疑念
―パチパチと薪が燃える音で進は意識を覚醒させる。
(…ここは)
目は開けない。
自身の手足が縛られていることに気が付いた進は、“気”を使って聴覚を強化し、研ぎ澄ませる。
焚き火の音。これが一番近くで聞こえる音。
何かの咀嚼音。かなり近くで何者かが食事を行っているようだ。
梟や鈴虫の鳴き声。今の時間帯は夜だろうか。
そして草木が揺れる音。ここはまだ森の中のようだ。
一通りの情報は手に入れた進は、ゆっくりと、食事中の何者かに気付かれないように目を開ける。
(…女?)
進が視界に捉えたのは、丁度よく焼けた熊肉をちまちまと口に運ぶ少女の姿。
セミロングの銀髪が月明かりに照らされ淡く輝き、その顔立ちはかなり美形に整っている。
ボロボロの外套の下は黒のショート丈のタンクトップにデニム生地のショートパンツ。人として大事な所はしっかりと隠し、女性特有の柔らかそうな肌を恥ずかしげもなく晒している。
そして、何よりも特徴的なのがその耳。
所謂『エルフ』と呼ばれる種族のものと酷似しており、耳の先端が人間のものと比べて大きく尖っていた。
腰のベルトはレッグホルスターの役割も担っており、少女の右太腿には一丁の拳銃が収まっている。
(盗賊か?
いや、いくら盗賊でも俺の正体を知っていたら手は出さないはず)
進は彼女の正体について考察する。
その耳だけを見るなら彼女はエルフの人種。その彼女は美味そうな熊肉を食している最中。
(…熊?)
そこで進はふと思い出す。
―俺、確か『エルベスタ・ベアー』と戦闘していた筈じゃ。
(助けてもらったのか?)
進はそう解釈した。
事実、彼女の行為は進を助けたもののようにも見えるだろう。
しかし彼女からすれば、進を助けたのは「ついで」であり、彼女の本来の目的は「今日の獲物を探していた」だけに過ぎなかった。
とりあえずこのままでは何も始まらない、と考えた進は目を開き体を起こす。
「ん、気が付いたか」
進が意識を取り戻したことに気付いた少女は、溢れんばかりの熊肉と睨めっこしていた目線を彼に向ける。
「それ、あんたが倒したのか?」
「そうだね。君も食べるかい?」
少女はそこら辺の木の枝で作った串に刺した熊肉を進に勧める。
「いらねぇ」
進はそれを断った。
腹が空いていないわけではない。
進は彼女を一切信頼していないのだ。
赤の他人から突然勧められたものを口に入れるなど、進にとっては餓死寸前の状況でもあり得ない行為なのだ。
「熊肉は嫌いかい?
私一人だけじゃこの量を食べきるのは無理があるんだけど」
「だったら尚更嫌だね。
余った分は行商にでも売り渡せばいいだろ」
進は焚き火から目を背けそっぽを向く。
「行商に売り渡す頃には全部腐ってるよ」
少女は脚部を失ったエルベスタ・ベアーの死体を指さす。
「知るか、腐らせればいいだろ」
「折角の高級食材なんだ、腐らせるなんてとんでもない」
そう言いながら少女は再度進に熊肉を勧めるように串を差し出す。
「…そんなに食べてほしいならこの縄を解け」
彼女に向き直ると、進は先ほどから解除を試している手縄足縄を少女に見せつける。
「俺が“気”を使っても解けないほど強力な縄だ。
…お前、一体何者だ」
進が“気”で強化した腕力でも引き千切れず、“気”を使って切断しようとしても緩む気配すら見せないほど頑丈に縛られた縄。
進が彼女に信頼を置かないのは、彼女が自分のことを疑っているから。
疑念の証拠は、進に課せられたその枷が物語っている。
進の問いに少女は「やれやれ」といったような表情で答えた。
「意外と気付くのが早かったね。さすがは『14番目の勇者』といったところかな?」
「テメェ…」
少女の言葉で進の疑心は一気に警戒にまで引き上げられる。
「―一体『何番目』だ」
進は確信した。
少女が『勇者』の一人であることを。
確かな確証はない。
しかし、進の問いに彼女は一切の疑問を覚えずに答えを返した。
進の「“気”」という発言に、少女は一切の疑問を抱かなかった。
少女は“気”というものがどういうものか知っていたから聞き返さなかった。
つまり少女は普段から“気”というものを見ている、あるいは使っている。
進はそこに気が付き、一瞬で彼女を『勇者』だと確信した。
もちろん、これは言葉でのやり取りである。
少女が“気”という単語を、ただの『気』と捉えたのかもしれない。
それならそれで構わない。
どちらにせよ、進の中での彼女の評価は『疑念』から『警戒』に引き上げられたのは変わらない事実。
進はその場で彼女を殺したい衝動に駆られるが、手足が縛られた状態ではどうしようもない。
この場はおとなしく、彼女の素性を伺う進であった。
「何番目?いったい何のことだい」
少女は進の答えに白を切る。
「はっ」
その態度に進がとった行動。
進はトランプを少女に向けて投げつける。
少女はそれを二本指で挟むように受け止め、そのトランプを訝しげに見やる。
「そのトランプに描かれている数字は一体なんだろうな」
9。
少女が受け止めたトランプには『JOKER』の絵柄ではなく、『9』個のハートの記号が描かれたトランプカードだった。
「トランプとは。
