第五話/前 憧れたもの

     1


「わああああああっ」

 イッサは逃げている。

 追ってくるのは巨大な、犬の石像のようななにか。

 このような事態に陥ってしまった発端ほったんは数時間前に遡る。

 冬季武闘大会インビエルノがハドの優勝で決着した翌々日。大会終了後たっぷりと話を聴いてハドと和解したものの、パーティ解散という事実は変わらず、アチキとイッサはふたりでクエストに行くことにした。

 ランクⅢ・ウェスト地区調査。

 ウェスト地区――セントラルの西地区――は数年前に大規模な崩落が起こり、以後全域封鎖。現在までガーディ及びオールメーラで調査を行っている。

 崩落の原因は地下に生じていた巨大な空洞で、とある科学者の研究施設になっていたことが判明している。調査というのはこの研究施設の全容を捉えるためのものだ。

 ランクが示す通り調査はなかなか危険なものとされている。ウェスト地区ほぼ全域を巡る広さと入り組んだ構造ゆえ、迷子になる者が後を絶たないという。

「ぅわっ」

「ちょっとイッサ気をつけなよ」

 つまずいて転びそうになったイッサにアチキが注意した。

 ふたりは旧研究施設の通路を進んでいる。

 セントラルを構成するトープ色の岩と異なる、薄黄色の煉瓦れんがを敷き詰めて造られた施設。老朽化が進み、至る所が欠けたり隆起りゅうきしたりしており、気を付けていても躓いてしまうような場所だ。すでに調査が入ったところは瓦礫がけられていることもあるのだが、今進んでいるのは未調査の箇所で、まさにそんな所だった。

