第25話 二羽のウサギ


 スモレニィの命は風前の灯火。


 ローグたちの容赦ない無数の全身への蹴りと頭部への打撃で、意識は既に無く、今はもう潜在的本能でマルスフィーアを抱き守っている。

 彼を動かすものは、魂の起動のみ。


 想像を超えたスモレニィの異常なタフさを前にして、無抵抗な獲物を残虐に弄ぶ男たちの心に、どことなく焦りが生まれてきた。

 額に汗を滲ませた互いの顔を見合わせ、自然と腰に収めたナイフの方に視線が向かう。



 肉体のドームに保護されているマルスフィーアは……残された時間がもう無いのを感じた。気を失ってもなお、彼女を守り続ける、弟の様な優しい友の命が尽きるまで。


 (このままじゃ、スモちゃんが本当に死んでしまう!!)


 行動の時だ。


 がっちりとロックされたスモレニィの太い腕を、精いっぱいの努力で僅かに前にずらし、脇の空洞を広げると同時に外に滑り出た。

 勢いそのまま転がり、数歩ばかり距離を取って立ち上がる。


 眼鏡は何処かに外れ落ち、髪の毛には土が付き乱れているが、瞳に恐怖は無い。


 マルスフィーアは叫ぶ。


 「止めて! もう分かったから!」


 自らその身を差し出すというのか?

 到底考えつかぬ愚行を目にした男たちは、完全に虚を突かれ、驚きから暴力の手を止めた。


 その戸惑いが抜けぬ、どこかぶきっちょな笑みを浮かべ言う。


 「へっ、自分から出て来るとは……イイ心がけじゃあねぇかぁ……時間の無駄を悟ったか? ねえちゃん……」



 マルスフィーアに与えられたチャンス、たった一つの方法。


 この最悪の窮地を抜け出す、唯一の脱出方法。


 それは……。



 空間跳躍魔法『テレポート』




 マルスフィーアは戦士、槍使いのランサーである。

 だが、元は魔法使いを目指していた才ある少女。

 『ユニオン冒険者』のクラス特性に、大きな影響を与えるステータス能力を鑑みれば、INT値、インテリジェンスが突出して桁違いに高く、ファイターと言うより、まさにマギのそれであった。


 ……彼女にとっての致命的弱点。

 MP、魔法を唱えるためのポイント、魔力がスズメの涙ほどしかないことを除けば。


 魔力が少ないというのはどういうことか?

 それは、歌手に例えるなら声量が全く無いようなもの。

 どんなに音楽的センスが高くても、肝心の声に迫力がなければ、心に響く歌声を届けることは至難。


 加えて、今の彼女の手には、武器さえないのだ。


 魔法使いにとっての重要な杖、魔法の威力を増幅させる武器。

 戦士にクラスチェンジした彼女にとっては、それはベストの武器ではないかもしれないが、無いよりは随分マシだ。


 杖を持たぬことは、マイクも無くアカペラで歌うといった更なるハンデを背負う。



 マルスフィーアに現状の危機を乗り越える攻撃魔法は無い。


 一人を戦闘不能に出来たとしても……結果、無駄な事。

 多勢のベテラン冒険者をまとめて倒す、いわゆる範囲魔法は、仮に発動こそ可能でも……何の破壊力も無く、只のイリュージョンを見せたに過ぎないであろう。


 マルスフィーアに現状を好転させる補助魔法は無い。


 相手が少数ならば、または、数分という短い時間稼ぎの為ならば、いくつかの選択肢が浮かんだ。

 幻惑系の魔法をかける、姿をくらます、あるいは自らの体に防御魔法をかける。


 しかし、その効果、どれも良くもって5分。


 今、彼女の周りを囲むのは、ずるいぐらいに抜け目のないチーム。

 レンジャーや弓使いに、ローグ、腕力による力技が特徴の戦士だけを相手にするのではない! 素早く、ユーティリティ能力に富んだ冒険者クラスがそろっている。




 一度きりしか使えぬ、彼女の魔法。


 思い浮かぶ様々な方法リストに、次々とバツが付く……残されたのは……。


 超高位魔法『テレポート』を発動させ、この場から飛び去ること!


 驚くべきことに、マルスフィーアには、この魔法使いクラスでも一部の極限られた者しか使えぬ高度な呪文が……使えるのである。

 マギとしての彼女の才能は、まさしく疑いようのない天才であった。


 ……ただ、これは非常に大きな賭けでもある。

 正真正銘の命がけと言って一切過言無い。


 なぜならば、繰り返すが……彼女にはMPが少ない。

 つまりは、超魔法である『テレポート』を成功させるに足る十分な魔力エナジーが無い事を意味する。長距離跳躍となればなおさら。


 MPが尽きれば、意識が飛ぶ、魔法を唱えた瞬間に意識が無くなり制御不能で発動するであろう。


 彼女が空間転移を成功させるには、暗闇の中で目もくらむ!? 高さの絶壁から滝つぼに飛び込み、無事に生還するほどの奇跡が必要なのだ。



 マルスフィーアは、傷だらけで横たわる虫の息のスモレニィを見た。


 そう、テレポーテーションするのは彼女自身、彼女一人だけ、誰も連れては行けない。


 奇跡的に魔法を成功させ、奇跡的に我が家まで辿り着き、奇跡的にカピや頼もしい仲間を連れここに駆け戻り、奇跡的にスモレニィの命の炎が尽きる直前に間に合うタイミングで、名医ブラックフィンに手当をしてもらう……。


 …………。


 そんなこと出来る訳が無い!!!


