第3話 剣無き戦い開幕
その日は朝から珍しく風の強い日だった。
爽やかに起床して朝食を済ませたカピは、2階の自分の部屋で、手紙の束に目を通していた。
先ほど、メイドのプリンシアが持って来てくれたのだ。執事ルシフィスの指示のもと、マイスターのロックが、何かおかしな魔法がかかっていないかをチェック済みで。
(ファンレターに紛れたアンチファンの手紙に、こっそり入れられた剃刀でも探すみたい……そこまでしなくてもいいのに)
カピは少し大げさだなと思った。
彼らが気づいていない事実として、レベルマックスの幸運の加護によって守られた彼を、陥れる魔法を仕込めるほどの『冒険者』は誰一人存在しなかった。
「それにしても、……思ったこともないほど、たくさんの手紙が来たなぁ」
言ってしまうと、大した手紙は一つもなかったのだが、なぜか嬉しくなった。ほとんどは、知らない人物から届いたもの、形式的なお祝い、挨拶の手紙だった。
本日、今から屋敷にやって来る、二人の領主、アザガーノ侯爵とサザブル伯爵の手紙も含まれている。
「やっぱり、貴族社会のみんなって、耳が早いんだ……うん? そうなると、逆にこの二人の返信は、着くのが遅かったってことか……ルシフィスが彼らには先に伝えたんだから……」
手紙の束を順番に、ざっと見て行くと、一つの派手で豪華な封筒が目に留まった。ダークグレーの地に金のペイズリー模様があしらわれていていかにも高級感がある。
差出人を見ると、グリニューン伯爵。
ところで、この手紙の文面、カピには日本語で理解ができるのだが、他のみんなには、この世界の標準語で見えているらしい……。
らしい、といったのは、ハッキリ聞くわけにもいかないから、あまりに変なことを聞いてしまうと怪しく思われ、非常に面倒なことになる。
なぜなら、カピがこの世界の人間でないことは誰にも明かしていない秘密なのだから。
さて、先ほどの手紙、封を開いてみると、中には定型文っぽい挨拶の書かれた便箋と……。
「ん? なんだろう……招待状みたいな……」
カードも入っていた。
面白そうだったが、とりあえず、それは脇に置いて、他の封書へと目を向ける。
(他の手紙も、挨拶か……、特に重要そうなものは、無いか……な…………え~っと、これは? 会社……かな?)
至極シンプルな水色の封筒。
ラブ・アンド・ドリーム商会と差出人欄に書いてある。
「まさか、この世界にも、ダイレクトメールみたいな広告が届くの!? …………まあ、あっても、おかしくはないの……か……、愛と夢の会社か……フフッ、胡散臭い名前……」
少し興味を惹かれ、中身をよく読もうかと思った、その考えを遮るように音がする。
心持ち大きく早くドアがノックされた音。
顔をあげると、執事のルシフィスがいつもの自然な優雅さで入ってきた。
「失礼します、カピ様。ご支度を。……彼ら、予定の時間より早く来るようです。今先ほど、偵察に向かってもらっていたロックさんから、連絡が入りました」
執事の指示のもと、斥候としてロックが街道を見張れる丘まで、馬で様子を見に行っていたのだ。
カピは、手紙の束をざっとまとめると、机の引き出しに投げ込み、急いで着替えを始めた。
「なんだか、……よっぽど、こっちの不手際が見たいようだね……」
主人の服装、カピ自身はいつものシンプルなネイチャーカラー系シャツとズボン、農夫の子供風いでたちで構わなかったのだが、執事はそれを許さない。
今日は、襟と飾りタックの付いた白い長袖シャツにサファイアのカフスボタン、折り目のしっかりした深い紺色のシルクの長ズボン。経費削減の一環として、マックスおじいさんの衣装棚にあったものを、カピの体格に合わせて、ロックに仕立て直してもらったものだ。
ということで、ピカピカの新調したスーツでバシッと決めるとはいかず、多少年季が入ったラフな正装となった。だがカピは、お古といっても、とても良い生地であったし、逆にわびさびが効いてクールな感じだと思った。
最後に、ルシフィスが貸してくれた、リボンネクタイを締めてもらった。
傍による彼から、香水なのかどうかわからないが、とてもいい匂いがした。
ご主人様の晴れの姿を上から下まで眺めた後、執事は言った。
「…………では、わたくしは、表に出て、彼らを出迎えに参りますので。カピ様は、一階の応接間で座ってお待ちになっててください」
カピはメイドのプリンシアがいつも見せるように、顔の前でグイッと親指を上げてニッコリと笑った。
カピバラ家の屋敷は、メイン街道を外れた小高い丘に建っている。
敷地の周りは、境界を気持ち程度に主張する鉄柵と石の柱で囲まれている。
近くの大通りは未舗装の土のままだが、そこから枝分かれした、穏やかに上る屋敷までの通り道は、痛みは目立ち始めているものの、石レンガで舗装されていた。
街道遠く、強い風に煽られ砂塵が巻き起こる。
館の張り出し玄関のひさし前で、執事とメイドのプリンシアが待ち受け、見張りから戻っていたロックは数歩後方へ下がって立つ。
スモレニィは門の開閉役として、玄関へと続くアプローチへの鉄柵の正面扉を開けていた。時折、風が砂を巻き上げると、大男の門番が、片方しかない目をしばたたかせ手でこする。
濛々と土煙を上げ、馬の一団がどんどん近づいて来る。
黒影がはっきりしだす、殿様行列を思わせるような、大群ではない。それどころか、かなり少人数。大貴族の旅団としては意外にも思える。
先頭を切って一人、やや遅れ三人、計四頭の馬が、大きく開け放たれたカピバラ家の正門をスピードを一切落とすことなく、砂土を巻き上げ勢いよく駆け抜けた!