 崩落後に種が紛れ込んだのか、植物が茂っている。セントラルでは直に植物が根付くことはないため、煉瓦に根を張っていると思われた。

「あっ、向こう明るくなってるわよ」

 進行方向を指差し、アチキは駆けだした。

「ちょ、走ると転ぶよ!」

 イッサはできるだけ足元に注意しつつ、アチキを追う。

 と、開けた場所にでた。

 地下でありながら明るい。見上げると天井部分に亀裂が走り、光が射し込んでいるのだとわかった。崩落の危険を考えるとあまり長居はしないほうがよさそうだ。

 空間を見渡すと、支えの柱が六本――うち一本は倒れている――以外はなにもない。

 そのわりには随分と広い空間だ。なにか使用用途があったと考えられるが……。

「イッサ、あっちになんかあるっぽい」

 声が響く。アチキが示したのは通路を出て左側。鉄格子で仕切られた通路のように見えるが――

 ここから先の犬の石像のようなものが三体、錆びていた格子を破って飛び出し、現在に至るというわけだった。

 飛び出した三体の内、二体はアチキが引き受けているのだが、困ったことに光線銃が効いている様子がまるでない。

 ふたりそろって逃げ回るので精一杯だ。

「イッサどうにかしてよ!」

「どうやって!」

つたでからめ捕って動けなくさせるとか。足元の草に引っかけて転ばすとか。ヘケルで大木出してぐわーっと押しつぶしちゃうとか」

「んな無茶な!」

 アチキの攻撃が効かない以上、イッサがヘケルを行使するのが一番の得策だろう。しかしイッサは未だヘケルを持て余している状態だった。

 声を張り上げながら逃げ続けていた、そのとき。

「!?」

 イッサのつま先がかつーんと煉瓦の割れ目に引っかかった。

 抗えぬ転倒。迫る追手の爪。

 ああ、遠い昔――実際は一月ひとつきほどだが――にも同じようなことがあったが、そのとき助けてくれたアチキも今回は間に合いそうにない。

 万事休す。

 と、固く目を瞑ったイッサの耳をつちの音が叩いた。

 瞼を開けると、犬の石像が見知らぬ男に背上から叩き伏せられているところだった。

 犬の石像が沈黙したのを確認すると、男は後方に声を投げかける。

「リヒト! そっちは大丈夫か」

 アチキの方にも救援が来ていた。黄緑がかった金の長髪をなびかせ、石像を惹きつけている。

「俺の得物えものでは厳しい。早く来い」

 言葉とは裏腹にその男の声は余裕を感じさせた。

 イッサを助けた男は前方のイッサに向く。男は右目に眼帯をしていた。

「おまえ、今の内に通路に避難していろ」

 眼帯の男はイッサの返事を待たず、もう一方の援護へ向かった。

 リヒトと呼ばれた長髪の男が注意を引き、眼帯の男が戦槌せんついで強烈な打撃を叩き込む。男たちは見事な連携をみせ、三体すべての石像を鎮圧した。

「ありがとうございました。お蔭で助かりました」

 イッサは男たちに向かい合い感謝を述べた。

 それにリヒトが得意気な顔で答える。

「なに、気にすることはない。オールメーラの後輩に怪我がなくてなによりだ」

 男たちはオールメーラの制服を着ていた。面識はなかったが、アチキとイッサの先輩にあたる。

 先から述べているように、長髪の男の名はリヒト。ただしこれは愛称で、フルネームはリシチトン・デューという。見掛けは優形やさがたの二枚目だが、どうも言動に三枚目臭を感じさせる。

 その相方――眼帯の男は名をグランツ・ブルファングという。紺の短髪と同じ色の虹彩。背が高く、重い戦槌を軽々と扱うだけあって、がっしりとした体つきをしている。

 オールメーラの生徒ということは最高でも十八歳のはずだが、グランツはどうみても十代にはみえない。

「そういう先輩たちは怪我してない?」

「こいつが腕を引っ搔かれた程度だ」

 アチキの質問に、リヒトが相方の高い肩に手を置き、答えた。

「引っ搔かれたって……毒々しい色に変色してますけど、大丈夫ですか?」

「遅からず治療を受ければ問題ない」

 心配するイッサにグランツは鷹揚おうように言った。

「じゃあ早くここを出たほうがいいですね。先輩たちは調査に入ってどれくらいですか?」

 自分たちが来たルートと比べ、早い方を辿って帰ろうという意図でイッサは訊ねた。

 するとグランツは額に手を当てため息を吐き、リヒトがやれやれといった表情で言う。

「俺たちの来たルートを辿っても、三日三晩かかって出口に辿り着かないぞ」

 要するに、先輩たちは迷子になっていたのだった。


     2


「単位修得完了かんりょー!」

 修得単位数の記された紙を掲げ、アチキは歓喜の声を上げた。

 ウェスト地区調査クエストから帰校したアチキとイッサは、担当教員のニクスを訪ねていた。

 一時は卒業の危機にあったが、今回のクエストで無事必要単位数を満たしたのだ。

「いや~感慨深いわ」

「〈無敗の女王〉の力が大きいとはいえ、よくやったな。これからどうするかは決めたのか?」

「【レオ】にいこうと思って」

「え!? 【レオ】ってハドさんがいくところだよね。いつのまに決めたの?」

 つい先日卒業後のことを訊いたときにはまだと言っていたアチキの発言に、イッサは驚いた。

「ん~武闘大会のあとさ、ハドが誘ってくれたんだよね。合否を下すのはあくまでマスターだけど、それでもよければ来ないかって」

 実のところ、先日答えたとき既に、アチキはハドと同じ職場というものに惹かれていた。自分から言い出すのはなんだか気恥ずかしく、迷っていたところにハドのほうから誘いがあり意思を決めたというわけだ。

