第十二話/中 〈花の都〉


 薄暗い劇場。

 天窓から舞台へ陽光が降り注ぐと、その下にはひとりの道化師がいた。黒いフリルに紫のストライプとリボンの衣装を身にまとい、ミニハットを被った頭をうやうやしく下げた少年の道化師。「ジャック」と書かれていたあの少年だ。

 光が十分になると少年が歌いだす。

 あどけなくも澄み渡るソプラノで、おとな顔負けの歌唱力。そして、短い前口上のような歌なのに、どこかもの淋しさを感じさせる声だった。

 少年自身はヒューマンだが、処女宮しょじょきゅうでは定番の妖精の言葉で紡がれた詩。意味は、

「『ビルゴ・クワイ・ミ・ファシーナト』へようこそ。乙女たちの踊りをご堪能ください」

 少年と入れ替わりに現れたのは踊り子の乙女たち。

 先の少年と打って変わって薄い色の衣装を纏ったライトエルフの乙女たちは、光の下では一層輝いて見える。

 演奏に合わせ、舞台上を縦横無尽に跳ね踊るその様は、まさしく妖精のそのに迷い込んだと錯覚させた。

 曲調が変わった。幻想的で、楽し気な音楽から、激しく力強い曲へ。

 花の妖精が散り、火の妖精が現れた。

 逆立つ赤毛――街で出会ったエルフの女性、イグノーシスだ。

 燃え盛る火とともに踊る、火の演舞。

 火の精霊が乙女の姿をしていたのなら、きっとこのような姿であろう。

 彼女の舞が終わるとともに舞台が暗転。再び光が注いだ舞台には誰もいない。

 と、花が降り落ちてきた。

 そこにひとりの女性がやってきた。ユミエラだ。

 彼女は町娘風の衣装で、空から降ってくる花を見上げると、ハミングしながら踊りだした。

 すると、散っていた花の妖精たちが再び集まりだして、彼女と一緒に踊り出した。

 ユミエラが腕を広げるとステージいっぱいに広がる白い翼が見えるような雄大さで、あれほど輝いていた妖精たちが今は彼女を引き立たせるものになっている。

 妖精たちが彼女を覆い隠すと、次に現れたとき、町娘は花のドレスを纏った乙女に変わっていた。

 乙女たちの舞が最高潮に至ったところで舞台は終演。

 演者たちには割れんばかりの拍手と歓声が贈られた。


「フラウア、今日の踊りよかったんじゃない」

「え、本当! イグノーシスさんに褒められるの嬉しいな~」

 公演後の舞台裏。花の妖精のひとり、淡いブロンドをツインテールにしている少女――フラウア=ピョッジャが先輩踊り子のイグノーシスに褒められ、両手を頬に喜んでいる――

「公演回数の一番多い演目なんだから、慣れてるだけじゃない?」

 と、頭上からいじわるい少年の声が降りかかった。

 積み上げた木箱の上に黒に紫の衣装の少年が座っていた。

 少年は続けて、

「大体、あの演目はライトエルフが笑顔で踊ってるだけで様になるんだから、転ばなかったくらいで調子に乗らないほうがいいよ」

「もうっ。ジェイドはまたいじわる言ってぇ。わたし生まれてから二回くらいしか転んだことないんだから」

 その会話は入口の近くまで来ていたイッサの耳にも届いていた。

 アチキとステラのあとに続いて入っていくと、木箱の上に座っている少年と目が合った。

「誰? ここ部外者立ち入り禁止なんだけど」

「ああいいのよ。この子たちユミエラの客だから」

 睨みを利かせる少年をイグノーシスがとりなしてくれた。

「街で会ったお姉さんだよね? お邪魔します」

「イグノーシスよ。ユミエラともうひとりの子はどうしたの?」

「向こうで話してる。あたしたちは先に舞台裏見学してていいって、そのユミエラさんが」

 イグノーシスは嘆息を吐いた。「まったく、案内くらいしなさいよね。――悪いわね。代わりにわたしが案内するわ」

「イグノーシスさん、わたしにも紹介してっ」

 明るく腕に抱きついてきた後輩を、イグノーシスはアチキたちに紹介する。

「この子はうちの踊り子のフラウア=ピョッジャ。――で、この子たちは“あの”、〈幸運の乙女〉の連れの子たち」

「えーっ! あの、刺繍ししゅうの?」

「ん? ひょっとして、花の刺繍が「幸運を運ぶ」ものとして徒気ときになってるのって……」

