アイムトリッパⅡ 白い獣編
亜牙憲志
第1話 愛馬と嵐の前の静けさと
ヒラヒラの天蓋付きで豪奢な広いベッドという、今までの人生で一度も横たわった記憶のない場所で目覚めた青年は、信じがたい事実を突きつけられた。
周りを見回せば、中世を思わせる風景、大自然。そして……人間ではない、異種族たちに奇妙な生き物。
ここは、ファンタジー異世界。リアルゲームワールドだった。
その、とんでもない運命に巻き込まれた若者の名は「カピ」、崖っぷちの名門「カピバラ」家の新たな主人であり、ヒーローである。
この冗談みたいな名前は、もちろん冗談ではない!
もし、少しでも小馬鹿にしようとでもするならば、忠実なる美しいハーフエルフの執事ルシフィスの振るう細身の剣、レイピアが、その嘆かわしい舌を貫く……かもしれない。
だがそのことに感謝こそすれ、決して文句を言ってはいけない。
キュートな真ん丸お髭のドワーフ、メイド長プリンシアのダイアモンドの拳で顎を粉々に砕かれ、一生まともに喋られなくなるという、最悪の事態は避けられたのだから……。
この異世界でのカピという青年は、つい数日前まで、自分が英雄の血をひく者などとは露知らず、平凡に町で暮らす一介の学生であった。
ある日一通の手紙を受け取り、何も分からないまま、この片田舎の屋敷へとやって来たのだ。
この劇的展開。良く言えば、あなたは実は王子様だったのです! 悪く言えば、……いずれ滅びを待つだけの、老いぼれ家の最期を看取る面倒で厄介な役割を押し付けられたのだ!
理解できるように短く説明することは、非常に難しいが……この過去の自分の事をカピは、この世界で目覚めてから『キャラクター設定』として初めて知った。
青年がこちらの世界から見て異世界の人間で、実は『ゲームプレイヤー』なのだということは誰にも話すことは決して無い秘密である。
いずれにしても、この世界がゲーム世界であろうが現実世界であろうが、重要なことはただ一つ、簡単にリセットは出来ない、死んで蘇ることは無いのだから。
彼は、まごうことなきリアルの中、これからも生きていくのだ。
真実の名前を忘れてしまった青年は真正面から受け入れた。
新たな世界を生きることを、偉大なる英雄マックス伯爵の跡を継ぎ、最強のヒーローとしてカピバラ家を率い、旅立つことを!
……あ、ちょっと待って、少し訂正。
彼は知ってしまったのだった、自分の正確な能力、ステータスを。
しかるに「最強の」という枕詞は……つけ辛い。
なぜなら、確かにレベルは最高だったが……能力値がすべて最低だったから。
ラック、運の良さを除いて。
言い直そう。
現実を受け止めたカピはいざ、仲間たちと冒険の旅に出る。
愛すべきへっぽこヒーロー、もしくは、強運に守られたラッキーヒーローとして!
ここに、第二部の幕が上がる。
少々古びてガタは来ているが立派な豪邸である新住居にやって来た初日早々、さっそく波乱万丈で今まで経験したことのない数々の出来事を迎えた青年カピだった。
だが、その日を命からがら無事クリアした後は、打って変わって対照的に非常に穏やかな数日が過ぎていった。
そして、いよいよ! カピバラ家の命運がかかった最重要課題の、何としてでも無事にやり遂げねばならない試練が明日に迫っていた。
そう、使用人筆頭の執事ルシフィスが、カピの新領主としての歓迎晩餐会にて言いそびれてしまっていた、あの件である。
最重要イベント、それは……。
…………の前に、平穏無事に過ぎし三日、カピはどう過ごしていたのか、その日常をどうぞ……。
カピバラ家、その家柄は間違いなく名門の貴族なのだが……そのネーミングからどれほど嘘っぽい印象を受けようとも……、周りの大貴族と比べると、全くお金持ちとは言えない。
さらに言えば、現状、カピがやって来たその日に……1クルワも現金が無いという、とっても寂しい懐具合に我が家の金庫は陥っていた。
今のカピが唯一、ひらめいて使えるようになった魔法『開けマニュアル』を唱え、彼にしか見えない薄い取扱説明書のホログラムを空中に浮かび上がらせると、その中の見開きページに描かれたラフな見取り図を片手に屋敷の中を見回った。
