サヨナラ

 ―進たちは闘技場から脱出出来た。


 しかし、その直後に待っていたのは新たな危機だった。






「…で、シン。


 この落下をどうするつもりなんだい?」


 勢いよく上空に舞い上がったはいいが、進たちはそのまま地上に落下し続けていた。




「…うわあああああああ!!!!!」


「やっぱり考えていなかったのか」


 経験した事の無いような浮遊感に包まれた進はパニックに陥る。


 しかし、そんな状態でもエリアスを掴む手はしっかりと握って離さなかった。



(このままじゃ2人とも落下死、何か助かる方法は…!)


 なんとか平静を取り戻した進は、この状況を打開すべく案を生み出す。




 と、進は先程の戦闘で秀義がやってみせた“気”の応用を思い出した。



 勇者のみが扱える“気”は、駆使する勇者の思考や方法によって様々な使い方が出来る。


 例えば進が初めて“気”を発現させた時の突風や、秀義が戦闘中に進の一撃を避ける為に創った“気”で空中に足場を生み出したように。

 “気”というものは、それこそ使い方次第ではそれ一つだけで人を殺めることも可能な潜在力を秘めた概念なのだ。



 進は空中に足場を作れないものかと精神を統一して“気”を発動する。



(…いける、今の俺なら)



 進は空中に足場を想像し、そして創造する。


 空中に生まれたのは目に見えない足場。進はその場に足を直立させ、どうにかその場に落ち留まる。




「ふぅ…」


「…『勇者』というのは凄いな。こんなことまで出来るなんて」



 一安心と進が気を抜いた瞬間。




 フワリと、進とエリアスは再び先程の浮遊感に包まれた。



「―な」



 文字通り“気”を抜いたことで、進の足元に創られた踏みつぎは一瞬にして消散した。






「なああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!?????」






 ―2人は運良く、城下町の小さな河川の水面と衝突した。






 ―――――








「ヴェッ、けほっ…!!」




 進が次に目を覚ましたのは河川の砂利の上だった。



「気がついたかい?」


 既にエリアスは意識を覚醒させており、咳き込む進を覗き込む。


 2人は河川に流され、闘技場から遠く離れた城下町の郊外辺りまで流されていた。



「…ここは?」


 器官が正常になった進はエリアスに問い掛ける。


 見たことない場所をキョロキョロと見回し、進は遠くに構える王城と近くにそびえ立つ城壁を発見する。

 ここが大分遠く離れた地点であることと、この都市が城郭都市であることを知った進であった。



「南の方だ、僕の家が近くにあるから分かる」


「家?」


 エリアスの家に興味を持つ進だったが、処刑の場であの国王が言っていたことを思い出す。




『かたや魔物の子として生まれ落ちた人類の脅威、エリアス=ヴィ=グラティエル=セーマス=ド=アルティニア=マキデニアルス=ルヴァン=ディ=アーバン!!

 この小汚い母子は、国の地下に潜んで暮らしておった!!』




 国の地下。


 それがどこを指すのかは大方予想がつく進であった。



「…すまない。家に『忘れ物』を取りに行きたいんだけど、いいかな?」



 エリアスが指した先は、薄暗く続く下水道の入口だった。






 ―――――






 下水道の通路を進む2人は、人里から隔離されたような静まりかえった空間をただひたすらに進んでいく。



「…で、『忘れ物』って?」


「お金だよ。お母さんが『もしもの時は持ってどこかへ逃げなさい』って」



 お金。その単語を聞いた途端、進はハッとする。


(そういえば、俺って一文無しなのでは…?)


