第2話 分かってますね?


 カピが治めるカピバラ領は、ヤマト王国の南西、王都などがある中央から外れた辺境のいわゆる田舎に位置する。


 ヤマトの国は、大半が人間族で占められ人間の支配する国で、したがって、王族はもちろん周りの大貴族たちも人間ばかり。

 中でも、アザガーノ侯爵とサザブル伯爵、グリニューン伯爵の三人が絶大な力を持つ著名な大貴族であり、カピバラ領と隣接する近い地域を支配下にしていた。


 明日、その貴族の頭首をカピバラ家の屋敷に呼んで、決して失敗できない重要な会談を開くことになっている。



 カピがこの家にやって来て、初めて開いた夕食会から、屋敷の皆がそろって食堂で食事をするのが、近頃はお馴染みになった。

 真っ暗だった家に暖かな光が灯ったような、そんな楽しい食事がカピバラ家にまた蘇ったのだ。彼が主人になってから。


 笑顔でリラックスしたその夕食後、少し空気が真剣なものに変わり、同部屋で明日催される領主会談に向けての最終ミーティングが開かれた。


 食卓を囲む、カピバラ家の使用人たちの面々を前に、聡明で優秀な執事がもう何度目かの説明を始める。


 ハーフエルフの執事ルシフィス。

 少女のように艶やかな肩まである黒髪を、後ろ下の方を軽くリボンで結んでいる。エルフ独特の、尖った耳、切れ長で大きな目、彼の虹彩の色は碧。ロウソクを思わせる滑らかで白い肌が黒い執事服との強いコントラストを見せる。


 ドワーフ族から言わせると、狐の様なその顔、やや幼くも感じる顔からは、あまり似つかわしくない、威厳さえ感じられる心地よい響きの声で。



 この上なく重要な会談、その中身その意義は、あらためてこうだ。


 有力な近隣貴族領主である、アザガーノ侯爵とサザブル伯爵の両名をこの屋敷に招き、カピとの初対面を果たすとともに、彼らに署名をもらう。


 署名する書類というのは、カピ自身を正式なカピバラ家の後継者として、家督相続を王に認めてもらうためのもの。二人の有力者に、彼の身元の保証と推薦後見人としてのサインをしてもらうのである。



 執事ルシフィスは、二つの賭けに出た。

 それは、絶大なカリスマを持っていた前任マックスの力、彼の後ろ盾が無くなってしまった今後も、カピ及びカピバラ家の地位を、変わらずずっと堅牢なものに保つための賭けだった。


 一つ。

 形式上は格上のアザガーノ侯爵と、同格のサザブル伯爵を屋敷へ呼びつけた事。


 本来ならば、こちらから彼らの下へ挨拶へ伺い、へりくだって署名をして下さいと、お願いをするのが筋とも考えられる。


 しかし、長らくマックス伯爵に仕えていたルシフィスからすれば、それはちゃんちゃら可笑しな話であった。

 もしマックスが、いわゆるまともな、地位にそれなりにこだわりある人間なら、彼の行ってきた国への貢献度を考えると、伯爵より上、侯爵の地位は当たり前、国王の右腕、いや、王でさえそうそう口出しできぬほどの位へ、就いていてもおかしくはないのだ。


 仮に、今回の会談がマックス直々の招待であれば、彼らは文句の一つ無く駆け付けるであろう。


 つまり、ルシフィスは今一度、彼らの現在のスタンスを見極めるつもりだった。


 二つ。

 前提として、カピバラ家への国王の信頼は今のところ変わらない。不穏な動きも少々感じるが、執事の得ている感触では現時点ではまだ大丈夫。

 となれば、この書面、カピを跡取りとして正式認定する書類は、あくまで形の上でのもの、言ってしまえば誰の署名でも、最悪無くてもかまわない。


 だが、あえて、一番厄介な人物にサインを頼んだ。

 マックスの影響が薄れつつある今、最もカピバラ家を疎んじ、隙あらば……それ以上のことをしてきそうな領主たちにである。


 「彼ら、自らのその手で、正式にカピ様を認めさせるのだ」


 そう呟く、ルシフィスの碧の両目が、ギラリと危険な光を放った。


 策士策に溺れる、よくそう言われるが……彼のこの賭けが、取り返しのつかない最悪の事態を招くことに、悲しいかな気づくことはなかった。



 後ろ髪を優雅に揺らし一人一人を見ながら、ハーフエルフの執事が口酸っぱく念を押すように言う。


 「いいですか、分かってますね? たとえ、どんな屈辱を、わたくしたちが受けようとも、何一つ心を乱すことなく、やり遂げるのです!」


 くれぐれも粗相のないように、一歩、会談が始まれば、何が何でも、領主たちに署名させ、無事に終了させるのだ。

 もう何十回と、執事は繰り返し同じ内容の注意を口にしていた。


 「彼らに、速やかに書類にサインを押させて、この家から穏便に出て行ってもらう事、それが最重要です! 何を置いてもです、本当に分かってますね?」


 珍しく熱く、熱のこもった執事。その深い深いカピバラ家への思い、気苦労のほどが今一つピンと来ていない、分かっていないご主人カピは、そこまで会談に対して気に掛ける思いはなかった。


