―下剋上だ。

 日が昇り、街を往く人の数が増え始めてきた頃。



 進は『パルシェル』という袖看板を掲げた仕立て屋に足を運ぶ。




 カランカランというドアベルの音を立てながら木製の扉が開かれる。



「いらっしゃ〜い…


 って」


 店主と思しき中年の男は、今日の朝刊を読みながらカウンター前で煙草をふかしていた。



(服を扱うのに大丈夫なのかよ)


 と思う進だったが、彼の目的には特に関係の無いことなのでそのまま何も見なかったことにしておく。



「そのマント…!ゆ、『勇者』様!?」


 店主は進が纏う紅蓮のマントを目にした途端、煙草の火を消し朝刊を手早く折り畳む。

 先程のだらしない態度とは一変して、店主は手でごますりをしながら進の入店を歓迎した。



「ほ、本日はどのようなご要件でしょうか!!

 服の生産からサイズの変更、買取まで手広く行っております『パルシェル』でございますハイ!!」


 一瞬『勇者』という単語に驚きを見せた進。


 もう既に脱走がバレたのかという考えが彼の頭をよぎったが、それは杞憂に終わる。


「いやしかし、昨日は大変でしたね!

 まさか、使に脱走されるなんて…!」


(…俺が『14番目』だと気付かれていない?)


 まるで国の権力者を労うかのような口調に進は違和感を覚える。

 そして、その原因が直ぐに判明した。




 秀義の死体から拝借した紅蓮のマント。


 これが国から授かった『勇者』の証であることを進は理解した。



(なるほど、これは中々使えるアイテムかもしれない)



 ―だが。




「すまないが、このマントを仕立て直してくれないか?」


 進は徐にマントの首紐を外すと、カウンターにそれを乗っける。


 それと同時に、背中に担いだエリアスの死体も露わになる。



「ひ、ひいいいいい!!!!?」


 店主は進が背負うエリアスの姿を見て一瞬で青ざめる。


 しかし進は構わず、こちらの用件を伝えた。



「このマントの染色とフードを新しく縫い直して、後ろの変な紋章みたいなのを外してくれると助かるんだが」


「な、なぜそのような事を…!!?

 こ、この外套は国王直々に賜ったもののはずです!そのようなものを加工するなどと…!」



「はぁ」と。


 進はわざとらしくため息をつく。






「―ああ、そうそう。染色の色なんだがな」




 進はトランプを召喚する。



 続けてその形をサイスに変え、その刃を店主の首に掛ける。




「このサイスと同じような色を頼みたいんだが。




 ―デキルヨナ?」



 その瞳に一切の躊躇いは無い。


 店主が「やらない」と答えるのならば、進はそのまま店主の首を掻っ切ることを厭わないだろう。



「は、はいぃぃぃ!!!!」




 ―進は店主の作業の様子を見届ける。








 それから僅か1時間。




 紅蓮のマントはその面影を完全に消し去り、漆黒のローブへと変貌していた。


 背中にあった『勇者』の証である紋章は外すことが出来なかったのか、染色した上からでもその輪郭がくっきりと浮かび上がっている。



「…これはどういう事だ?」


「お、お許し下さい!

 その刺繍は『魔力紋』が込められていて、私の腕では外すことは叶いませんでした…!」


「どうかお納めを!」と店主は跪きながら進にローブを差し出す。



(…まぁいいか、外せないなら仕方がない)


 仕方なく妥協して、進は新しく仕上がったローブを受け取り、それを羽織って首紐を締める。


 元々最高質の素材で編まれたマントなのか、着け心地は染色した後でも変わらず良いものに仕上がっていた。



 進はローブを羽織ると、店内を一通り物色する。


 その様子を、店主はビクビクと怯えながら見守っていた。



「…これでいいか」


 進の目に止まったのは、2万リバンの値がつけられた冒険者用のシャツとズボンのセットだった。


 戦闘を意識しているのか、その服は動きやすそうな軽い生地で作られており、これからの旅を見越して進はこれの購入を決意する。




 金を払おうという考えは持ち合わせていなかったが。



「おっさん、コレくれ。タダで」


「は、はぁ!?タダ!?」


 その余りにも無理な注文にはさすがの店主も驚愕する。

 それもそのはず、2万リバンとなると自転車一台が買えるような値段だ。それをタダで譲れと言われれば、誰でも驚くだろう。


のオーダーを完遂出来なかった詫びだ、これぐらいいいだろ。

 …まぁ俺は別に、あんたを殺してから強奪しても構わないが?」


 進がトランプをチラつかせると店主は、


「お、お譲りします!どうぞご自由にお役立てて下さい!」


 と、一瞬で弱腰になる。




「残念だ」


 半分冗談、半分本気の割合で進は肩を竦めた。






 ―――――






 それから進は、人気の少ない通りに立つ『ブリリアント』という名の武具店にやって来た。




「いらっしゃい、今日はどんな武器をお求めだい?」


 まるで昔からの知人のように接する熟練の顔付きをした店主に、進はただ


「これで買える一番いい武器を頼む」


 と、カウンターに数枚の硬貨をばら撒いた。



 それはエリアスの母親がエリアスの為に、と遺しておいた遺産。

 その内のほとんどの硬貨を進はその場に出した。


 その金額、なんと250リバン。



「…おいおい。これっぽっちじゃあ、雑貨店のハサミですら買えないぞ?」


 250リバン、進の国の金銭で換算するなら250円。

 その程度の小銭では、せいぜい安いファストフード店の一番安いものを買うのがやっとだった。




「じゃあ負けろ」


「はぁ?」


 またもや進は、無茶な交渉をし始めた。


「この店の一番安い武器でいい、この金額に負けろ」


(…てか、この硬貨合計で幾らなんだ?)