 そう。


 この世界に来てから1日と8時間。進は未だにこの世界の通貨に触れていなかった。



「『表示オープン』」


 進はその場でステータス画面を開く。

 自分の所持金がどこかで確認出来るのではと思い、ステータス画面に目を走らせる。



「何でステータスを見るんだ?」


「いや、俺の金が今いくらかを確認しようと…」


 進のその意味不明な言動と行動にエリアスは「?」と首を傾げる。



 直後、進の視界に入り込んできたのは普段から見るような画面ではなく、『Information』と書かれたメッセージウインドウだった。



 =====



 Information


 ・固有スキル『下剋上リベリオン』が開放されました。

 ・固有スキル『叛逆の勇者』が開放されました。

 ・固有スキル『欺騙ペテン』が開放されました。



 =====



「固有スキル?」


 例の如くウインドウは自動的に消滅し、いつも通りのステータス画面に戻る。



 しかし、進のステータス画面は一目で分かる大きな変貌を遂げていた。



(…さっきの固有スキル『叛逆の勇者』が右下に表示されている?)



 右下は前に開いた時は『NOT RELEASED』という表記であったが、進が固有スキルを開放したことによってその部分が埋め尽くされた。


 それに連動してか、中心のマインドマップも『NOT RELEASED』の表示が消え、無数にあったアイコンも中心に白の表示を見せる部分のみとなっていた。




 進はその中心のアイコンに触れる。



 ピンという効果音と共に、進の目の前に表示されるステータス画面の表記が変わる。



 =====



『叛逆の勇者』


 スキルレベル:1(最大レベル:∞)


 パッシブ効果

 ・“気”の効果上昇(レベル1)


 アクティブ効果

 ・―


 ステータス補正:―



 次の派生スキル習得まで:―



 次のレベルまで:―(このスキルは所有者のレベルに応じてスキルアップします)



 =====



『叛逆の勇者』と呼ばれる固有スキルの詳細がそこに書かれていた。



(こうなってくるといよいよゲームみたいだな)


 進はそんな事を思いつつ、「『閉止クローズ』」と呟いてステータス画面を閉じた。



「…結局、開いて意味はあった?」


 意味はあった、と進は思う。


 今でなくとも後々分かる事だが、進はこのステータス画面の見方をおおよそ理解してきていた。



 =====



 ・左上:自身の情報。自分の職業やレベルが表示される。


 ・左下:謎。解明出来ていない。


 ・右上:同行者リスト。エリアスとの『同盟』関係を見る限り、互いに関係を持った人間たちの交流関係を示すものの可能性もある。


 ・右下:固有スキル。セット欄に別の固有スキルをセットする事で別の効果を得られる。


 ・中央:習得スキル。セットした固有スキルから派生するスキル等の詳細を閲覧する事が出来る



 =====



 進は現状分かることを頭の中で簡潔にまとめた。




(しかし、となると左下の表示は何だ?未だに解放されないのか?)



 進は未だに『EMPTY』の文字からの変化を起こさない左下の表示が気に掛かる。


 他の全てが分かっているのに、ただ一つだけが分からない。



 それは、ジグゾーパズルで最後の1ピースが埋まらない時のモヤモヤとした感覚に似ていた。




「…なぁ。このステータス画面の左下って一体何の項目なんだ?」


 進は埋まらない最後の1ピースがどうしても気になってしまい、エリアスにステータス画面の事を尋ねる。


「左下?僕のステータス画面には何も無いけど…」



「『表示』」と呟いて、エリアスは自分のステータス画面を開いたような素振りを見せる。


 その『素振り』というのは、進にはエリアスのステータス画面が見えていなかったからだ。



(自分のステータス画面は他人には見えないのか)


 進は思いがけない新たな発見を見つけた。




 エリアスのステータス画面には無くて、進のステータス画面にはある項目。


 それなら候補はかなり絞られてくる。



 進の中で先ず候補に上がったのは、『勇者』関連の何か。

 となれば、もしかするとそれぞれの勇者専用の『武器』なのかもしれない。



 進は右手を突き出し、意識を集中させる。

 すると進の手元には1枚のトランプが握られていた。



「『表示』」


 その状態で再度、進はステータス画面を開く。



 進の予測通り、左下の空白だった箇所には『JOKER』という武器の名前が表記されていた。



 JOKER。

 それはトランプにおいて絶対的切り札となるカード。

 あるいは一部のゲームモードでは『外れ』となる貧乏くじ。


 2面性の意味を持つそのカードが意味することは、果たして『切り札リーサルウェポン』か『大ハズレブタ』か。



(…今は考えていても仕方ないか)


