第7話 涙の粒ポロリ


 メイドのプリンシアが、水差しとコップをお盆に載せて、応接室に静かに入ってきた。


 下を向いて伏し目がちな彼女の顔には、いつもの明るい様子が消えている。

 これは、執事ルシフィスの指示で、大人しくしているという感じではない……、全くもって元気が完全に失われていることに、主人のカピは気付く。


 彼女が、壁際に備えたサイドテーブルにそれらを置いて、コップに水を注ぎ始めると……。


 「ふぅ~!」


 太った禿げ頭の大貴族、サザブル伯爵が、わざとらしい大きなため息をつきながら言う。


 「カピ君カピ君! 頭が痛くなるね、こりゃあ」


 まるっとした手を額に当てて上を向き、あきれ果てたとばかりに声を上げる。


 「情けなや、カピ君! 私たちに言わせれば、全く、多くの面でマナーのなってない田舎貴族のカピバラ家だが……もはや、言葉もない……。あれは、何だね? ええ? 小汚いドワーフの髭女中だなんて!」


 メイドがコップに注ぐ水差しの口、震えてる手で入れるゆえにカタカタ当たる。


 サザブルがプリンシアを指さし、話し続ける。


 「この世は、魔力に優れる人間族が支配しているのはご存じで?? あやつらドワーフは1MP も魔法を使えない、神に見放された下等な種族……。そのようなモノを、人間においても、さらに気高く高貴な我々の傍に近づけるとは……おお! まったく嘆かわしい」


 プルプルと頬を揺らし、「まったくまったく」と首を振りながら明け透けに侮蔑する。



 サザブルの言う事すべてが間違いではない。

 この世界において、実質的に人間が最も魔法使いに適している。

 エルフにも高い適応はあるが、同年月において比べると、人間の成長度、熟成度には劣る。そして、唯一ドワーフだけが魔法を一切使えない。


 魔力という、とても大きな力、ファクターが、人間を支配種族の地位に押し上げている最大の一因だ。



 プリンシアは、水を注ぎ終えたコップをお盆に載せながら、しばし考える、どちらのお客様から配るべきだろうかと。

 そして、3つのコップを載せて、サザブルたちの方へ向かう。


 サザブルはあえて何も言わず、近づく彼女を見ている。


 手前に立つ、サザブル護衛の剣士が、歩み寄る小さなメイドにやや寄って……さりげなく……足を出す。ほんの僅か、相手のつま先が突っかかる、絶妙な動作。


 普通の女中なら、間違いなく転ぶ! たとえ、運動神経の良い者であったとしても、確実によろけ、お盆をひっくり返す……。


 プリンシアは、手元のプレートにばかり目をやり、トロトロと、傍目とてもどんくさそうに近づいた。

 彼女の頭の中も、本日の気が重くなる出来事、必ずやり遂げねばならぬ大切な大仕事の心配でいっぱいいっぱい、周りが見えていない。



 足を突き出した、剣士の横を通り過ぎ、テーブルにコップを置き始める。



 「!!!」


 (なっ、なに! バカな!!!)


 護衛は、思わず自分の出した足先を二度見してしまう! そのドワーフメイドの短い脚が、すり抜けたかような錯覚に陥ったからだ。



 実際、プリンシアは全くその罠を察知していなかったのだが、天賦の才、超一流のストライカーのなせる業で、無意識にかわしていたのだ!

 もし仮に、通常運転状態の彼女であったなら、力をいなし返されて、その剣士が逆にすっ転ろぶはめに陥っていた。



 すぐ傍の太った主人が、不用意にドワーフを近づけることを許したことに、苛立っているのが分かる。

 剣士本人は、何が起きたのか信じられない。確実な事は、メイドが奇跡的にも、偶然避けたおかげで、自分が失態を犯したことになった、万に一つもあり得ない赤っ恥をかいた。

 ぐっと、恥ずかしさと腹立ちが込み上げてくる。


 ドン! と、強引に膝でけり上げるように体をメイドに寄せ、罵倒する。


 「おい! 汚い面を、サザブル様に近づけるなっ」



 この時、彼らほどの冒険者なら……気付いたかもしれない、プリンシアが只のメイドではないことに……。……本来、ドワーフ族には、数々の一流の戦士たちが、ひしめき合う程存在しているという現実に。


