「騙された」
キュポンという音が鳴るとともに、小瓶のコルクを開ける。
それをそのまま、彼の手を縛る縄に直接染み込ませる。
すると、それまでビクリともしなかった縄はあっさりと解けた。
「ったく、手首を動かすのは何時ぶりだ?」
両手の自由を取り戻すと、進は足の自由を奪う麻縄にも同じようにしてもう一本の小瓶の液体をかける。
足の縄もすっかり解け、進は久々の自由の身となった。
「さて」
進は少女が去っていった方角を見やる。
(今から追っかけてぶち殺しに行くか?)
進はそんな事を企てていた。
少女と別れてから10分。進と少女の間には相当な距離が生じているはずである。
今から進が全力で追いかけたとしても、彼女には到底追いつけない。
ましてや、彼女は謎の能力で姿を眩ませたり分身を出したりすることも出来る。
もし少女を見つけたとしても、再び翻弄されるだけであろう。
(…次会った時でいいか)
少女が去った方から視線を戻し、進は上空を見上げる。
森の中ではっきりとは分からないが、太陽はまだ真上に登ってきていない。
(太陽の位置がそっちだから…、あっちが東か)
太陽の位置から方角を割り出し、進はその方向を向く。
周囲はどこを見回しても森林。磁針が無いとすぐに迷ってしまうだろう。
そんな時、進の目の前にメッセージウインドウが突然開き、『Information』の題と一緒にスキル開放の知らせが届いた。
=====
Information
・固有スキル『サバイバル心得』の派生スキル『日時計』を習得しました。
(習得条件:太陽の位置を確認する)
・固有スキル『サバイバル心得』の派生スキル『磁針』を習得しました。
(習得条件:太陽の位置から方角を割り出す)
=====
隠しスキルのようだ。
太陽に関連した2つのスキルが開放された事を確認すると、進は『閉止』と唱えてステータス画面を閉じた。
(どれ)
「『磁針』」
進は早速、覚えたばかりのスキル『磁針』を発動する。
すると進の視界上部に『87° 東北東』と表示される。
それは5秒ほど進の視界に留まり続け、そしてうっすらと消えていった。
(そういう感じで方角を知らせるのか)
常時的に方角を知らせるスキルでないことに少々不便さを感じる進だが、それは些細なことだった。
(時間…は後でいいか)
もう一つの新スキル『日時計』は後から試そうと、進はそのスキルの名を唱えずに終わった。
これからどうしたものか、と進は考える。
その思考の中には先程の少女の言葉があった。
『ここを東に進んだ先に、森の中に集落があったな。あそこなら、まだ『14番目の勇者』が召喚された事も、『6番目の勇者』が殺されたことも伝わっていないのかな』
「…」
進は迷っていた。
果たして少女の言葉を信じていいのかどうか。
少女が進にしたことは決して忘れられるものではない。進は身に刻まれた傷、その痛みを一生忘れることは無いだろう。
しかし、少女は進を殺そうとしてそのような行為に至ったのではない。それは少女自身の口からしっかり語られている。
それさえも嘘だとしたら。
実は、少女は今でも進の命を付け狙っているのかもしれない。
そう考えると、わざわざ敵から教えられた地点に自ら飛び込むのは自殺行為なのではないか。
進は、人を素直に信じることが出来なくなっていた。
「…西だな」
そして進は結論を導き出した。
―俺は人を信じない。
この世界で信じられるのは、自分だけだ。
それが、この世界で過ごした1週間の中で培ってきた経験から導き出した答え。
進が信じた『彼女』亡き今、彼の意思はその1つだけだった。
日はやがて天を過ぎる。
日が沈む頃にはこの森を抜けたいと考えている進は、土埃を払って立ち上がり、生い茂る草木を掻き分けながら森を進んでいった。
―――――
―結果として、進は森を一時的に抜けることは出来た。
「…騙された…」
進は森の中にひっそりと暮らす村に抜け出た。
王都と比べれば家の数・質ともに劣る。
村、というよりは集落に近いかもしれない。
(あの野郎、裏の裏を読みやがったか?)
