第19話 風の精霊の寵愛
愛馬に乗って、執事を連れてやって来た、領内唯一の小規模な町にある冒険者酒場。
そこで勃発した三人組のベテランパーティとの戦闘。
ある意味、このバトルはカピたちにとって、想定内であった。
カピバラ家の前当主、稀代の英雄マックス伯爵の下で長く過ごした執事のルシフィス。
今までは、仲間と呼べる者たちは皆、何故か自然と集まってきた。
マックスの才能に引き寄せられるかのように、最高の冒険者たちが。
裏を返せば、今回彼らがとることになった行動、酒場などへ新たなカピバラ家の使用人を、仲間を探しに行く必要性など今まで全く無く、経験も皆無であったのだ。
家を任された身の、執事からすれば認めることは実に口惜しいが、一言で言うなら不慣れな仕事、つてや情報に不足あり、準備しきれていない。
当然のことながら、ルシフィスには相手の力量を測る目はある。
が、しかし、内面はどうだろう? 性格などはそうそう易々とは見抜けない。
その上、さらに優れ者となれば……能ある鷹は爪を隠すと言うように、きっと己の真の力さえ見せはしないだろう。
(今回の庸役任務、別に、生涯の臣を探しに来たわけではない……。無論、そのような人材が簡単にいるはずもないし……現在のカピバラ家の財力を考えても、超一流の者を雇用することは現実的に不可能。承知している。……だが、これから一段と成長なさるカピ様をサポートするため、せめて、一時の補助にでもなれる人物を……と、願い、来たのだ…………)
直前の店内での騒がしさと、今、目の前に立つ不躾な人間たちを見据えながら執事は失望を禁じ得ない。
(それなのに、結果どうだ……想像以上に、誰もいない!)
ルシフィスの基準が、マックス率いるカピバラ家の強者たちと常に接してきたことで、かなり一般レベルとは、かけ離れた高いものになっている事実は否めない。
執事は、大斧を持つ戦士が、歩みを向けたカピの方を見る。
(流れによって、戦闘になることはカピ様にも十分に了解済み。心の準備も整ってらっしゃるはず……あまり、過保護になっては……カピ様の修行にならない……)
敬愛してやまぬ主人への、心配と信頼の綱引きが、彼の胸の内で、熱く繰り広げられていた。
「よそ見してんじゃあねぇ!」
俊敏性に優れたハンター系、クラス:レンジャーのシザーが、素早い跳躍で切りかかって来た。
シャープな軌道で短剣を滑らせて来る!
かなりの腕だ、ルシフィスは細身の剣を立て、襲い来る刃に合わせた。
カチュィ! カチュィン!
金属の激しくぶつかる音を鳴らし、その場から下がることなく、連続攻撃を全て受け返す。
ルシフィスの操るレイピアは、切るというよりも突く事に主眼を置いた武器である。彼が今手にしている剣は、モノは悪くは無いが、実は名剣という程でもない。
もちろん強度強化の魔法が付加してあるので、見た目の細さ以上に、とても頑丈になっている。
近くで、シザーの相棒、ミドルソードを構えた戦士グーンが、良い間合いをもってルシフィスの隙を伺っている。
無暗に突っ込まず、深追いもしないところに、歴戦の経験を感じさせる。
短剣で鋭く切り付けながら、シザーは叫ぶ。
「おい! てめぇの相手は俺だ! 余裕こいてんじゃあねぇぜ」
チラチラと頻繁にカピたちの様子を気にしているルシフィスに、完全に舐められていると感じ苛立つ。
「まさか? この程度の攻撃をやり過ごせたからって? ああん? 勝てるなんて思っちゃあ、いねえぇよなぁあ!」
言葉無く静かに戦況を観察しているグーンは、分かった。
リーダーが、そろそろ本気を出し始める……、いよいよ魔法を使う気だと。
「てめぇらエルフは素早い……が、俺が及ばぬほどじゃあねぇ……」
ザザッっと離れ、一旦ルシフィスとの間合いを十分とると、おもむろに首をぐるりと回し、肩を上下させ、筋肉をリラックスさせる動作を取りながら、シザーは話し続ける。
「そして……俺には……、人間様には、強い味方、優れた魔法力がある…………。え? まさか知らねぇか? どうした? この俺の様な、粗野な態度のレンジャーには、使えねぇとでもぉ?」
ルシフィスが、あからさまに眉をひそめる。
……カピが、斧使いの男の攻撃を受け始めた。
シザーとグーンは、そのエルフの表情を勘違いする。
「あ~あ、おいおい~、今さら悔やんでも、もう遅いぜ」
グーンは思わず心の中でほくそ笑んだ。
(ククッ、やばいってことに、やっと気が付いたかぁ? 間抜けめ。よ~し、来るぞ! リーダーの魔法、恐るべき連続詠唱が)
シザーの詠唱が始まった!
