最北の派出所
最北の派出所 ⅰ
1
ラサラス大陸北方の村にあるセリアンスロープのみが集う
集会所の一階は酒場のようになっていて、集会のないときでも誰かしらメンバーの姿がある。
何
今朝も食事や食後の一服に来たメンバーたちが、早くも豪快な笑い声をあげている。
みな家族のように仲が良く、笑顔の絶えないギルドだ。が、ただひとり仏頂面の者がいた。
「ラオ」
給仕をしていた母に呼ばれ、緑髪の少年――まだ九歳のラオ・グローリアが振り向いた。母親似のぱっちりおめめも、今は目つき悪く不機嫌そうだ。
「朝ごはん、今から作るから、そこで座って待ってな」
「……外で食べるから包んでくれよ」
「なぁに? 友だちと約束でもしてるの」
「別にどこで食べたっていいだろ」
「ほっとけよカーラ。ラオは今、反抗期ってやつなんだよ」
言ったのはギルド長であり、ラオの父であるジルバ・グローリアだ。
「ちげーよ! もういいっ、飯いらねぇっ」
ラオは出口に向かって歩き出した。
「ちょっとラオ」
引き留めようとする母に反し、父は軽口をたたく。
「はっはっは。飯食わねぇとちびのままだぞ」
ラオは一瞬立ち止まると、父に向かって、
「ぐるぅぅッ」
と唸りを上げ。集会所を出るとばんっと大きな音を立てて扉を閉めた。
(親父の笑い声より馬車の方がまだ静かだっての)
通りゆく馬車の音を聞いて、ラオはそんなことを思っていた。
通りをどんどん歩いて、静かな森の方へ向かった。
(なんか食えるもんないかなぁ。ウサギいないかな)
森に入ったラオは、お腹に手をやって辺りをきょろきょろ見回す。
このごろのラオはギルドに寄り付かず、
しかし朝食を持って来られなかったのは予定外だ。くそう、親父が余計なこと言うからと、ラオは心中悪態をつく。
スン、スン、と、鼻を働かせる。
(あれ、なんか新しいにおいがする)
初めて嗅ぐにおいが森の奥の方へと続いている。
においを辿っていくと、馬車が一台通れるほどの道に出た。
(こんなとこに道あったんだ)
長らく使われていなかったらしい。車輪の跡がなければそうと気づかなかったかもしれないような道だ。
においはこの道を通って奥へと向かったようだ。
帰る気にもならなかったラオは、なんとなしに進んでみることにした。
しばらくして、
「ぜぇ……ぜぇ……」
ラオは息切れしていた。
「くっそ。どこまで続いてんだこの道……っ、二時間は歩いたぞ……」
ここまで来て途中で引き返さなかったことを後悔した。
とそのとき、漂ってきた匂いに気を持ち直す。
「食い物のにおい……!」
道の端まで来たらしい。石造りの館のような建物が見えてきた。
そして追ってきた二つのにおいと、木を打つ小気味いい音が届く。
見ると同族の女性が拳や蹴りの打ち込みをしていた。
不意に女性が振り向いた。
「!」目が合ってラオの尻尾がぴんっと立った。
「なにか用かい? 君ひとり?」
女性はこちらに歩み寄ってきた。
「あ、あんたこんなとこでなにしてんだ?」
「わたしかい? わたしはここに住んでるんだよ。と言っても昨日越してきたばかりだけど」
女性が目の前で立ち止まった。
(ち、乳でけぇ……!)