進は道を教えてくれた少女とは真逆の方向をひたすら歩み進んできた。
ここが彼女の言っていた村かどうかは不明だが、こんな辺境にある村の存在を知っているということは、あの少女もここを訪れた可能性は高い。
事実がどうであれ、進は少女に一泡吹かされた気分になっていた。
(やっぱり信用ならねぇな)
心の中でこの場にいない少女に悪態をつきながらも、進は村の中に足を踏み入れた。
訪れてしまったものは仕方ない。
森の中で夜を明かすよりは、久しぶりに屋根のある部屋でゆっくりと休みたい。
この旅が始まって以来、進に気を緩めることは一切許されなかった。
この旅が始まって以来、進が“気”を解くことは一切無かった。
(今思えば、あの時もそれが原因か)
進が何故、森の中で突然倒れ込んだのか。
それは“気”の張りすぎから起こったものだった。
“気”は精神力に比例してその効力を増していくと共に、その力を使い続ければ使い続けるほどにその精神をすり減らしていく。
進は旅の中で常時“気”を使い続けてきた。進の精神力が底をつき、それが引き金となって張り詰めた糸がプツリと切れた。
進の精神がこれ以上の活動は不可能と判断した中枢神経が、無理やり進の活動を停止させたのだった。
「おい、そこのお前」
「はい…?私でしょうか」
村の農場で鍬を下ろしている中年の男性に声を掛ける。
「この村に宿は無いか?」
「宿なんて、この村にはそのような施設はありませんよ。何せこんな森の中ですからね。
旅人はおろか、王都の人間も滅多にやって来ません」
(確かに、こんな場所に好んで訪れる物好きはいないだろうな)
進は村一帯を見回してそんな印象を抱いた。
日は既に傾き始め、月がその姿を現し始めている。
そのせいもあるのだろうが、村の中には活気が一切感じられない。
言い過ぎであるが、この村は『王都に見捨てられた廃れた村』という印象が強かった。
「王都の人間が最後に来たのはいつだ?」
「確か2週間前ですかね。
召喚されたという『6番目の勇者』様が訪問なされて、村の抱えていた問題を解決へと導いてくださいました。ああ、有り難や有り難や」
2週間。
その頃はまだ進はこの世界に召喚されていない。
つまり、彼らの王都に関する情報は2週間前の時点で止まっており
、『6番目の勇者』である秀義が死んだ、『14番目の勇者』である進が召喚されたという情報は入ってきていないはず。
(情報が伝っていないというのは本当のようだな)
そう思いつつも、進は未だ警戒を続けている。
例え情報が真実だったとして。情報を教えてくれた人物が善い人物だとは限らない。
進の目の前の農作業に勤しんでいた男性も、親切に質問に答えてくれたのは確かだがそれだけで『善い人物』と判断するのは難しい。
進は誰かに裏切られることの辛さ、絶望を知っている。
それから身を守る方法は、『人を信じない』こと。
進はそれを重々に理解していた。
「宿屋は無いんだな」
「ええ、ありませんよ。
…もし良ければ、うちで泊まっていきますか?」
「何?」
思いもよらない農夫の申し入れに、進は思わず聞き返す。
「こんな森の中を歩みこられてさぞお疲れでしょう。お口に合うかは分かりませんが、食事も用意しますよ」
「…何が望みなんだ」
「はい?」
「何か対価が欲しいんじゃないのか。金か?人手か?
残念ながら俺には金も無ければ時間も無いんだ。くれてやれるのはこのローブぐらいだぞ」
進は身にまとっていた、元は王族のものだったマントを外して農夫に捧げる。
「いえいえ、対価だなんて…」
そこまで言いかけて、農夫は言葉を詰まらせる。
何かを考えているような仕草を見せて、やがて農夫は口を開く。
「…そうですね。
あなた、自身の腕っ節に自信はおありでしょうか?」
「腕前?何故そんなことを」
「このような事を旅人である貴方様に頼み込むのは忍びないのですが…。
人捜しをお願いしたいのです」
「…ほう」
―話だけは聞いてみるか。
進は村で一夜を過ごすことに決めた。
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