第十一話/§4 前準備-襲来フィアンセ-
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二日の準備期間が終わり、セントラルを発つ日がやって来た。
今日から【レオ】――といってもクラウドしかいないのだが――と合流する三
トランクを手に自室を出たイッサは、扉を閉める前に部屋を眺めた。
それほど多くもなかった私物だが、それがなくなっただけで部屋が物寂しく感じられる。
少し感傷的な気持ちと、同時に温かな気持ちで、イッサはふっと口元に笑みを浮かべると扉を閉めた。
と、
「うぇ~、前が見えないですお嬢さま~。半分持ってください~」
上階の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。寮は吹き抜けになっているため、部屋の外に出ると上下階の声もよく聞こえるのだ。
「メイドが主人に荷物持ってもらおうとするんじゃないわよ。それに、まだ兄貴に成績ばらしたこと許してないんだからね」
「うぇ~!? まだ許してくれてないんですか? お仕置き受けたじゃないですか~。逆エビ固めに
「あれしきのことで許されようなんて片腹痛いわ」
「お嬢さま心狭いです……」
「聞こえてるわよこんちくしょう。だいたいあんたねぇ、一応“あたしの”メイドなんだから、その兄の方を優先するってどうなのよ?」
「うぅ……だって、ソナタさまとお話したいんですよ~~っ。お嬢さまのことじゃないとお話してもらえないし、そうすると成績も訊かれるじゃないですか。いつまでも口笛ピューピューじゃ誤魔化せなかったんです~~っ」
「はいはい、あんたが昔からお兄ちゃんに惚れてるのは知ってるわよ。まあそれとこれとは話が別だけど、それひとりで運びきったら今回は許してあげるわ。ていうか、あの堅物鉄仮面のどこがいいの? まったく理解できない」
「お嬢さまは正統派王子様がタイプですもんねー」
「
そうこう話しながら歩いているうちにイッサと合流した。
「アチキ、ステラさんおはよう。大声出してると怒られるよ」
「おはっすイッサ。荷物少ないわね?」
「そういうアチキのとこは運ぶの大変そうだね。――半分持ちますよ」
「わー、ありがとうございます」
イッサがステラの顔が見えないほど積まれた荷物に手を伸ばそうとすると、
「ダメよ! ひとりで運ぶ約束なんだから」
と、アチキが止めた。
「でも前が見えないと危ないよ。持ってるのがステラさんだし……」
「イッサさん、どういう意味ですか!?」
「大丈夫よ、
「えっ!? そんな理由だったんですか!? 可愛いからじゃなくて!?」
「それに転びそうになったらさすがに助けるし」
「うーん。転びそうになる前に対策した方がいいと思うんだよなぁ」
「イッサは心配性ねー。大丈夫大丈夫。もう階段も玄関のところだけだ――」
「うおあ!?」
「――し……」
そのとき、アチキの背後でバランスを崩したステラが盛大にすっ転んだ。
積んでいた荷物は一直線上に崩れ落ち、おとなの女性とは思えぬ格好で地面に転がっているステラという状況を理解したアチキは一言。
「ごめん。大丈夫じゃなかった」
ステラを助け起こし――幸い大した怪我はなかった――、転がった荷物を拾い集めていると、
「おはようございます」
遅れてハドがやって来た。意外にも荷物はイッサよりも少なめ――というより普段と変わらずほぼ手ぶらだ。
「おはよう。ハドが最後に来るなんて珍しいわね」
そのとき、
「イズイドがなかなか起きてくれなかったもので」
ハドの後ろからぬらっと現れたものにイッサは
艶やかな黒い毛並みの四足獣。
黒豹のイズイドだ。不透明のルビーのような、美しくも鋭い眼をイッサに向けている。
イズイドはハドが子どもの頃、北の森で保護したあの黒豹だ。あれからハドの元を離れることなくずっと一緒にいる。といっても基本的には自由にしていて片時も離れないというわけではないのだが、二名以上で参加される夏の武闘大会エスターテではハドのパートナーとして活躍していた。もちろんこちらの大会でもハドは無敗だ。
そのことはイッサも知っていたのだが、イズイドはあくまで大型の肉食獣。さすがに目の前で睨みを利かせられては恐怖心が湧くというものだ。
「ハドさん、あの……イズイド、俺のこと睨んでない……?」
「すみません。警戒心が強くて。いきなり襲いかかったりはしないので安心してください」
「そ、そう……?」
「イッサ、ハドにちょっかい掛ける悪い虫だと思われてるんじゃないの~?」イシシとでも言いそうな調子でアチキは
「ぐぅぅ」と、イッサを睨みつけたままイズイドが唸る。
(はははー、虫になる度胸もありません)
「ところで、そちらの方が例の……?」
「そうそう。あたしのメイドのステラ」
