第4話 踊る馬、踊る豚


 アザガーノ侯爵の逆巻く威圧にいつもの震えを感じながら、乱れてしまった、寂しい髪の毛を撫でつつ、豚ちゃんの様に太ったサザブル伯爵は思った。


 (今日の署名会談、上手く破談にしてやれば……面白いことになる。アザガーノ殿は、口にこそ出さなかったが、きっとお喜びになるだろう)


 「ブタ!」


 「誰がブタじゃ!!」


 サザブルは鬼の形相で、その言葉を口にした傍に立つお付きの剣士に怒鳴った。


 屈強な護衛の男は青い顔をしてブルブルと首を振る。


 「め、め、めっ滅相もない!! 違います、違います!」


 丸々とした体格の禿げ頭で大貴族の中年男は、冷酷な瞳でにらみつけ、こめかみをひくひくさせながらもクズの次の言葉を待ってやった。


 「こ、ここからは、サザブル様の一人舞台、『ぶた』いですねって、言ったんですよ~」


 情けないが、一流の熟練剣士が少し涙声になってしまう。


 「ふん! そうかっ、言葉はしっかり話せ! 馬鹿者が!!」


 サザブルは、アザガーノの様子にすっかり気を取られ、聞き逃していた自分の落ち度など全くこれっぽちも考えない。


 彼は今回の訪問の人数について思った。


 (まあ、本当なら最低でも2、30人は連れてきたかったが……アザガーノ殿が一人だとなると……そんな真似、絶対に出来んではないか……、仕方なく、お頭の方よりコンビネーションと腕を重視して、泣く泣く二人に絞ったわい……)


 彼は、馬の手綱を無造作に部下に任せると、首を巡らせながらアザガーノの隣まで歩いて行き、口を開く。


 「しかし……まあ、いやはや、カピバラ家も相当落ちぶれたもの……わびしい、ぼろい屋敷だのぉ」


 執事の顔を見つけると吐き捨てるように軽く怒鳴る。


 「おいおい! 執事! はるばるとやって来た我々の出迎えが? まさか? はぁ? ……たった、これだけか!」


 太った貴族は、みすぼらしい服装の男二人……スモレニィとロックと、玄関扉の前で待機している、たった一人しかいない小間使い女、妙なちんちくりんのメイドを蔑む態度で見据えた。


 ルシフィスが頭を垂れながら丁寧に陳謝する。


 「申し訳ございません。料理人がご食事の準備のために外れておりますが、それ以外の者、カピバラ家使用人皆で、お迎えしております」


 サザブルは頭を下げている執事を見下ろしながら、不快な思いで胸がいっぱいになる。


 (この家には、まともな人間はいないのか? 脳ミソの足りなそうな片目の醜い男に、炭鉱でこき使われたのか知らんが、煤けた爺さん。……ガキのメイド。そして、このエルフのルシフィス。…………相変わらず歳が分からん、ったく、気味が悪いヤツよ……)



 アザガーノもサザブルも、先代マックス伯爵のことは良く知っていた。知らざるを得ない強烈な存在感が彼にはあった。

 だからといって、互いに家を行き来するような親友関係などでは当然なく、どちらかと言えば、マックスが何の連絡もなく勝手気ままに、彼らの家へやって来ることがある一方、こちらがカピバラ家の屋敷を訪れるなんて事は稀であった。


 したがって、ただでさえ他所の下人に注意を向ける訳もない彼らである、いったいカピバラ家にどんな雇われがいるのかを、まじまじと見るのは今初めてだった。


 唯一、良くマックスと行動を共にしていた『冒険者』、異形の者、執事のルシフィスだけは例外的に印象に残っていた。


 サザブルの脳裏に、ふと過去の伝聞がよみがえった。


 (おぅ……そうだ、あと…………マックス卿がいなくなって、えらく揉め事を起こした奴、……家来の戦士か何かが、いたと噂に聞いたが……? 見当たらんな…………ふぅむ、首にしたか…………それとも始末したのか……まあ、どうでもよいか)


