第3話
魔王こと俺、倉島翔は、いま目の前で起こっている事態が理解できずにいた。
この異世界に、日本語で、俺の本当の名前を呼ぶ人物が現れたのだ。
しかもそいつはよくわからない女装をして、完璧のはずだった男子禁制の結界を抜けて来たのである。
下手をすれば自分と同等、あるいはそれ以上の魔法を使えるのかもしれない。
少なくとも、ダンジョンの中で彼はトラップやモンスターをいともたやすく無効化してきた。
何より恐ろしいのは、その目的は自分を元の世界、すなわち現代日本に返すことだというのだ。
奴は笑顔を浮かべ、ゆっくりとカツラを取って懐へとしまい込む。
そして唇を歪めたまま、勝利宣告を口にし始めた。
「まあ確かに、あの結界の強度は大したものだったよ。それは俺も思う。だが
自分の能力や策が解体され、暴露されていく。
これ以上こいつを喋らせていてはいけない。
「いいから黙ってろ!! ここは魔王の間だぞ! 俺を馬鹿にしてるのか!」
「そりゃ馬鹿にはしているさ。でも、鹿にはしないからそこは安心してくれていいぞ。俺、あいつ嫌いだし」
「鹿? なんだ? まあいい、黙れと言っている!」
奴がべらべらと口を動かすのに対して、俺はさらにエネルギーの塊を撃ち込んだ。
腕を振るえばその軌道に黒い塊が浮かび上がり、それがおしゃべり野郎に向かって飛んでいく。
「おっと、危ないな。
奴も反撃に出て俺に向かって衝撃波を飛ばしてくるが、それは計算通りだ。
だが、俺にとってはこの程度の攻撃など気にする素振りを見せる必要すらない。
ここは魔王の間で、俺は魔王なのだ。
衝撃波は、俺にぶつかる寸前で、そのまま、まるで熱に炙られた雪玉のように宙で消え失せていった。
「チェッ、
「無駄だ、無駄。俺は魔王で、ここは魔王の間だぞ! たとえ貴様が女でなくても、ここで魔王である俺に勝つのは不可能なのだ。元の世界に帰れだと? 馬鹿も休み休み言え。俺はこの世界で、このダンジョンで、魔王として君臨し続けるのだ!」
そしてさらに黒い塊を宙に生み出し、それを次々に奴へとぶつけていく。
奴はそれをマジックシールドで防ぎつつも、明らかに分が悪そうにしているのが俺から見てもわかる。
幾度か手を変えて反撃を試みてくるが、それらも全て、俺がなにかするまでもなく、俺の直前で打ち消される。
「どうした、その程度か。まあ当然だ、魔王の間で魔王に勝つことは不可能なのだ。貴様は俺の楽しみを滅茶苦茶にしてくれたからな。その分はしっかり返してやるからな……」
「なるほどな、さすがは魔王様というわけだ。どうやらこの魔王の間で勝つためには、俺も魔王になる必要があるのかな?」
「なっ……」
奴の言葉に、思わず手が止まってしまう。
その口ぶり、言葉に込められた魔力。
奴はおそらく、この魔王の間のシステムを理解したのだ。
魔王という言葉に魔力を込めて発する事で、この間の結界はその人物を魔王として認識し、それを積み重ねることで本物の魔王となり、絶大なる力を手にする。
奴も魔王に成り代わろうというのか。
いや。
一つ心で深呼吸をする。
システムが理解できたところで、この結界は破れない。
この結界そのものを破ることは生半可な魔法では不可能だし、それだけの隙を作ればその時点で俺に対して無防備になる。
かといって、あそこの女どもでは隙を作る時間さえも作れないだろう。
女はここでは無力だ。
絶対なる魔王の防衛圏。
俺が積み上げた魔王の力の全てがここにある。
今から追いつけるはずがない。
そして魔王は唯一の存在だ。
魔王は一人でいいのだ。
だが俺の動揺したその間隙を縫って、不意に奴は手を止め、左手を掲げる。
そこには、小さな青い球が握られており、奴はそれに向かってつぶやいた。
「じゃあ、こいつだ。『
魔力の言葉が玉に吹き込まれる。
そして同時に、玉はドロリとした青緑のゲル状の液体になり、ボトボトと地面へとこぼれ落ちる。
明らかに元の玉よりも多い質量。
言葉のとおり、なにかしらの召喚魔法だろう。
「ふん、なんだその液体は。何かわからんが、その程度でこの魔王の間の力を破れると思ったのか? まあどんな怪物だろうと、魔王である俺には手も足も出ないだろうがな」
「いや、
そういいながら奴がその液体を指差すと、液体が小山のように膨らんで塊となり、やがてそこに不気味な顔が浮かび上がってきた。
人間の顔を真似たような、不気味な顔のパーツの集まり。
そしてその顔が男に話しかける。
「よおイフネの旦那。久しぶりじゃねーか。俺に仕事を回すとは珍しいな。今日の相手はなんだ? 反乱者どもか? 断片群か? それとも最近流行りの吸血鬼か?」
「いや、今日は
奴の言葉を受けて、ゲル状の液体に浮かんだ顔が、器用に歯と歯茎まで再現して笑ってみせた。
「おっ、なんだなんだ魔王じゃねーの。なるほどそういうことか。つまりそれが属性ってわけだな」
液体から聞こえたその言葉に、俺は一瞬寒気を覚えた。
そしてその悪寒は、液体の塊が器用に俺を指差した瞬間、現実のものとして俺を包み込んできた。
「はいよ、これであんたは無だ」
無。
それはすぐに理解できた。
あの液体の塊が俺を指差した時、俺は魔王を失ったのだ。
そしてそれと同時に、目の前の塊が新たに魔王になったことを悟る。
「な、面白いだろ、こいつ。魔王であり、勇者であり、男であり、女であり、人間であり、吸血鬼であり、エルフであり、ゾンビであり、ドラゴンであり、猫であり、兵士であり、貴族であり、エレメンタルであり、神であり、天使であり、悪魔であり、熊であり、ミュータントであり、忍者であり、亀でもある。つまり全てだ」
そうだ、全てだ。その言葉が全てだ。
俺はそれで、完全に敗北したことを悟った。
ここでは、魔王には勝てないのだ。
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