第22話 夕陽


 冒険者酒場を後にして、帰路につくため、馬を預けておいた近所の厩へ向かうカピとルシフィス、そこに新たに仲間に加わった槍使いの女戦士マルスフィーア。


 執事のルシフィスが静々と付いてくる女戦士に尋ねる。

 うすうす予想していたことだが、仕方なく……。


 「あのー、ところでマルスフィーアさん、あなたの馬はどこです?」


 長い睫毛と茶色の可愛い目を、一度パチクリさせて、彼女が笑顔で答える。


 「え? ああ! 私、ここへは乗合馬車で来ました! 特に当ても無く、田舎の方で、のどかな街がいいかなぁ~ってぐらいで……。でもご安心、馬には乗れますよ!」



 こうして三人並ぶと、子供の遠足とまでは言わないが、冒険者パーティなどと言うワイルド感は微塵も無く、傍から見ると、どう多めに見積もっても旅行中の学生だ。


 ルシフィスは、中でも最も、らしくないマルスフィーアを見て思った。


 (カピバラ家を守護する兵士、カピ様を護衛する壁となるべき衛士。その様な役割、いずれを与えたとしても、彼女は明らかに力不足。いやいや、それ以前の問題、とんだ役立たず。…………ここは、もう少し強く、反対意見を述べるべきだっただろうか?)


 ハーフエルフの自分とそう変わらない細い体の若き領主カピと、にこやかに会話をしている少女からまだ抜けきっていない眼鏡の女性。

 そんな二人を見つめながら思いは続く。


 (……だが、あの才気渙発なカピ様の御眼鏡にかなったのだ、見た目だけに囚われてはならない。……考えてみれば、これから先、人間の女の付き人がいれば、何かと都合良いかもしれない。特に、もうすぐカピ様は王都へ向かう、我々の様な異種族よりきっと役に立つに違いない! ハッ、なるほど! …………さすがカピ様、お考えが遥かに深い……)


 「でも、どうして私なんかを誘ってくれたんですか? 決め手は? 教えてください~」


 マルスフィーアが、カピに聞いている。


 「それは~」


 執事の耳が、思慮深きご主人様の答えを待つ。


 「マルちゃんが…………可愛いから~、合格~!」


 「もう! カピ様ったら!」


 笑いながら、ポカポカとカピの肩を叩いている。


 …………ルシフィスが、もうほんの僅かばかりでも、生真面目でクールなスタンスで無い執事であったなら、豪快に地面にズッコケていただろう。



 気を取り直す、ルシフィス。


 (…………ま、まあ、悪い人間では無さそうだ。……それに、事実として、この酒場で他に戦士を探そうにも、どんぐりの背比べで大した者は居まい。今後を考えれば、カピバラ家には良い師匠が居ることでもあるし、無理矢理にでも鍛え上げれば、そこそこの戦士に成る可能性はある。……彼女のあの奇妙な魔力も……使いようで…………)



 馬番が連れてきた、カピバラ家の馬二頭の手綱を執事は受け取る。

 二頭の顔をそれぞれ摩ると、元気いっぱいに嘶いた、どうやら待っている間を快適に過ごせた様子だ。


 白馬ホワイティのお尻をポンと叩いて、カピの側へ送り、自分は愛馬のクロベエに軽やかに跨る。


 さっそく鍛えるため、マルスフィーアには屋敷まで走って頂こう! という、選択肢もあったが……流石のルシフィスも鬼ではない。


 馬上から彼女に、気が進まない態度ありありで言う。


 「前に乗ります? それとも後ろ? ……別に、徒歩で付いて来るという選択肢も除外したわけではありませんが?」


 ルシフィス含め、エルフ族はあまり人に接触されるのは好きではない。

 連れの相手がカピでなければ、二人乗りは断固拒否したであろう。


 「じ、じっ、じゃあ前で!」


 地獄のマラソン特訓さながら、家路を永遠と走らされたんじゃあたまらないと、慌てるマルスフィーア。

 背負ったバッグを下ろし、槍を下ろしと、これまたどん臭く支度を始める。


 白馬に騎乗したカピが近寄るが……「乗りなよ」と、カッコよくセリフは吐けない。

 悔しいが、乗馬に関してまだまだ初心者の域を出ていないからだ。


 おずおずと、荷物と愛用の槍を執事に手渡すと、彼は手際よく馬の鞍に括り積み、次に手を差し伸べ、彼女を引っ張り上げて乗せる。


 白く細いハーフエルフの腕を見て、思ったより力強い彼の腕力に驚くマルスフィーア。

 黒馬に着けた鞍は一人用だが、ルシフィスがやや後部に躯体をずらせば、さほど大きくない二人にはスペースが十分こと足りた。




 二頭は軽快な足取りで、町から屋敷への帰り道を駆けだした。


 ルシフィスが駆るクロベエが半馬身ほど前に出ているが、それほど急ぐ走りでもなく並走気味に進んでいた。

 そこでカピが声をかける。


 「マルちゃんって、最初男の子かと思ったよ。その帽子で長い髪の毛を隠してたから。……変装してたんだ?」


 「変装っていう程の事でもないですよ~。フフフ、魔法で変身できれば、もっと良かったけれど……。ええ、まあ、女性の一人旅だと何かと、……男性に見せかけた方が過ごし易いかと思って」


