ヴェロニカの指輪 Ⅲ

 ライア。今日、君の弟子が捕まったよ。

 倒れている君をみつけてから、十一年。やっとだ。

 君をあんな姿にしたのが彼だということは、すぐに察しがついていたことなのに、こんなにも時間が掛かってしまった。

 俺では彼を捕らえることはできなかった。ガーディ・ナンバー2と云われている男が、聞いて呆れるだろう? それでもできなかった。

 言ったらライア、君は俺を嫌うかもしれないが……俺は、――彼を殺してしまうと思ったんだよ。

 彼に事情があったのは知っていた。苦しみ、抗おうとしていたことも。

 それでも、俺は彼と対面したとき、自分を押さえる自信がなかったんだよ。

 ライア。君が望むのは、彼が救われることだ。違うかい?

 マスター・クリスは意向を汲んでくれたよ。けれど、彼を救うのはとても難しいことだった。君が心をいても成しえなかったんだから、当然だ。

 でも、遂に機が訪れたんだよ。

「あの子」が彼の捜索クエストを行っていると知ったとき、これしかないと思った。そう、「あの子」が君の弟子を救ってくれたんだよ。

 彼は武闘大会にこだわっていたから、――利用させてもらったよ。

 彼がセントラルに居て、かつ理性を失っている状態であることはで判っていたから、単純な餌を撒いた。

『〈無敗の女王〉最後の大会

 ――優勝した者は“史上最高の栄誉”を得るだろう』

 ――ってね。

 思惑通り、彼は会場に現れたよ。

 ただ、「あの子」と対極位置の生徒に――それも予選から成りすましてくるとは思っていなかった。おかげで他の参加者には悪いことをした。殴られても文句は言えない。

 彼が会場に現れた時点で捕まえることもできた。そうだ、そうしなかったのは、俺のわがままだ。

 それを「あの子」は――ハド・ペルセポネという子は、望んだ以上の結果で応えてくれた。彼どころか、彼に関わったものすべてを救ってくれたんだ!

 さっきはああ言ったけど、もし、彼が誰にも負けることなく捕らえられていたとしたら、彼に関わった者はみな、ヂーコスチという悪夢に囚われたままだったろう。そう思うと、途中で彼を捕らえなくてよかった。

「あの子」は正々堂々と戦い、彼を、勝利した。

 彼や観衆の中には、審判が「あの子」を贔屓ひいきして鐘を鳴らさなかったのだと思っている者もいるみたいだけど、それは違う。審判には「あの子」のが見えていたんだ。とんでもない子だと思ったよ。なんせ、彼と戦いながら、、心の余裕があったんだから。ただちょっと危ない展開になったからね、「遊び過ぎだ」って、「あの子」の兄弟子が言っていたよ。

「あの子」の勝利で、悪夢は良夢に変わった。

 たとえこれから先、同じ悪夢にうなされても、ハド・ペルセポネという光が照らしてくれることだろう。

 力に吞まれ、傷つけることを恐れていた彼にも、「傷つけない者」が自分の上にいるという事実は、大きな力になる。彼もきっと、これで前に進めるよ。

 ……俺も、今なら彼の顔を近くで見られる気がするよ。

 ――ライア、さっきすべてのと言ったね。眠り続けている君を、数に入れてもいいものかな……?


 男はガーディ本部の廊下を歩きながら、恋びとに報告しようと、ここ数日に起こった出来事を整理していた。

 今日という日はとてもすばらしい日だった。

 しかし男の足取りは、どこか陰鬱としたものを感じさせた。

 十一年。身体の傷が癒えて尚、彼女は目を覚まさずにいる。

 療養所に向かう度、彼女が目を覚ましているという期待より、また今日も……という思いの方が勝るようになったのは、いつからだったろう。

 それでも期待がなくならないのは、自分の諦めが悪いのだろうか。

 男は恋びとの眠る部屋の前に立ち、苦笑を浮かべた。

 苦笑を微笑に変えて、男は戸を開ける。

「ライア、来たよ」そう言おうとして、言葉を失った。

 部屋の窓が開いていた。吹き込む風が、窓の外を見つめる女性の、藤色の髪を揺らしていた。

 藤色なのに青い光沢を放つ、不思議な髪。その髪のやわらかさを、男は知っている。

 男が部屋へ足を踏み入れると、女性がやおら振り向いた。そして、男の顔を認めると驚いた顔をして――

「…………ヒューガ……?」

 笑んだ。

 ――――いっぱいになった。

 湧き上がったものでいっぱいになって、気づくと男は彼女を抱きしめていた。

「痛いわヒューガ」

 彼女がそう言うのも構わず、男の腕にはいっそう力が入ったようだった。

「すまない。少し、がまんしてくれ……」

 すると彼女は、自らも男の身体にやさしく腕を回した。

「……わたし、ずいぶん長い間眠ってたのね」

「……ぁぁ。君に聞いてほしいことが、たくさんあるよ」

 ひとしきり抱き合って、男はようやく、腕を解いた。

「ライア、君に伝えなければならないことは他にもたくさんあるんだけれど、君が目覚めたら、一番に伝えようと思っていたことがあるんだ」

 そう言うと、男は腰のポーチに手を入れた。

 そして、小さな箱を取りだした。

「結婚してほしい。ライア」

 差し出された箱の中で、ヴェロニカの花が輝いている。

 それを認めた彼女は春の日差しのような笑顔で、

「もちろんよ、ヒューガ」

 言うと、彼女はふふっと笑った。こんなときに、なにかを思い出して笑ったようだった。

「なんだい?」

「ごめんなさい。あの子とした約束を思い出しちゃって」

 彼女の言う「あの子」は彼女の弟子のことだ。

「約束?」

「ええ。あの子は自分の名前をひどく嫌っていたから、わたしの名前から取って〈ライアン〉という名前をあげるって。だけどあの子、紛らわしいからって遠慮してね。だったら――わたしはもうすぐ「ライア・アオイ」になるから、そうしたら使ってって。そう約束したのよ」

「アオイ」はヒューガ・アオイという、男の家名だった。

 男の胸にとてもさまざまな感情が押し寄せた。

 彼女の言う「あの子」が、〈ライアン〉と名乗っていた理由がわかってすっとした気持ち。彼女が自分との結婚を確信していたことに対する、喜びと気恥ずかしさ。

 彼女と彼女の言葉や表情から感じる「彼」の想いに、憎しみが解けていく。かわりに別の――憐みのような感情が湧いた。

 そして男は、彼女の指に指輪を嵌めながら、

「…………そうか……」

 と、声を零した。

 彼女は己が指に嵌められた指輪を見つめて言う。

「ねぇ、ヒューガ。わたし夢を見たのよ」

「どんな?」

「あの子が幸せそうに笑っている夢よ」

 ぶわっ、と、一際強い風が吹き込んだ。

「――ねぇ、ヒューガ。あの子は今、どうしているの?」

 彼女はしっかりと憶えていた。自分が長く眠ることになった出来事を。

 彼女の問いに、男は微笑んで答えた。

「君の、夢の通りだよ」

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