第17話 酒場の主人のあの台詞
冒険者カピが、意気揚々と酒場の扉を開け放った時の、店内に集っていた客たちが見せた、とっても寂しいノーリアクションとは一転して、ドキドキ興奮のアクションカットが、いよいよ繰り広げられようとしていた。
少々プライド高い、カピバラ家の執事ルシフィスが、粗暴かつ老獪そうなレンジャーチームと、揉め事を起こしたかと思った矢先、カピとそう変わらぬ年頃の、眼鏡をかけた新米冒険者が、火中の栗を拾うが如く、蛮勇にも仲裁を試みに飛び込んできたのだ。
現実に見られるなんて思いもしない、アニメの様な見事で豪快なコケっぷりに、あっけに取られる男たちの真ん中で、ヨロヨロと立ち上がる仲裁者。
栗色の美しい髪を乱れさせ、マルスフィーア自身も、しばし我を忘れていた。
「な、なんだぁ!? お前、お、女か?」
その言葉で、ハッと我に返り、ずれてしまった眼鏡を慌てて定位置に戻すと、顔を赤くして、仔リスの様に周りを見回す。
脱げかけている帽子を取り、肩甲骨の下ぐらいある、乱れてしまった長い髪を軽く整えながら、もはや私なんてお邪魔でしょうと、現場から少しずつ離れようとした。
確かに、彼女の行動は、その場を一時的に鎮めるのに効果的だった、が……。
沸騰した湯に放り込んだ、びっくり水という効果は、やがて消え始め……、またすぐグラグラと煮えだした。
だが、今度の沸き立ちは、少しベクトルが変わった。
けっこう酒が回ってハイな気分になっていた、筋肉の鎧を着た戦士、生意気な雑魚の小僧たちのことなどは、もうそっちのけで、マルスフィーアに絡みだす。
「おお~、いいねぇお嬢ちゃん。あんたの言う通り……喧嘩は止めて……この俺とイイ事しに行こうぜぇ! ……ゲへへへ」
ライトアーマーの戦士も、どうやらそちらに切り替えたようだ。
「おう! 坊主、命拾いしたな。さっさと失せなっ、俺たちゃ、こっちのべっぴんさんと一から飲み直すからよ」
マルスフィーアに寄って来る、涎をダラダラ垂らした狼たち、そう男たちを引き寄せるほど、彼女は紛うことなき美少女だった。
ここが、むさ苦しい男共が多く屯する冒険者酒場となると、それこそ掃き溜めに鶴の写し絵。
きめ細かい白い肌、小さくツンとした丸い顎、健康的なピンクのふっくらして柔らかそうな唇。大きな茶色の瞳が眼鏡の奥で、潤みを帯びて、こちらを見つめる。
「なあ、お姉ちゃ~ん、冒険者なの? クラスは? やっぱ弓使いか?」
「戦士じゃねえよなぁ、そんな折れそうな体じゃ……」
彼女の装いは、革製の軽装備。
ユニオンにおける冒険者のクラスで選択するなら、彼らの予想がピッタリくるが、それ以外の選択肢を含めるなら、もっと的確なのは、戦士の舞台衣装をおざなりに着せられた女学生だ。
仲間の男連中より、やや遠目に立ち、女の様子を見ていたレンジャーが、一瞬身構える。
(! まさか、あの服装にごまかされ……あの女……魔法使いか!?)
彼がそう懸念を抱くのもしごく健全。
もしも、魔法使いなら、少女の外見と言えども決して侮れないことを知っていた。
嘘が苦手なマルスフィーアは、真っ正直に答えてしまう。
「え~っと……。ちょっちょっと、すみません。えぇ……まあ私は、冒険者です……けど…………」
細く白い両手を上げ、手のひらで抑えるような仕草で、ますます近寄って来る男たちを多少でも遮ろうと努力する。
じゃれてくる犬を、余計に面白がらせるだけで、無駄なあがきであったが。
「おいおい、どこ行くんだよ? 俺たちの席で一緒に飲もうぜ~」
少しペースを上げた後ずさりで、自分の席に移動する。
「い、いえいえ。その言葉、お気持ちだけで、結構ですから……お構いなく……」
彼女が、サッと振り返ると、椅子に置いていた自分の荷物が見えた。
その側に立てかけてあった棒を素早く手に取り握る。
「わ、私、これでも、れっきとしたランサーです!」
彼女は棒を胸の前で持ち、冒険者クラス:ランサー、つまりは槍使いの戦士だと主張したのだ。
「わお~感激! 俺たちと同じ戦士だって? それはそれは、ますます親睦を深めねぇといけねえなぁ」
巨漢の戦士は、この状況に快感を覚えるばかりで、引く素振りなど一切無い。
丸太の様に太い腕を伸ばし、小枝の様に細い腕を掴もうとする。
とってもまずい状況に追い込まれつつあることを理解したマルスフィーアの額に汗がにじむ。
「そ、それ以上近づくと、容赦しませんよ」
彼女はそう言って、棒の先端に結んである紐を解き、槍を構えた。
「ぷっ! ガハハハッ、なんでぇ? その細っせえ槍。そんなもんランスじゃあなく、ただの棒っ切れじゃねぇかよ! いいぜぇ、刺してみなよ! ほれっ」
「そ、そんなぁ……そんなこと言われると困ります」
もとから突き刺す気など、これっぽっちもなかった彼女……。
と、躊躇した隙に、大男は片腕で向けられた槍の先を掴み、簡単に奪い取る。
一瞬何が起きたか理解できない、……空っぽになった自分の両手を呆然と見ている。
「こ~んなおっかねぇ武器をそっちが先に抜いたんだぜ! お嬢ちゃん。こりゃあ、落とし前……つけてもらわねぇとなあ」
顔を上げると、もう一人の戦士も迫って来る。
マルスフィーアは絶望した。
最低最悪の状況だ、……でもこれは自ら招いた事態、仕方がない、甘んじて受けるしかない。
唯一の救いは、先ほどの少年たちが怪我しなくてすんだこと。
きっと、この隙に酒場の外へ避難してくれただろう……彼女は、彼らの居たテーブルの方を見やる。
(ほら、あの席には誰もいない……うん、良かった……これで)
口元に下劣な笑いを浮かべた男が、もはや諦め目を瞑ったマルスフィーアの華奢な肩に、手を伸ばし引き寄せようとする。
……が、一定以上、出そうとした腕が前に行かない!?
