第17話 脱走劇 その6
猫!?
イザベルは、ひやっと背筋に冷気が走るのを感じた。
なぜ、猫!?
いや、猫だけじゃない。それを追って、小さな影がもう一つ。
女の子!?
やばい。
やばいやばい!
急に飛び出てきた女の子に、イザベルは戸惑っていた。
正確には、飛び出てきたことに、眼前に至るまで気づいていなかった。騎士にとらわれ、その他への注意を怠った。
未熟!
いや、反省は後だ。
今は、この勢いをいかにして削ぐか。このまま踏み込めば、女の子はぺしゃんこになる。
ただ、気づくのが遅すぎた。
もう止められる状態ではない。
どうする?
いや、どうすることもできん!
刻々と進んでいく時間の中で、イザベルは、ただ事態が進展していくのを呪った。
強引に筋肉を強張らせて、なんとか拳を止めようと、イザベルが最後の悪あがきをしていたときだった。
え?
突然、視界が反転した。
足の裏から、地面の感覚が消える。かと思えば、身体を風がきる。
宙に投げ出された?
いったい何が起こった?
投げ飛ばされる前に、イザベルは、割って入った男の姿を見た。
あの眼鏡の男だ。
気のせいというわけではあるまい。しかし、仮に割って入ったとして、自分を投げ飛ばせるか?
そんなモーションをかけられたら、イザベルが気づかないはずがない。
だが、現状が、そのありえないことが起こったと示している。
嘘だろ?
そこまで思考したところで、ずどん、とイザベルは地面へと墜落した。
反射的に、すぐさま起き上がり、転じて姿勢を整える。女の子は大丈夫か? 騎士はどうなった? 眼鏡の男は?
混乱する思考を押しのけるように、現状が視界から流れ込んでくる。
女の子は無事のようだ。先ほどイザベルが踏み込もうとしていた場所に、猫を抱えて
その女の子を
結論からいえば、眼鏡の男は剣を捌いていなかった。
眼鏡の男の左腕、そこに騎士の剣が半分程度まで斬り込まれていた。
なんてことだ!
民衆から悲鳴があがる。
「いや、俺は、こんなつもりじゃ。化け物メイドをヤるつもりで」
我に返った騎士が、青ざめた顔で何やら呟いていた。一方で、眼鏡の男の方は、不思議なことに落ち着いた様子だった。
「剣をおさめてもらえますか?」
「あぁ」
眼鏡の男の有無を言わせぬ声に、騎士は戸惑っていた。剣をおさめるのはいいが、今、剣を腕から離していいものかと迷っているようだ。
その迷いを察してか、眼鏡の男の方から、腕を強引に剣から引き離した。
「貴様! 何を考えている?」
まだ混乱の最中であったが、イザベルは、眼鏡の男に駆け寄った。
「何を、と言われましても、女の子が危なかったので」
「だからって、腕で剣を止めるバカがいるか!」
「とは言いましても、騎士の剣ですからね。他に穏便に止める方法も思いつきませんでしたし」
「なっ! そうかもしれないが! まぁいい、そんな話は後だ。腕を見せろ。すぐに止血する」
「あぁ、その点に関しては心配ご無用です」
「無用なわけがあるか!」
イザベルが詰め寄ると、眼鏡の男は、一歩引いて躱して、袖をめくってみせた。
「大丈夫なんです。これ、義手ですから」
「義手?」
確かに、袖の下にある腕は、人のそれではなく、鋼の色の武骨なものであった。先ほどの剣撃で一部が斬られているが、当たり前だが血は出ていない。代わりに、その影響なのか、親指しか動いていなかった。
だとしたら、いいのだろうか。よくわからず、イザベルは、
「そうか」
とだけ言った。いや、とイザベルは考え直す。義手といっても、斬っていいわけがない。騎士には賠償させなくてはならんだろう。
しかし、眼鏡の男は、気にする風もなく去ろうとしていた。
「おい、ちょっと待て。その義手の修理費もあるだろう。こいつに弁償させる」
「いえ、お構いなく。僕、急いでいるんです」
その言い草に、イザベルはイラっとした。いや、言い草以前に、イザベルは、この男にこだわっていた。
自分を投げ飛ばすなんて、何だ、こいつ?