「なかなかに熱烈な誘い文句だったわよ」思い出してアチキは頬を染める。

「ほお。〈無敗の女王〉がおまえのどこをそんなに買っていたのか」

「ちょっとアカちゃん、あたしに対して失礼じゃない?」

「教員を「ちゃん」付けしておいてなにを言う」

 たわむれもほどほどに、アチキは息を吐き真面目に返す。

「ハドって入学早々あの調子でしょ? 信頼できる学友ってあたしとイッサくらいなんだって」

「え、俺も?」

「ハドの口ぶりだとイッサのことも誘いたかったみたいよ。イッサはガーディ志望って言ってたから遠慮したんじゃない。残念ねー。ハドの熱い誘い文句聞けなくて」

「え、えぇ……」


「それで。イッサくんは今も迷っているんだね」

 ハドに詳しい話を訊くと言うアチキと別れた後、イッサはフランを訪ね温室を訪れていた。

「はい……。あの、フランさんはどうして庭師になったんですか?」

「なろうと思ってなったわけじゃないんだ。僕はこれといってなりたいものがなくてね。ヘケルだと入学試験がないと聞いて、なんとなくオールメーラに入ったんだ。入ったはいいけど勉強が好きじゃなくてね。武闘にも関心がなくて、散策ばかりしていたよ。

 その頃は先代の庭師の方がいてね。気難しいだったから生徒からは敬遠されてたな。でも植物たちからは慕われていて、僕から声を掛けたんだ。それから手伝いをするようになって、他にやりたいことも、なれるものもなかったから、跡を継いだ。要するになりゆきだったんだ」

「なりたいもの」がなかったフランは、言うなれば目標物がなにもない平原を歩いていたようなもの。多くは行く当てがなく右往左往してしまうところ、フランは鼻歌でも歌いながら気ままな散歩をしていた。すると一本の木を見つけたので一休みしていたら、いつのまにか居着いてしまっていたのだ。

 イッサの場合は「なりたいもの」に向かう道の上を歩いている。地図はなく、遠くに見える目標物を目印に、道なりに進んできた。ところが今は目標物にかすみがかかって見えなくなり、そのうえ分かれ道にさしかかって、どの道を辿ればいいのかわからなくなっているのだ。

「参考にならなかっただろう? ごめんね」

「いえそんな」イッサは両手を振って否定した。

「イッサくんが迷っているのはなりたいものが見えないから? それとも〈春の乙女〉の存在があるからかい?」

「どっちも……だと思います」

「僕が思うに、迷っているってことは君がなりたいものはガーディでなければなれないものじゃない、ってことじゃないかな」

「ガーディじゃなくてもいいってことですか?」

「ふふ。その言い方だと進みたい道が決まっているみたいだね」

「え?」

「さて、そろそろ支度をしようかな」

「用事があったんですか? すみません。俺が相談にのってもらったから……」

「あはは、大丈夫だよ。お茶を淹れたのは僕だし、急ぎの用でもないんだ」

 フランは立ち上がり、

「ただ、イッサくんの相談事は片がついたかと思ってね」

「…………」

 イッサ自身は解決した気がしていなかった。

 そんな心中を察し、フランは鉢を一つ手に取った。

 テーブルに置かれた鉢には花が一株植わっている。

 イッサが花に視線を落としていると、フランが語り出す。

「この子は多年草の花でね。枯れてもまた花を咲かせるんだ」

「はぁ……」

「多年草の中でも珍しい子でね。咲く度に花の色を変えるんだ」

 フランは手を差し出し、「去年は黄色」右手に黄色の花、「一昨年はピンク色」左手にピンク色の花を生み出した。どちらも鉢で咲く花の色違いだ。

「色が変わっても同じ子であることには変わりない。どんな花を咲かせてもイッサくんはイッサくんだし、一度咲いたらそこで終わりってわけでもないんだよ」

「……つまり……気楽に考えろってことですか……?」

「そうとってもらっても構わないよ」

(えぇ……どうしろと)

 フランは手の中の花をすると、思い出したように口にする。

「そういえば、あげた種は芽を出したかい?」

「いえ、まだ」

 フランは鉢を戻そうと抱え上げた。

「芽が出たらまたおいで」

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