死の帳降りて/5
水面でも揺らすように、銀のドアはゆらゆらと揺れた。引き抜いた手を、颯茄はじっと見つめる。
「ん〜〜? 何か指先だけ向こう側にあるみたいだ」
水に浸すように、
「もう少し手を入れてみよう」
ゆっくりと、手首も通り過ぎ、前腕も入り込み、
「肘より先が、別の世界にあるみたいだ」
閉まったままのドアの前で、右腕だけが向こうに消えている。そんな非現実的な状況の中で、颯茄が首をかしげると、背中でブラウンの長い髪がかたむいた。
「ここが成仏への道? すなわち、霊界の入り口?」
どこかずれたまま、物事が進み出す。振り返って、人気のない通路を眺める。
「演出が凝ってるんだなぁ。人生という廊下の端が終焉だなんて……」
大きく感心しながら、颯茄はぴょんと中に入り込んで、そうして、固まった。
「え……?」
さっきまでの平和な景色が嘘のように、まとわりつくような闇。真正面のはるか彼方で、非常口灯の緑が点滅している。ホルター心電図の、
ピ、ピ、ピ……。
という音がけたたましく鳴り響いてくる。颯茄は廊下の端へ向かって歩き出す。
「病院?」
仕切りのそばへ寄って、下げられた小さな札の字を見つけて、ショックを受けたようにつぶやいた。
「面会謝絶……」
次の部屋へ進むと、また同じ文字が。反対側の部屋に寄っても同じで。颯茄は薄暗い廊下を困惑気味で見渡す。
「こんなに面会謝絶?」
廊下の端まできてみたが、全ての部屋がそうで、颯茄の成仏への道探しはまだまだ続く。ホルター心電図の緑色のギザギザの線を頼りに、ベッドへ近づいてゆく。
そこには、茶色く変色した骨と皮だけの、到底人とは言えないものが横たわっていた。
「ミイラ……?」
ピ、ピ、ピ……。
という電子音が判断の過ちを訂正する。
「……じゃない。生きてる人だ……」
どのベッドを見ても物言わぬ肉塊。かろうじて、生命維持装置で生きているのではなく、生かされている傀儡。
「何の病気?」
一人や二人ではなく、何十メートルもある長い廊下の全ての病室に、同じように横たわる人々。感覚の颯茄なりに答えをはじき出した。
「……眠り病だ、たぶん」
テレビのニュースというのは、制限がかけられている。戦争の映像に、人体の欠損は映し出さないようにされている。
海外のネットでは見れても、国内のニュースでは
「両親に最後会えなかったのは、これを見せない配慮だったのかもしれない……」
十代の少女が耐えられるものではないだろう。あまりにも変わり果てた姿だった。骨と皮だけになり、誰かももう判別ができないほどである。
だがとにかく、成仏への扉である。部屋へ入っては探して、廊下へ出てまた別の部屋へ入るを何度もする。
幾つ目かの部屋で、他と違う光景に出くわした。
「え……?」
白い布地が床に落ちていた。さっきまでは、綺麗に整理整頓されていて、そんなものはなかった。
よく見てみると、それは人の体。下は黒っぽいのが闇に紛れている。白の上着は袖口が広く、どうやら和装のようだった。
「人が倒れてる?」
ベッドの角の向こうに頭が隠れているようで、颯茄は回り込もうとしたが、
「違う……首が切れてる……」
血も何もないが、完全に体と頭はバラバラだった。不要物と言わんばかりに、捨てられたような肉塊がふたつ。
「死んでる?」
振り返って、部屋の間仕切りを見て、ベッドをうかがい、このエリアに入った時の銀のドアを思い出す。
「触れないよね?」
腕であろう白い袖口に手を伸ばすと、しっかりと感触がした。
「ん? っていうことは……この人も死んでる」
死んでしまったから、物に触れられないのであって、触れられるということは、理論的に同じ霊界にきてしまった人になる、のである。
だが、颯茄は手を離して、首をかしげる。
「でも、ちょっと待って。死んでるのに、死んでる? パラドックスみたいだ……」
二度も三度も死なないのである。頭が取れていても、全然気にしない颯茄は、珍しくため息をつく。
「これじゃ、天国生活も楽しめないよね?
同じ成仏の道中で出会ったのも、これも何かの縁だろう。しかし、颯茄は残念そうな顔をする。
「生き返りは存在しません。神さまでも、滅んだ肉体は蘇らせられません」
だが、霊体という魂の姿形が破損する。そんなことがあるのかと、颯茄は首をかしげる。
「だけど、死んでるのと違う気がする……」
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