第八話 おつかい

     1


 パシッ パシッ――

 派出所の運動場に小気味いい音が響く。

 ラオとシャオが手合せをしていた。

 シャオの打ち込みをラオが受け、ラオの攻めをシャオがかわす。

 シャオの蹴りをしっかりと受け止めたところでラオが言った。

「よし。一旦休憩にするか」

「……ありがとう、ございました……」

 シャオは上がった息を整えながら礼をした。

 するとシャオの頭にラオの手がのった。

「前より動きよくなってたぞ。上出来じょうでき」ラオはシャオの頭をくしゃくしゃっと撫でた。

「なっ、やめろよ!」シャオは怒った顔でラオの手を押し退けた。

「はいはい。汗拭いて水分摂っとけよ。――アサギ、ハド、休憩するぞー」

 ラオは少し離れた所で訓練していたふたりに声を掛けると、派出所の中へ歩いて行った。

「…………」

 その場にひとり残ったシャオは眉間に皺を寄せ、赤らんだ顔で頭に手を置いた。


 シャオが手拭いで汗を拭きながら応接間――とは名ばかりの居間――に入ると、アサギとハドが並んでソファに座っていた。

 自分も休もうとシャオがふたりから目を離したとき、コトッ、と軽い物が落ちた音がした。知った音に、シャオは気に留めることなく歩き続ける。

 あの音は手紙が届いたときの音だ。送ってくる相手のいない自分には関係のないものだった。

 手紙を受け取ったのはハドだった。先の音のあと、手紙はなにもない空間から現れ、ぱさりとハドの膝に落ちた。

「手紙? 誰から?」

 アサギが尋ねると、ハドは封筒に記された名を確認した。

「父さんからです」

 その言葉に、アサギと、シャオは、一瞬動きを止めた。

「ハド、お父さん居るの?」

「はい。母さんとセントラルで服飾のお店をしています」

「…………」

 アサギは明らかに戸惑った様子だった。

 アサギは――そしてシャオも――、ハドは孤児だと思っていた。

 ヘケルの子どもは幼学処ようがくしょに入る年頃になると、ガーディ、もしくはおとなのヘケルに弟子入りするのが一般的だ。ヘケルの扱い方を覚えなければ、自他ともに危険だからだ。そして、ヘケルの親は、子どもの扱い方に戸惑うことが多いからだ。

 アサギの場合は両親がガーディで、どちらの意味でも扱いに困るということはなかったが、亡くなったためここに居る。

 シャオは後者だったらしい。愛情を受けたという記憶がなく、いつの間にか独りになり、浮浪児として生きていたところをラオに保護された。

 ガーディに弟子入りするとは「保護される」こととほぼ同義なのだ。訓練目的であるヘケルはともかく、ヘケルでない子どもが弟子入りするということは、身寄りがないからと考えるのは当然のことだった。

