令嬢からの依頼の裏側
壊魔に襲われづらいルートを通る海路とは言え、船は急いでランザイドに向かう。
だがその船の上の俺達は緊張感はなく、のんびりとしたものだ。
しかしレックスはリクライニングシートの上で膝を抱えてうずくまっている。
考えていることは大体分かる。
ミーンと一緒にここにいて、いろいろ語り合う時間を過ごすつもりでいたんだろう。
彼女は事務仕事があるということで、船長室に籠って仕事中。
まったく……あいつは子供か。
まぁそれだけ船にいる間は時間が余ってる、ということは言える。
畜車の中で大体の契約の話を聞き、あとは依頼の契約書にサインをするだけ。
それはミーンの事務所で行うことにした。
となると、航海中にしなければならないことは何もない。
甲板のリクライニングシートの上で海風の感触を楽しむ。
久しぶりに気持ちを緩めた時間を過ごすことができる。
はずだった。
それが俺とレックスは今、俺達の顔を見てからずっと不愉快そうな表情を続けている、ミーンの執事ライナスの部屋にいた。
「ちょっとよろしいでしょうか? 契約を交わす前に、伝えておきたい話がございます」
静かな、穏やかな口調だがその表情は変わらず。
仕事中ならともかく、何かをしなければならない用事もない。
人の耳に入ると困る話らしく、彼の部屋にレックスと共に招かれた。
「で、話って何よ? まぁ退屈を紛らわせるだけマシかもしれねぇが」
レックスはレックスで、やはり不機嫌な顔をしている。
目の前にいるはずの人物が、綺麗なねーちゃんから不愉快な顔をした男になったのだから、こいつにとってはくだらない時間を過ごすことにはそんなに変わりはないんだろう。
「私も簡潔に話を進めたいと思っておりますが、それでも時間はかかります。申し訳ありません」
表情が口調と一致しない。
こいつにうさん臭さを感じるのはそのせいだろう。
仕える主の決定には、どんなに自分の意に反していようが逆らわない。
だがその感情をこっちに向けてくる、八つ当たりの対象にされている気分だ。
「お嬢様と交わされる契約の件で、ある条件を付け加えさせていただきます。そしてこれを飲めなければ、お嬢様との契約は破棄、となります」
「え?」
「勿体つけるな。あいつと契約を結ぶ前提の話なんだろう? ならそれを先にはっきり把握しなければ話にならない。それに元々こっちは乗り気じゃなかったからな」
「お、おい、ヒーゴ」
綺麗なねーちゃんとすぐさまおさらばしなきゃならないってことだからな。
レックスが狼狽えるのも仕方がないだろうが、そんな甘い話は世の中にはほとんど存在しない。
ましてや、壊魔によって世界が半壊以上被害を受けているこの時代だしな。
「ですが、何の憂いもなく、お嬢様との契約は為されるかもしれません。我がアルカンヌ財閥総帥より要望を預かっております」
「総帥……って、確か彼女の父親でもあるんだよな? で、あんたの主は総帥じゃなくてあのお嬢さん……だよな? どのみち上の立場ってことは変わらねぇけど、なんでそのトップの人が自分のじゃなく別の人の執事に言伝を頼むわけ?」
レックスの疑問ももっともだ。
だが、父親は自分の娘を目離しできず、こいつの仕事を総帥が決めたというなら理屈は通る。
意外とあのお嬢さん、役に立たない箱入り娘かも分からんな。
だが彼女への評価を決めるのは、まだ早い。
「……簡潔に話を進めさせていただきます。我が娘の依頼は、我々の経営方針と保安並びに維持に逆らわない限り引き受けてもらいたい。そして時折こちらからも突発的に仕事を依頼するかもしれないので、障りがなければ引き受けてもらいたい。とのことです」
随分とちゃっかりしてるじゃないか。
仕事を依頼する。
その報酬は、すでにもらってあるだろう?
