俺と悪夢とセイル=パーナー


 体調が悪いわけじゃない。

 ただ、気が重いだけ。

 まったく、魔族の死体や血、流れ出る体液の臭いがまったくしない日常は、俺にとっては地獄のど真ん中って感じだ。

 誰もが魔族や壊魔の動向やその猛威を気にせずに済むんだから。

 その分どこに気を回すかというと、それに関連する者に向けられる。

 つまり、半人半魔の俺ってことだ。


 もちろん今までこんな気持ちで夜に睡眠をとった回数は十や二十じゃない。

 そして、その眠っている間は、嫌な夢を見る羽目になる。

 だが、どんな夢だったかも忘れるが、翌朝はなぜか必ず気分よく目が覚める。

 我が事ながら不思議な話だ。

 だからといって今回も、気持ちのいい朝を迎えられるとは限らない。


 希望的観測による期待は、大きくなればなるほど裏切られた落胆の度合いも大きい。

 そんな朝の目覚めなど期待せず、寝間着などに着替えることなく、いつもの通りの姿のまま布団に入った。


 ※


 俺は暗がりの長い直方体の中にいた。

 どこかの建物の廊下と言うことはすぐに分かった。

 俺はそこを走っていた。

 走り続けていた。

 壁の所々に見えるドアらしきものを、一つ一つ乱暴に開け、目指すものがそこになかったらすぐに次のドアに向かって走る。


「お姉ちゃん! セイルお姉ちゃん!」


 甲高い声でそう叫びながら、とにかく駆ける。

 逃げるために走っているのではなく、その名を持つ女性を探すため。

 一刻も早く、だ。


 そして彼女がいる部屋を探し当てる。

 一糸まとわぬ青い体の彼女は手術台のようなベッドの上に、体のすべての関節を拘束具で押さえつけられていた。俺はその拘束具を壊そうとそのベッドの上に駆け寄り、いろんなことを試みる。


「どうして来たの?!」

「早く逃げなさい!」


 彼女は俺にそう叫んでいたような気がする。

 そんな声を出す彼女は、おそらく険しい表情を俺に向けていたんだろう。

 けれど、拘束具を壊そうとしている俺にはその言葉の断片しか聞こえてこない。

 やがて、後頭部に痛みと共に衝撃が走り、即、暗い闇の中に落ちていく感じがした。


 気が付くとその隣の手術台の上に、彼女と同じように括り付けられていた。

 拘束具を引き抜こうと、引きちぎろうと、抜け出そうと何度ももがく。

 拘束具から解放されるはずはない。

 器具に触れている部分の肌から血が滲み皮膚が破れ、肉も切れていく。

 激痛が走る。

 しかし彼女を助ける妨げにはならない。

 だが金属の拘束具を何とかする力は、俺にはなかった。

 彼女を助けられなかったことに、そしてここから脱出したい彼女の願いを叶えるための力と知恵が不足していたことに、悔し涙が流れる。

 それは尽きることはなかった。


 ※


 自分の視点で見えていた一連のこの光景と、それらを誰かがどこかから見ている視点で見えるその光景は、これ以上苦しい辛い思いをしたくないという思いに応えるように、次第に暗くなり見えなくなった。

 いつの間にか体は動く。

 しかし前に伸ばした手、腕、肩も見えないほどの暗闇と、何の音も聞こえない静寂に包まれる。

 やがて遠くから何かが聞こえてくる。


「……ゴ。ヒーゴ」


 真っ暗な世界が、まるで鏡かガラスが割れるように砕け散り、そして今度は、手や腕で遮ってもなお瞼を貫く白い光に包まれた。

 光の中で、聞こえてくるそれは俺の名前を呼ぶ声。


 聞き覚えはある。まだ覚えている。

 懐かしく、そして一緒にいる時は、いつも安らぎを与えてくれていた彼女の声。

 けれど、もう二度と聞くことができない声。

 そしてもう二度と見ることができない彼女の顔と姿。

 なのに、彼女の姿を見ることができた。

 なぜならここは、眠っている俺の夢の中だから。

 そして俺は思わず呼びかけた。


「セイル……お姉ちゃん?」

「うん。……夢の中だからかな? ヒーゴはあの時と変わらないね」


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