 けれど今回は違った。ハドには手紙をくれるような父親と、母親が居たのだ。

 それならどうして親元を離れてまで弟子入りしたのか――

 アサギは理由を訊くのを忘れるほどにショックを受けたが、まもなく「そうなんだ」と笑顔を向けられるほどに回復した。

 しかし一方で、

 ギチッ

 知れずシャオは歯を噛みしめていた。

 と。

「ちび共ー、今日の訓練は中止だ」

 まもなく奥にいたラオが現れざまに言った。

「え、どうしてですか?」アサギがソファの背から顔を出して訊ねた。

「そろそろ冬支度の時期だろ? んで、狩猟の手伝いに呼ばれてたんだわ」

 ラオは頭を掻きながら言った。冬支度も狩猟の手伝いも毎年のことなのに、うっかりそれが今日だということを忘れていたのだ。

 するとラオの後ろからキリュウも現れた。

「ということで、みなさんにも冬支度のお手伝いをしていただきます」

「俺はさっき言った通り狩猟の手伝いで、アサギはキリュウとベリー摘みの手伝い。シャオとハドは村までおつかいに行ってもらう」

「はぁ!? なんでおれがあいつとおつかいなんだよ」

「だっておまえ、ベリー摘みそんな好きじゃないだろ。狩猟には連れてけねえし。どっちかひとりが留守番ってわけにもいかないだろ?」

「おれひとりでいいから、あいつは先生と一緒に行かせろよ」

「んー? 別にそんでもいいけど、ハドがレターセット欲しいって言ってたから、ついでで一緒に行ってくれると助かんだけど」

 ギリッ、と、シャオはまた歯を食いしばった。

「っ、わかったよ。行って来るからさっさとおつかいするもの教えてよ」

「ん? おぅ」

 けんけんしたシャオの態度を不思議に思いながらラオが返し、キリュウが今日買う物のリストと、発注書をシャオに渡した。

「行くぞ!」

 シャオが荒っぽくハドに言って部屋を出ようとすると、後ろからラオが一言、

「あ、はぐれないように手繋いどけよ」

 シャオは頭が爆発しそうだった。


 村に向かう道中、シャオは師匠に言われたことを守ってハドの手を握っていたが、ぐいぐいと引っ張って、ハドは付いていくのがやっとに見えた。

 シャオは心中ずっとイライラムカムカして、ふたりは目的の店に着くまで一言も言葉を交わさなかった。

 目的の雑貨屋に入ると、店のカウンターに恰幅のいい奥さんが座っていた。

「いらっしゃい。あら? お嬢ちゃん! お嬢ちゃんじゃない?」

 奥さんはハドを認めると身を乗り出してそう言った。奥さんは以前、馬車停留所でハドが刺繍をしてあげた徒であった。

「お嬢ちゃんこの間はありがとうね。刺繍してもらったスカート、すっかりお気に入りよ。今日も穿いてるんだから」

 言うと奥さんはスカートが見えるよう、裾を持ち上げて見せた。

 ふわりと香ってきた甘いにおいにシャオは内心「うげぇ」と思ったが、口には出さなかった。

 そんなシャオを余所に、ハドと奥さんはなごやかに会話を続ける。

「気に入ってもらえてよかったです」

「待ってた相手には会えたのかい?」

「はい」

「それはよかったわ。あら? そっちの坊やは派出所の……はっはあ」

 奥さんはなにかを察したらしい。

「お嬢ちゃんが待ってた相手ってのは、派出所のガーディさんかい?」

「そうです」

「やっっぱりねぇ。どうせあの犬っころラオのほうだろう? あの徒は昔っからだらしないところがあるからねえ。今度会ったらっ――」ボグッ! と、奥さんが打ち合わせた拳がもの凄い音を立てた。「説教してやんなくちゃ」

 雑貨屋の奥さん――コリーダ・カラントは、〈村のドン〉と云われる徒で、週に二度巡回にくるだけのガーディよりも村民たちの信頼が厚い。その耳や角だけでなく、身体のつくりまで闘牛のような彼女の腕っぷしに村の男はだれも敵わず、朗らかな性格と面倒見の良さから特に女性たちからの支持は絶対的だ。ラオやキリュウでも下手な口は利けない相手だった。

 シャオとハドが縮み上がっていると、コリーダはぱっと笑顔に戻って、

「で、今日はなにを買いに来たんだい?」

 シャオは無言でコリーダに買い物リストを渡した。

 リストに目を通したコリーダは「はい、ちょっと待ってね」と、カウンターを出て、商品棚に向かった。

 商品を取り出しながらコリーダが言った。

「にしてもふたり、仲が良いのね」

「っ、ちが――」

 シャオが否定しようとするとそれより先に、

「仲良くないです」

 と、ハドが否定した。

 これにはシャオも言葉を失くした。

(そうだけどなんか……おまえが否定するのはなんかムカつく……っ)

 シャオがわなわなしているとコリーダが、

「あらそうなの? ずっと手を繋いでるもんだからてっきり……」

「師匠に言われたから繋いでいるだけです」

(あーそうかよ。おまえもイヤイヤ繋いでるってわけね)

 シャオはバッと振り払うように繋いでいた手を離した。

「おまえレターセット買うんだろ。さっさと選んで来いよ」

 ハドは一瞬きょとんとしていたが、了解の返事をするとレターセットを選びに行った。

 するとコリーダがシャオに眉を下げて、

「……悪いこと言ったかね?」

「別に!」


 買い物と発注書を渡し終え、ふたりは雑貨屋をあとにする。ちなみにハドは花柄のかわいいレターセットを選んだ。

 外に出た所で、

「シャオ」

 振り返るとハドが手を差しだしていた。

「…………」

 シャオはむんずと無言でハドの手を掴むと、ずんずんと次のおつかい場所に向けて歩きだした。

 それを見送るコリーダが微笑まし気に呟く。

「やっぱり仲良いのかねぇ」


 残りのおつかいをすべて済ませ、帰ろうとなったとき、シャオはトイレに行きたくなった。

 丁度利用しやすい馬車停留所の前に来たため、シャオは「トイレ」と言って、雑貨屋をあとにしてからずっと繋いでいた手から力を抜いた。しかしハドは手を握ったまま付いてきた。

「トイレのときまで繋いどく気か!?」

 言われてそれは可笑しなことだと気づいたらしく、ハドはぱっと手を離した。

 信じらんねえと思いながらかわやに行き、用を済ませ、手を拭きながらシャオが戻ると、ハドは停留所の長椅子にちょこんと座って待っていた。その手に先ほど雑貨屋で買ったレターセットを持って眺めている。