そんなところか。
これはお断りの案件だな。
「ただし、こちらからの依頼があろうがなかろうが、娘、そしてアルカンヌ財閥後継者でもあるミーン=アルカンヌからとは別に、報酬として金貨五億万枚もしくはそれに見合った物を用意する。これは、ミーン=アルカンヌとの契約が切れるまでの報酬とする、とのことです」
「ご……おく……」
単純に報酬額として考えれば、破格だ。
踏み倒された件もあわせた報酬額の平均は金貨三万枚ほど。
だが、戦局をひっくりかえしてほしい、兵を全員生還させるように、この地域に存在する壊魔のせん滅などなど。
依頼内容は実に分かりやすかった。
それが今回は、食料生産高を増やしてそれが安定するまで、などと言う子供めいた中身だ。
無期限で、その仕事が農業一辺倒なら……まぁ覚悟はしてる。
だがその途中で戦闘の依頼が来るかもしれない。
しかもそのペースや作戦の内容も曖昧。
そして報酬も、現実的ではない額だ。
全て聞かなかったことにしたくなる。
「アルカンヌ金融で金銭を預け入れ、引き落としができるカードをお作りしました。すでに振り込まれております」
ライナスが使っている通信機器にそのカードを差し入れた。
画面に表示された預金額は、確かに五億になってはいるが……。
「この機械では無理ですが、船内にお金を引き出せる器械はありますが……お引き出しなさいますか?」
「引き出したところで使い道はない。……そっちから依頼が来た時、こっちが断る場合もある。それはどうなんだ?」
「お嬢様からの指示が出ないように配慮します。それで問題ないはずですが」
主のミーンの方を軽んじているように感じる。
「お前……別系統だろ?」
「別系統?」
いきなりレックスが訳の分からないことを言い出した。
「あぁ。俺らを見る目がさ、見下してる連中に似てるんだよ。だがあのお嬢さんにはそういう感情がなさそうなんだよな。それどころか、純心爛漫……天真爛漫? そんな感じだ。あんたとお嬢さん、どっちかがどっちかに染まってないんだよ。なんか違和感があるなーと思ってたらそこなんだな」
ウザい。
しかし何かの存在を察知する……これは性格か体質か。
そればかりじゃなく、こいつはそういう勘もよく働く。
いや、決して俺が鈍いって話じゃない。
はずだ。
「ひょっとして、汚れ仕事を全て請け負って、お嬢様には綺麗なままでいてもらおうとか? 世間ずれしてるように思えたのは、その教育の賜物かな? まぁそれで俺達に何か被害がやってくるわけじゃなけりゃ別に構わねぇけどよ。なぁ、ヒーゴ」
レックスの奴、何か変な物でも食ったか?
真面目な顔が、やけに不吉な事を引き寄せそうな気がする。
「首に鈴をつける、とか何とかってことだろうよ。『混族』に対してどう思ってるかは知らんが……報酬がすでに振り込まれている分、今までの不埒な依頼人どもとは違うか。フェイクや機械の使用不可になったら、こっちも依頼を無視すりゃいいだけの話だから……まぁ依頼人としてはマシな部類だと思うぞ? レックス」
「そうだな。となると、こっちからも条件つけなきゃな」
「条件、とは?」
「その機械が使用不可になってはならない。常に正常に稼働し続けること、かな」
「問題ありませんよ。機械が使えなくなったら窓口で対応すればいいだけの話ですから」
先の話など、予期せぬ出来事が起きたとしても今はその予想もできない。
こっちに不利な出来事が起きたら、その契約は放棄。そして相手はそれに対して問題なしとすればいいだけの話。
「ま、いずれにせよ、こっちは依頼人を裏切ったことはない。依頼が解消されるのは、いつも依頼人が依頼の変更を勝手に進めたり報酬を出し渋るのが原因で、それがすべてだ。難癖をつけられるのも面倒だからカードはあんたに預けておく」
「いいんですか? 私が勝手に使いこみかねませんよ?」
「その時には、依頼の話自体なかったことにするさ。言った言わないの水掛け論だ。そっちの言い分に軍配はあがるだろうが、仕事以外の場所では戦場を作る気はない」
誰でもそうだ。
俺達傭兵に出す報酬は無駄な出費と考える。
そして無駄な出費は減らそう、なくそうと考える。
報酬の用意をしていても、それが俺達の手に渡るかどうかまでは不明だし、受け取った後も取り上げられることもあった。
今回の件は、今のところは別に気にはしない。
仕事をしなきゃそれでいい。
ましてや今は口約束の段階だ。
今回の用意された報酬もそう。
ならば手にしなければ、こちらから問題が起きる事実はない。
事実を歪曲されるかもしれないが。
「まあ今回の話で、総帥とやらに引き抜かれる恐れはないってことは分かった。今はそれだけで十分だ。レックス、戻るぞ」
「お、おぉ……」
ライナスの「お嬢様にはどうかご内密に」という言葉を背中で聞いて、俺達は執事の部屋を出た。
「それにしてもよぉ、ヒーゴ」
「ん?」
「そんな風に考えてみるとさ、ひょっとしたら日当の金貨一枚って、それも破棄されるかも分からねぇな。あんな綺麗なお嬢ちゃんがそんなことをするとは思えねぇけどな」
あり得なくはない。
正式に契約を交わしたところで、実際こっちは結局のところ受け身の立場だ。
報酬を支払うに値しないと言われればそこまで。
「一日や二日はただ働きの覚悟は決めとけよ? それと住む場所も指定されてないからな」
「流石にそれはねぇんじゃねぇの? 石橋を叩いて割るようなお前の言葉も、たまには当てになるから有難ぇけどよぉ」
「ま、すべてはランザイドに上陸してからだ。久々に個室をあてがわれたんだ。お前の顔を見ずに休めると思うとうれしくてしょうがない」
とは言っても到着予定時刻は夕方らしい。
どっぷりと眠りにつくことはできないが、貴重な一人きりの時間は堪能させてもらおうか。
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