第六話/後 三匹目の子犬
ラサラス大陸の最北端には高く険しい雪山が
その麓には大陸の中ほどに連なる火山帯に温められた空気がかろうじて届き、少ないながらも人間を含む
雪山と村の間には広大な針葉樹の森が広がっている。その中にガーディの部署の一つ、【カニス】の受け持つ派出所はある。
村から続く一本道を抜け、まず目に入るのはセントラルと同じトープ色の一枚岩でできた派出所の表。派出所というより屋敷といった外観だ。そこから左右に目を向けると、アーチ状の柱にのった通路が伸び、樹々の中に消えている。どこに通じているか、その場からは窺い知ることができない。
正面に向き直り歩を進めよう。階段を上がり正面扉の前に立つと、獅子の彫刻が頭上から出迎える。【カニス】は「犬」を表し、ガーディの象徴は「十字」である。どちらでもない獅子が飾られているとは、歴史を知らぬ者からすればまったくもって不可解なことだろう。端的に説明すると、この派出所はガーディが使用する以前、獅子を象徴とする【レオ】の物だったのだ。
さて、派出所の中へ入ろう。
入ってすぐは玄関ホール。正面に大扉、左右に廊下が伸びている。
正面の大扉の先はガーディの受付であり応接間。その隣が職員室になっている。
廊下を進むと幾つもの部屋に続く扉や、上下階に向かうための階段がある。【レオ】の時代には同時に百近い徒が寝泊まりすることもあったため、部屋数がとにかく多い。まるで大型の宿屋のようだ。
ほとんどの扉の前を通り過ぎ、主要な部屋を回ったハドとキリュウは最後に小部屋を開けた。
「ここがハドさんの部屋です。必要最低限の物は運び込みましたが、要り用の物があれば遠慮なく僕かラオに言ってください。あと、使っていない部屋の物なら自由に持って来てかまいませんよ」
顔合わせが終わってまもなく、ハドはあったかいスープと香りのよいパンをたっぷりと与えられ、そのあと、キリュウに派出所を案内されていた。
「わかりました」
「今日は疲れているでしょうから、夕飯までゆっくり休んでください」
ハドが了承の返事をすると、キリュウはその場をあとにした。
紫の長髪が流れるキリュウの背が見えなくなると、ハドは生活感のない殺風景な部屋に目を向けた。
職員室に戻ったキリュウは、仕事をするでなく椅子にもたれてくつろいでいたラオに尋ねる。
「ラオ、紹介状の他に、ハドさんの種族について書かれているようなものが同封されていませんでしたか?」
「あ~、多分なかったと思うけど」
「一応確認してもらえますか?」
「…………手紙……どこやったっけ?」てへ、と言わんばかりの、おちゃめな調子だ。
「僕に訊かないでください」
「ごめん、失くしたみたい……」
「まったく君という徒は……。……なかったと仮定して、特筆することがなかったということは、他の子どもたちと同じ育て方でいいということでしょうか?」
「でもあいつ妖精だろ? 妖精と人間って同じでいいのか?」
「そうですね……一応本部に問い合わせてみましょう」
本部からの返信はないまま夜が明け、翌日。
派出所の裏にある運動場に師弟全員が集まっていた。
「今日はハドの初めての訓練ってことで、みんなで楽しく石打ちするぞー」
「はーい」
アサギだけが明るく返事をした。
その横のハドが質問する。
「石打ちってなんですか?」
「この櫂を使って石を打ちあうんです。慣れていないと危ないので、今日はこの球を使います」
キリュウがラオの持つ木編みの球を示して答えた。
「ほんじゃ櫂配るぞー」ラオはシャオ、アサギと渡して「――んで、ハド」と、最後にハドにも櫂を差しだした。
ハドが受け取るところをラオもキリュウもじっと見ている。
何事もなくハドが両手で櫂を受け取ると、ふたりは少し驚いたような顔をした。
そんなふたりの顔をハドが見返していると、準備万端のシャオが声を投げてきた。
「師匠、もうやってもいい」
「お、おういいぞ。――ほら、おまえも行ってこい」
ラオがぽんと背中を押すと、ハドはてこてこと兄弟子たちの方へ歩いて行った。
その様子にラオとキリュウはまた驚いたような顔をしている。
「……歩いてるな」
「歩いてますね」
ハドが歩いているからといって驚くことがあるだろうかと思うが、それは櫂を持っていなければの話。ラオが持たせた櫂は訓練も受けていない五歳児がよろけずに歩けるほど、軽い物ではなかった。一年以上訓練を積んできた上、ほぼ二つ年上のアサギとシャオと同じ物なのだ。
ラオもキリュウもそんな物を初めからハドが持てるなどとは思っていなかった。兄弟子たちとの力量の差を自認させ、徐々に軽い櫂を試してハドの筋力を測るのが目的だった。