眼前で揺れたそれにラオは
「で、君はこんなところになにしに来たんだい?」
「お、おれは別に……」
そのとき、
ぐぅぅぅ
とラオのお腹が鳴った。
「……飯、食べさせて……」ラオは頬を赤らめて言った。
女性は「ふっ」と笑い、
「いいよ。朝食の残りでよければね」
女性は森まで香っていたスープと、丸いパンを出してくれた。
待望の食事に「どうぞ」と促されると、ラオはいただきますを言うのも忘れて
スープを二回もおかわりして、掌より大きなパンを三つも平らげた。
「ふぅ。ごちそうさま」
お腹が満たされ、満足気なラオだ。
「おそまつさま」
女性はラオが食べているのを微笑みを浮かべて見ていた。
そこではっと、ラオは見ず知らずの女性の家でご飯にがっついたことが、急に恥ずかしくなった。
頬を赤らめ、視線を逸らす。
「あ、あんたひとりで住んでんの?」
「いや、ふたりだよ。マスターとね。今は出掛けてるよ」
「マスター?」
「マスター・クラウド。わたしは【レオ】の団員でね。今は活動休止しているけど、マスター・クラウドはそこの団長だよ」
「【レオ】ってサーカスの?」
「そうだよ。本業は治安維持だけどね。君も観たことあるのかい?」
「ちっさすぎて覚えてないけど」
「はは、そうか」
「なんでやめちゃったんだ?」
「あーそれはだねぇ、マスターが研究に専念したいと言ってね。それでさ」
「そんな自分勝手な理由でやめたのか!」ラオは驚きで目ん玉をひん剥いた。
「そういう徒なんだよ」
「……活動休止になったのに、あんた、なんでそんな徒といるんだ?」
「なんでだろうねえ。父親のようなものだからかね」
「え~、よく親父なんかと一緒にいようと思えるな。おれは離れられるもんなら離れたい」
「君は親父さんが嫌いなのかい?」
「嫌い……ってわけじゃないけど。うるさい」
「どううるさい?」
「どうって……余計なことっていうか、すぐからかってくるし。親父はギルド長してて――家に集会所があるんだけど、毎日集まってしょうもないことでいちいち大笑いしてるし――親父だけじゃなくておっさん連中はみんなそうでさ。や、おばさんとかお袋もだな。なんでも根掘り葉掘り訊こうとしてさ。なんていうか賑やか通り越してうるさいんだよ」
「ふ~ん。ずいぶん楽しそうじゃないか」
「どこが!? おれの話きいてた!?」
「だってみんな笑ってるんだろう? しょうもないことや身内の話で盛り上がって。楽しくないのに笑うかい」
「っ……おれが楽しくないって話だろ」
「そうだね」
「…………」ラオはじとりと女性を見つめる。
しかし女性は微笑みを向けるのみだ。
「で」ラオだ。
「ん?」
「で、なんかないの」
「なんか言って欲しいのかい?」
「っ~~~~別にっ!」
ラオはフンッと反対を向いて、頬杖をついた。なんだかからかわれた気がしたのだ。
「はは、そう拗ねなさんな」
「拗ねてねーし!」
「……君は親父さんたちが笑ってるのが嫌なのかい? 無表情で黙りこくってればいいって?」
「そんなこと思ってない! ……だけど、聞いてるとなんか……」ラオは胸の辺りをぎゅっと握った。「ムカムカしてくるんだ。だから聞こえないところにいようって……」
「距離を取るのは悪いことじゃないさ。離れすぎるのはよくないけどね」
「…………」
「親だからってどんなときも好きでいる義務はないし、憎たらしく思うときがあってもいいさ。そのときそのときで気持ちのいい距離を取ればいい。うるさいときは離れて、そうじゃないときは近づいて。そうしていればあとは時間がどうにかしてくれる。焦らなくて大丈夫だよ。幸いなことに、君は両親やギルドの徒に愛されているみたいだからね」
「どうしてそんなことわかるんだよ」
「君がいい子だからさ」
女性はラオが今までに会ったことがないタイプのおとなだった。穏やかで、達観していて、近くで目を合わせているのに距離を取っていて、決して一線を踏み越えてこない。
そんな女性の言葉は、不思議とラオの心を軽くした。
「さて、どうする? 腹が膨れているうちに帰るかい? それとももう少しここにいるかい?」
「……帰る。また来てもいい?」
「いいよ」
女性は館の前まで見送ってくれた。
振り返り、ラオは尋ねた。
「あんた、名前なんてぇの?」
「コウだよ。君は?」
「ラオ」
あれだけご馳走になったのに、家に帰り着く頃にはすっかりお腹が空いていた。
ラオはこそーっと勝手口から中を覗いた。
幸い調理場には誰もいない。
なにか食べられる物はないかと保存器を見ると、分厚いベーコンを挟んだサンドウィッチが入っていた。
ラッキーと手に取ると、皿の下に紙が挟んであった。
紙には「ラオ用」と書かれていた。母の字だ。
朝これから作ると言っていたから、ラオがいらないと言って出たあと、わざわざ作ったものだろう。
先ほどコウとあんな話をしたからか、ラオはこそばゆい気持ちになったのだった。
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