第26話 白


 白く淡い光の輝きに溢れ、そこは夢の中の様に幸せな場所だった。


 笑い声の絶えぬ食卓を囲む、ちょっとヘンテコな名前、カピバラ家の仲間たち。

 楽しげに様々な音色を鳴らす笑顔がキラキラ眩しく……そして優しく……。


 幸せの導く涙で、マルスフィーアの瞳に映る情景は滲み揺れていた。


 みんなにとっては他愛もない幸せかもしれない……けれども私は…………きちんと記憶に刻んでおこう、そう思った。

 もし死ぬときに、本当に走馬燈が現れるというのなら、この食事の光景は是非とも流しておきたい。


 この穏やかな幸せに抱かれて旅立ちたい。


 マルスフィーアは、そっと目を閉じる。


 まぶたの幕が降り、幸福感いっぱいの輝きに満ちたシーンは闇に消えた。


 だが、それは一時のこと……記憶という映写機を回せば、たちまち蘇る。

 誰にも奪えない思い出の中に、確かに置かれた。



 安心した彼女は、誰にも気づかれぬよう涙を拭うと、眼鏡をかけ直し満面の笑みで笑いかけた、美味しそうに口いっぱいに頬張る天真爛漫な新しい友だちに。


 スモレニィの顔には多少の打撲の痕は見えるが、すっかり元気だ。

 マルスフィーアの回復魔法が効いて、大事には至らなかった。

 太ももに突き刺さった矢を抜く時だけ、怖くてちょっと泣きべそをかいてしまったが。


 「ところで……、本当によろしいのでしょうか? カピ様」


 食卓に椅子を並べ、一緒に食事をとっている執事のルシフィスが、不満さを隠す気もない声色で主人のカピにまた尋ねる。


 「あ~もう~、ルシフィスったらしつこいなぁ。もう決めちゃった。みんなもぜんぜん賛成だし、ちょっとぐらいお金がかかってもいいじゃない」


 「少しぐらい……でしょうかねぇ。わたくしには、そうは思えませんが。それよりなにより! こんな得体の知れぬものを……このカピバラ家の屋敷内に入れること自体…………」



 「イモっ!!」


 得体の知れぬものが、抗議の声を上げた……ように見えた。


 マルスフィーアが執事に嘆願する。


 「執事さん! お願いします! イモちゃんは、本当に私たちの命の恩人なんです。食費は私のお給金から差し引いて下さって構いませんから!」


 イモちゃんと呼ばれたものが、彼女の膝の上に赤ちゃんの様でちょこんと乗っている。


 メイドのプリンシアが納得したように言った。


 「スモちゃん、スモレニィちゃんが最近ちょくちょく面倒見てた動物が、これだったとはねぇ~、そりゃあ餌を運ぶ回数が増えるわ」


 職人親父のロックも合いの手を入れる。


 「こいつはプリンシア顔負けの食欲じゃな。いったい何処に入るんじゃ? その小さな体の」


 マルスフィーアに抱かれた、イモと言う生き物。

 それこそが、カピが目撃した白い小型モンスターだった。


 体長は立って50センチほど、モフモフの毛皮に覆われた子熊とモルモットをミックスしたような可愛い珍獣。

 この度初めてじっくり見ることで分かったが、誰が着けたか知らないが、藍色のリボンを頭に飾っていた。


 「イモ! イモ!」


 と、奇妙な鳴き声を上げる。


 「その鳴き声から『イモちゃん』と言う訳でござるか?」


 コック長のリュウゾウマルが、大きな爪の生えた指を顎に当てて、そう感心する。

 彼にすれば、また一人、自分の出す料理をガンガン美味しそうに食べてくれるお客が増え、大歓迎だった。


 白く細い指を揃えた掌を、マルスフィーアの座る席の方へ指し示すように向け、ルシフィスが続ける。


 「それで? そちらのイモさんが、盗賊に襲われたマルスフィーアさんたちの、大ピンチを救ってくれた恩人。……なるほど、そうでしたか、それはまた失礼をいたしました。…………なんて! そんな話、信じられる訳ないでしょう」


 執事は、もう勘弁してくださいよ、とばかりに呆れている。


 「厄介なペットを飼うためとはいえ、よくそんな愉快なストーリーを思いつけたものですねぇ」


 彼はじっとイモのつぶらな瞳を見つめた。

 以前のルシフィスなら、訳の分からないモンスターをこのカピバラ家の屋敷内で飼うなどと、許可するつもりは毛頭なかった。


 彼があまりに熱視線を送り続けるので、イモが顔を背ける。


 (奇妙だ、実に奇妙。見たことも無いモンスター、今度時間がある時にでも書庫で調べておかねばなるまい。しかし…………何だ?…………う~む)


 ロックも、今一つ信じられない荒唐無稽な話。


 「スモレニィのやつが、足に矢を突き刺して帰って来たのは事実。…………もしかして、林の中で村人に熊にでも間違えられて射られたか? ……で、それを庇ってのこと、悪気の無い加害者が責任を追及されぬように……って訳かのお」