「ああ、ユミエラの話が広まってね。あの子、あれでも町一番の徒気踊り子だから」

「確かに。踊ってるとききれいだったもんなぁ」

 イグノーシスは少し誇らしげに笑むと、

「で、さっきからふてぶてしい顔してるのがジェイド・ビオレッタ。もうひとりのうちの看板」

「ただ見下ろしてるだけだよ。この愛らしい顔のどこがふてぶてしいって?」

「御覧の通り、性格はあれだけど歌は一級品よ」

「あれ? 確か広告には“ジャック”って書いてなかった?」

「ジャックは芸名。ジェイドが本名だよ。そんなこともわからないの?」

(なるほど、一言多いタイプなわけね)

 アチキはわなわなと拳を震わせる。

「あの、君、宿屋の傍で歌ってなかった?」

「歌ってたよ。お兄さん、出入り口の近くに立ってた徒でしょう。黒い髪は珍しいから憶えてるよ」

「はは、ありがとう」

「ただ、憶えてたならもう少し早く切り出してもよかったんじゃない? ここに入ってきてからずっと僕の顔見てたよね?」

「あ、ごめん。言うタイミングが掴めなくて。それに名前とか服の雰囲気とか違ってたから、ひょっとしたら別の徒かもって思っちゃって……」

「ふーん。まあ別にいいけど。で? なにか言うことないの?」

「あっと、あの歌、俺に向けて歌ってくれてたんだよね? ありがとう。今までに聴いた歌で一番きれいだった。あっ、もちろん舞台のも!」

 イッサの感想に満足したのか、ジェイドはにっと笑ってみせた。

 そこに、

「お待たせー。もう挨拶済ませちゃった?」

 ユミエラとハドにイズイドがやって来た。

 すると、

「わああああっ!?」

 先程までの澄ました態度からは想像できないような叫び声をジェイドが上げた。危うく木箱から落ちるところだった。

「どうしたのジェイド。そんなに驚いて」イグノーシスが尋ねた。

「そ、そいつなに……」

「ああ、イズイドのことじゃない?」とアチキ。「ハド――この子の連れだから、急に飛びかかったりしないわよ」

「そっちじゃない。もうひとりの……」

 アチキは一度ハドを振り返った。「ハドのこと?」

 アチキ以外の者も戸惑っていた。自分たちにはなんの可笑しなところも見て取れないからだ。しかしジェイドの様子は、まるで、得体の知れない恐ろしい者を前にしているようだ。

 恐怖に見開かれた紫の目に光る、そのネクロムだけが持つ翡翠ひすい色の輪で、いったいなにをとらえているというのだろう。

 当のハドはなにか言うでもなく、じっとジェイドの目を見返していた。

(精霊が身体を取り巻いてる……)

「……こんなやつ見たことな……――近づかないでよね」

 ジェイドは木箱の上でなるべくハドから距離を取ろうと身を引いた。

「ハドが初対面で嫌がられるって珍しいわね。幽霊でも纏わりついてるんじゃないの?」

 アチキは冗談で言っているが、もしかしてそうかも、と、ちょっぴり怯えている様子だ。

 ハドは至って平常心で、

「おそらく違う理由だと思いますが」

「ちょっとジェイド! あたしの〈幸運の乙女〉に失礼な態度とらないでちょうだい!」

「でもユミエラさん。ジェイドがこんなに怯えるのも珍しいよ?」言ったのはフラウアだ。こちらも少し怖がっている様子である。

 するとジェイドが、

「怯えてなんかないから。ただそこら辺を漂ってるものがその徒に集まってるってだけだから、見えない徒は気にしなくていいんじゃない。僕は近づきたくないけどね」

 言いながら木箱から降り、少し離れたところに座りなおした。話は聞こえる距離だ。

「それならよかった。――ごめんね。わたしもちょっと怖がっちゃった」

「いえ」

(今のって、フラウア=ピョッジャさんのこと安心させようとして言ったような……?)ふと、イッサはそのように思った。

「彼女からは清浄な空気を感じるし、わたしも大丈夫だと思うわ」と、イグノーシスが追加でフラウアにフォローを入れた。「そういえば、あなたたちのことはまだ聞いてなかったわね。ユミエラの出身地で会ってるってことは、大陸から来たのよね? ここへは観光で?」

