第五話/後 憧れたもの

     3


 イッサは幼い頃、そのほとんどを祖父の家で過ごした。

 祖父は村はずれの森の中できこりをしていた。祖父が斧を振るう、こーんっ……こーんっ……という音が、いつも響いていたのを憶えている。

 幼学処ようがくしょを卒業したのに進路を決められずにいたある日、祖父がセントラルに行かないかと訊いてきた。斧がくたびれてきたから、腕のいいセントラルの工房に行きたいのだと言った。

 村はラサラス大陸の南東にあり、セントラルまでは早くても三日はかかる。それにセントラルの手前、〈永久鉱山〉のふもとにも腕のいい工房はある。そのためいつもはセントラルにまで行かないのに不思議だなぁと思いつつ、イッサは祖父の誘いに乗った。

 セントラルに降り立ったイッサは、それはもう驚いた。は多いわ、建物は密集してるわ――建物の山だと思った――、地面が土じゃないわ。

 土の感触に慣れているイッサには、靴から足に伝わってくる固い岩の感触が変な感じだった。

 祖父に手を引かれながらきょろきょろ歩いていたとき、カンカンカンッと鉄鐘てっしょうの音が耳朶じだを叩いた。

 祖父の腕にしがみつき「なになに!?」とイッサは慌てたが、周りの反応は落ち着いたもので。「パレードか」「ボアだったら肉が食えるな」などと話しているのが聞こえた。

 後にセントラルでは野生動物が侵入したことを「パレード」というと知った。新鮮な肉を食べられる貴重な機会。セントラル住民からすれば祭りに等しいということらしい。

 このときはそんなこととは知らず、周囲の様子を見てもイッサは不安気な表情を浮かべていた。

 そのとき。

 熱を帯びた風が首筋を撫でた。目線を上げた瞬間――

 空を駆ける少年の姿が飛び込んできた。

 橙の炎の尾を引く大剣に乗り、炎と同じ橙色の髪とマフラーをなびかせ飛んでいく。

 仰ぎ見た彼の横顔が、焼きついて離れなくなった。

 その横顔に、イッサは自分にないものを見た。

 このあと活躍する姿を見たとか、危ないところを助けられたとか、劇的なことがあったわけじゃない。ほんの数秒みかけただけのシャオ・エンティの姿に、イッサは憧れを抱いたのだった。


 温室を後にしたイッサは自室に戻る気にはならず、ナイトの様子を見ようと医務室に足を向けていた。

 医務室の扉に手を掛けようとしたとき、

「どういうことだ!」

 中から怒声が聞こえた。

 恐る恐る扉を開け中をうかがうと、先刻ウェスト地区地下で出会い別れた先輩、リヒトが常駐医のベリオに掴みかかっていた。同時に両手を上げたベリオの弁明が聞こえた。

「さっきも言っただろう。必要な薬草がないんだよ」

「それじゃあいつは、グランツはどうなるんだ!?」

 そのやりとりにイッサは状況を察し、

「先輩がどうかしたんですか?」

 次にはふたりに声を掛けていた。

 ふたりがイッサに振り向き、リヒトは掴んでいたベリオの胸倉から手を離した。そして告げる。

「……地下で受けた毒、まだ解毒ができてないんだ」

「そんな、それじゃ先輩は……」

 頭を掻きながらベリオが答える。

「毒が回って危険な状態だよ。解毒薬さえあればどうということはないのだけど、調合に必要な薬草の一つが手に入らなくてね」

 ガーディでは育てておらず、ベリオの助手が店を回っているが未だ成果はないと言う。

「フランさんは? 庭師のフランさんなら、ヘケルで薬草も生み出せるんじゃ」

「ほんとうか後輩!」リヒトはイッサの肩を掴み訊き迫った。

「確かにあの徒に頼めれば……ただ氏は居場所が掴めないことで有名だから、どこにいるか……」

「俺、少し前まで温室で話してたんです。まだ近くにいるかも。俺、捜してきます。なんて薬草ですか?」

 ベリオは千切った図鑑のページを見せ、名を告げた。

 それを聴いて駆けだそうとしたイッサに、リヒトが声を掛ける。

「後輩、俺も敷地内を捜してみる。そっちは頼んだぞ」

 リヒトは今までになく真剣な顔で、相方を助けたいという切な意思のこもった眼差しを向けた。

「……はい」

 そう応えながら、イッサは内臓が無力感に捻り上がるのを感じた。


 向かった温室にフランの姿はもうなかった。

 こんなことならどんな用事か訊いておけばよかったと、後悔が浮かんだ。

「どうしよう……」

 ひとりを捜すには広すぎる敷地。しかし、あてもなく捜し回るのも、このまま温室で待つのも、手遅れになる可能性が高い。それだけは避けなければならない。

 おろおろとイッサは辺りを見回す。

 と、道の先に小さな姿を認めた。

「チャボ……」

 一月ひとつき程前、アチキと交わしたやりとりが思い起こされる。

 ――「いい考えってチャボのこと?」

 ――「そ。チャボなら生徒の居場所もわかるでしょ」

 敷地の至る所にいる百数体のチャボは、記憶を共有している。その力を借りて、アチキとイッサは生徒捜しを手伝ってもらったのだった。

「チャボ!」

 そうだ! と、イッサが声を上げた。

 突然の声にびっくりして硬直したチャボにイッサは詰め寄る。

「チャボ、庭師のフランさんがどこに行ったかわからない?」

「フランばしょわからない。まちでかけた」

「出掛けた!?」

 敷地の外ではチャボによる追跡は不可能だ。

(そんな……)

