第23話 はじめてのおつかい


 有力な大貴族の支配地に囲まれた小さな領土、カピバラ領。

 カリスマの英雄マックスという支柱となるべき主を失い、後はもう、ただ滅びを待つだけの貧乏貴族になり果てかけていたカピバラ家。

 時が経つと共に伝説的名声も次第に薄れ、もはや過去のものとなったか……。


 かくの如き空気が漂い始めた、ある日。


 その崖っぷちの家を、復興すべく新たな若き領主が現れた。


 その名はカピ。


 ヘンテコなプレイヤーネームを与えられたニューヒーローの正体は、自分の本当の名前も忘れ、過去の記憶もおぼろげな青年、異世界からの転生者だった。


 黒髪のハーフエルフの執事を始め、有能なカピバラ家の使用人たちの助けもあり、激動のおよそ第一章を、何とか無事に生き抜いて行けそうな気配を感じ出してきた現在。


 物語には欠かせないヒロインを、お約束の酒場にて仲間にした日から、幾日が過ぎた。


 …………いや、彼女をヒロインと断定するには、まだ早いだろうか……。




 屋敷で暮らし始めたこの数日で、カピバラ家のみんなとすっかり打ち解けた、新メンバーあえかなりし乙女の槍使い戦士マルスフィーア。


 中でも、使用人の心優しき大男スモレニィとは、のんびりとした性格同士で気があったのか、大の仲良しとなった。

 お互いに、マルちゃん、スモちゃんと愛称で呼び合い、まるで生まれながらの兄弟みたいだった。むろん、画的には少々可笑しな構図で、マルスフィーアの後ろをドタドタとついて行くスモレニィが、非常に図体の大きな弟だった。


 本日は、この凸凹姉弟コンビでお使いに出かけていた。

 明後日、いよいよ王都へ我が家の新領主カピが出発する、そのための旅の準備。

 必要な携帯食料と少々の備品を受け取りに、二人で村へ向かったのだった。


 いつもなら、村への簡単なお使いはスモレニィ独りの仕事だったが、マルスフィーアが村を訪れたことが、まだ一度も無かったという事もあり、半ば興味本位で彼女が付いてきた形だ。




 マルスフィーアにとってのこの新たな生活は、非常に心地よく幸せなものになった。

 初めてここにやって来たあの日。沈む陽に照らされた、決して煌びやかではないが、荘厳な趣のあるカピバラ家の館正面を目にした時、住み慣れた自宅へ着いたかのような安心感を不思議と感じた。


 そんな気持ちを抱きながら屋敷に入る彼女を迎え入れたのが、一風変わった使用人たち。そう、常識的な人間の上流貴族の屋敷に居るはずの使用人とは、天と地ほどかけ離れた奇妙な者たち。


 重ねて、玄関ホールの広い空間が侘しく感じるほど少ない人数。


 普通の感覚の女性なら、お愛想笑いを浮かべ、そのまま踵を返して入り口から出て行ってもおかしくは無い。


 考えてもみて欲しい。

 一流企業だと聞かされて入った会社に、いざ出社してみると……社屋こそ、そこそこ立派なれど、中で働く社員が皆、ビジネススーツではなく、それぞれが思い思いの奇抜なファッションで身を包み、勝手気ままにやっている情景。

 しかも、だだっ広いオフィスに数人しか居ない。


 これは何かの手違いだと、引き返したくなるのが心情ではないか。


 彼女はそうではなかった。

 マルスフィーアの受けた印象は感慨。

 言うなれば、友に認められ初めて秘密基地に招待されたかのような喜び、心許せる者だけに知らされた秘密の扉を開けると……そこに仲間がいた。初対面だが魂で繋がった……そんな気持ち。



 さっそく友だちの自己紹介が始まる。


 彼女の5倍の体重があろうかという、片目の大男スモレニィが、真っ赤な顔をして、消え入りそうにもじもじと挨拶をした。


 それを見て、メイドのプリンシアが豪快に笑う。


 プリンシアはキュートなドワーフおばさん。

 マルスフィーアは、生まれて初めて生身のドワーフをこんな近くで見て触れた。

 魔法の才能の無いドワーフ族は、彼女の育った環境、魔法学校の生徒には当然ながら一人も居なかった。


 白髪交じりの短髪をした頑固そうなお爺さん、マイスターのロックが笑顔で言う。


 「こりゃあ~また、家には珍しく、えらいべっぴんさんが来たの」


 まるで愛しい孫を迎えるように嬉しそうな態度だ。

 横から、プリンシアの痛いレーザービームの様な視線。


 「おっ、おっと! いけねぇ。プリンシアや、あんたとこの三姉妹を除きだ!」


 「へぇ~、そうでございますか……、この家じゃあ、美しい女性は、珍しいんですかぁ? ……ハァ? なにを除いてだって? ねぇロック…………それじゃあ、後に残るのは男だけじゃあないか~」