 ルシフィスの巧みな手綱さばきと、馬の能力が相まって、すこぶる快適な乗り心地にマルスフィーアは苦労なく穏やかに会話できる。


 「これからはもう大丈夫、自分を偽らなくてもね!」


 カピは言った。



 先ほど、ある事に気が付いたマルスフィーア。

 後ろを振り向き、ゆったり手綱を握るルシフィスに尋ねた。


 「執事さん、腕、その腕の傷……どうしたんですか」


 ルシフィスの腕には傷跡が残っていた。

 それはもちろん、カピが屋敷の厨房で箱型無機質系モンスターのミミックに襲われたとき、彼を庇った際に受けた傷。


 彼女の唐突な質問に対し、訝しげな表情をする執事。


 「あっ、失礼なこと聞いてごめんなさい。腕の良いヒーラーさんに頼めば、その程度の傷跡、消えるんじゃないのかなと思って。……だって、そんなに奇麗な手なのに……」


 「…………」


 少し押し黙ったルシフィス、ふぅっと小さくため息をついた後で答える。


 「……マルスフィーアさんには、全く、関係ない事ではありますが……まあ、これは戒めのため、自分への…………残しているんです」


 「ふ~ん…………執事さんほどの、俊敏な方に? そんなダメージを与えるなんて! ……ミミックか何かの魔法機械生物かしら…………」


 誰に言うまでも無く、上目遣いで、考えるように呟くマルスフィーア。


 「!」


 一瞬、ルシフィスの手綱を握る手に力が入り、目に警戒の色。


 「あいつらって、とっても素早いですもの…………あ、そうだ。ほら!」


 彼女はそう言って、手を額に当て、帽子から垂れさがっている艶やかな前髪を上げた。



 丸いおでこが現れ、……そこには、三日月の傷。

 額のやや左、白い陶器のような肌に、蒼暗い下弦の月に見える痣。


 横に並ぶホワイティの馬上で、二人の会話を聞いていたカピが尋ねる。


 「マルちゃん! それどうしたの?」


 「私の最初の記憶。その時、受けた傷」


 遠くを見るように目線が外れ、曖昧な返事を彼女は返す。


 「そうだ。その傷こそ、消したいのなら! 凄いヒーラーを知ってるよっ、カピバラ家のお抱え医師、ブラックフィン先生に頼めば……」


 「いえ、いいんです。……執事さんと一緒で……これは残しておくべき傷なんです。まあ……またいつか……お話しします」



 それぞれには、それぞれの過去がある。



 そして秘密が。



 三人は無言のまま前を向き、馬に身を任せ、爽やかな風を感じ走り続ける。


 次第に、太陽が低く揺らぎ始め、いよいよ夕闇が迫る。

 だが、屋敷はもうすぐ、陽が落ちる前にたどり着く、心配はない。


 星が一つ流れ落ちた、それに気づくマルスフィーア。


 誰にも聞こえない声で密やかに。


 「……やっと……逢えた」


 夕陽のせいだろうか……微笑むその少女の顔は、いつもと違い蠱惑的だった。




 ―――― 宿の一室。


 静かに二度小さくドアがノックされる。


 「誰だ!」


 中から警戒する返事。


 暗い廊下に立つ男が、閉ざされた扉越しに応えた。


 「まあまあ、そう緊張しないでください、良いお話を持ってきたんです。聞くだけでも聞いてくださいよ、決して損はさせませんよ。……ドア、開けてくれませんか」


 そこは、酒場のあの戦闘にて、カピたちに完全敗北した冒険者シザーら三人が泊っている部屋。


 彼らのリーダーであるシザーは、しばらく考え込んだが、やがてゆっくりと肯き、弟の巨漢の戦士ヌッパがかんぬきを外す。

 ドアに手を掛け、そっと開ける。


 廊下に居たのは、見覚えの無い中年の男。

 身なりは良く、マスケットハットを被り、羽織った高級そうな布地の外套から、剣の柄をのぞかせている、おそらくは剣士のようだ。


 「どうも…………。ああ、さっきの闘い、拝見しました」


 見知らぬ男のその言葉に、奥のベッドに腰かけているシザーの顔が、一瞬、険しくなる。ルシフィスの一撃に砕かれた彼の左肩は、痛々しく包帯で覆われ、腕は添え木で固定されている。