 まあ何とか自分なりの納得できる理屈を上げつつ、執事と会話する。


 「王都の旅路に持って行くための食糧は、イモに全部食われちまったな。仕方ない……また後で俺が手配しに行って来るよ、ルシフィス」



 カピは、マルスフィーアたちの話を信じていた。

 それと同時に、カピバラ家領主としての危機感も痛切に意識しだして来た。


 あえて根掘り葉掘り聞く事はしなかったが、彼女たちを襲ったのはただの偶然では無さそうな気がする。


 (ゴールまでの道のりが、平坦では無い事は間違いない……)


 マルスフィーアが笑顔でやや興奮気味に、プリンシアに何度目かのあらましを話している。


 「私ねっ、ああ! もうダメだ。皆さんとも、もう二度と会えないんだって。そう思って、目を閉じた時……。バ~ンって、体が弾かれたと思ったら! なんとイモちゃんが! ぶっ飛ばしていたんですよ~その盗賊を、体当たりで! その後は、一瞬で……他の悪者たちを、ポカ! ポカン! ですよっ」


 打撃のエキスパート、ストライカーの戦士でもあるプリンシア、感心しながら。


 「そんなピンチに颯爽と現れるなんて、きっとイモちゃんのクラスは、カピお坊ちゃまと同じヒーローかもしれないよ~。じゃあ、今度はあたしと、いっちょ一勝負願おうかねぇイモちゃん! ガハハハ」


 ヒーローと言う言葉に反応したのか、イモは食べ物を運ぶ手を止め、二足で立ったまま床に飛び降りると、右手を高く上げ、左手を腰に、ちょっと『かっちょいいポーズ』を決めた。


 「イモ! イモ~!」


 戦士の雄たけびを上げる。


 「!!」


 ルシフィス、プリンシア、リュウゾウマル、三人同時に怪訝な顔をした。


 受けた程度はそれぞれ違えど……ほんの一瞬、信じがたいほどの雄大な気、オーラを感じたからだ。


 ルシフィスは、有り得ないと首をゆっくり振り、さすがに、ここ最近の立て続けの気苦労で、自分の神経も相当疲れ切っていると自覚し実感した。


 マルスフィーアは熱く語る。


 「そうですよ! イモちゃんは私たちの、ええ、このカピバラ家のマスコットです! 幸運を呼び寄せる、絶対に欠かせない。ねえ執事さん! どこ探したって、二つと存在しないユニークな我が家には、もう本当にピッタリの仲間だと思います」



 心持ち、お腹の出てきたイモが、カピの方に近寄って来た。

 自分の口の中に手を入れ、ゴソゴソすると、頬袋から取り出すかのような仕草で、マジシャンばりの手さばきを見せ、木の実らしき物をプニプニ肉球の掌にのっけた。


 「ん! それ、くれるの? ……あ、ありがとう……まあ、また後で食べるよ」


 カピは恐る恐る、不思議な名も知れぬ実を手に取る。

 どうやって仕舞っていたのか? 首をかしげるほど、涎でベトベトということ無く、磨いたドングリぐらいにピカピカしていた。


 「それにしても、チビの大食いだなお前。……あ、そうだ! イモ、前に庭に居ただろ? せっかく手招きしたのに、逃げるんだから~こいつぅ」


 「イモ? イモ~」


 そう答える様に鳴いて、少し照れて恥ずかしそうに、まん丸い目を細めた。


 「まあいいや。晴れてお前も今日からカピバラ家の一員だな。……危機的状況を救うヒーローかぁ……、僕はまだまだ、マックスおじいさんや、イモの足元にも及ばないなぁ。お~い! もしカピバラ家に最大のピンチがやって来たら、お前、助けてくれよ! ……な~んてな」


 そう言って、カピはイモのフワフワの白い頭を、くしゃくしゃっと撫でた。


 イモは、短い両腕を腰に当て、胸を張ると。


 「ガハハハ~」


 プリンシアも顔負けの豪快さで高らかに笑った。




 ―――― この世界の何処か。


 白一色に覆われた、無機質な一室。


 「それで、あれから何か面白いこと起きた?」


 この世の者とは思えぬ整った金髪の美少年、ミカエラが無邪気に問う。


 「ミカエラ様の読み通り、揺らぎを検知しました。何度か。おそらくは魔の者が此方へ侵入したと思われます」


 「ついに来ちゃったか、当然始末はしたよね?」


 「そ、それが……申し訳ありません。その後……完全に気配が消えました」


 ミカエラの眉が僅かにしかめる。


 「消えた? 誰かさんに始末されたってこと? いくら弱いヤツって言ってもさぁ、かりにも境界を突破する程度の力があるでしょ? …………それを、ユニオンが気が付かないうちに誰かが消した?」


 自分の失態でもあり、恥ずかしくも思いつつ部下は推測を述べる。


 「もしも、それが冒険者なら、手柄として報告が上がるはずです、で、ないとすれば、功名心の無いよほどの馬鹿か……。もしくは、何らかのハプニング、運良くか、悪くか? は何とも言えませんが、ドラゴン級のモンスターに鉢合わせ、バトルで倒されたとも考えられます……最悪の可能性は…………気配を上手く消してのけたか……」


 「色々と可能性があるわけだ……。……分かった、まあいいや。じゃあ、これからも監視をよろしく」


 折り目正しい白い制服の部下は、より一層深く頭を下げ部屋を後にした。


 「……」


 「フフフ」


 「ますます面白いじゃない」


 ミカエラは笑い、深く座る椅子をはしゃぐ子供の様に回した。


 グルグルと世界は廻り出す。

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