 今やたった一人のカリスマ、英雄マックス無きカピバラ家。そうなってしまえば、ここに残るのはもう只の搾りカスにすぎない。

 彼はそう思うと、そんな過去からたちまち興味が失せた。



 「ヒヒィ~ン!! ブルブルッ!!」


 突然、先ほどのつむじ風におびえていたのか、後ろでサザブルたちの馬が激しく暴れ出し嘶く。


 「どうどう!」


 自分たちの乗り馬を含め、計三頭の手綱を任されていた護衛の剣士たちが何とか馬を大人しくさせようと奮闘している。


 サザブル親衛隊の剣士の一人が、たまらず叫ぶ。


 「お、おい! そこの執事! 馬屋はどこだ? 馬たちは疲れているぞ! ったく、気が利かん…………どうどう! し、静かに……」


 剣士たちは、馬をいさめるのに、相当てこずっている。


 アザガーノ侯爵は仁王立ちで黙ったまま、隣の彼の巨大な馬も、主人同様に我関せずといった荘重な立ち振る舞い。



 執事が右手を上げ合図しながら言った。


 「スモレニィさん、馬をお願いします。ロックさんも補助の方を」


 サザブル伯爵が、執事の指示に従って自分の馬のもとへ向かうカピバラ家使用人の後ろ越しに喋りかける、軽く手招きするような仕草で。


 「ほほほッ、待て待て執事。よした方がいい……そこらの人間に、私の勇馬があつかえるか? ましてや、そんなぼんくらの木偶の坊ごときが。蹴り殺されても知らんぞ……」


 (クククッ、あほうが……。この暴れ馬は、わし以外に決して懐かぬわ。……慣れた部下でさえ一苦労だというのに、馬鹿めが、こりゃあ到着早々に、面白いものが見られそうだわい)


 彼は、口にしている事とは反対に、制止する素振り一つ無く、悪い笑みを浮かべながら観ている。


 スモレニィが、ガニ股気味のヨタヨタとした歩みで三頭の馬に近づく。


 「あ……お…おらに、まかせろ」


 剣士の一人が、手に余るご主人様の馬の手綱を放るように離し、蹴りを喰らわぬように、サッとその場から逃げる。サザブルの密かに頷く合図を見た、もう一人の剣士も、残りの馬たちをわざと放し、そこから離れた。


 解放され自由を得た暴れ馬が、寄って来るスモレニィを前に、口から泡を飛ばしながら太い首をブルルと振り、四本の逞しい足で地面を踏み鳴らす!

 こうまで気が立ってしまうと、おさまりつかぬ制御不能な巨体、人間の大男など比べるべくもない重量、明らかに側に立つのは自殺行為だ。


 この先の展開が、目に見えて頭に浮かび、サザブルは笑いが漏れるのを止められない。


 (お~お、あの大男、蹴り殺されるな……。あぁあ、くそっ、血しぶきの始末があとで面倒だ。不手際の罰として、執事の奴に隅々まで丁寧に拭かせるかな……クククッ)



 その笑み、スモレニィが止めた。


 変わらぬ歩みで、馬との距離を自然に詰め、ごつく大きな手のひらでポンポンと優しく馬の頬を叩くと……なんと! さっきまでの荒れ狂う高揚が嘘だったかのように、落ち着きを取り戻した。


 「ブルルルッ」


 嬉しそうな鼻息を鳴らし、彼の顔に寄り添うように頬を何度か摺り寄せる。


 サザブル護衛の戦士たちは、心底あっけに取られた。このご主人の愛馬の扱いに関しては、誰もが皆、日頃の苦労がとことん身に染みているだけに、目の前で起きている状況がなおさら信じられない、有り得ないという表情。


 そうしてスモレニィは、何の苦もなく、三頭の手綱を引っ張って厩の方へ歩き出す。

 その顛末を見届けたロックは、アザガーノ侯爵の馬を引いて後をついて行く。その馬体はサザブルの馬よりさらに巨体、一回り以上大きいが、そうとう賢い馬なのか、大人しく指示に従った。


 サザブルには全く面白くない。


 (なんだと!! クソがっ。あの男、スキル持ちか!? いやいやいや、そんな技、聞いたこと無い。…………ならば、ただの偶然か? 畜生の気まぐれか?)