待ってましたとばかり、それを目にしたグーンの形相に勝利へ向かう確信の笑みが自然と込み上げて来る。
「プロテクトボディ…マッスルブースター…クリティカルアップ…ハードガード!」
次々と魔法のエフェクトが煌めき、光り表れ、彼に力を注いでいく。
公平を期すために記そう、魔法使いでも無い他の職で、かつ、今の彼のレベルや年齢に鑑みて、決してただの自惚れではなく、確かに優れた才能の持ち主である。
シザーの体を、防御魔法の淡い輝きの膜が覆い、いばらの様な白い稲妻が手足で光ると、筋肉の動きが活性化する。
両眼には輝きがあふれ、全身にわたる隅々の神経との直結ルートが強化され、確実な攻撃が、いっそう可能な状態になった。
最後に唱えた装備強化の魔法は、装備に施されるエンチャント効果と異なり、本人自身が詠唱することによって、全身装備すべてに影響が及び、強度が格段にアップした。
強力な魔法の力に包まれ、揺ぎ無き自信に満たされるシザー。
目を浅く閉じ、思わず涙腺が緩みそうになるくらいの、感動の武者震い! 超人的なパワーアップをヒシヒシと肌で感じる。
「うっぅ…………、へいへい~、これで、お前に負けることはねぇ……」
シザーが、とてつもなくイヤらしい笑いを浮かべた……。
「あ~ああ? もしかしてぇ~……これでターンエンドだと……思ってるぅ?」
ルシフィスは無言。
さらにシザーは、二本指を揃えて額に軽く当て、集中する。
目が大きく、カッと開き、血走る……彼の興奮が頂点に達す。
「じゃ~あ、口をポッカリ開けて……驚きと……絶望の中…………死ねよ……」
彼の声が籠り響き唱える。
「ヘイスト…オブ……シルフ」
頭上に幾何学模様の、光り放つ円形魔法陣が浮かぶ! 上級魔法の発動だ。
それは回転しながら、体を中心に上から下へ降りて行く。
驚くべき効果が付与される。
なんと彼の行動スピードが倍近くに跳ね上がった!
補助魔法『ヘイストオブシルフ』
動くスピード、素早さを倍増する、至極高度な加速魔法。
決して、初級、中級冒険者などが扱うこと及ばない、シノビなどの限られた上級クラスのみ使用を許された魔法である。
「アハハハッ! お前も終わりだな」
シザーの神々しさまでも感じるその魔法に、相棒のグーンも思わず声を出して笑う。
ルシフィスも、明らかに驚愕の色を、その大きな碧の目に浮かべている。
何物をも超越し、神か魔王にでも変身したかの己を、全ての者が恐れている! この瞬間、この感じが、たまらなく心地よい。
そんなシザーに、遊び心が出る。
さっきまでとは比べ物にならないスピードで跳び、ルシフィスの元へ寄る。
目に見えぬ軌道で、短剣が光る。
ルシフィスの髪が宙に舞う。
パラパラと舞い散る、美しい一房の黒髪。
すでに、その場には居ない。
笑いながら左右に跳躍を続けるシザー。
並みの者では、動きが全く捉えられない、シュンッ! 空を裂く音と土煙を残し消える。
空間をワープしているかの錯覚を覚える。
「どうだ? 見えねぇだろう!」
(くはははっ、この感じが……たまんねぇ)
もう一度左右に跳んだ時、少しバランスを崩す。
(ちっ、いけねぇ……さすがにMPが、消耗したか……)
連続で魔法を唱えたことに加え、高度な魔法を重ねたため、MP、マジックポイントをかなり消費したのだ。MPは、魔法を唱えるためのエネルギー、力の行使がスタミナを使い、肉体も疲れるように、マジックポイントが減ることは、大きな精神的疲労となる。
思い上がった愚かなエルフの動揺を目にし、満足感に満たされたシザー。
「さあ、お遊びは終わりにして、ケリ付けるかぁ~あ!!」
……ルシフィスの頭上に、円形魔方陣が浮かぶ。
「ヘイストオブシルフ」
甘く低い声が響く。
人生で最大の驚きが、シザーの首を吊った。
両目が飛び出し、一瞬、息が詰まるよう……だが、あまりに限度を超えた驚きは、すぐさま精神の防御反応により、見るべき事実が覆い隠される。
(嘘だ!!! あれはぁ!? そんなことありえねぇ!! 亜人如きに、そう簡単にこの魔法が使える訳がねえ!!)
