第七話 気になる妹
「“【カニス】所属、ラオ・グローリア。新弟子の教育を任ずる。”」
師匠たちが話しているのを聞いていた。
「――“ハド・ペルセポネ。五歳。ドフフの女子――”」
(ドフフ……)
初めて聞く種族だった。
違う事典ならどうかと師匠の本も、読める言葉で書かれている物はすべて見たけれど、どれにも「ドフフ」の項目はなかった。
おかしい。
メシエに居る種族は全部、なにかしらの文書に記録されているはずなのに。ぼくの読めない本に載っているのだろうか?
そうだとしても、ここまで載っていないことなどあるのだろうか。交流はあるがメシエには住んでいないアポストルや、滅んだ種族まで載っているのに?
ひょっとすると本部からの書類が間違っていたのかもしれない。事典に載っていない種族が存在するより、書き損じのほうがよほどありえる話だ。
新弟子の女の子がやって来て、それははっきりした。
――ドフフだ! 書き損じじゃない、ドフフだ!
ぱっと見エルフのようだけど、耳が長くない。エルフの耳はもっと笹葉のように長く尖っている。
種名が似ているけどドワーフは絶対違う。ドワーフに女の子は存在しない。
桃の実のように白く細かな毛に覆われた肌から妖精なのは明らかなのに、ハドはアサギの知るどの種族とも一致しなかった。
気になる。
気になってしかたがない。
それが事典に載っていないなら、自分の手で調べるしかない!
その考えに至ってから、アサギは四六時中ハドのことを観察し、ドフフのことばかり考えていた。
(ドフフ)
食事中も――スプーンを咥えたままハドを見つめて――。
(ドフフ)
訓練中も――ハドを見ていてシャオの蹴りを避け損ねた――。
(ドフフ)
入浴中も――ひとり湯船に沈み込んでぶくぶくぶく……――。
ドフフ……ドフフ……ドフフ…………
「キモい」
ある日、アサギに向かってシャオが言い放った。
「……なにが?」
「おまえがだよ」
「ぼくのどの辺が気持ち悪いっていうの」
「瞬きもしないで
アサギの目は充血して赤くなり、隈もでき、前屈みでのたのたと歩く様はまさにそれだった。
「シャオ、メシエにゾンビはいないよ」
「たとえだろうが」
アサギはずいっとシャオに迫り、
「シャオは気にならないの!? どの事典にも載ってない種族が目の前にいるんだよ!?」
シャオは身を引きながら返す。
「ならねぇ」
「ぼくは気になるの! 気になってしょうがないの!」
「あーもー、好きにしろよ」
もちろん。
言われなくてもそうするさ。
「そうだ! シャオも調査手伝ってよ」
「やだっ」
1
「今日は
派出所の一室。かつては食堂やミーティングルームとして使われていた広間にキリュウと弟子たちが集まり、座学の授業を行っている。
キリュウは黒板に氷――ヘケルで文字を書いていく。石灰を使うより早いため、キリュウはこの方法をよく使う。
「メシエには多くの種族が暮らしていますが、種族とは別に設定されている区分が徒種です。徒種は現在七種存在します」
キリュウは黒板に書いた文字を示し、続けて解説していく。
「
――白徒・灰徒・黒徒は肌の色素によって分けられます。人間やエルフ、ドワーフなど妖精のほとんどはこの三種のどれかですね。
水徒は水棲、もしくは半水棲の徒、すべてを指します。
獣徒は獣の部位を持つ徒です。身近なところでラオが獣徒ですね。ラオのように動物のような耳や尻尾の生えた徒はセリアンスロープという種ですが、下半身や頭など、他の部位が獣のような種もいます。けれど全身が獣の姿の者はいません。
翼徒は翼の生えた徒です。セントラルには数徒いますが、ほとんどは浮遊大陸に住んでいるので、接する機会はあまりないでしょう。
