第四話/前 インビエルノ

     1


 ハドとナイトの勝負に決着がついた次の日の朝。アチキ、イッサ、ハドのパーティは「ヂーコスチ捜索及び捕縛クエスト」のため、寮の玄関ホールに集合していた。

 両手を頭の後ろに回し、アチキが提案する。

「クエスト行く前に食堂で腹ごしらえしない?」

「そうですね」

 ハドが賛同し、三は食堂に向けて歩き始めた。

「あれ? アチキ、ベルト前のままだね」

 昨日手に入れた新しいベルトに替えないのかと、イッサが尋ねた。

「せっかくだからあれは卒業してから下ろそうと思って」

「卒業してからのこと決めたの?」

「んーまだかなあ」

 話をしていると、前からふたり組の男子生徒が歩いてきた。

「聞いたか? 昨日うちの生徒がまた襲われたって」

「またって、あの〈ライアン〉?」

〈ライアン〉というと、蚤の市で〈連続暴行事件〉の犯者はんじゃとして聞いた名前だ。

 無視できない内容に三徒は足を止め、聞き耳を立てる。男子生徒たちが横を通り過ぎていく。

 そして耳に届いた言葉に、三徒は衝撃を受けた。

「――襲われたのがあのブライト・シールズの弟だって」


 駆け込んだ医務室で目にしたナイトは、元気そうにしていた。

「なんだよあんたたち、なにしにきたんだ?」

「…………」

「まさか俺のこと聞いて来たのか? もう話が広まってるなんてやだなー。こんなことで名前を広めるつもりじゃなかったのに」

 明るい調子で話すナイトを、三徒は暗い表情で見つめていた。

 ナイトは元気している。

 表情と声は元気そうに。けれどベッドに身を預けている少年の体はとても身動きが取れないほどに、痛ましく、傷つけられていた。

 おでこには額当てに代わってガーゼがあてがわれ、布団の外に出ている両腕は――折れているのだろう――巻き物で固められている。青紫に変色した肌が衿口えりぐちから覗く……そして首に残った指の跡が、それらが何者かの残虐な行為によるものだと、如実に語っていた……。

 イッサは言葉が出なかった。視界が暗く、閉ざされていくような錯覚に見舞われた。

 ナイトの頬に涙のつたった跡が、幾筋も見えた。拭えず流した涙の跡。

 彼が懸命に明るく振る舞っているのに、自分は笑顔を繕うことすらできない。

 こんなとき、笑い飛ばしてくれそうなアチキさえ、立ち尽くしている。

 そんな中、ハドが歩み出た。

 彼女はナイトの傍まで歩み寄ると床に膝をついて、優しく、手を重ねた。

 そして――

「生きててよかった」

 閉じかけていた視界が開いた。

 それは、ナイトを羨ましいと思ってしまうほど、切な声だった。ナイトが腕を負傷していなければ骨が軋むほど強く、手を握っていただろう。

「な、なんだよ、大袈裟おおげさだなぁ」

 そこでやっとアチキも声を発するに至る。

「大袈裟ってことないでしょ。あんたその傷でよく生きてたわね」

「僕――じゃなくて俺は〈不屈の騎士〉ブライト・シールズの弟だからな。ちょっとやそっとじゃくたばらないぞ」

 誇らしげにするナイトの表情にイッサもやっと微笑が浮かんだ。と、ナイトは俯きがちに続ける。

「……ほんとは死にかけてたんだけどな。ベリオ先生っていう、イケメンの先生が治療してくれたおかげだ」

「ベリオ先生がイケメン~? いっつもくまつくって髪ぼさで、胡散臭いあの先生が? なによりあの先生はゲロ不味な泥を飲ませてくるのよ」

「誰だその怪しい奴は」

 ナイトが目をみはったとき、顔を上げたハドも目を瞠っていた。重ねている手の反対側――ナイトの左手の中を見て。

 それに気づかず、アチキはナイトと会話を続ける。

「だからベリオ先生だって。ところであんた、あの大事そうにしてた盾は? 見当たらないけど」

「…………れた」

「え?」

「……こわ……っ、された」

 アチキも気づいた。ナイトの左手に、金属片が――砕けた盾の欠片が握られていることに。

 ――壊された。

 どうしたら、こんな風に壊れるのだろう。分厚い金属製の盾が、氷のように砕けるなんてことが。

 ナイトを襲い、盾を砕いたライアンとヂーコスチが同一だとしたら、自分たちはとんでもないものを相手にしようとしているのではないか?