 彼女が身を置くのは、何度もやり直しチャレンジできるゲームでも、都合良く奇跡が起きるハッピーなフィクションでもない。

 恐ろしいリアルな選択なのだ。


 「も、もう止めて。私なら……好きにすればいい……」


 マルスフィーアは、ゆっくりとスモレニィに近づき、傍でひざまずいた。


 「こ、こんなに……なるまで」


 優しく頭を撫でると、ポロポロと止めどもなく涙が落ちる。


 彼女はゴロツキたちのリーダー、シザーの方を向き、涙目ながらも、キッとした決意を固めた表情で言った。


 「人質は私一人で構わないでしょ! 彼はこのまま助けてあげて! そうすれば、私はおとなしく付いて行きます」


 「いいだろう……いつまでこの男の命が持つかは知らんがな」


 マルスフィーアは、怒りに満ちた瞳で見返す。



 魔法を唱えた。

 一度しか使うことの出来ない。



 「ヒール!」


 天使のささやきの様な優しい彼女の声が響く。


 スモレニィの体を、淡い光の癒しのオーラが包み込み、大きく裂けた傷口が塞がっていき、全身の傷が癒えていく。

 死に際まで逝っていた彼の苦しい吐息が、安らかな寝息に変わった。



 「さあ! どこにでも連れて行けばいい」


 MPが尽き果てかけ、遠のく意識を強靭な意志で繫ぎ止め、堂々と言い放った。



 シザーたち、カピと戦った件の三人組は、奇妙なデジャビュ―に襲われる。


 (クソ! なんだ、この気分は……。こいつら……このカピバラ家の奴らに付き合ってると! なんだか胸糞悪い、恐ろしくイヤな気分にさせられる)


 (この小娘にしても、あの若造にしても……そこら辺にいるただの普通の奴らじゃあねえかよ! え? 何だ!? この土壇場で感じる、この、この、この圧力は!!)


 (何?! 何が間違っている? 何も間違っちゃいねぇ! 俺は、あいつらを圧倒する! 今度の作戦で何の疑いも無く勝つ! あの男! カピの額を地面にこすりつけ、屈辱にまみれさせ、泣き喚かせ! 命乞いをさせる!! あいつの糞忠実なる部下に、記憶から一生消えねぇ最悪の吠え面をかかせる!!)



 そうさ、一点たりとも不安材料は残せない。


 シザーは、ハーフエルフの執事ルシフィスに砕かれた肩を、そろりと回した。

 支援者が用意した優秀なヒーラーのおかげで傷は癒えている。けれども、以前の肉体全ての筋肉を思うがままコントロールできた、あの研ぎ澄まされた感覚は……まだだ、当分戻って来そうに無い。


 彼はマルスフィーアに近づく。

 弧を描き廻る様に歩き、ポツリポツリ話し出す。


 「へぇ……あんた…………魔法……使えるんだ……。…………ん? どうした……弾切れか? ……よれよれだな……」


 この先に起こりつつある、何かを感じたか、森がざわつく。


 「……悪いのは……あんただ……お嬢ちゃん」


 狂気に満ちた瞳を振動させ、両眼をさらに大きく剥く。


 「人質にとるのは止めた」



 「あんたらは、ここで殺す」


 ローグの男たちが「え?」っという顔をしてシザーに向かうが、彼のあまりの冷酷な凄味に、その先が口から出なかった。


 「……カピバラ家の奴らは危険だ、普通の感覚じゃあ勝てねぇ。甘っちょろい考えは捨てた……一歩前へ踏み込む」


 マルスフィーアは絶望というものを知った。

 有利に交渉を導くための行動が、生を繋ぐための賭けが、完全に裏目に出てしまったのだ。


 「最悪……大男は始末しても、あんたは……生白い指だけ貰って、生かす予定だった……」


 奮い立たせたはずの彼女の気力と意志が、恐怖に蝕まれていく。


 「だけど……ダメだ……あんたは偽りの魔法使い。殺してから腕を切り落とす……それでも結果は変わらない……ああ、そうさ」


 涙はもう乾いて出てこない、だが視界が白くかすれゆく。


 「あんたとこの領主様は……来るよ、生きてる死んでるに変わりなく……自分の目であんたらの姿を確かめるため……。…………ならば、そう……気掛かりは……全て消さないと」


 シザーは改めて自ら探索魔法を唱え、周りに人が潜んでいないことを知り、重ねて、弓使いにも念押して確かめる。


 「ふぅ~、だ~れも居ない。……絶対に、この場にヒーローが駆けつけるなんて事は無い。絶対に……有り得ない」


 シザーは短剣を抜き、マルスフィーアの胸に突き立てんと振り下ろした。



 悲鳴は一瞬で……消えた。

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