すでに、攻撃モーションに出ていたシザー、止まらずにルシフィスを殺しにかかる。
まばゆく輝き高速回転する魔法サークルが、エルフの足元にまで到達し消えかかる。
詠唱終了直前のルシフィス、己の喉に迫る刃をギリギリのところでかわした!
(へっ! 遅せえ! 全然遅せえぇぜ! やっぱり、お前にはその魔法、使いこなせてねえんだぁあ)
ルシフィスの、ゆるりと魔法を唱える様子、自分より遅い詠唱速度に加え、先ほどの、短剣の一撃を何とか紙一重で避けるので精いっぱいに見えた、鈍い動作。
すべてをしっかりと捉えたことで、シザーは自信を取り戻した。半ば無理やりに。
(やれる! 次で首を掻っ切る!)
剃刀の様に鋭利で滑らかに反ったダガーを、握った掌の中で180度回転させる、僅かな動作でもって、刃を逆に持ち直すと同時に反対に腕を振るう。
一瞬の隙もない神業、ヘイストの効果と相まって、この返しの太刀筋を避けることなど不可能であろう!
ルシフィスの白い首筋を、正確に一閃し、裂いた!
コンビで攻める、グーンの足が止まっていた。
いつもの必勝パターンでは、例えどんな強敵でも、シザーが高速魔法を唱えた後は、その格段に速さの増した攻撃に、全ての神経を注がざるを得なくなり、容易に追い討ちを仕掛けられた。
シザーと足並みを揃え、釘付けにされた相手に跳びかかり、より確実に仕留める。
そのはずが…………目の前のエルフが、突如、唱えだしたのだ……同じ魔法を。
(同じ!? シザーと同じ……ヘイスト!? だと???)
頭の中を疑問符が躍る。
信じられないが、もしそうならば、なおさら手助けしなければならないではないか……そう分かってはいても、足が付いて来ない。
(お、俺も、攻撃に加わらなければ……同じ……魔法を使われちまった…………スピードが互角!? それじゃ、おい……同じになっちまうよぉ…………ええ? だ、だけど……本当に…………同じ? ……魔法なのか?)
シザーの短剣で、ルシフィスの首が半ばまで切り裂かれた。
揺れて消える残像の首。
ルシフィスは、数メートル離れた場所に居た。
「すみません。わたくしも……そろそろケリを付けたいので」
シザーの想像を遥かに超えるスピード、有り得ない、彼の脳内を一言が埋め尽くす。
「!!!」
(嘘! 嘘! 嘘!)
それでも鍛錬の賜物、そして才能か、思考とは裏腹に次の攻撃を仕掛けるシザー。
すべての迷いを吹っ切るかの、超人的連続切りを繰り出す!
その刃は、音速を超えソニックブームを生む、そん所そこらの冒険者やモンスターに、この攻撃から生き延びられる者はいない。
……ルシフィスは、レイピアで受けるのを止めた。
なぜなら、短剣の動きが遅いのだから。
呆けた様に突っ立つのみのグーンが、結論に達する。
「なあ……リーダー……、同じ魔法なのかぁ? なあ……だってよぉ…………」
(奴の頭上に見えたのはよお! 全然おんなじじゃあねぇ……あっちの魔法陣は……光る眩しさも、回る速さも……別物じゃねえか!)