 その場の誰もが言葉をなくした。

 そのとき、後ろから一体のチャボが入ってきた。

「ハド・ペルセポネしょうしゅう。すぐくる」

 ハドは立ち上がり、声を掛けることなくナイトに背を向けた。アチキに一言、

「食堂で待っていてください」

「ぁ、うん」

 簡潔に伝えるとチャボの後に続いていく。

 すれ違うイッサには、ハドの心情を読み取ることはできなかった。


 食堂へ向かったアチキとイッサだったが、食事をする気分にはなれなかった。なにも頼まず、ただ席に着いてハドを待っている。

「ハド遅いね」

 机に頬をつけたアチキが言った。

「……そうだね」

 項垂うなだれるイッサが返した。

 食堂に来てからどれぐらい経っただろう。イッサは周囲の様子をぼんやりとしか憶えていなかったが、賑やかだった声が聞こえなくなっているなぁと思った。おそらく一時間くらいは経っている。

「アチキ、なにか食べる?」

「ん~……」

 アチキはそのまま黙ってしまった。

 イッサも黙った。そうすると思い出す。医務室を出てすぐのこと。

 ハドが召集を受けて間もなく、アチキとイッサも医務室を後にすることにした。

 ナイトは顔を逸らしていて、イッサは声を掛けられないままだった。

 そして廊下に出てすぐ聞こえてきた――嗚咽おえつ

 ナイトの押し殺すように泣く声を思い出す度、イッサは胸が絞めつけられた。

「おまえたちここに居たのか」

 沈んだ空気を作っているふたりに声を掛けたのは、担当教員のニクスだ。

「ぁ、ニクス先生……。どうかしたんですか?」

「あたし今アカちゃんと話す元気ないわよ」

「なんだ。通夜みたいな雰囲気だな」

「その、気にしないでください……」

「もっと気落ちしそうな知らせを持ってきたんだが……話していいのか?」

「なに~?」

「ハド・ペルセポネがパーティから抜ける」

 ショック以前になにを言われたのか、イッサには理解できなかった。

 アチキはばっと顔を上げた。

「なにそれどういうこと!?」

「優先しなければならない別件が入ったんだ。卒業いっぱいまでのな。よってパーティは解散。クエストもキャンセルだ」

「なによそれ……」

 アチキも状況を吞み込めないようだった。

 それから武闘大会まで、アチキとイッサがハドの姿を見ることはなかった。


     2


 冬季武闘大会インビエルノ。〈無敗の女王〉最後の武闘大会として、開会一週間前から大きく宣伝されていた。

『〈無敗の女王〉最後の大会

 ――優勝した者は“史上最高の栄誉”を得るだろう』

 そう謳われた広告が撒かれているのを、アチキとイッサも街でみかけた。

〈無敗の女王〉の徒気ときはすさまじいもので、チケットの倍率は過去最高となった。

 アチキとイッサは入手を諦めかけていたのだが、ニクスがチケットを用意してくれた。

 アチキは選手として参加しようかとも考えたのだが、「自分が可愛かったら今回の武闘大会には出ないほうがいい」というニクスの意味深な忠告に従い、止めていた。

 そして訪れたインビエルノ開会の日。

 ニクスの発言はなんだったのかと拍子抜けするほど、予選は例年通り進行していた。

「おもしろくないわー。ハドの出番まだけっこう先だし」

 観戦席でコーンスナックをむさぼりながらアチキが言った。

「これなら出場してもよかったかなぁ」

「まあま。次は前期総合成績二位だったコウカ・フエゴくんの試合だから、盛り上がるんじゃない?」

 コウカ・フエゴは今月初め、卒業の危機に立たされていたアチキとイッサが初めに声を掛けた生徒だ。細身でアチキより少し背が高いくらいの小柄な男子だった。

 パーティの中でリーダー格らしい彼は、一対一の個徒こと戦である武闘大会でも華やかな活躍をしていた。

 先程まで戦っていた選手たちがけ、次の対戦者が入場してくる。

「あれ?」

 コーンスナックを口に運んでいたアチキの手が止まった。

 入場してきたのは背が高くがたいのいい男。フードを被っていて顔が確認できないが、その体格だけで違和感を持つには十分だった。

「あんな徒だっけ?」

 その試合、闘技場は異様な空気に包まれた。

 試合はフードの男による一方的なものだった。

 武器を持つ相手選手に対し、フードの男は素手。しかし相手選手になにをすることも許さず、男はその者を蹂躙じゅうりんした。

 相手選手が意識を失ったことで試合は終わった。勝者としてコウカ・フエゴの名が挙げられた。

 彼を見知った者はみな気づいていた。彼とフードの男は別者だと。

 観衆が気づいていることを運営が気づいていないわけがない。だというのにフードの男を勝ち上がらせた。

 観戦席のあちこちで疑問の声が上がる中、武闘大会は何事もなかったかのように続行された。

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