 ハサミすら買えないという店主の発言から相当少ない金額なんだな、と進は思った。



「おいあんちゃん。

 俺たちは友達でもなければ、お宅はお得意先でもねぇ。そんな奴がいきなり来て『負けろ』なんて言い出したら、あんちゃんはどう思う?」


「ぶっ殺したくなるな」


「…じゃあ俺もお前をぶっ殺していいんだよな?」



 店主はカウンター下からククリナイフを取り出し、進の首に押し当てる。

 先程進がやったように、今度は進が『脅される側』となってしまった。



 しかし進は、


「やれるならやってみろ」


 と、店主の行動を止めるでも避けるでもなく、ただそう告げた。


「…正気か?」


「正気もなにも、俺は最初から『客』として店に来ているだけだ。

 その客に刃を向けるあんたの方がとち狂ってんじゃないのか?」


 まさに自分の事を指したような発言をする進。

 しかし、彼の言うことも一理あるのは確かだった。






「…ほらよ、これを持ってけ」


 店主は構えを解くと、手に持ったククリナイフを進に手渡す。


「…幾らだ?」


「本来なら5千リバンする物だが、今回は特別に負けといてやる。

 …用が済んだらとっととこの店を出ていけ。そして二度と俺の店に入ってくんな」


 店主は右手で進を払う仕草を見せる。



「話が早くて助かる」


 進は鞘に収めたククリナイフを受け取り、それを腰の後ろに帯刀する。




(こっちでも脅迫する手を使わないといけないかと思ったが、そうする手間が省けてよかった)


 そのような事を考えながら、進は武具店を後にした。








 ―――――








 その後、進は城郭都市を飛び抜けた。



 言葉通り。

 進は城壁の間近まで迫ると、“気”を使った跳躍で一気に25メートルほどの壁を飛び越えてしまったのだ。




「っと…」


 “気”を使って脚の筋力を強化し、地面にそのまま着地する。


 背中に背負ったエリアスの体重が重くのしかかったが、そんな事は気にしていられない。




「…行こうか」


 進はエリアスに相槌を求める。




 しかし、返ってくるのは静寂だけだった。






 ―――――






 それから進は、あてもなく平野を歩き続けた。




 やがて、1つの丘の上に辿り着いた。



「…ここがいいか」


 日は既に傾き始め、地平線の彼方へと姿を眩ませようとしていた。



 進はエリアスの亡骸を花が咲き誇る広場に寝かせ、少し離れた所でジョーカーをサイスの姿に変えて、さらにその刃を鍬に似せて三叉に分ける。


 それを使って、進は地面を掘り始めた。
















「―これぐらいか」


 進が穴掘りを終える頃には、既に月がその丸い姿を天に曝け出していた。



 額の汗を拭い、進は寝かせたエリアスの元へと歩み寄り、その力無き肉体を抱き上げる。






「―ごめん」



 ―『護る』と誓ったのに。



 ―護るなんて、出来なかった。



 それは、彼の未熟さ故か。

 それとも、『世界』が彼に与えた理不尽か。


 ―それとも、これは避けられぬ『運命』だったのか。



 それは誰にも分からない。


 進にも。エリアスにも。『世界』にすらも。


 ただ起こったことは『現実』となって事実となる。決して無かったことには出来ない。

 残された進は、その現実を受け入れるしか術はなかった。






 エリアスの骸を、進が掘った穴の底でそっと寝かせる。


 その穴は子供1人が寝転がるのに丁度いい大きさで、彼女の肉体が入ると他のものを詰め込む余裕は無かった。



 進はポケットから巾着袋を取り出し、中身ごとエリアスの胸の上に乗せる。



「勝手に使っちゃって、ごめんな」


 その中身は最初よりもかなり重さを減らしており、残り金額は僅か50リバンほどしか残されていなかった。




 進は彼女の遺体を見つめ、やがて小さく吐息を洩らす。



「…全てを終わらせたら、迎えに行くよ」


 それだけを告げると、進は彼女の遺体を埋葬し始めた。








 ―この世界は、理不尽だ。


 まだこの世界に召喚されて間もない進にも、それだけは分かっていた。


 この2日間で受けた数々の不幸。

 それらは進の心を削り。蝕み。枯れ果てさせ。


 そして、彼の人格すらも捻じ曲げてしまうには十分すぎるほどだった。






(復讐だ)


 ―誰に?


 そんなものはとうの昔に決まっている。


(『世界』を、ぶっ壊し救ってやる)


 彼の救済。それは破壊と表裏一体の存在。


 進の今にも砕けてしまいそうな心の内には、しかし確固とした決意が漲っている。




 彼は誓う。






 ―下剋上だ。




「俺たちを否定した『世界』に、目に物見せてやる」


 月に向かって彼は手を掲げる。




 その目に最早涙はない。






 その心に宿るのは、ただ一つの強い決意だけだった。

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