それがいきなり涼しい顔で持ち上げ、すたすたと歩くのだ。さらに今は兄弟子に混ざって振り回している。球を落としてシャオに「下手くそ!」と言われているが、驚くには十分というものだろう。
その日の午後。
「ラオ、本部から返信がきましたよ」
返信にはヒューマンを引き合いにしたドフフの指導方針が書かれていた。
体力・筋力トレーニングは無用。
知識、技術、経験、精神面の向上を図る。指導法はヒューマンと同様で可。
生活面に関し、トイレと歯磨きは行わない。
といった内容だった。
「櫂を平然と持っていたのはそういうことだったんですね……。外見こそ違いますが、ドワーフと似た感じでしょうか」
「そーいや、村からここまで休憩なしでも歩いてたもんな」
「え、君、あの距離を休憩もなしに歩かせたんですか……? あんな幼い子を……?」
「や、ちょ、今言ったばっかじゃん。中身ドワーフ、中身ドワーフ」
「そういう問題じゃありません。それに誰の中身がおっさんですか!」
「中身おっさんなんて俺いってない~~っ」
それから五日が過ぎたが、ハドはよくわからない子どもだった。
本部からの返信や、重い櫂を振り回したり、長距離を平気で歩いたりできる事実から体力はヒューマンよりずっと高いものだと思ったのだが、特別力が強いというわけではなかった。体術の訓練で蹴りや拳を入れさせてみたのだが、それは可愛いものだった。娘と戯れるのってこういう感じかなぁなどと思ってしまった。
物覚えはいいようで、教えたことはすぐに吞み込んでいった。座学ではキリュウが理解力の高さを褒めていた。まあこれに関してはまだ幼学処の最初期に習う内容なので、早くもキリュウの親バカならぬ先生バカが入っていると言えなくもないが。
そして最もよくわからないのが性格だ。
表情は変化に乏しく、口数も少ない。しかし、引っ込み思案だとか、内気だとかいうわけではないらしい。シャオが怒鳴ってもびくりともせず、結構平然としている。その様子は不遜にすら思える。
授業や食事のとき以外は――アサギに誘われでもしない限り――ほとんど部屋にこもっている。おそらく手芸をしているのだろうとラオは睨んでいるが、確かなことは言えない。
新しい環境に緊張している……とは思えないのだが、なにかを喜んだり楽しんだりしているところを見たことがない。
なにを考えているのかわからないとでも言うのか、ラオは今ひとつハドのことが掴めないのであった。
そしてこの日、事件が起こった。
体術の訓練中、突然ハドが倒れたのだ。
「お、おい、ハド!?」
慌ててラオが駆け寄り、その声に傍で訓練をしていたアサギとシャオも寄ってきた。
みながハドの顔を覗き込むと、
「……寝てる……」
ハドは穏やかな顔で眠っていた。
幾ら呼びかけても揺すっても目を覚ます様子がなく、しかたがないので起こすことは諦め、ラオはハドを部屋に運ぶことにした。訓練は一時中断ということで、アサギとシャオも連れ立っている。
アサギはハドが気掛かりらしく、ラオの腕に抱えられたハドの顔を見ようと、時折ぴょこぴょこ跳んでいた。
ハドの部屋の前に着くと、ラオは空いている左手で戸を開けた。
そして部屋の中を見た瞬間、目を丸くした。
簡素だった部屋が一変、小さな手芸工房のように様変わりしていた。
とりどりのボタンやリボンが詰まった瓶。ホルダーに挿して並べられた刺繍糸。その傍にはピンクッションに可愛い飾りのまち針が刺さっている。床には毛糸玉が詰まった大きな籠。タンスの上はもちろん姿見にもレースが掛かる。
椅子やベッドの上にはキルトのクッションが見られる。寝具は元々あった野性味溢れる毛皮だが、森の動物をあしらったクッションと見事に調和している。
ぬいぐるみやタペストリー、窓に香水瓶も飾られているが、これらには見覚えがある。派出所の空き部屋でボロボロになっていたものだ。部屋にずっと籠っているものと思っていたが、いつのまにか見つけて綺麗に蘇らせたらしい。
実のところ、ハドは派出所に来てからの七日間、一睡もせず。荷物を整理したり、空き部屋から宝物を見つけたり、クッションやレースを編むことに熱中していたのだった。とんでもない集中力と言うべきか、呆れるべきか。
それからきっかり一晩で目を覚ましたハドはみなに、
「物がないと落ち着かなくて……」
と、申し訳なさそうに言った。
するとシャオが、見事なまでにハドを言い現す一言を発した。
「バカだ! こいつ
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