門に立つ下男など石ころほどにもかえりみず。
馬群の迫力に圧倒されながらも、すぐさまスモレニィは門を閉め、急ぎ、後ろをどたどたと追いかけ玄関に向かった。
先頭にて、見るも立派な馬を駆る、黒い外套を身に纏ったガタイの良い男が、そのままの勢いで玄関前まで突っ込んくる。
ドドドドドドッー!!
屋敷の中まで突入する気なのか!? そう思うほんの僅か手前、玄関で出迎えに立つ執事の眼前で、手綱を大きく引き、急ブレーキ。
馬が大きく嘶いて、ルシフィスを蹴散らそうかという激しさで、前足を高々と振る。
彼の顔と巨大な蹄との距離は、数センチと離れていない!
それは、一撃でいとも簡単に頭蓋骨が粉砕される、誰もが震えあがる丸太サイズの凶器。
だが、小柄なハーフエルフの執事は、その事を意にも返さず、両手を後ろに組んだまま前を見据えているだけ。
一瞬、深緑と白銀の眼光が交差する。
巨大な馬体を軽々と制するその男! アザガーノ侯爵は、そんなルシフィスを見て……、ニヤリと不敵に笑った。
彼は、威風堂々とやって来た。
単騎で、お付きの者、誰一人として共わずに。
後の三人も、やや後方で止まり、それぞれ馬から降り出した。
やや、しんどそうに鞍から足を回すのは、中央の太った男、サザブル伯爵。
左右の二人は、選抜された彼専属の親衛隊剣士。
アザガーノが軽やかに巨体を躍動させ、体操種目のあん馬の華麗な演技の様に馬から飛び降りると、ズサッっと両足が地面を掴む。
荒野に立つガンマンを思わせる仁王立ち。
ヘビーレスラーやアメフトのラインズかのような肉体で周りの者すべてを見下ろす。
彼を中心にして不意に風が舞う、蝙蝠の羽に似た空気の圧が波紋のように広がり、砂煙が辺りを覆う。
正面玄関ドアすぐの傍らに、扉を開けるため待機していたプリンシアも、舞い込む砂まじりの風に思わず目を閉じる。
これは! 自然に吹く風のせいだけではない、アザガーノが放つ、武人のオーラが舞ったものだ。
「ようこそ皆様。お待ちしておりました。わたくしが、カピバラ家執事でございます」
ルシフィスが、彼らに深々と頭を下げる。
それに倣って、プリンシアとロック、玄関前に今やって来たスモレニィも、丁寧にお辞儀をした。
「ふむ……。招待、ありがたく参上」
アザガーノが感謝の念など一欠けらも含めず、深く低く、不遜な声でそれに応える。
誰一人として、剣こそ構えているわけではないのだが、決闘でも始めようかというピリピリとした不気味な緊張感。
剣呑な客人たちを招いての、朽ちたつり橋を渡るごとく一筋縄ではいかぬ会談が今、幕を開けた。
一方、それに相対する主人カピは、目と鼻の先の玄関前で、渦巻いている危険な香りプンプンの波動を微塵も感じることなく、応接間の椅子に座って、お気軽に待っていた。
「ふああぁ~、今日はちょっと早起きしたからなぁ……あ~あ、まだ眠い……」
マックス伯爵の肖像画の前で大あくび。
これから起きる、目を覆いたくなるような修羅場を知る由もなく。
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