 顔は見えないが、シャオにはその姿が嬉しそうに見えた。

 カッ――っと、胃の辺りが燃えるように熱くなった。

 と、シャオに気づいたハドが荷物を持って走り寄ってくる。

 その姿のなにもかもが苛立たしく思えた。

 ぎり……っ

 シャオはハドの手からひったくるように荷物を取ると、手を繋がず足早に歩きだしてしまった。

 ほとんど地面を見て歩いていたために、何度か徒にぶつかりそうになったりぶつかったりしたが、シャオは謝ることも、足を止めることもなかった。

 その間、後ろから追ってくるハドが何度も名前を呼んできたが、すべて無視した。

 村を抜けて森に入ると、流石のシャオも疲れが出てきた。訓練のあと、ほとんど休まずおつかいに出て、何時間も歩き通しだった。

 いつの間にか歩みが遅くなり、一度は突き放していたハドが追いついてきていた。

「シャオ」

 触れようとハドは手を伸ばした。

 バシッ

 それをシャオは振り向きざま拒絶した。

「なんなんだよおまえ! なんでここに居るんだよ!」

 堰を切ったように、シャオは声を荒げ吐き出した。

「おまえ、手紙くれるような父親も、母親もいるじゃねぇか。ヘケルでもない、武術も大して関心ないんだろ? 裁縫してるほうが好きなくせに、なにガーディに弟子入りなんかしてんだよ。優しい父ちゃんと母ちゃんと暮らしてればいいじゃねぇか……。っ、おれには!――おれには師匠しかいないのに! おれから師匠を盗るなよっ!」

 いつもなら、恥ずかしくて決して言えないようなことが口をついて出ていた。

 ぶつけられたハドは呆然としていて――、その顔を見て、シャオは我に返った。

「――っ……」

 ハドから顔を背け、また歩き出そうとしたとき。

「……シャオ」再びハドが手を伸ばした。

「触るなっ!」

 咄嗟にヘケルで牽制してしまった。

 己の放った火の向こう、腕で顔を庇うハドの姿が目に映った。

 その瞬間、師に出会う前の記憶が湧き上がった。

 憐れみと嫌悪の目を向ける、故郷の徒々の顔。

 誰も手を差し伸べてはこなかった。

 むしろ、近づくだけで後退りして。

 こいつもきっと……という思いが、シャオの胸を過ぎった。

 しかし、ハドは火を押し退けシャオの手首を掴んだ。

「っ……」

 驚いてシャオは硬直した。

 掴む手は幼い少女のものとは思えないほど力強く、恐れなど微塵も抱いていないような眼で真っ直ぐに見つめてくる。

「シャオの火は恐くありません。シャオが温かくて、優しい徒だって、言っているみたいだから」

「――――」

「父さんも母さんも優しいです。でも、今は一緒には暮らせない。自分が強くならないと。そのためには師匠の元を離れることはできないけど、でも、シャオから師匠を盗らないし、盗れません。

 自分は父さんも母さんも――師匠も――みんな好きです。みんなに向ける気持ちは一つ一つ違って、だけど同じところにあります。師匠もきっと同じです。自分へ向けられる気持ちがあっても、師匠はシャオのことが好きです」

「…………恥ずかしいやつ……」

 そのときのハドの顔が、笑っているように見えたのは、その目に映る自分の顔が泣きそうだったのは、シャオの気のせいだろうか。


     2


 派出所に帰ってきたハドは心なしか明るい顔をしていて、シャオはそっぽを向いていたが、ハドの手をしっかり握り返していた。

 一足先にベリー摘みから帰っていたキリュウの耳に、扉の向こうからふたりの話し声が聞こえてきた。

「手を離しても大丈夫ですか?」

「は? 大丈夫ってなんだよ。帰ってきたんだから離すに決まってんだろ」

「離したら逃げるかと思って」

「逃げねえよ! おれをなんだと思ってんだ!」

 ハドが扉を開けて入ってきたときには、もうふたりは手を繋いでいなかった。

 キリュウの姿を見て「ただいま帰りました」とハドが声を掛けた。あとに続いてシャオも「帰りました」と言った。

「はい、おかえりなさい」

 と返したキリュウは、「実に微笑ましい」といった顔をしていた。

 シャオが買ってきた物を手渡すと、キリュウは感謝を述べた。

「ベリー摘みを手伝ったお礼にと、ベリーと加工したジャムを頂いたので、シャオくんとハドさんが買って来てくれた材料と合わせて、今日はベリーパイを作りましょうか」

「ベリーパイ……」

 ハドが実に嬉しそうに言った。

 その顔をシャオは横目でじっと見ていた。

 ハドが自室に向かい、キリュウがパイを作るため厨房に向かおうとしたところ、シャオが呼び止めた。

「おれも作るの手伝う……」


 ベリーパイが焼き上がる頃にはラオも帰ってきて、みんな揃って食卓を囲んだ。

 ラオとアサギはシャオがベリーパイ作りを手伝うに至った推測をキリュウからこしょこしょと聞かされていたため、自分たちは手を付けず、ハドがパイを食べるのを見守った。

 みなの視線を浴びながらパイを口に運んだハドは、

「おいしいです……。シャオみたいな優しい味がします」

「恥ずかしいやつだ! おまえはモノバカで恥ずかしいこと言うやつだ! ――周りニヤニヤすんなっ!」

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