 「ねえ、ルシフィス。少し偉い貴族の人と挨拶して、書類にサインしてもらうだけでしょ? 何も借金を頼むわけでもないんだから……」


 「……」


 「形式や格がどうだとか……貧乏人とか、階級の低い人とかを平気で悪く言う、……嫌な鼻持ちならないお金持ちがいるっていうのは、まあ……分かるけど。そんな大そうなことになるのかなぁ……」


 「……カピ様…………。カピ様は、ある意味、幸せな平和な暮らしで、お過ごしなされてきたので分かり難いとは思いますし、その奇麗な御心は尊敬に値しますが、残念ながら……権力者の世界は……少々汚いもので」


 (う~ん、僕も全然、白くない……真黒だけどね……ハハハ……)


 みんなの中で唯一、執事ほどには理解をしている職人のロックが助け舟を出す。


 「招待を撥ねつけるという選択肢も無くは無いのに……お偉いさん方が、嫌々でも来ると言った以上は、それなりの算段があって会談に臨むかもしれんのぉ。署名をする代わりに無理難題を持ち出したり……」


 「じゃあ、例えばだよ? そうなると……もし、サインしてやるから、靴を舐めろなんて、言われちゃったらどうしたらいいの? ちょ、ちょっと……無理だよねぇ」


 ご主人の指摘に無言になる執事。


 真剣な話し合いで、さすがのお喋りなドワーフ、メイドのプリンシアも大人しくして聞いていたが、一言挟んできた。


 「もしも、お坊ちゃんにそんな口をきいたら……あの世行きの切符のほうにサインさせるわ!」


 ルシフィスは口を閉じたまま、やる気満々のメイドを見て首をゆっくり左右に振る。


 リザードマンのリュウゾウマルもギザギザの歯を、扇サイズに切ったオレンジの様に見せて一言。


 「拙者も、若の一言さえ頂ければ、即座に首を切り捨てるでござる……」


 また同じく、コック長の顔を見て、執事は首を振る。

 いくばくかの間が過ぎてやっとルシフィスから声が出る。


 「皆さん! 絶対に絶対に、駄目です! 絶対に、争いごとへ発展しかねない行動は、ほんの僅かな素振りさえも現に慎むように!」


 再び、カピの方に顔を向けると彼は言った。


 「さ……さすがに、カピ様に対して、そのような無礼を仕掛けることはないでしょう……、彼らがとんでもない愚か者『下衆の位、上の中』でもないかぎり……」


 そして、グッとカピに詰め寄り続ける。


 「しかし、わたくしで代われるのならば、喜んで引き受けますし、わたくしへの命令ならば躊躇なく靴を舐めます! カピバラ家に何の害もない事です。ええ、ええ、喜んで!」


 プライド高い執事の、ここまでの発言を聞き、カピは、ホントかなと涼しげな眼差しをジーっと送りつつも、彼にそうまで言わせるほどに、大事な会談なのかと理解し始めてもいた。


 ルシフィスは、メイドのプリンシアを見ると、重ねて重ねて言った。


 「とにもかくにも、決して彼らを怒らせたり、気分を損ねたりさせないようにしてください。要らぬことを喋らず! 基本、黙って、する事だけをする。あなたの行動に、カピバラ家の命運、カピ様の今後がかかっていると思って!」


 執事以外で、メイドの役割として主に客人たちと直接対応せざるを得ない彼女、決して我慢強いとは言い難いドワーフの戦士ストライカーのプリンシアに、強く言い聞かせた。


 「了解了解! え~と、じゃあ、どっちかっていうと……どんな事があっても、指示があるまで殴らない方がいいってことよねぇ? じゃ、ダイアモンドナックルは、外しておくわぁ」


 どこまで分かってくれたのか、キュートなドワーフは相変わらずの屈託のない笑顔だ。


 「あたりまえです!!」


 執事の怒鳴り声が食堂に響く。


 「本当にもう!! 皆さん分かってますよね?」



 ……果たして翌朝、運命の日。


 嵐のような会談が、砂嵐と共に始まろうとしていた。

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