「ぐっ! う?」
理解不能状態の男のすぐ側で、別の声。
「どうなる事かと思いまして、しばし、見ていましたが……やっぱりどうにもなりませんね……」
ルシフィスが、知らぬ間に横に立ち、戦士の太い腕を掴んでいた。
続けざまに、流れるように体を回転させ、反対に回ると同時に、男の握った拳から、さっき奪い取ったマルスフィーアの槍を、いとも簡単に引き抜いた。
「はぁ」
と、少し面倒そうな、ため息をついて、ぽかんと口を開けた彼女に槍を返す。
ギリギリ歯ぎしりで顔がゆがむ戦士。
今いったい何が起きたのか? 完全な理解こそできなかったが、何かとてつもなく舐めた真似をされたという事は、痛いほど分かる。
斧使いの男は怒りに任せ吠えた。
「なにぃ!! おめぇ~、くそっ、いつの間に!! クソガキが! ネズミみてぇにコソコソと近づきやがって!!! ぶっ殺してやる」
思いっきり握りしめた腕を振り、バキッバキ!! 近くの机を素手で叩き割った。
筋肉が盛り上がり、男の怒りのボルテージも急上昇した。
その顛末を、一歩引いた後方から傍観しているリーダーの男。
周りでポツリポツリと、彼らに対し侮辱的な呟きが漏れるのを耳にした。
おや、予想より可笑しな雲行きになってきたぞ、大口を叩いていたベテランが、若造に舐められているぞ……と。
ハッと振り返り、只の人間の小僧であるカピを見る。
そこに居ない!
もう一度仲間の方に視線を戻すと、立っていた。
エルフと女の横に……。
(くそっ、いつ? ……いや、所詮あいつは無能なガキだ、俺の感覚に間違いねぇ。冒険者かどうかも怪しい……。だが、あのエルフ! …………俺と同じレンジャーか? 少しばかり腕が立つようだが)
守るような位置で立つルシフィスの後ろで、マルスフィーアは自分の不運を呪う。
いつの間にか隣に来ていたカピにも気が付き、彼らの思いもしない英雄的行動に驚くと共に、暗い表情になる。
(ほらまた……やっぱり……私は本当に運が悪い。面倒な事を引き起こしてる、それだけじゃあなくって……こんな、良い人たちも巻き込んで……)
すべき事を決断をしたレンジャーが、ベルトに両手をかけ威圧的な歩みでツカツカと仲間の下へ進み、先頭に割って立つ。
カピの目をじっと見降ろしながら、上半身をゆっくり前傾させ声を落とし言った。
「坊主、舐めんなよ、遊びじゃ……すまないぜ」
彼の戦闘に対する天性の嗅覚だろうか、ルシフィスではなくカピに向けて話す。
「ククク、どうせ……パパが金払って、物珍しいエルフの用心棒を雇ったってか? ああん?」
黒髪のエルフは顔色一つ変えず黙って立っている。
「それで、今までは……上手くやった。チンピラどもをこいつに叩きのめさせ、まるで自分が強くなったかのように悦にいる? だろう? お見通しだよ。…………忠告してやろう、本当の冒険者を相手に、そのふざけた王様気取りは通用しねぇ」
「ふ~ん、じゃあ、おじさんは? 下衆な悪党気取り?」
レンジャーは、腰の短剣を抜いた。
所々が的確に補強された、動きを一切制限しない革鎧で、身を隙無く覆い、鋭い眼光を向けるレンジャーを中央に、二人の大柄な戦士が、各々の得物、ツーハンドアックスとミドルソードを手に持ち、闘志むき出しで並び立つ。
真っ向、燕尾服で腰に細身の剣を携えた、執事のルシフィスが自然体のまま少し前、影に、棒っ切れを握った女戦士マルスフィーア、すぐ隣に、普段着で腰のベルトに短剣を差したカピ。
ルシフィスを見ると、若干、面倒そうな表情を見せはしたが、頷くのをカピは確認した。
いよいよ! きた~!!
さあ、店のマスターが、……例の台詞を言う。
「お客さん、揉め事なら外でやってくださいよ」
ヒーローには、次に言うべき言葉が自然と浮かんだ。
「バトルだ!」
上等だと、受けて返すレンジャーズ。
「ガキどもがぁあ!! 表ぇ出やがれぇ!!!」
―――― 戦闘開始。
「カピ:ヒーロー」、「ルシフィス:???」、「マルスフィーア:???ランサー」
VS
「シザー:レンジャー」、「ヌッパ:戦士(斧使い)」、「グーン:戦士(剣使い)」
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