最後に竜徒は、竜の身体と力を有しています。徒というより、ヒト型の竜といったほうが合っているかもしれません。彼らはメシエに最も古くから住んでいますが、数が少なく、また集団も好まないのでまず出会うことはないでしょうが、喧嘩を売ってはいけないとだけ心に留めておいてください。命が幾つあっても足りませんから」
一通り解説が終わり、キリュウが「なにか質問はありますか?」と促すとアサギが手を上げた。
「ぼくたちは白徒、灰徒、黒徒のどれなの?」
「そうですね……黒徒でないことは確かですが、みんな色白なほうなので……。髪や目の色素も薄い徒は白徒、深い色の徒は灰徒であることが多いのでハドさんは灰徒の可能性が高いですが、絶対ではないので断言はできません。アサギくんとシャオくんに至っては見当も付けられません」
「なんでそんな曖昧なの」
「この三種は区別が曖昧なんですよ。元は灰徒が大部分を占めていたのが、世代を経るにつれて変化したんです。今では白徒が最も多いんですよ。そのせいかはっきり分類できない徒も少なくないんです」
「へぇ……。この“徒種”って、なんのためにある区分なの?」
「二つ説がありますが、一つは生活圏の大別ですね。個徒的にこの説は信憑性に欠けると思いますが。同じ徒種でも種族によって様々ですからね」
「じゃあ、もう一つは?」
キリュウはにっこりして答えた。
「種族以外に区分を作ることで、種族の垣根を越えて仲良くしやすいようにです」
2
仲良くできるように……。
授業が終わり、しばらく子どもたちは自由時間だ。
アサギは席を立つと隣のハドに目を向けた。
「ねえハド。よかったら一緒に森まで生物観察に行かない?」
ハドは特に悩んだ様子もなく「はい」と返事をした。
アサギは少し口角を上げると後ろを向き、
「シャオも一緒に行く?」
「行かねえ」
「そっか。――じゃあハド、ふたりで行こう。ぼくの部屋に図鑑があるから持って行こう」
ハドはアサギと一旦別れ、自室に教材を置きに行った。そしてアサギの部屋の前にやって来ると戸が開いていたので中を覗き込んだ。
「アサギ兄さ……」
ハドは驚いて言葉を失った。
「あれぇ、どこいったかな?」アサギは図鑑を探して積んだ本を上げたり下げたりしている。
アサギの部屋は物がひどく散乱していた。物が多くても片付いているハドの部屋とはわけが違う。自身の整った外見に相反するような散らかりっぷりだ。
ハドが突っ立っていると、
「あ、あったあった」
と、アサギは目当ての図鑑をみつけた。
「おまたせ。行こう」
アサギは蓋をするように、部屋の戸をぱたんと閉めた。
派出所を出てすぐ、ハドが足を止めた。アサギも足を止めハドの視線を追った。
「ああ、ラオ師だね」
視線の先では派出所から伸びる通路をラオが歩いていた。端に着いたと思ったらくるりと向き直り、また通路を歩き始めた。
「師匠はなにをしているんですか?」
「あっとね、においを付けてるんだって」
「におい?」
「あの通路はずっと向こう――森の端まで続いてて、森と村との境界になってるんだ。山側には危険な動物がいるんだけどラオ師のほうが強いから、ああやってにおいを付けておくと寄ってこないんだって」
「……通路の下を塞ぐのではダメなんですか?」
「動物を拘束するのはいけないことだから、壁を造るのも閉じ込めていることになってダメなんだって。だけど村の方には来てほしくないから、寄り付かないようにしてるんだよ」
「? 馬車を引いている馬は拘束されていることにならないんですか?」
「あれ? そういえばそうだね。なんでだろう……」
ふたりが頭を悩ませているところ、キリュウがやって来た。
「ふたりでなんのお話ですか?」
「あ、師匠! 動物を拘束することはいけないことなのに、どうして馬車は馬が引いてるの!?」
「なるほど、そういうお話ですか。ではここで時間外授業といきましょう。