「はっ! はじめまして! お嬢さまのお世話を申し付かっている、ステラ・スターラインと申します! ハド・ペルセポネさんにはお嬢さまが大変お世話になっているというのに、ご挨拶もせず申し訳ありませんでした!」
「いえ」
「就職先へも同行させていただくことになりましたので、何卒よろしくお願いいたします!」
話しているあいだ、ステラが何度も何度も頭を下げるので、頭に生えた滴型の触角がブルンブルン揺れていた。そしてそれをイズイドが獲物を見る目で追っていたのでイッサははらはらしていた。
「こちらこそよろしくお願いします。……そういえば、寮にお手伝いさんが同伴するのは問題なかったんですか?」
「基本はダメらしいわ。あたしもいらないって言ったんだけど、実家の方がひとりは同伴させるって聞かなくてさ。在学中は寮母手伝いってことで許可が出たのよ」
「寮母のペクトゥルワームさんにはめちゃめちゃしごかれました……。厳しいしすぐ怒るんですよペクトゥルワームさん。正直あのしごきから解放されると思うとほっとします」
「ペクトゥルワームさん、見送りに来てくれていますが……」
少し前から玄関口に噂のペクトゥルワームさんが
それにハドに言われてやっと気づいたステラは、
「ぎゃっ!?」
笑顔のペクトゥルワームさんに見送られ出立した一行は、東門へ向かった。
東門では二頭引きの
「ねぇマスター。これから
処女宮および天秤宮は、セントラルの西の大陸――デネボラ大陸の更に西にある。わざわざ東のラサラス大陸から行くのは遠回りではないかとアチキは言っているのだ。
「移動時間を考えるとノースの港やデネボラを横断するより、ラサラスの船着場から行くのが一番早いんだ。ドルイドの案内があるからな」
「ドルイドってまさかまた……」
「違うのを寄越すよう言ってある」
「なら安心ね。ところで荷物って後ろに積み込むのでいいの?」
「なんだおまえその量は。自分らの乗る場所がなくなるだろうが、減らせ」
「えー無理よ。全部いる物だもの」
アチキは荷物を守るように覆いかぶさった。
「必要最低限が望ましいことには変わらんが、なにも捨てろとは言っとらん。郵便で送れ」
「送るって何処に?」
「自分宛にだ」
「自分宛に送ったらすぐ返ってきちゃうでしょ? メシエの郵便ってル
「すぐ届くことが多いというだけだ。正確には「届くべき時」に届くようになっている。いつ届いてもいい物は即配送。届かない方がいい物は一生届くこともない。つまり自分宛に荷を送ると、それが必要になったときに届くんだ」
「なにそれめっちゃ便利じゃん!」
「裏技みたいなもんだから話して回ったりするなよ」
(なんでマスターそんな仕組み知ってるんだろう……)
ふたりの話を聞いていたイッサは、生まれも育ちもメシエの自分でも初耳の情報を知っていたクラウドを不思議に思った。謎の多い徒だ。
「あ! もしかしてハドもこれで荷物送ってあるの?」
「はい。普段から使用頻度の低い武器なども送ってあります。持ち運ばなくても場面に応じて適切なものが届くのでありがたいですよ。
「へーいいね。あたしもなんか送っとこうかな」
「なんでもかんでも送るなよ。切手の無駄だ。――ところでおまえたち三徒」クラウドはアチキ、イッサ、ステラを示した。「おまえたちの中で馬車の操縦ができる者は?」
全員否と答えた。
「期待していなかった通りだな」
「ちょっとは期待しようよ」
「これから馬車を操縦する機会は少なくない。今回は俺とペルセポネが交代でするが、おまえたちにもできるようになってもらうからな。横で習えよ」
その後、クラウドに貰った切手で荷物を送って、いよいよ乗車開始だ。一番手で
「お。引くの白馬なんだ」
荷台に乗り込もうとしたところでアチキが言った。
その後ろからハドが、
「白馬、好きなんですか?」
「好きっていうか、ほら云うじゃない? 「白馬の王子」って」
「白馬の……? 「黒馬の騎士」なら聞いたことがありますが」
そのときである。
「へー白じゃないんだ。でも「乙女の憧れ」ってのは一緒なんだよね?」
カカカカッ カカカカッ
「アチキも憧れなんですか?」
地を駆ける
「やっ、あたしは別に――」
ヒィ――――――ッ
アチキが否定しようとしたそのとき、高らかな
黒馬に跨り、漆黒の髪を
「迎えに来たぞ、ペルセポネ!」
「ハデス……なにしに来たんですか」
「言ったろう、迎えに来たんだ。オールメーラを卒業したら結婚するという約束だったろう」
「そのような約束、した覚えはありませんが」
「いいや。セントラルに帰って来たとき、結婚を申し込んだ俺にオールメーラを卒業するまで待ってくれと言ったのは確かにその口だった」
「待ってほしいとは言いましたが、卒業したら結婚するとは言っていません」
「あ、あーー、あのさ、ハド。その徒誰?」
「ノース地区に住んでいる同族のフィガー・ハデスです。……自分の……」
「婚約者だ」ハドの両肩に手を置き、ハデスが引き継いだ。
(婚…………っ!!?)