専門外の戦士の辿り着いた、その結論は正しい。
シザーの『ヘイストオブシルフ』と、ルシフィスの『ヘイストオブシルフ』それらは練度が違った、同じ魔法でも威力が異なっていたのだ。
冷酷な数値で表すならば、前者のスピードアップ効果は1.5倍強、後者は…………3倍にも達していたのだ。
シザーは、ただただ虚しく残像を切り裂くだけの攻撃を止め、仕切り直しの間合いに跳び離れた。
眼球が小刻みに揺れる見開いた瞳、額に脂汗、口の中はカラカラに乾ききってる……彼の受けた強烈な驚きは、しだいに恐怖を連れてやって来る。
が、さすがに幾つもの死線を潜り抜けて来ただけはある、何とか狂乱への崖っぷちギリギリで踏みとどまり、自分の優位な点が残されているはずだと計算する。
まだある! スピードだけがすべてではない、それは他の複数の補助魔法による強固な防御力。
(瞬殺は……む、無理だが、ま……まだやれる。どんだけスピードが上回ろうが、しょせん奴の攻撃は俺には効かねぇ……持久戦だ!)
また、ルシフィスがよそ見をした。
「!」
はっ、とする!
(そうだ! ……あの、ガキだ。あいつを上手く使えば……勝てる!)
ルシフィスに、このバトルで初めて不安な一瞬が訪れた。
初めて? 少し前に、シザーの高度な魔法詠唱に驚愕したのでは?
違う、そうではない、あれは全く別の対象を見つめていた時の驚愕! その対象とは、もちろん……カピ、……ご主人様の恐るべき上達に驚いていたのだ。
(なんということだ……、あの斧使いの、全ての攻撃を! 軽やかにかわしてらっしゃるではないか……おお! なんてことでしょうカピ様!)
あまりの感激に、戦闘中だというのに涙しそうにまでなったルシフィス。
(間違いなく、カピ様はマックス様の孫! この上ないほどに確信いたしました。……カピ様の才を、わずかでも疑ったこのわたくしは……まったくもって『下衆の位、上の中』でございました)
だが今、そのカピの戦況、雲行きがやや怪しい。
レイピアを片手で構える。
両足を広げ少し腰を落とし屈む、右手を前に出し、左で腰辺りに溜めて、突く構えをとる。揺らめく気のオーラが高まり、刀身の先端へ凝縮される。
「撫子……紅式」
瞬間、シザーの眼前に立つルシフィス。
スクリューの様な赤いオーラの波を纏わせ、レイピアの刃が唸りを上げる。
赤い光のドリルは、心臓を貫く軌道を描く……が、胸に当たる刹那、斜め上にずれ、シザーの左肩を砕いた。
ルシフィスの一点突破型奥義の前には、幾重の魔法防御もただ紙の如く。
堅い防御効果によって打撃点が、ずれたのではない、意図して外したのだ。
彼が出発前のカピの言葉を思い出しただけ。
『ルシフィス。戦闘になったら、相手を殺さないようにね。できれば……戦意喪失、参った、で勝負あり、って感じでよろしく! ……まあ、戦いで、こんな甘いこと言ってちゃダメだと思うけど…………なんかね……』
何が起きたのか理解する間もなく、回転しながら宙を舞い、吹っ飛んだエースのレンジャー。空中で意識が飛び、地面に叩きつけられた時の衝撃は……もう感じることも無かった。
信じられない思いで、見ているしかなかった相棒のグーンが、ミドルソードを力無き手から足元へ落とす。もう闘う意思はない、このバトルで、自分自身が実際には何もやっていなかったことが嘘みたいに心身ともに疲れ切っていた。
長い間、目の前で泡を吹いて転がっている仲間の下へさえも、駆け付けられぬほど。
ルシフィスは、そのままカピの元へ動く。
もしかして、また自分は判断ミスをしたのではないか? それは百分の一秒かもしれないが……遅れた。
見たくない光景、恐ろしい光景……。
カピが……。
斧でぶった切られ……。
……背後から……。
槍で突かれる……。
そんな幻、現実が、目をかすめた。
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