アサギくんの言う通り、メシエで生物を拘束することはよしとされていません。縄や鎖で繋いでおくことはもちろん、檻や囲いで閉じ込めておくことも拘束と捉えられます。けれど馬車を引く馬のように、徒と暮らしている動物は少なくありません。この矛盾がふたりの疑問ですね」
うん、うん、とアサギとハドは頷いた。
「徒と暮らしている動物は、自身の意志でそうしているんです」
アサギとハドは顔に疑問符を浮かべた。キリュウが続ける。
「徒と暮らすことで動物たちは「徒から危害を加えない」という保障を得られるんです。例えば馬は、車を引く代わりに安全で清潔な寝床と、食事を受けます。卵を産むウサギや乳牛も同じです。卵や乳を分ける代わりに、寝床や食事をもらっている。言うなれば従業員ですね。なにかしらの仕事をして、対価をもらっているのです。
もう一つ、これは珍しいケースですが、仕事をしているわけでなく――家族や友として徒の傍にいる動物もいます。なにかのきっかけで心を通わせ、絆を結んだ動物が、自ら傍に居たいと望んだ場合です。この場合も拘束はよしとせず、去る者は追わないのが約束事です。
疑問は晴れましたか?」
「うん」「はい」と、アサギとハドは同時に返した。
「ぼくにも、傍に居たいと思ってくれる動物いないかなぁ」
「ふふ。いつか現れるかもしれませんね。――これから森に行くのでしょう? 気をつけていってらっしゃい」
一年のほとんどを雪に覆われている森には、今、いっときの春が訪れている。
葉を落としていた落葉樹は一斉に葉を茂らせ、地中で眠っていた草花は同時に芽生えた。
冬の間は巣穴に引きこもり、ほとんど姿を見せない動物や虫たちも顔を出す。
どこかに行く途中だろうか、野ウサギが跳んできて、樹の根元で立ち止まったかと思うとまた進みだした。別の所ではリスが一匹、樹を駆け上って行き、枝の上に居たもう一匹と挨拶を交わす。また別の所では翅の大きな虫が飛んでいたが、樹の洞にいた小竜にぱっくりいかれてしまった。
アサギはそんな光景を見て瞳を輝かせていた。
しかしはっ、と、本来の目的を思い出す。
(いけない。今日は生物観察じゃなくて、ハドの観察が目的なんだから)
アサギは後ろで低木を見ているハドを振り返った。
気合の入った視線を向けているとハドの方から声を掛けてきた。
「アサギ兄さん、これ、実が生ってますよ」
アサギは「まったく全然みてませんでしたよ」とでもいうように、
「ほんとだ。ブルーベリーだね。採って食べてごらん」
促されるまま、ハドは実を口へ運んだ。
「っ、おいしいです」
「気に入った? なら、もうすぐベリー摘みがあるから、いっぱい食べられるよ」
「! 楽しみです」
(観察記録一。ハドはブルーベリーが好き)
もうすぐおやつの時間だ、ということで、ふたりは一度派出所へ帰ることにした。
道中、花が咲いているとハドはよく目を向けていた。
(観察記録二。ハドは花が好き)
(まだまだ情報が足りないなぁ。ハド自身のこともだけど、ハドの種族のことが知りたいんだよ)
派出所の前まで帰ってきたところ。成果の少なさにアサギは悶々としながら歩いていた。
一方、ハドは視界の端になにかを捉え、上方を向いた。
考え事をしていたアサギは、玄関扉を開ける時になって、ようやくハドが足を止めていることに気がついた。
「どうしたの、ハド。ラオ師?」
視線の方向から、アサギはまたラオ師が通路を歩いているのだろうと思った。
そうだとは言わず、ハドはアサギを向いてこう言った。
「動物がいます」
「え?」
ラオのにおいのする派出所および通路の近くに動物は寄ってこないはず。
アサギは通路の見えるところまで駆け戻り、ハドの示す方を見上げた。
「……っ」
そこには確かに動物がいた。小竜だ。黒っぽいドラゴンが一頭、通路の上に止まっている。