まさかこれで『6番目』を殺したのかい?」
「その言い方だと、俺のことは知っているんだな」
少女は進の『勇者の武器』がトランプであることに驚嘆を示す。
「よくこんな貧弱な武器で勝てたものだね。
いや。それとも『6番目』が弱かったのかな?」
しかしその驚嘆は嘲笑に変わる。
「貧弱だと思って舐めてると死ぬぞ」
進がそう彼女に告げる。
その瞬間、少女の持つトランプが発光したかと思うとその形は短剣に変貌していた。
「へえ」
少女に向けられているのは刃の部分。
進はそのまま“気”を使って瞬間的な速度を発揮し、少女が持つ短剣をそのまま顔面に押し込んだ。
「死ね」
進の無慈悲な宣告とともに、少女のその美麗な小顔に短剣が突き刺さった。
短剣を引き抜くと、その刺し痕から血飛沫が舞い上がる。
(…さすがに呆気なさすぎないか)
仮にも『勇者』である人物にしては、あまりにも弱すぎる。
疑念を抱いた進は、そのまま警戒を解かず周囲を見回す。
「いきなり人を刺すなんて。それも女の子の顔を」
後方から聞こえる少女の声に、進は即座に振り返る。
両手両足を縛られながらも、その体勢は均衡を保っている。
“気”を使って無理やり体勢を維持しているだけなのだが、そのバランスの良さに少女はまたもや感嘆の声を漏らした。
「それにしても君、大分バランス感覚いいね。何かバレエとかでも」
「死人が喋るな」
進は一方的に語り始めた少女に向けて再び短剣を飛ばす。
それはまたもや少女の心臓に刺さった。が、進はそれも『本体』でないことを察知する。
「まったく、君は世間話が嫌いなのかい?」
「『勇者』はすべて俺の敵だ。敵と話す口は持たん」
その少女に“気”を飛ばす。
少女はそれをもろに受け、パリンという硝子が割れるような音を響かせながら四散する。
(幻覚?だとしたら、秀義が使っていた『
しかし、それを使っていたとしたら一体いつから)
霧のように捉えどころのない少女に翻弄される進は、彼女に攻撃が通じないカラクリを考える。
「―捕まえた」
進が思考していると、少女は進の後ろから腕を絡めてきた。
「…コケにしてんのか?」
その行動には怒りを超えて呆れすら覚える進。
少女は進の身体から身を離し、敵意がないことを進に誠意を込めて伝える。
「私は君と戦うつもりはないよ。私弱いし」
両手を挙げて進にそう伝える。
「だったら『本体』を見せろよ」
「私が本体だよ。本当だ」
進は彼女の言葉を聞き入れつつも、その警戒を解く気配を一向に見せない。
気を抜けばどこかから攻撃が来る。
その確信が進にはあった。
「君は本当に融通が利かないな…。そんなので人生生きてて楽しいかい?」
「生憎、来たくもない世界に勝手に連れてこられてこっちはムシャクシャしてんだ。
その腹いせに『世界』を壊すことが出来たら、その時はスッキリした気分になるだろうな」
手に持つトランプをハンドガンの姿に変え、少女につき向ける。
その様子に「はあ」とため息を漏らす少女は。
「じゃあ本気で戦ってみる?」
―そこからは、少女の刹那的な『虐め』が始まった。
少女はホルスターに閉まったリボルバーを即座に抜き取り、一回の引き金で六発の弾丸を進に叩き込む。
四肢を封印されて回避動作すらままならない進は、“気”を使ってその弾丸を間一髪で避ける。
森の茂みに身を投げ込む形になった進は、身動きが取れなくなってしまった。
そこに少女の凶弾が再び襲い掛かる。
「がっ、はっ…!!」
進の両アキレス腱両肘両肩腎臓肝臓に撃ち込まれた弾丸は、彼の生命活動に大きな損害を与えるのには十分だった。
「ほらね。
そんな状態で戦えるはずもないのに、何で勝負を挑むのさ」
一瞬。
彼女の手に掛かれば、今の状態の進などすぐに殺せることを少女は示した。
「―、―、―…!!!」
喘鳴を鳴らしながらどうにか呼吸を繋ぐ進。
その命は、今にも途絶えそうな様子だった。
「さて、君は本当に死にたいの?
それとも、少しは人の話を聞く気になった?」
少女は銃身を銃剣に変えて、その剣部分を進の顔面に突きつける。
進の目は、まだその復讐心を忘れてはいなかった。
しかし、このままでは少女の言う通り本当に死んでしまう。
自分の命、自分の
進はどちらを選ぶべきか迷っていた。
(…このまま死ねるなら、それもいいかもしれない。
俺が死ねば、世界は平和が訪れるんだ)
そんな甘い考えを抱いていた。
―いや、違う。
(違うだろ)
―俺は誓ったんだ。
無念のうちにその若き命を散らせた少女に。
惨めな扱いを受けてきた自分自身の心に。
この理不尽で溢れかえっている『世界』に。
(復讐してやるって、誓っただろ…)
進は突き付けられた剣を見やる。
この状況を脱するただ一つの方法。
それは決してプライドを捨てるわけではない。
それは決して恥などではない。
それは、プライドを貫き通すために必要な行為。
その為なら、進は誰かに頭を下げるのすら躊躇わない。
「…タ、ヅ、ケ…テ…―」
それだけを言い終えると、進の視界はプツリと糸が切れたように途絶えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます