怨霊の魔窟/2

 さっきから、ぶつくさとつぶやいている、緊迫感のない女に、夕霧はまっすぐツッコミ。


「何のことを言っている?」


 それには答えず、颯茄は意味不明なことを口にする。


「ちょっと集中します!」


 くるっと背を向けて、胸の前で両方の手のひらを天井へ向け、何かを念じるように、彼女は力みうなり出した。


「ん〜〜〜っ! ん〜〜〜っ!」

「何をしている?」


 ――霊体、八十八。邪気、百十七。


 三十八センチも身長差があるものだから、背後からではなく、完全に上からのぞき込まれた。


 颯茄は立てた人差し指を唇に押し当て、振り返って素早く注意する。


「し〜、静かに!」


 肩に入った力を、息を吐きながら抜く。目を閉じ、祈るようにつぶやく。


「神さま……」


 縦にビリビリと貫く、人知を超えた畏敬。あの聖堂の高い天井、空間。それがなぜか、すぐ後ろにさっきから立っている男からも感じ取れた。


「ん?」


 この男は普通と違う。他の人が持っていない雰囲気を持っている。それはとても希少で価値あるものだ。


 神聖で荘厳なぴんと張り詰めた空気。まるで、聖堂の身廊にひざまずいて祈りを捧げているような気持ちになった。こんな不浄な閉鎖病棟で、唯一の希望の光として後押しされたようだった。


 その時だった。颯茄の手の中に重みが広がったのは。


「あっ! きた」


 彼女は得意げな顔をして、夕霧へと振り返った。急に手の中に現れたものを差し出す。


 美しい曲線を描く、素材が何であるかわからないその正体を、地鳴りのような低い声が口にする。


「弓……」

「きっと、これが私の武器です!」


 颯茄は親指を立てて、バッチリですみたいに微笑んだ。


「なぜ持っている?」


 理論とはそこが気になるもので。だが、感覚の颯茄には、そんなことはどうでもいいことで。


「小さい頃、気づいたらありました。だから、なぜと聞かれても困ります。でもたぶん、あってると思います」


 答えが出ないことも、この目の前にいる女は適当に乗り越えてゆく。ある意味、それも強さなのだ。


 滅多に微笑まない夕霧の、無感情、無動の瞳は細められた。


「そうか、俺と同じか」


 しかし、颯茄の勢いがあったのはここまでだった。脱力したように腕を落として、ひたいに手を当てる。


「ただ困ったことに、矢がないんです。どうやって攻撃――」


 三人寄れば文殊もんじゅの知恵。ではないが、今度は夕霧が答えを持っていた。


「俺のも銃弾はないが、霊力で装填できる。お前の矢も自身で作るのかもしれん」


 天にも昇るように、みるみる笑顔になって、颯茄はガッツポーズを取った。


「よし、やるぞやるぞ!」


 袖がないのに、腕まくりをする仕草をして、


「ずっと誰かの役に立ちたいって思ってたけど、これでその夢が叶う! よし! 頑張るぞ!」


 右腕を高々と勢いよくかかげた。だが、夕霧の地鳴りのような低い声に出鼻をくじかれた。


「戦いに頑張りはいらん。隙ができるだけだ」


 ――霊体、九十七。邪気、百三十二。


 正論である。物事がそこにあるだけで、感情などいらないのだ。ただ処理すればいいだけのことだ。


 だが、颯茄という薪を燃やす炎だった、やる気とは。


「私には頑張りがいります! それが私を動かすエネルギーです!」


 職業柄、女と接する機会は多く、言い寄ってくる女はたくさんいるが、媚びを売る輩はいても、こんな女はいなかった。


 腹の低い位置で袴の袖を交差させ、両腕を組み、今までに感じたことのない、面白みが湧いた。


「あぁ言えばこう言うで、おかしなやつだ」


 また言い返してくる。


「それが私ですから、誰が何と言おうと」


 対等を望んでいるのだ、夕霧は。この名前も知らない、超適当で感覚的な女は不安定なはずなのに、揺るぎないものを持っていた。


 そこで、待ちきれなくなった敵の一人が、かなり戸惑い気味に声をかけてきた。


「あのぅ……もういいですか?」

「はい、お待たせしました!」 

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