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 ヨウと初めてセックスをしたときのことを、今でも覚えている。ヨウとは何度も同じことをしているが、やはり初めて体を重ねたときの記憶はすごく鮮明だ。そのときは私だけがひどく緊張していたからかもしれない。

「まさかオーケーするとは思わなかった。本当に良いの?」

 セックスします、と迷わず答えた私に驚いたのだろう、ヨウがそんな臆病なことを言った。はい、と私は首を縦に振る。服を脱ぎ、お金を払って寝台にあがったのに、怖じ気づき、尻尾をまいて帰るなんて真似はしたくなかった。しかし、ヨウは私に重ねて確認をした。

「今なら、まだやめられるよ」

 彼はそう言いながら、寝台のまわりを覆うカーテンを引いた。カーテンはクリーム色をしていて、陽の光があたると周りをうっすらと黄色くした。キスゲの花を思わせるような色合いに四方の壁が染まっていく。

 大丈夫、と私が言うと、「そんなに言うなら、大丈夫かな」と折れてくれた。そして、振り返り、ワイングラスを持つみたいに私の顎をそっと支え、ほおに唇をつけた。

「これもいやじゃない?」

 私はうなずく。そしてこれが最後の確認だった。

 ヨウは私の首肯を受け取ると、私に触れてくる手つきがしっかりとしたものになり、彼の指先に確かな力が込められた。


 ヨウと診察台みたいなベッドに上ったとき、いつまでも下着を脱ごうとしない私のことを、彼が笑った。

「その下着はたしかに素敵で、いつまでも履いていたい気分になるのはわかるよ」

 彼はそう言って、私が履いているユニクロのパンツのゴムを人差し指でひっぱり、ぱちん、とひかえめに弾いた。

「でも、いまはジャマかな。これからエッチなことをするんだからさ」

 それから彼は、クロッチに人差し指の先をあてがい、わずかにくぼんだ溝に沿わせ、後ろから前へなぞった。そこはすでに雪道についたタイヤの跡みたいに濡れていて、私はそのことに辱めを感じ、彼の肩に顔を埋めた。彼の肩の骨が私のひたいに当たり、それがごりごりとして痛かった。まるで無骨で大きい庭石に頭突きをしたみたいだった。私は恥ずかしさを消すように何度も何度もかぶりを振った。


 ごつんごつん、ごつんごつん……。


 LATTEに置かれている寝台は、とても狭い。もともとひとりが乗るための台だからだ。だから、私とヨウが乗ると、どちらかが落ちてしまうんじゃないかと心配になった。でも、ヨウは塀を渡る器用な猫みたいに上手に台の上でバランスを取った。広い、地に足のついたベッドのほうが落ち着いてできるんじゃないか? と思ったけれど、私は何も言わなかった。ここには、寝る場所がこれしかないからだ。この場所を降りて、冷たく固い床で体を合わせるのは、どうにも気が引けてしまう。

 ヨウは下半身にバスタオルを巻いていて、上半身にあばらの骨が浮かんでいた。でも、あまり脂肪がついていないのか、腹筋が浮き出ている。その体は生白く、まるで命を感じられなかった。まるで彫像とセックスをするみたいだ、と思った。石膏のような彼の体と、うっすらとうぶ毛が生え、汗をかいた私の体がぶつかりあおうとしている。

 ヨウは私の顔の横に手をつき、腕立て伏せのように腕をまげ、私と唇を重ねた。もう、「いやじゃない?」とか、「今なら引き返せるよ」ということは言わなかった。彼は彼なりに、この時間を使おうと決めてくれたのだ。

 私に触れてくるヨウの手には、迷いがなかった。やさしくしていいのか、乱暴に扱ったらいいのかわからない、という手ではなかった。触診をする医師のように的確だった。左右の乳首を順番につまみ、体の輪郭を定められた順番で一巡りし、それからもう一巡りした。そんな機械的な指先でも、私を感じさせるには十分すぎるほどだった。その指先は私の体のあちこちを正しくくすぐっていった。これはたしかにマッサージかもしれない、と思う。ただ手つきが夜の物と見分けがつかないだけだ。ここに精子や愛液や唾液が飛び交わないのだから、かぎりなく不潔なマッサージであるとも言えたし、どこまでも清潔なセックスであるとも言えた。

 彼と触れあうときに一番感じるのは、胸でもクリトリスでもなく、私の体のあちこちに現れた、骨の出っ張った場所だった。肩の尖り、痩せて飛び出した腰の骨、背骨のひとつひとつ、くるぶしの丸み。それらを彼の指でなぞられるたび、私は顔をゆがめて羞恥に耐え、顔を隠した。そういう私を見て、ヨウが笑った。

「大丈夫。僕はあんまり、見てないよ」

 私が体をよじるたび、細い脚をした寝台は頼りなさげにぐらぐら揺れた。まるで吊り橋の上でセックスをしているみたいだ、と私は思う。でもけして、ヨウがバランスを崩すことはなかったし、ヨウは私を寝台の上から落とすことはなかった。行儀の悪い私の足だけが寝台から飛び出て台の上からはみ出し、切れた電線みたいにぶらぶら揺れていた。

 私の股はあっという間に濡れてしまう。ヨウが私の、脂肪がたまった腹を指でたどり、思わせぶりに腰骨をくすぐり、下生えをかき分ける。そうしてから、芝生をいじくる子どものように私の陰毛をつまんで引っ張ったり、くるくると指先でかき回したりした。私は台の上から太ももがはみ出すのも構わず、彼をとがめるために足をのばし、その腹を蹴った。

