最北の派出所 ⅱ

     2


 ラオは度々コウの元を訪ねるようになった。

 コウはいつも快く迎えてくれた。

 訪ねたときには武術を教わったり、一緒に食事をしたりすることが多かった。

 一緒に暮らしていると言ったマスター・クラウドにはほとんど会わなかった。なんでも、日のある時間――ときには夜にも外に出て、ドラゴンの研究をしているのだという。少しばかり見掛けたその姿は、くすんだピンク頭の初老の爺さんだった。

 コウは武術には長けていたが、料理はスープとパンを焼ける程度のだった。

 そのため、料理はラオが持って行くこともしばしばあった。おかずや食後のデザートなどだ。

 初めは半ば強奪気味に家にあったものを持って行っていたのだが、毎週のことになると母が用意してくれるようになっていた。

 根掘り葉掘り訊くと機嫌を損ねるということがわかったのか、事情は訊いてこないその距離感が、ラオには嬉しかった。

 村の特産であるベリーをふんだんに使ったタルトを差し入れたとき、すべて食べ切ってしまいそうだったラオに、一切れマスターに貰っていいかとコウが言った。

 次に訪ねたとき、マスターがおいしかったからまた差し入れるようにと言っていたと聞き、ラオは嬉しくなった。

 ギルドの者も母の料理は美味いといつも褒めるが、あの偏屈そうな爺さんが褒めたのだと思うと、自分のことではないのに誇らしくなった。

 そしてラオはそのことを母に話した。

 すると母は、

「それはまた作らないとね」

 と、褒められたことよりもラオが話してくれたことを嬉しく思っているようだった。

 それが誰に差し入れているのかを聞くとひどく驚いた様子で、

「あんた、それ誰だかわかってるの!?」

 と訊かれた。

 なんでも【レオ】のマスター――クラウド・フェニングといえば、歴史書や英雄譚にも度々登場する、メシエで最も高名な徒なのだという。

 ラオは授業中は大抵寝ているし、本も読まないのでぴんときていなかったが、言われてみれば聞いたことがある気がしてきた。今より小さい頃、ギルドのじいさんが語り聞かせてくれた話に出てきたように思う。確かメシエに移民が始まる前――メシエへの移民が始まったのは二万年ほど前だ――から生きていて、優れた医者でありながら事あるごとに猟銃をぶっぱなしていた男だ。て、あの爺さん今いくつだ?

 そんな徒と、そんな徒がマスターを務める【レオ】の団員に息子が世話になっていたと聞けば、驚きもしよう。

 母や話を聴いていたギルドメンバーまでもが一度挨拶に行かなければと言い出したのを、ラオは必至で止めたのだった。

 その場は食い止めることに成功したものの、そのあとの差し入れに母がこれまでの感謝とこれからもよろしくといった旨の手紙を忍ばせたことは、ラオの知らぬところだ。


 そうしてコウの元に通うようになって一年が経った頃。

「なあ、コウはどうして守護者になったんだ?」

「なんだい? やぶから棒に」

「おれ、来年には幼学処ようがくしょ卒業だからさ」

 進路を考える時期であった。

「なるほどね。あたしは、そうだねぇ……マスターに拾ってもらって、そのまま流れでかな。仲間のことは気に入ってたしね」

「えーそんなもんなの」

 ラオは少々不服そうである。

「ラオは守護者に興味があるのかい?」

「……親父の跡を継ぐことになると思う」

「親父さんがそう言ってるのかい?」

「言ってないけど……」

「なんだ。じゃあ相談してみたらいいじゃないか」

「別に守護者になりたいわけじゃないんだよ。おれ、のんびりしてるほうが好きだしさ」

「はっきりしないねえ。単に親父さんと話したくないだけなんじゃないのかい?」

「…………」

 当たりらしい。

「いっぺん腹割って話してみな。そんで守護者になるってなったら、力貸すからさ」

 次会うときに話していなかったら意気地がないと思われそうで、それが嫌だったラオは渋々、父のジルバに話し掛けた。

「親父、進路のことなんだけど」

「おっ、どうするか決めたのか?」

「いや……跡継げとか言わねぇの?」

「いや? おまえの好きにしろ」

 予想外の返しに、ラオは驚くと同時に戸惑った。

 実のところ、ラオはコウもしていた守護者という仕事と、父の仕事の猟師とで悩んでいたのだ。

「――それじゃあ、親父さんを言い訳にして選択から逃げようとしてただけじゃないか」

「うぐっ」

 父の言をそのまま伝えたところ、コウに言われてラオは言葉を詰まらせた。

 父と話はできたものの、別のことで意気地なしだと思われる結果になってしまった。

「好きにしろって言ってくれたんだし、しっかり考えて決めな。まずは、それぞれの仕事がどういうもんか知るのがいいかもね」

「じゃあ守護者がどんなか教えてよ」

「そうだね。多いのは住民の離就職の相談だとか、ちゃんと仕事をしているかの調査だとか。困っている徒がいたら手を貸したりだとかだね」

「地味だな!?」

「地味だけど大事な仕事だよ。住民ひとりひとりに目を配りながら、メシエ全体のことも考える仕事だからね。腕っぷしよりも根気が必要な仕事だけど、大事のときにも率先して出ていくのが守護者だからね。得意なほうを伸ばせばいいよ。あたしも腕っぷしばっかりだったし。ああでも、【レオ】だったからそれで通ったところもあるね。窓口仕事が多いのはセントラル勤めくらいで、あたしは各地を移動する方だったから」