ここからでは種類が特定できるほどはっきりとは見えない。
「っ」
近くで見ようとアサギは駆け出した。それにハドも続く。
派出所の階段を駆け上がり、通路に通じる三階の踊り場までやって来た。踊り場に設けられている窓からそっと覗き見る。
ドラゴンはまだそこにいた。
猫ほどの大きさで、黒く艶やかな羽翼。首から腹部にかけてはきらきらと光る白毛に覆われている。体長より長いのではないかという髭が二本、ふわりゆらりと不可思議にたなびいて、ぱっと見きれいだが、小ぶりな顔に付いている目は魚のように真ん丸で、ちょっとあほっぽい。
その姿を認めたアサギは声を潜めながらも興奮した様子で話す。
「あれウェルヌスってドラゴンだよ! 海の方にしかいないのに、どうしてこんなところにいるんだろう」
アサギはじれったそうに続ける。
「ああっ、まさかいると思ってなかったから載ってる図鑑持ってきてないよ。図鑑にならなにか載ってるかもなのに。あーでも取りに行ってる間にいなくなっちゃうかもだし……っ」
究極の選択を迫られているかのようにアサギがうんうん唸っていると、
「訊いてみます」
ハドが唐突に言った。
「え?」と、アサギが戸惑っているうちにハドはどんどん通路を歩いていき、ドラゴンのすぐ傍で立ち止まった。
(え~~!?)
ハドの行動にアサギは驚愕した。
(訊いてみるってドラゴンに!? 訊いてみるもなにも逃げちゃうよ!?)
しかしドラゴンはアサギの予想に反し、ハドに気づいても逃げる様子がない。それどころか目を疑うような行動に出た。
ハドが何事か口にすると、ドラゴンはハドの前に舞い降りたのだ。
啞然としながらアサギは窓から身を離した。視線はその一点から外すことなく、通路の入り口まで歩を進めた。
通路ではハドとドラゴンがまるで仲間同士のように会話している。
アサギはゆっくりと、そちらの方へ近寄っていく。
ハドがドラゴンになんと言っているのか、まだ聞き取れない。
ハドがドラゴンに右手を差しだした。
目を疑うしかない。
ドラゴンはハドの腕に乗り移った。
アサギは足を止めた。するとハドが振り向いた。
「西風に飛ばされてきてしまったそうです。ここは師匠のにおいが濃くて危険な動物が来ないから、安心して休めると思ったそうです」
「…………」
ハドはドラゴンから聞いたことを教えてくれているらしいが、アサギの耳にはほとんど入っていなかった。
ハドはドラゴンの言葉が解るの?
他の動物の言葉は?
それは君だけ? それともドフフはみんなそうなの?
ハドへの疑問が次々浮かんでくる。
ああ、この疑問を解消するにはどうすればいいのだろう。
アサギが黙りこくっていると、ハドが小首を傾げて尋ねてくる。
「アサギ兄さん? この方が少しなら触れてもいいと言っているんですが、どうしますか?」
そうだ。
なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
ハドのこと、言葉の通じない「動物」だとでも思ってたのかな。
わからないことは、直接訊いてしまえばいいじゃないか。
「ハドっ!」
アサギがいきなり大声を出したので、ハドとドラゴンがびくっとした。ドラゴンなどそのまま飛び去ってしまいそうだった。
「ぼく、君のことが知りたいんだ! だから、教えてくれる!?」
「…………」
ハドはきょとんとしていた。こんなことをいきなり言われて、すぐに了承を返せる者は少ないだろう。
数瞬して、
「はい」
ハドは微かに口角を上げて続ける。
「アサギ兄さんのことも教えてくださいね」
思いもしなかった言葉に今度はアサギがきょとんとしたが、やがて、照れくさそうに、嬉しそうに笑って、
「うん!」
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