ただの男ではない。騎士に準ずる誰か。そうでなければおかしい。なんとか、眼鏡の男の素性を調べなくては。
「いや、そういうわけにはいかん。所属と名前を言え」
「所属?」
「あ、いや、住所だ。住所と名前を教えろ」
「どうしてあなたに?」
「何か話せない事情でもあるのか?」
イザベルが尋ねると、眼鏡の男は嫌そうに眉間に皺を寄せた。どうやら、面倒くさがっているらしい。眼鏡の男は、イザベルを無視して、立ち去ろうとした。
逃がすか!
イザベルは、がしっと眼鏡の男の肩を掴んだ。
「離してもらえますか?」
「なぜ名を明かさない。まさか、指名手配犯か何かなのか?」
「指名手配犯は、喧嘩に割って入らないでしょ。少しは考えてください」
「む」
確かに。
「だったら、名を言え。悪いようにしようと言っているわけじゃないんだ」
「ですから、急いでいるんですよ」
そう言って、眼鏡の男が、歩幅を広げたのを、イザベルは見逃さなかった。
そしてにやりと笑う。
「何だ? 力づくで逃げてみるか? 先ほど、不意をついて、投げ飛ばしたからって、調子に乗るなよ」
「どうして、そんな物騒な話になるんですか」
はぁ、と眼鏡の男がため息をつく。だが、その姿勢は、明らかに臨戦態勢に移っていた。
先ほどの動きが本物なのか、確かめてやろうではないか。
イザベルは、ぞくっと身の内が沸き立つのを感じていた。
民衆は、その空気を感じているのか、わらないが、少なくとも転がる騎士達の内、意識のある者は、メイドと眼鏡の男の間で高まっていく緊張感に、息を呑んでいた。
地面に蹲っていた女の子が、きょろきょろと顔をあげたときだった。
「何をしているか!」
野太い声が、場を制圧した。
民衆を割ってやってきたのは、馬に乗った騎士。その顔はよく知っており、尖った髭が特徴的な男、矢の騎士団零番隊隊長、ケビン・リネハンだ。
「全員武器を捨てて、手を頭の上にあげろ! それから関係のない者は去れ!」
どうやら、喧嘩が激しくなったことで、その平定にケビン隊長が駆り出されたようだった。わざわざケビン隊長が来ることもないと思うが、暇だったのだろうか。
しかし、みつかると面倒だな。
イザベルが、次のアクションを迷っていると、サッと手から男の肩がすり抜けた。
「あ! 貴様!」
不意を突いて、眼鏡の男が逃げたのだ。逃がすものか、とイザベルが、男の背中を探した、そのとき。
「そこのメイド!」
ケビン隊長に呼び止められた。どきんと心臓が跳ねて、イザベルは恐る恐る振り返る。すると、ケビン隊長は、むすっとした顔をして、ゆっくりと告げた。
「いえ、イザベル団長。キャサリン様が屋敷でお待ちです。私共にご同行ください」
「……私は、ただのメイドだが」
「勘弁してください。騎士の喧嘩を制圧するメイドがいるものですか。はぁ、あんまり手間をかけさせないでくださいよ。私達も暇ではないのです」
「……すまん」
イザベルは、肩を落として、ため息をついた。
ーーー
女の子・・・バー『ドロン』の店員シェリーの妹。朝、リボンの色が気に食わないという理由で、シェリーと喧嘩して家を飛び出る。飼い猫のグレーと一緒に散歩中に喧嘩に巻き込まれる。このとき、彼女はイザベルの戦う姿に見惚れて、後に、騎士を志すようになるのだが、それはまた別の話である。
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