 追跡どころか、今すぐ呼び戻しても間に合うかどうか……。

 チャボを掴んでいた手から力が失われていった。その様子にチャボは耳を下げながらも仕事に戻っていく。

 辺りに徒気とけはなく、草木がざわざわと音を立てるのみ。

 イッサの視界にそんな辺りの様子は映らず、地面についた自身の膝だけを映している。――と、視界に滴が落ちた。

「……くそっ……俺だって、植物のヘケルなのに…………っ」

 イッサの目が、滴を零していた。

 自分がヘケルをちゃんと扱えさえすれば、先輩はとっくに助かっているのに。

 セントラルに来て、驚いたことがイッサにはもう一つあった。セントラルでは「ヘケル」は強者の代名詞だったこと。

 力ある者は「ヘケル」。「ヘケル」は力ある者。

 なのに、俺は無力だ。

 ヘケルでありながら弱者である自分が恥ずかしくて仕方なかった。

「力なき者」でありながら、ヘケルと同じ「力ある彼女」を見るのは恐かった。見られるのが恐ろしかった。生きていることさえ恥ずかしくなって、消えてしまいそうだったから。

「彼女」の中にある力にどうしようもなくながら、変えられなかった自分への感情。

 ――「イッサのことも誘いたかったみたいよ」

 ふと、アチキの言葉が蘇った。

「彼女」が――ハドさんがどうしてそんなことを言うだろう。仕事仲間に誘うなんて、頼りに思っている相手にすることだ。認めている相手に言うことだ。俺なんかを誘う訳ない。

 しかし、思い至る。

(ハドさんは思ってないことは言わない)

 ハドのことは今でもよく解っていない。ほとんど表情の変化がないし、必要なことしか言わないし。けれど解ったこともある。彼女は誰に対しても誠実なのだ。

 ナイトが勝負を挑んできたとき、簡単にあしらうこともできたはずなのに、ハドはナイトと「真剣な勝負」をした。

 多くの徒を痛めつけたヂーコスチにさえ、ハドは正々堂々と戦い、「ひとりの徒」として扱った。

 そんなハドが思ってもいないことを言うわけがなかった。

 それはつまり、ハドはイッサを認めているということ。いったいどこを、なんて、己を恥ずかしく思うイッサにはわかりようもないけれど。その事実はイッサに、「憧れた力」を与えた。

 ざわざわと、草木が立てている音がイッサの耳にも届いた。

 はたと気づく。草木が鳴っているのに、風が吹いていない。

 イッサは顔を上げ、それらを見回す。

 樹が、草が、ひとりでに揺れている。

「…………」

 イッサはフランに初めて会った日に言われたことを思い出した。

 ――「草木は君のことが大好きで、いつも君に語りかけている」

 ――「君からも歩み寄ってみて」

「――っ」

 ばっ、と首を前に戻し、両掌に視線を落とす。指の先まで力が入っているのがわかる。

 上手くいくかわからない。フランのようにさらりと出来る自信なんてない。意識せずになんてさっぱりわからない。

 ――でも――

「やる……できるまで……」

 自分ができないやつで、失敗ばかりなんてわかりきったことだ。

 なら、いまさら失敗を恐れることなんかない。


     4


 数日後。

 イッサは寮の自室で窓辺に立っていた。

「イッサそろそろ行くよー」

 部屋の外からアチキの呼ぶ声。

「今行く」

 外套を羽織らないまま、駆け足で扉に向かう。

 イッサが出て行き、部屋には誰もいなくなった。

 扉の向こうからイッサとアチキの話し声が聞こえる。

「リヒト先輩と先輩、もう外に出てるかな?」

「見送りに行くって言ってあるんだから大丈夫よ。にしても、先輩ズのほうが先に卒業するとはねー。あたしたちのほうが先だと思ってたのに」

「俺たちもたぶんもうすぐだよ」

「【レオ】の入団試験に受かったらね」

 ふたりの足音が遠ざかっていく。

 部屋には窓からあたたかな朝日が注いでいる。

 その窓辺には蚤の市で手に入れたじょうろと、フランに贈られた鉢が置いてある。

 鉢では朝日に輝く双葉が、芽生えていた。

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