 そう言いながら、彼女は小さく可愛いが……逞しい指をポキポキ鳴らす。


 コック長のリュウゾウマルが最高の料理を運んできた。

 その食事の美味しさたるや、雇い主の勧誘の言葉に嘘偽りは無かった。


 彼はリザードマン、俗に言う蜥蜴人間だ。

 数ある亜種族の中でも特に異様な外見をしているため、初めて見る者は大概驚く。

 マルスフィーアも、最初に会ったときは多少驚いた……が、リュウゾウマルに対して驚いたのではない、過去に魔法学校であったリザードマンにである。

 学校には様々な種族の、比較的身分の高い階級に属す子息が、魔法を学ぶために来ていたのだ。


 その上、彼女は爬虫類独特の艶々した皮膚や、大きなギョロッとした瞳が、嫌いでは無い女性だった。

 そんな訳で、初対面でも何の躊躇も無く、コック長とご機嫌で接した。



 見た目には全く平凡な青年なのに、どこかミステリアスなヒーロー、カピバラ家の若き主人カピ。彼が言っていた話は全くその通りだった。


 この家には、最高の快適さと、最高の仲間が居た。


 十分満足感に満たされた彼女だったが……。


 (強いて言うならこの最高のチームには……、後一つだけ足りないものがあるわ)


 ……それは、ペット。


 無論、素晴らしく素敵で愛らしい名馬が二頭もいるし、丸々太って毛並み良く元気いっぱいの家畜もたくさん飼っている。

 だけれど、それは少し違う! マスコット的存在のペットが居ない。


 無邪気な子犬や忠実な番犬、気ままに部屋をうろつく猫でもいい。


 マルスフィーアは考えた、あのレジェンド、勇者マックス伯爵が住んでいたカピバラ家なのだから。


 (ホワイトベビードラゴンぐらい飼ってても、全然おかしくないのに~!)




 ピクニック気分で爽やかな風を感じながら歩く二人、気軽なお使いの帰り道。


 心配なんて全くない。

 この道は危険な猛獣もモンスターも出て来るはずの無い安全なエリア。

 町と町を繋ぐメイン街道とは違い、のどかな田舎道、頻繁に行き交う商人の荷馬車を狙う、不届きな盗賊なんかの待ち伏せに遭遇するなどと言う恐れも無い。


 マルスフィーアは心の底から幸せだった。

 在るべきところに、ぴったり嵌まったピースになれた自分、完璧な安心感。

 後ろに付いて来ている大きな弟へ、振り向き笑顔を見せる。


 ざわわと、脇道の大木の葉が揺れる。


 彼女は思う、この居場所を守る為ならば……捨てることができる、そう、何ものをも。



 スモレニィも、頭で理解すること言葉で説明することは叶わぬが、明白に、大きな幸せを胸いっぱいに抱いていた。


 マックスが居なくなってから感じていた心の空白、同じリズムの生活を送っているはずなのに、どこか冷たい屋敷の空気。

 それがあの日、カピがやって来たことで火が灯ったように変化し、やがて空洞が埋まって行き、今や昔以上に温かい感覚に包まれている。


 いつも通いなれた道。偶さかに吹く風で……林がざわめく。



 ふと不安が、スモレニィの少年のような繊細な胸をよぎる。

 時にあまりにも幸せ過ぎて感じるという……ありもしない不吉だろうか。


 先日の惨劇、森の奥、温泉近くの血祭りの後を、なぜだか思い出した。

 あのような恐ろしい事を引き起こしたモノの正体、原因はまだ分かっていない。


 突如、野生の勘が何かを知らせる、頭の中で真っ赤なランプが点滅する。


 スモレニィは、緊張した面持ちで太い首を左右に振り、片目を凝らし周りを注意深く見る。分からないが、確かに何かを感じる。

 ……魔獣の気配だろうか?


 「マ、マル…ちゃん!」


 前をスキップする様に楽し気に進むマルスフィーアに声をかけた。


 「ん? なーに、スモちゃん」


 呼びかけに微笑みで振り返り、幸福感に満たされていた彼女だったが、スモレニィの声色と頻繁に周りを伺う姿を見て、次第に不安が影をさし始める。


 彼女を守るように、近づく優しい大男。


 大した役に立つ訳ではないけれど、愛用の武器の槍を持って来ていないことを後悔しだしたマルスフィーア。

 荷物の大方はスモレニィが余裕で担いで、苦も無く行けるのだが、優しさから少しでも運ぶのを手伝うために、邪魔になった槍は部屋に残した。




 「へぇ~、やるじゃねぇか」


 風が起こすものとは違う、葉と葉の擦れる音。


 「俺たちの接近に、おぼろげとはいえ、気ぃつくなんてな……」


 男たちが道を塞いだ。


 前に二人、後ろに三人。


 今の今まで全く姿を目視できなかった。カモフラージュの魔法か、スキルのためだ。


 戸惑う二人を、黒く冷たい瞳で見据える、先頭に立つ男。

 酒場で戦闘したあの冒険者レンジャー、シザーは言った、低く唸るように。


 「恨むなら、カピバラ家についたことを恨みな」


 どんな飢えた魔獣より危険な相手。

 平穏な帰路が、突如として制御不能最悪の緊急事態に陥った!!

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