 だが、それに思い至ることは無かった。

 見た目の第一印象の思い込み、そして、完全に見下した気持ちが抜けず、怒りに支配された彼には、体を当てたその時も、彼女の真の実力に考えが及ぶことは無かった。



 彼女はよろめき、並べている最中のコップをひっくり返しそうになる。

 こんな程度の事でミスをしてはダメだ! 動揺し、体が縮こまりながらも最後のコップを置いた。一滴たりとも水はこぼさない。


 「止めろと言っているのが聞こえんのか!!」


 親衛隊剣士は、そう言って、もはや直接手で肩を強く弾き、プリンシアをテーブルから押しのけた。


 逆らわず、一歩引いたメイドは、とても悲しそうな目で、どうしましょうと執事ルシフィスを見る。


 「目障りなんだよ! さっさとうせろや。ほら! 早く! この部屋から出ていきやがれっ、首を刎ねるぞドワーフ」


 二人目の護衛もメイドに近づいて上から罵る。


 サザブル伯爵の、嫌な輝きをたたえる目配せを受けて、剣士がコップを手に取ると床に中身をぶちまける。最後のコップを今度はプリンシアの頭上に。


 「こんな臭い水……飲めるか」


 うつむいて、小さく無抵抗な彼女にかけた。



 今日の会談、理不尽で屈辱的な仕打ちを受けることは事前のミーティングで承知していた。……想定内の出来事。この程度で、挑発に乗り、揉め事を起こせば、それこそ相手の思うつぼ。

 こっちには、成し遂げるべき最も大切なことがある。


 カピは思う。


 (そうさ……いってみたら、どの世界でもよくある事。……友達がいじめられてても……、もっともっと大切な、自分を守らないといけないように……ここは、黙って見て見ぬ振り。そりゃあ、見て見ぬ振りって言っちゃうと言葉は悪いけど、……つらいけど……許されないことじゃない、責められることじゃない、よくある事)



 カピの危なっかしい突然の発言のおかげで、逆に冷静になっていた、ハーフエルフの執事ルシフィスは、妙な感覚に襲われた。


 若き主人の背中を見つめる。


 彼自身、今までも多くの差別や侮蔑は受けてきた。それはドワーフのプリンシアも同じであったであろう……いや彼女の方がより酷かったかもしれない、だが仕方がないドワーフなのだから……。


 それらを大概は受け流し、無視して過ぎ去るのを待つ。もう慣れた。


 (もちろん、時と場合によっては、力ではね退け、ねじ伏せた……)


 今、この最重要局面での、彼らの下劣な憎しみの仕打ちと言葉、どうってことは無い。これまで幾たび経験した、どうってことの無い話。


 (フフフ、どうという事ないはず……。両手を縛られ殴られ続けようが、無視できる精神力がある……はず……。でも、……なんだ? ……なんだろう……まるで未熟で愚かだった若気の時かのような……怒り。遥か昔に忘れていたような……そう、まるで……マックス…………彼と出会った頃の……幼き日の自分に……)


 「プリンシアさん、下がって……いなさい」


 絞り出すような声で、執事は命じた。


 プリンシアは、肩を落としたまま「はい」と、消え入りそうに答える。


 少し震えながら、水滴をポタリポタリ床に落とし、出口へ小さくなって進む。


 愛すべき大好きな主人に、とても大事な機会だったというのに……上手く自分の役割を果たせなかった申し訳なさだろうか、それとも悔しさ? 慣れっこのはずの、心無い人間による差別的な言葉……やはり、悲しみ? 闘うことも許されない、やり場のない怒り?


 彼女を震わせるのが、どの感情なのかは分からない、全てが入り混じっているのかもしれない。


 だが、間違いなく。


 間違いなく、彼女の眼には涙が、涙の粒が零れ落ちた……。


 ドアがそっと閉まり、プリンシアが出て行った。


 彼女の、瞬殺の間合い、ゾーンに迂闊にも入り込んでいた三人。

 骨砕かれた者、誰一人無し。



 「ああぁ~、まったく、臭い臭い!」


 サザブルが、露骨に嫌そうな顔をして、団子鼻の前で手を振り、閉まったドアへ追い打ちの声をぶつける。


 (くそっ! 今日はどうも調子が悪い…………上手く事が運びそうで、何か、おかしくなる! え~いくそ! 仕方ない、……もういいわい、アザガーノ殿の心づもりは分からぬが、わしはもういい! さっさとこんなクソみたいなとこ、もうおさらばだ!)


 「チッ、醜いヤツも居なくなったことだし、いいだろう、もうサインを済ませようか? カピ君! こんな汚い水、お客に出すもんじゃありませんぞ! ったく、飲めやしない、臭くて臭くて……」


 サザブルはテーブル正面に向きを変えながらも、毒づき続けている……。


 その先…………。


 ルシフィスには、止められなかった。

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