。






 メイアに会ったらまずはそう言う事を決めた進は、村を出て闇夜の森に忍び込んだ。

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