「じゃあこれからなるならやっぱ腕っぷしだけじゃダメってこと?」

「ダメってこたないよ。【スコルピウス】なんかは武闘派ばっかりだし。まあ、多少書類仕事もできたほうがいいって話さ。

 あ、それと、守護者になるなら大陸の外でになるね。この辺の管轄かんかつはガーディになったから。ガーディはヘケルじゃないと入れないからね」

「はぁん。因みに守護者にはどうやったらなれるの?」

「それぞれが定めた入団基準を満たせばゾディアックには入れるよ。あとは養成学校を挿むか挿まないかの違いだね」

「幼学処卒業してまで勉強すんのか~」

「幼学処の勉強とは違うと思うけど、養成学校に行かなくても勉強することにはなるよ。仕事を覚えるって意味では、なんの仕事に就くにしても変わらないよ」

「はー、仕事するって大変なんだな」

「そうだよ。――ははっ、でも大抵の仕事は毎週、村からここまで雪の道を徒歩で通うのに比べたら楽だと思うよ」

 涙を浮かべそうなほどコウは笑った。

「な、なんだよ笑うなよ~っ」

 一方ラオは、自分がそれほどに大変な道のりを歩いてまでコウに会いに来ているのだと気づき、顔を赤くしたのだった。


 父の仕事のことは、父が自宅でひとりになったときを狙って尋ねた。本当は直接尋ねるのは避けたかったのだが、誰に訊いても結局は父の耳に入るだろうことを思うと、そうするのが一番被害が少ない気がしたのだ。

 ただ、真面目に聴いてくれなければすぐに止めよう。猟師ではなく、守護者になることに決めようと思っていた。

「……親父、ちょっといいか」

「ん、なんだ? こないだといい、おまえが話し掛けてくるなんて珍しいな」

「猟師がどういう仕事か教えてほしいんだけど」

「どうっておまえ、そりゃ獣を狩る仕事よ」

「そんぐらいわかってるよっ。もっと詳しいこと教えてくれよ」

「なんだおまえ、猟師になりたいのか?」

「まだ考え中」

「ほぉーん……」

(ここで茶化されたら止める。ここで茶化されたら止める)

「話してやるから座れ」

「あ、うん」

 ラオが椅子に座るとジルバは話し始めた。

 父は思っていたよりもずっとしっかり話をしてくれた。

 ラオも真面目に話を聴いた。

 集会所で仲間とバカ話で騒いでいる父はあまり好きではない。

 けれど、猟をしているときの父は嫌いじゃない。

 幼い頃に垣間見た、精悍せいかんで凛々しい父の顔はかっこいいと思った。

 群れを率いる雄々しい狼そのものの姿に憧れた。

 もちろんこのことは絶対に内緒だが。

 コウとジルバ、ふたりに話を聞いてラオが出した進路は――猟師だった。


     3


 さらに一年――コウが館に越してきてから二年以上が過ぎた。

 ラオは父の下で猟を教わりながら、週に一度はコウの元へ通い続けていた。

 この日もコウの元を訪れていた。

「なあコウ、おれの他にも誰か来た?」

 嗅ぎ慣れないにおいを感じ、ラオは尋ねた。

「ああ、フューリーのことだね。【レオ】で仲間だった男だよ。研究のためとかで一昨日越して来たんだ」

「ふーん」

「マスターより不愛想だから、会っても話さないかもしれないけどね」

「あの爺さんより不愛想なのか!?」


 フューリーが越してきてしばらく経ったが、ラオがフューリーと接する機会はなかった。

 フューリーは一日のほとんどを地下室に籠って過ごし、姿を見せないのだ。

 それに、彼のにおいはなんだかわからない薬品と消毒液の臭いで、自ら近づこうとはラオが思わなかったことも一因している。

 ところがある日、フューリーらしき男を村で見掛けた。

 ラオはフューリーの姿を見たことがなかったが、診療所の医師でもあれほど薬臭くはない。徒違いということはないだろう。

 後ろ姿で顔は見えなかったが、白髪に白い服を着た細身の青年だった。

 ラオはフューリーが出てきた屠畜場の者に声を掛けた。ギルドのメンバーでもあるオリバーという青年だ。

「なあ、今の薬臭いやつ、なにしに来たんだ?」

「あ、若、こんちゃっす」

「若いうな」

「あん徒は臓器とかを買いにちょくちょく来るんすよ。なんか研究に使うとかで」

「へぇー、やっぱ変わってんなぁ」

「サイエンティストってやつっすよね。マッドは付いてないみたいっすけど、売らないと自分で捕って解体しそうな徒なんで、向こうのいいようにしてます」

「それもうマッド付いてんじゃねぇの?」

「あっ、そういえば聞きました? コリーダが結婚するって話」

「ぅえ!?」

 相手は村の雑貨屋のせがれだ。村にあの彼女と結婚できる男がいたことに、ラオは驚愕せずにいられなかった。

 それから半年が経ち、コリーダは新婚旅行に発った。

「へぇ、新婚旅行か。どこに行ったんだい?」

 ラオに話を聞いたコウが尋ねた。

 今は稽古終わりのおやつタイムである。

「確か処女宮しょじょきゅうだって」

「ああ、あそこは華やかだから、新婚旅行にはいいだろうね――ごほっ、ごほっ」

「コウ、調子悪いのか?」

「少しね」

「村の方でも調子悪いやつ多いんだ。お袋とかギルドのやつとかさ」

「セリアンスロープの間で風邪でも流行ってるのかね。おまえも気をつけるんだよ。調子がよくなかったり、雪の多い日は来なくていいからね」

「わかった。コウこそ早く良くなれよ」

「ああ」

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