死臭の睡魔/5

 そうしてやがて、知礼が沈黙を破った。


「そう言えば、先輩の男性のタイプってどんな人ですか?」


 さっきまで普通に話していたのに、颯茄の口調はやけにぎこちない。


「そうだね? 感情に流されない人……」

「落ち着いてるとか、冷静な人ですか?」

「そう。自分が感情に流されるタイプだから、そういう人がいいんだよね」


 マグロに再び割り箸を伸ばした知礼の言葉から、ふたりの会話がおかしくなってゆく。


「まわりにいっぱいいますよね?」


 颯茄のどこかずれている脳裏に、誰かさんたちの面影がよぎり、笑いそうになるのを必死で押さえながら、


「あれ? いたかなぁ〜?」


 電球がピカンとついたようにひらめいて、こうした。


「あぁ、十二人ぐらいいたよね?」

「ぐらいじゃないです。十二人ぴったりです」


 イケメン全員の姿がはっきりと浮かび上がっている女ふたり。颯茄は残念そうにため息をつく。


「あぁ〜……言っちゃったね」


 知礼ははっとして、慌ててつけ加えた。


「先輩、今の話はなかったことにしてください。現実ノンフィクションでした」

「あはははっ!」


 珍しく颯茄が笑うと、画面が変なふうに飛び、前の動きとつながらないところから、スタートした。唐揚げをつまみ上げる。


「知礼と話してると楽しいね。やっぱり結婚してよかったわ」

「先輩、ノンフィクションになってます」

「あはははっ!」


 つかんでいた唐揚げが皿の上にポトンと落ちた。そうして、また画面が途中でいきなり変わり、颯茄が今度はサーモンを箸で取っているところから。


「このお刺身おいしいね?」

「今度家で取って、みんなで食べましょうか?」


 知礼も同意したが、颯茄は持っていた割り箸をパラパラとテーブルの上に落とした。衝撃的な場面にでも出くわしたように。


「みんなっ?!」


 振られた話。うまく返さないといけない。颯茄は何度もうなずいていたが、


「あぁ、こういうことだね。知礼の家で取って、私が食べに行く……」


 途中から言葉が失速した。


「……ふたりきりじゃ、だと言葉がおかしくなっちゃうね」


 十人それぞれの面影が浮かんでいた。大暴投クイーンが制裁を科した。


「先輩、ノンフィクションになってます」


 こんな会話をしながら、料理は少しずつなくなってゆき、夜は更けていった。


    *


 細い路地に、街灯がポツリポツリと花を咲かせる。住宅街の中で、ひときわ明るい場所へと向かって、靴音は近づいてゆく。


「あぁ、お疲れ様です。お迎えなら……」


 小さな子供を見送りながら、人の気配に気づいて、鼻声が振り向きざまに響いた。その男の高い声とは違って、地鳴りのような低いそれが名を呼ぶ。


「独健?」


 薄闇から知った顔を見つけて、若草色の瞳は少し見開かれた。


「あぁ、夕霧、お前か。どうしたんだ? わざわざ俺の職場にくるなんて、珍しいな」

「話がある」


 一直線に交わる無感情、無動のはしばみ色の瞳はどこまでも続く凪。この男がなぜ今ここにいるのか、独健は直感して、一瞬言葉をなくした。


 だが、ひまわり色の髪をかき上げ、できるだけ明るく言う。


「そうか。ちょっと待ってくれ。断ってくるから」


 くるっと背中を向け、俊敏に走ってゆく。同僚の女に気さくに声をかけて、一言二言話すと、振り返って独健は夕霧を手招きした。


 ずいぶん低いブランコに、男ふたり並んで座る。十一月の夜風が少しだけ肌寒い。


「すまなかった」


 深緑色の短髪は、独健のすぐ隣で深々と下げられた。自分が予想していた通りの言葉。だが、この男がこんなことをする必要などどこにもない。


 独健は謝罪を受け入れる気はなく、真正面を向いたまま、できるだけ平常を装った。


「どうして、お前が謝るんだ? お前のせいじゃないだろう?」


 それでも、視界はにじみ始め、地面が空が歪む。


「一週間前に、俺の両親が眠り病で死んだ。それだけだ。違うか?」


 この男の心の内はわかる。若草色の瞳がこっちへ向くことはなくても。夕霧の脳裏に違った角度から物事が浮かぶ。


 ――胸の気の流れが頭に登っている。泣いている。


 独健のような感情は持っていない。どんな気持ちかは、本当にわからない。しかし、自分は誠実ではなかった。だからこそ、今は言わなくてはいけない。


「防ぐ手立てはあった」

「医者のお前でも無理だろう。治す術がないんだから」


 ブランコの鎖をつかむ手に力が入るが、少しでも揺らしたら、涙がこぼれ落ちてしまうだろう。赤いスニーカーは砂埃の上で密かに踏みとどまる。


 だが、それさえも、夕霧には伝わってしまうことで、


 ――太ももに前からの気の流れができている。後ろ向きになっている。


 対照的に、黒のビジネスシューズはきちんとそろえられていた。


「あれは医学では治せん。別のことが原因だ」

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