「ごめんごめん」

 彼が笑いながら、体を起こす。そして、右手の中指と人差し指を陰唇にあてがうと、少しずつ割り開いていった。まるで、とげをぬくために傷口を広げる医師みたいな手つきで。

 そこに空気が入り込むと、私は自分が濡れていることをいやでも思い知らされた。覚えがないほど濡れている。手おけでぬるま湯でも浴びせたみたいだった。ヨウもそのことをわざわざ口にはせず、顔を近づけて息をふきかけた。とたんに私の陰唇は凍えてちぢみあがり、ぶるぶると震え出す。私は手の甲を口に当て、強く噛むことで声を小さく殺した。

「足をあげてもらってもいいかな。右の足がいい」

 ヨウの指示に従い、私がわずかに右足をあげると、ヨウはすかさず右足首を手に取って、自分の右肩にかつぎあげた。そのときに私の体が大きくゆらぎ、寝台の右足が床から浮き上がった。左向きに倒れることを危ぶんで私が体中を固くこわばらせると、ヨウは「大丈夫大丈夫」と何でもないことのように言った。たしかに寝台は倒れず、すぐに水平に戻ったが、私はひやひやとした。裸のまま、冷たい床の上に体を叩きつけられたくはない。

 ヨウが私の右足を肩にかつぐことで、彼の眼前に私の濡れた股ぐらが晒されてしまう。私は驚いて尻をひっこめようとしたが、彼がそれをとがめた。

「暴れないで」

 ヨウが喋るたび、私のふくらはぎに彼の鼻息がかかる。そして、彼は左手で一番長い中指を私の膣口にあてがい、ぬるぬると入り口を数度往復させた後で、一度に全部挿入した。その指先から根元まですべて。ためらいや迷いのない指だった。私はそのことにさらに驚き、絞ったぞうきんみたいに体を固くして、内側で彼の指を締め上げる。しかし指は出て行くことがなく、中指が届くかぎりまで私の中をずるずるとひきずった。彼の左手から生えている、薬指と中指の根元が私の陰唇にくっついている。

 私が抗議の声をあげようとすると、彼は見計らったように、乱暴に、ごしごしと私の中の腹側をこすりあげた。まるで見えない汚れでも落とすみたいに。やめて、と私が言うと、彼は中指を抜き、さらに人差し指をそろえて一緒にいれた。長い人差し指と中指が、礼儀正しく、ぴんと伸びて揃えられていると、それは不揃いの割り箸のように見えた。私の体液で濡れて光っていても、指の造形が美しいせいで、なぜか清潔な印象さえ抱かせた。

「おかしいな。痛くないはずなんだけど」

 抜いて抜いてと繰り返す私に、ヨウはそう返事をする。そう、確かに痛くはない。でも内臓をこんな風にいきなりこすりあげられて、気持ちいいと思うわけがない。ヨウが騒ぐ私を見かねたのか、指を止めて(あくまで抜こうとはしない)全身の力を抜くようにレクチャーした。

「息を吸って。できるだけたくさん」

 そう言って、ヨウが肩をおおげさなほどに小さく、狭くした。私もそれにつられて、思わず息を吸って肩を上げてしまう。

「吐いて。指の形を感じるようにして」

 ヨウの指示どおり、私は息をゆっくり吐く。そして私の内臓をなであげるヨウの美しい指先について考えた。つやつやと光る美しく丸い爪、ささくれやむけた皮なんてひとつもない、長くて美しい指先。それが今、私の内側を撫でているのだ。

「平気そうかな?」

 静かになった私の様子を見計らい、ヨウが私に声をかけ、再び指を動かす。そして親指のはらで固くこりこりと立ち上がった私のクリトリスを強くこすった。私はしっかりと目をつぶり、掴んだ波を逃さないように集中した。自然と私の背骨と、それにつながる腰は高く浮き上がる。

 一番奥の、なにもないところを強く締め付けると、奥からこんこんと水が湧き出てくるのを感じた。それはきっとヨウのきれいな爪の間に入り込み、濡らしている。

 達したのだ、と気づくよりも早く、ヨウに抱えられている右の足ががくがくと震えだした。私の奥から染み出してきた体液は、膣口であふれ、ヨウの手を手首まで濡らしていた。ヨウが息を整えている私に声を掛ける。

「よかったよかった。悪くなかったみたいだね」

 あはは、とヨウがはじけるような笑顔で笑う。濡れたところもなく、裏表もない、からっとした笑い声だった。そのすぐ下、ヨウの手元では私の濡れたヴァギナがオーガズムの余韻を残し、ひくひくと死にかけの動物みたいに涙を流して震えている。

 そのとき、揺れたカーテンのすき間から細い陽光がさしこみ、それがヨウの顔をきれいに照らした。その反対に、私は影の中で息を乱してぐったりと濡れている。私はその光景にめまいを覚える。殴った拳と同じ手のひらで頭をなで回して貰うような、公衆トイレの中でお弁当を食べるような、そういうゆがんだ光景を目にしたようで、ひどく気分が悪くなり、私はそっと目をつぶる。達したあとなのに、胸が詰まってすごく苦しい。


 ――そういうわけで、私は彼とのセックスにめろめろになってしまったのだった。

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