他の領主たちの持つ居住、城や宮殿のような大豪邸よりは遥かに小さいが、カピの庶民的感覚からすればそうとう広い屋敷に思える。
骨董品に全く興味がなかった彼の目から見ても、十分歴史の感じられる、部屋の家具調度品などをじっくり吟味しながら金策を練った。
(まず最初に、手っ取り早いのが……不必要な物の処分かな……ルシフィスは嫌がるだろうけど、金目の物を売るしかないか)
少々プライド高く、口が滑らかで、非常に優秀なカピバラ家に最も古くから使えている「若い」使用人、ハーフエルフの執事ルシフィスの端整な顔が眉をひそめるところを思い浮かべつつ主人は考えた。
「時間があまりない。とにかくまとまったお金が必要だ……どうするか……」
カピは片手を頭にやると、短く切りそろえた髪の毛を前後に撫でて、手のひらに伝わる気持ちの良い感触を味わう。
極悪モンスターに奇抜なヘアスタイルにされた後しばらくは、妙なカピバラ家マーク入りの帽子を被って隠し、ごまかしていたのだが、さすがにいつまでもそうする訳にはいかない。
そこで、メイド長のプリンシアと、コック長のリュウゾウマルに庭で散髪してもらったのだ。
ちなみに、二人とも「長」という役職だが、貧乏なカピバラ家であるからして……メイドはプリンシア一人、料理人もリュウゾウマル一人である。
「あっ、そうだ! あるじゃん! あれだ!」
屋敷での出来事を思い返していたカピは、良いことを思いついた。
「よしよし、当面はこれで何とかなるんじゃない?」
さっそくルシフィス達に、この作戦を命じた。
またしてもご主人様の、自分たちには到底思いつきもできない奇想天外なアイデアに、愛すべき部下たちが深く深く感服したのは言うまでもなかった。
現在のカピバラ家には、人間の使用人が二人いる。
一人は一流の職人で初老の親父さんロック、彼は冒険者のクラフトマン系上級クラス:マイスターだ。
カピは、裏庭に建っている彼の作業小屋で、節くれた太い指から繊細に生み出される、数々の作品の制作作業を興味深く見せてもらった。
もう一人は大男スモレニィ、2メートル近い巨漢で、片目が潰れて無い。
彼は主に家畜の面倒を見ている。
知能に障害がある愚鈍なスモレニィだが、彼といっしょに動物の世話をして回って、カピには、はっきり分かった。優しい大男がとても彼らに愛されていることが。
カピバラ家には一騎当千の桁外れの達人が二人いる。
一人は「美しいドワーフ」のメイド長プリンシア、彼女は戦士系冒険者のストライカーだ。
もう一人は、リザードマンのリュウゾウマル、料理人であり二刀流の使い手、冒険者クラス:サムライである。
カピは広い中庭で、彼女たちに修行……というには程遠いが、手ほどきを受けた。格闘技の初歩の初歩、受け身や体のさばき方、剣の扱い方などを教えてもらったりした。
まあ、はっきり言うと、これでカピが特に強くなったとは言い難く、楽しく笑い遊んですごしていたのが実情。二人のハイレベルで華麗な技、スキルに見とれていた時間の方が長かった。
超一流の師匠二人、この新しいヒョロヒョロの生徒を教えて感じた共通の思い。
ご主人様は、全くのド素人、格闘センスがあるわけでも、運動神経がずば抜けて良いわけでも、まして剛力や強靭な体を持っているわけでもない……弱い人間の子供だ。
ただ…………なんだろう、この言葉にできない感じ、手取り足取りして体を寄せながら丁寧に指南する際、その触感、カピから受ける妙な感覚。
(あれ~、あたし……お坊ちゃまに…………勝てるのかな)
(うむ……何でござろう、拙者の太刀が……若様に……通用する気がしないのは)
(……)
(……)
(ああ! そうよね、お坊ちゃまは、あのヒーロー! そうよ、尊敬しかない、大好きなお坊ちゃまに、あたしが決して攻撃できるはずもないもの)
(そうでござる! 若様はたいそうお体が弱いと聞き申した。たしかHPが一桁だそうだ……そんな純粋無垢な赤子のように可愛い若に、剣を向ける事など天地が引っくり返っても出来ないでござるな)
二人はお互いに顔を見合わせ、この変な感覚を話そうかとも思ったが、上手く言葉で伝えることはできそうもないし、ちょっと愉快で不思議な気持ちは、やっぱり自分の胸だけに収めておこうと思った。