 苦虫を噛み潰したような赤ら顔で、部下の剣士たちに当たる。


 「お前たちが、丁重に馬を扱わぬから! 私の馬が、まるで行儀の良くないじゃじゃ馬の様に思われてしまったではないか! バカ者めがっ」


 「もっ申し訳ありませぬ、サザブル様」


 馬と同様、気まぐれな主人の怒りに、心の底では腹立たしく思いながらも、平謝りする剣士たち。


 「ちっ、まあ良い! 行くぞ。…………どうもどうも、アザガーノ侯殿! まことにすみませぬ、とんだお騒がせをしてしまって」


 どこかに切り替えスイッチでもあるかのように、血の昇った赤い顔が、満面の笑みにクルッっと変わって、脂肪のたっぷりついた手をアザガーノ侯爵に向け広げ弁明する。



 「では皆さま、屋敷の中へどうぞ、主人がお待ちしております」


 執事がそう促し、玄関へ歩み始めると、その後ろをアザガーノを先頭に、サザブルと護衛の二人が続く。


 プリンシアが、既に玄関ドアを開けて、軽くお辞儀をした姿勢で待っている。


 最初の客人、アザガーノ侯爵がエントランスに足を踏み入れた。


 「外套をお預かりします」


 すかさずプリンシアがお伺いする。


 侯爵は、遥か上から無言で彼女を睨むだけ、メイドの言葉を無視して応接室への通路を進む。プリンシアは、コートを受け取ろうと差し出していた手のやり場に困ったのか、少し動揺している。


 「あ、あの……コートを」


 続けて次に入ってきたサザブル伯爵に、お尋ねする。


 伯爵は、メイドの顔をハッキリ見て、目を大きく見開く、穢れたものを見るかのように。


 「なっなんだ! 貴様、ドワーフか? 触るな触るなっ、汚い!」


 (こ、こりゃ驚き。幼女でも使っているのかと思いきや……どっ、ドワーフをメイドにだと?)


 プリンシアは、ひどい侮辱にもめげずに笑顔をつくろい、さらに側の護衛剣士にも、少し小さくなってしまった声で尋ねる。


 「ごめんなさい……コートは、お預かりしなくてもよろしいですか?」


 もちろん、護衛たちも主人同様に冷たい。


 「うせろ! 耳も聞こえんのか? 汚い手で触れられたくないと言ったはず!」


 メイドは、うつむいたまま……消え入りそうな声。


 「……申し訳……ありません」



 ハーフエルフの執事ルシフィスは、先頭のアザガーノ侯爵をカピの待つ応接室内へ丁寧に誘いつつ、後方でのその様子は顔色一つ変えず、一瞥しただけ。


 「なんじゃ、なんじゃあ~、まったく。カピバラ家は、冗談が過ぎるなぁ」


 でっぷりと貯め込んだ脂肪を揺らし、サザブルは、にやけながら大声でお付きの剣士共に同意を求める。


 「本当ですな~サザブル様。まさか、ここは見世物小屋ですか?」


 「いや~違いねぇすなぁ。すると……さながら亜人間の執事が団長という訳ですかい? おいおい、鞭でも隠し持ってるんじゃあねぇだろうなあ」


 ワハハと三人で廊下に響き渡る馬鹿笑いをする。



 執事ルシフィスは無表情のまま。

 客人たちのあからさまな侮蔑の態度に、僅かも反応を見せない。

 プライドは捨て去り、心の中も冷たい氷のまま……なのだろうか、それとも……熱く燃え滾るマグマを、分厚い鋼鉄の扉で封じているだけなのだろうか。


 いつもの饒舌さや、嫌味な言葉のおまけも一切無く……粛々と。


 「女中の失礼を、わたくしからも謝り致します。お気に召されず申し訳ございません」


 深く下げた頭を上げ、碧の大きな眼で、サザブルをしばらく見つめると。


 「そのままで、差し支えございませんでしたら、こちらへ。主人、カピ様がお待ちでございます」


 扉の先は応接間、ついに戦いの幕が開いた。


 舞台へ上る入り口を、美しい手で指し示した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る