「今日は休みみたいなもんだけど、一応仕事で」

「へぇ。じゃあ、あなたたちも仕事仲間なのね?」

「ステラはアチキお嬢さまのメイドです!」今まで台詞のなかったステラが元気よく挙手して表明した。

「お嬢さま?」

「ややこしくなるからステラあんたは黙ってて」

「メイドさん以外はなんの仕事を?」

「【レオ】の守護者」

「【レオ】? って、確か活動休止してたんじゃ?」

「それが最近活動再開したんですって! うちの創立者が所属してたところに今はあたしの乙女が所属してるなんて、運命的じゃない!?」

「あんたのではないでしょう。……あ。そういえば二、三週間前の新聞に載ってたのを思い出したわ。確か〈無敗の女王〉って呼ばれてる有名な徒が入ったって」

「あっ、わたし知ってる! 歳の近い女の子なのにすごいなって思ってた!」興奮気味に言ったのはフラウアだ。

「ハドのこと、処女宮まで届いてるわよ」

「え、〈幸運の乙女〉さんが〈無敗の女王〉さんなの!? すごい、すごい!」

「それでハドちゃんたちはこれからメシエ中を回るのよね?」

「予定としてはそうですね」

「それで相談なんだけど、あの子――ジェイドも一緒に連れて行ってもらえない?」

「…………は?」

 そのジェイドの声は怒気をはらんでいた。

 ユミエラは続ける。

「メシエって大きな星だけど移動手段は時間の掛かるものばかりで、旅行って言っても近くの宮までが精一杯じゃない? 劇場に来てもらえる徒にも限りがあるけど、その点、メシエ中を巡る【レオ】なら真裏の双魚そうぎょ宮にだって届けられるでしょう? ジェイドの歌をもっと多くの徒に聴いてもらえたらって前々から思ってたの。このタイミングで【レオ】団員になったハドちゃんと再会できたのも偶然じゃないと思うし、世界に触れるのはジェイドのためにもなると思――」

「いや、なに勝手言ってんの?」ユミエラの言葉をさえぎりジェイドは立ち上がった。「僕ここの看板だよ? いなくなったら困るでしょ」

「確かにあなたが抜ける穴は大きいけど、あたしたちだけでやっていけないことはないわ」

「……ユミエラさんが言ってるだけでしょ? イグノーシスさんとか……フラウアはどうなわけ?」

 ジェイドはふたりに目を向けた。ふたりとも驚いた様子はなく、まるで前からこういう話が出ることを知っていたような表情をしていた。イグノーシスはともかく、フラウアもそうだということはおそらく他の団員たちも同じだろう。

 イグノーシスは眉をひそめ、

「わたしもいい機会だと思うよ」

 そしてフラウアも、

「行っておいでよジェイド! 世界を回れるなんてそうそうできないよ!」

「――っ、追い出したいならそう言えよ!! いつ声変わりするかわからないボーイソプラノを体よくお払い箱にしたいんだろ!?」

「っ、そんなことないわ! あなたの歌の魅力はソプラノだけじゃないって――」

「そんなのっ!!」

 ジェイドの叫びが部屋中に響いた。

「……っ……信じられないっ」

 ジェイドは部屋を飛び出した。直前に呟かれたその言葉は、歯噛みして、涙を堪えているようだった。

「ジェイド!」

「俺追いかけます……!」

 ユミエラの呼びかけにも止まらなかったジェイドを追ってイッサが駆け出した。そして何故かイズイドもあとを追った。

 追いかけたふたりの背も見えなくなると、ユミエラが嘆息を吐いた。

「……ジェイドが声変わりのことあんなに気にしてたなんて……」

「もう少し慎重になるべきだったわね」

「あのさ、あの子は“お払い箱”なんて言ってたけど、実際のところはどうなの……?」

 アチキの問いに、ユミエラとイグノーシスは微苦笑を向けた――

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