武道の達人である二人が感じた直感は、まぎれもなく真実だった。
真っ当なデュエルでは、彼らの全力をもってしてもカピに勝つことは決して不可能だったのだから。
昨日、カピは一度、カピバラ領内にある唯一の村、通称カピバラ村へ赴くことにした。
我が家が所有する白馬に乗って、執事と一緒に出かけた。
この時、まだカピは正式に王から領主だと認められていたわけではないが、実質的には彼がすでに支配者なのであり、ルシフィスとしても、村民に早めに知らしめに行くことは悪くはないと賛同した。
村人たちは、彼を温かく迎えてくれ、村長も出来ることは何でも協力すると言ってくれた。
むろん、カピが先代の領主マックス伯爵の優しい方針、村を治めるやり方を、これからも変えることなく継承すると確約した結果であろうと思われる。
のんきな、世間知らずの青年が代わりにやって来た事で、よりいっそう与しやすしと安心し、陰ではほくそ笑んだかもしれない。
この世界では、移動方法として、ちょっとした遠出や旅には基本的に馬を使う。
『テレポート』という、魔法移動の手段も存在するが一般的ではない。
理由として、『冒険者ユニオン』と呼ばれるこの世界の要とも言える組織が、管理下に置くほどの超最上級魔法であるがため、優秀な魔法使いであっても、使える者が極端に少ない。
この事は、市場原理で言えば価格競争が働かず、結果として、とても高価だということにもなる。
あともう一つ、コントロールが厄介で難しく、どうしても、コース、移動の自由度が限られることになる。なので、ある町のユニオン施設から、他の町の施設へとポイントを繋いだ既定ルートでの移動が主になる。
現実世界で例えるならば、馬が車移動、魔法が自家用ジェットという感じだろうか。
カピには、今まで乗馬の経験もなく、馬という生き物を間近で見るのも初体験だった。果たして上手く乗れるのだろうかと、最初はかなり心配したが、いざ試してみると意外に簡単に乗りこなせるようになった。
練習にかかった時間は、彼が幼い頃に、補助輪無しの自転車に乗るため悪戦苦闘した時間と大差なかった。
上手くいった要因としては、馬番の使用人スモレニィが、誠心誠意に馬たちの世話をしているうえ、カピの乗る白馬ホワイティ、人間で言うとおばあちゃんぐらいの彼女が、とっても賢く大人しい馬だからだろう。
もしかしたら、この異世界の特殊状況が影響している可能性もある。
現在のカピバラ家には二頭の馬がいて、基本、これからカピの愛馬となるのが、このホワイティ。
執事ルシフィスの相棒が、漆黒の馬クロベエ。気性は少々荒いが、優秀な親の才能を継いで、脚力は並ではない。最高速に達すると脚が八本に見えるという逸話を持つ名馬である。
カピはホワイティにまたがり、執事はクロベエで、村から屋敷への帰路を快適なテンポで特に急ぐこともなく走っていた。
カピは、その優しい白馬の背を見ながら……ふと、思い出した。
中庭の林の陰に見た、あの白くてちっちゃい可愛いモンスターのことを。
(ぬいぐるみみたいに丸っこくて……、思えば、ますます気になる、……あの、こっちを見つめて来た瞳……。……今度、スモレニィに知っているか聞いてみよう……)
ご主人の後を行く、ルシフィスも思い出していた。
カピと馬での散策を、マックスとのそれと重ね懐かしく。
(ええ、もちろん……カピ様の騎乗するのは、マックス様の愛馬ブチコマではないけれど…………)
見つめる背中は、勇者の騎乗とは程遠いシルエットだったが、カピバラ家執事ルシフィスは、心に熱く熱く湧き上がる喜びを感じていた。
……しばしの平穏な日常は、こうして過ぎて行ったのだった。
再び。
そしていよいよ、最も大切なイベント、カピバラ家の運命を左右しかねない重大事項、それについての作戦会議が、この日の夕食後に、使用人一同5人を集め行われた。
その重要イベントとは、領主会談。
明日、我が館に有力貴族の頭首を招き、カピがカピバラ家の新たなトップとして直接対面するのだ。
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