 進がカードを指から放すと、カードは粉となって跡形もなく消え去った。


 そう。今はどうでもいい。

 少なくとも、進はこの力を使ってあの局面を退くことが出来たのだから。



 例え大ハズレだろうが、今はその力に頼るしか生き残る術はない。




「…謎は解けたかい?」


「ああ、先を急ごう」



 進とエリアスは止めていた足を再び動かし始め、下水道の奥を目指して歩き始めた。






 ―――――






 それから下水道の通路を歩き続けること20分。



「大分臭いがキツくなってきたな」


 進は鼻がひん曲がるような悪臭に耐えきれず、口元を手で覆い隠す。



「そうかな?」


 エリアスは特に何とも無いようで、悪臭の中でも平然としていた。


(毎日こんな所にいたら、確かに牢獄でも『いい部屋』に思えてしまうのも頷けるな)



 進は投獄されたエリアスと一緒に過ごしたあの牢獄の中を思い出す。

 今思えば、進にとっては地獄のように感じていたかもしれない牢獄は、エリアスにとっては極楽の寝床だったのかもしれない。


 と、進はエリアスにベッド代わりにされた事もついでに思い出した。



(…まぁいいか。子供1人ぐらい苦じゃないしな)


 と、進はエリアスにされた事を許容した。











「…あ、あそこだよ!僕たちの家!」


 それから少し歩いた先に、エリアスたち母子が住んでいたと言う住処に辿り着いた。






 その光景に、進は言葉を失った。




「…な、んだよ、これ」




 そこに置かれていたのは、まだ箱としての役割を果たす段ボールが1箱と、解体されて人が寝そべる事が出来る程度のサイズの段ボールが2つ。そして汚れきったボロボロの布が1枚だけだった。