 手袋をはめた両手を挙げ、剣士は続けた。


 「おっと、何も笑いに来たわけじゃあ、ありません。むろん……慰めにもね」


 シザーのすっかり落ち窪んだ眼をじっと見つめ、話す。


 「あなた方の、腕前は十分理解してます、一目置いていると言っていい。……だが……戦った相手が悪い。…………誰だか存じないのですか?」


 開けたドアの近くまで寄っていた、シザーの相棒、戦士グーンが肩を怒らせ答える。


 「えぇ? 誰だってんだよ? 俺たちゃここらのモンじゃあねぇんでな、生憎よ」


 うんうんと、了解した素振りの後、剣士が教えた。


 「カピバラ家のマックス伯爵と聞けば……ここらの御人でなくとも、聞いたことあるのでは? いえいえ! まさか! 彼はマックスではありません。知っているかもしれませんが、マックスはご老体……そして、もうこの世にはいません。あの青年は孫です」


 部屋の中で話を聞く三人の冒険者の目が、驚きで大きく見開かれる。

 当然ながら英雄マックスの名は全土に響き渡っていた。


 「カピバラ家の新たな領主カピ。はい、……そう、見た目の通り、彼はたいした冒険者ではなく、まだまだ未熟な青二才。もちろん、マックス伯爵と比べれば、月とスッポンもいいとこ、全くお話になりません…………しかし」


 話の間を取った剣士は、部屋に足を踏み入れ、後ろ手にドアを閉める。


 「あのエルフ、……本当はハーフエルフなんですが、彼の存在が大きい! あやつこそマックスの右腕とも言われ、数々の冒険、偉業を共にした、執事のルシフィスです。……ああ~そうです、……そのような者を、あなた方は相手にしてしまったのです。……知らずとはいえねぇ」


 ルシフィスの桁外れの実力を、我が身で持って体感したシザーは、戦いの恐怖を思い出し、肩の厚い痛みに反して、背筋が冷たくなるという二律背反に身震いした。


 彼と同時に肌で戦いを経験したグーンにも、ルシフィスの恐ろしさは良く分かった。

 グーンは乾ききった口で疑問を投げた。


 「……で、で? そんな事をわざわざ知らせに来た、お、お前は誰なんだ?」


 「申し遅れました。私は……と、名乗りたいところなんですが」


 謎の男は人差し指を唇に当て。


 「ここは秘密。……ただ、これだけは確約しましょう! 決してあなたたちの敵ではありません。私は、とある御方の密命により、少々汗をかいているのです」


 指先を天井に向け続ける。


 「私たちからすれば、住んでる世界が違い、とても考え及ばぬハイソな方たちにとって、あのカピバラ家というものは……言わば邪魔な存在。目の上のたん瘤なのだそうですよ……分かります? 分かりませんよね~」


 剣士は笑みを浮かべながら、まだ自分の趣旨を全然理解できていない表情の三人に向かって言った。


 「そこで、相談なのですが……復讐をしたくは無いですか?」


 部屋の時が凍る。流るるは、それぞれの頭の中だけ。



 「ええ、もちろん! あの化け物のルシフィスに直接リベンジせよ、なんて無謀な事は言っちゃあいませんよ。カピバラ家に、あのカピという、世間知らずな子供に、すこ~しお灸をすえてダメージを与えていただければ……それで十分……褒めて下さる偉大な御方が居るという事なのです」


 言葉なく見つめる、敗者たち、男の話を良く考えながら。


 「お礼は、弾みます。恐らく……あなたたちの思い描く想像以上にね。必要ならば、十分な支度金に優秀な医者も紹介しましょう!」


 名を名乗らぬ剣士は、手袋をした人差し指でシザーの肩を差してそう言った。


 このなかなかの好条件、おそらく普段の依頼ならば、迷うことなく直ぐに受けたシザーたち。少々得体の知れない依頼者であっても、大金が手に入るなら、リスクを取る価値と覚悟は十二分にある。


 だが、今回、何かが足を引っ張る。

 シザーの口から、了解の二文字が出ない。

 グーンの脳裏から、あの戦闘の絶望感が未だ拭い去れない。

 ヌッパの心から、あの只の取るに足らぬ青年だと男が言うカピに、受けた恐怖が消えない。



 予想外に煮え切らぬ彼らの態度に、剣士の慇懃無礼な態度が急に消え、口汚く怒鳴る。


 「おいおい! お前ら? このまま終わるってのか? 仕組まれた試合、スーパースターの卵に当てられ、無様に敗北し、寂しく引退する噛ませ犬の様によお!」


 両手を大きく広げ、情熱的に荒げ続ける。


 「ったく! 安っぽいストーリーの、クソみたいな役柄で? そんな誰の記憶にも残らない! ああ~、よくこのまま大人しく消え去っちまう事が、我慢できますねぇえ? ええ? シザーさんよぉ」


 冒険者シザーの眼底に、微かな火が灯った。


 (お、俺は……俺はまだ……聞いちゃあいねえ……聞いちゃあいねぇぞ……引退の鐘なんてよ!!)


 だが、悲しくもその火の彩は……。



 狂気と呼ばれる鮮やかさに似ていた。

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