イッサは雷に打たれたような衝撃に合い、固まった。
ハドはハデスの手を払い、「せめて
「なにを言う。その気がないのに迎えに来るやつがいるか?」
「贈り物の一つも寄越したことがないでしょう、あなた。その気があるというなら、贈り物の一つでもしてからにしたらどうですか」
「それは俺からの贈り物を待っているということか?」
「どうしてそう――……違うとわかっていて言っていますよね。いい加減、おまえのことは好きではないと認めたらどうですか?」
「そう言ったら俺と一緒に来ると約束するなら、偽りの心をもって言ってもいいが?」
「あーーストップ、ストップ」アチキがふたりの間に割って入った。「将来結婚するどうこうは置いといて、ハドも行かないって言ってるんだから、とりあえず今日は帰ってくれない? もう出発するところだし」
「おまえ……」
ハデスはアチキを凝視し、そして、
「なんだその頭は!」両手でアチキの頭を挟み込んだ。
「ぬわっ!?」
「その触角、帽子を被るのを拒絶しているとしか思えん!」
ハデスはアチキの頭を掴んだままぐわんぐわん揺すった。
「ぎゃーー!」とアチキが悲鳴を上げる後ろで、ステラは自分の触角をさっと隠した。
「ちょっとなんなのよ!?」アチキはなんとかハデスの手を振り払った。
「知り合いがすみません。ハデスは帽子
「知り合いとは酷いな。ペルセポネ。君もいい加減、素直に結婚を認めたらどうだ?」
「自分はいつでも関係を解消してもらって構わないと言っているでしょう。許婚というのもあなたが言い張っているだけで。ドフフとエルフのご両親の元に生まれたあなたが、同族婚にこだわっているわけではないでしょう? 他に親しい女性も大勢いるようですし」
「親しい女性?」
「街で一緒に歩いているところを見掛けましたよ」
「……ああ、別に親しいわけじゃない。あれは勝手に寄って来るんだ。この妖しくも美しい漆黒の髪に魅了されない者などいないからな!」
(ナ、ナルシストか……!!)アチキの心の声。
「そうか、俺が他の女と歩いていたからつれなかったのか!」
「あなたに対する態度を変えたことはありません。……ハデス。アチキも言っていましたが、今日のところは行かせてもらえませんか? セントラルに帰って来たらこちらから会いに行きますから」
「……本当だな?」
(ん? なんか急に……)
「本当に帰って来たら、ペルセポネの方から俺に会いに来るんだな?」
「ええ、約束します」
「わかった、今日のところは引き下がろう」
(えーーっ!? あっさり!?)
「――と、その前に……」
ハデスは未だ固まっているイッサの元へ歩いていくと、その肩にぽんと手を置いた。
同時にイッサの肩はビクゥッと跳ね上がり、戸惑っている内にハデスが耳元に顔を寄せてきた。
「――――」
「へ?」
そして一言
「それではまた会おう!」
「はーっはっはっ」と笑い声を上げながら、颯爽とハデスは去っていった。
するとアチキが一言、
「どっと疲れた……」
「ねえアチキ」
「あによ」
「“がんばってくれよ”ってどういう意味だと思う?」
「は?」
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