 そこでの生活の光景を想像すると、進はとても居たたまれない気持ちでいっぱいになった。



 これは最早、『貧相』や『ホームレス』なんて言葉で片付けていいような問題じゃない。






「…こんなの、まるで…!」




 この気持ちを言い表す術を、進は持ち合わせていなかった。






 ただ、魔物の子として生まれただけで。




 ただ、『魔物』だと言うだけで。




 何故この親子がこのような迫害を受けないといけないのか。




 きっと『勇者』である秀義に殺されたという母親も、魔物だったとはいえ人類に迷惑を掛けるつもりは無かったんじゃないか。


 きっと母親も娘に幸せな暮らしを送って欲しかったのではないだろうか。




 きっと、この家族は。

『人』と対等に生きていきたかったのではないのだろうか。




 そんな、どうしようもない悲哀の念が進の心を埋め尽くす。






「…君が一体何を考えているのかは大体予想がつくよ」


 エリアスは段ボールの中を漁って、小さな巾着袋を取り出した。




「確かに僕たちは『魔物だから』というだけで人としての生き方を否定された」


 それを持って進の前に歩み寄り、その巾着袋を進に差し出す。

 それを進は受け取ろうとする。






「でも」


 エリアスはその袋を進の前から取り上げた。








「もし君がそんなことで同情を見せるなら、僕は君とは一緒に行けないな」



 同情してくれるな。


 エリアスの言葉はまるで、そう言っているように進には捉えられた。



 確かにエリアスの言う通り、進は同情に近しい感情を少なからず抱いた。

 それはこの世界のことを全く知らない、平和ボケした世界から来た進だからこそ持ちえた感情だ。




 だがそれを知って、エリアスはあえて「同情するな」と言った。







 同情という感情を抱くことは、エリアスたち親子の“幸せ”だった生活を否定する事になる事を、進は彼女のその眼差しから悟った。




「…幸せ、だったんだな?」


「ああ。

 お母さんと暮らしたこの場所での生活は、君たち『人間』にとってはそりゃ貧しいを通り越した生活だったかもしれない。


 …でも、僕たちにとっては。




 人間としての、生き方を否定された『魔物』は、こんな生活でも…、幸せ、だったんだ…!」


 終わりに近付くにつれて、堪えていた涙が溢れてくる。



 そして、耐えきれなくなったエリアスは進に抱き着く。




「…なぁ、教えてよ。

 何で僕たちだけ、こんな酷い仕打ちを受けなくちゃならないんだよ…っ!」


 その声は嗚咽混じりのものだった。




 エリアスは唯一の心の拠り所であった『母親』を目の前で喪い、『魔物だから』というただそれだけの理由で、罪を犯していないにも関わらず自らも殺されそうになった。






 生活の場もろくに用意されず。



 地上に出ようものなら白い目で見られ。



 唯一信頼出来る肉親も喪った。




 世界は、これ以上彼女から何を奪うのか。


 自由も、生き方も、家族も。

 生きる権利すら、彼女の前から奪い去るのか?




「僕たちだって、僕たち魔物だって生きているんだ!

 何で、何で人間と同じように生活してはいけないなんて!一体誰が決めたんだよ!!」



 進は泣き叫ぶエリアスを抱き寄せることぐらいしか出来なかった。



 “同情は許さない”。



 進は泣き叫ぶ彼女に同情しなかった。


 進は親の代わりとして彼女の哀しみを少しでも和らげば、と願うことしか出来なかった。








 人気の無い下水道には濁流の流れる音が絶え間なく響き続け、少女の泣き叫ぶ声だけが木霊した。






 ―――――






「…んん」



 エリアスは何かに揺すられる微かな振動で目を覚ます。



「やっと起きたか」


 気付くとエリアスは、進におぶられながら眠りこけていたようだ。


「…ここは?」


 エリアスは進の背から降りて辺りを見渡す。



 特徴的な悪臭はなりを潜めたとはいえ、まだ悪臭は漂ってくる。

 濁流の滝が流れ落ちる音が聞こえないとなると、ここはどうやら下水道の出口に近いようだった。




「…1人でこんな所まで」


「子供とはいえ何時間も背負い続けるのは、本っ当に重かったんだからな?」


 エリアスは出口の方向を見やる。


 風の音が近い。出口はもうすぐそこだ。



「もうすぐ出口だ!早くこんな国からはサヨナラするとしよう!」



 エリアスはその場から駆け出して、出口へと続く通路を右に曲がった。



 進は内心「やれやれ」と思いつつも、無邪気な子供のようにはしゃぐエリアスの背中を追いかける。




「おーい!

 こんな所で走ったら危ない
















 …ぞ」




 進はエリアスを倣って通路を右に曲がる。




 真っ先に飛び込んできたのは、エリアスの膝から崩れ落ちていく様だった。






「え」




 ―最初、進は「体調不良を起こしたのか」と考えた。


 これだけ不衛生で臭気の凄まじい場所に、生まれてから今まで暮らし続けてきたのだ。むしろ今までよく体調を保ち続けていたものだ、と進は思った。



 ―次に、進は「はしゃぎ過ぎだ」と考えた。


 今まで命の危機と隣り合わせの生活を送ってきたその神経がプツンと途切れて、その場に崩れ落ちた。

 あれだけ眠っていたくせにまだ眠り足りないのか、やっぱり子供だな。と進は思った。




 ―次に進は。




 ―進は。








 ―目の前の現実から目を背け、そのような妄想を一瞬の内に、いつまでも続けていた。








 エリアスが力なく進を見つめる。


 その瞳に光は宿っておらず、真紅だった瞳がどんどん黒に染まっていく。






 エリアスは、口を動かして。


 しかし音は出さず、進に伝える。






 “―サ―ヨ―ナ―ラ―”






 最期に笑い。






 その瞼に涙を浮かべて、エリアスの鼓動は終わりを迎えた。































「ああああぁあああああぁあああああああああああああああああぁぁぁあぁああああああああああああああぁぁぁあぁぁぁああああああああぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」






 エリアスは、死んだ。

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