二十二 丘の上で 一

「こ、これはなんだ?」


 ベレンテル候が驚きの声を上げます。


「妾の作った魔法の鏡です。まさか、空が飛べるようになっていたとは!」

「さあ、早く乗せて下さい」


 一郎が急かします。ベレンテル侯がそっと白雪姫を鏡の上に横たえました。ところが、浮き上がれません。なんとか浮こうとするのですが、地面にへばりついたままです。


「お妃様、申し訳ありません。重くて浮き上がれません」

「ええい、役立たずめ!」


 お妃様が一郎をパシッと叩いた途端、一郎はふわりと浮き上がりました。


「お妃様、お妃様が触ったら力が漲って浮き上がれました。お妃様の魔力があれば、白雪姫様を乗せて飛べます。一緒に乗って下さい」


 お妃様が一郎の体の端を掴みました。一郎の体に力がドクドクと流れ込んで来ます。

 一郎は精一杯体を伸ばしました。畳一畳分ほどの広さに広がります。ガラスで出来ている筈なのに。これもお妃様の魔力のおかげなのでしょうか?

 お妃様が白雪姫と共に鏡の背中に乗ります。


「私も行こう」


 ベレンテル候も乗ってきます。一郎はふわりと浮き上がりました。お妃様が鏡の端をしっかりと掴んでいます。

 一郎はスーッと浮き上がりました。お城の塔よりも高く、城壁もひとっ飛びです!

 眼下には城下町、その先に畑が、牧場が広がり、そして遠くに森が見えて来ました。

 背の高い木々を超えて一郎は飛びます。


「あそこじゃ、あの丘の上じゃ。ガラスの棺が見える」


 お妃様の言う通り、一郎にも見えて来ました。

 一郎はゆっくりとガラスの棺の隣に着地しました。

 ベレンテル候が白雪姫を抱き抱えて下ろします。お妃様がガラスの棺に駆け寄りました。

 が、蓋がしまっています。蓋が開かなければどうしようもありません。


「妃よ、蓋をあけよ。早く」


 お妃様がガラスの棺を調べますが、どうしたらいいのかわかりません。

 ベレンテル候は草の上に毛布に包んだ白雪姫をそっと下ろします。短剣を抜き蓋と本体の間に剣を入れて開けようとしました。しかし、隙間が全くありません。つなぎ目あたりに無理やり剣を突き入れます。


「乱暴はいけません。壊れてしまいます」驚いて止めようとするお妃様。

「ええい、離さぬか」


ベレンテル侯がお妃様を振り払おうとしますが、お妃様は必死になってベレンテル侯にすがりつきます。


「どうか、落ち着いて下さい。白雪を治す最後の望みです。どうか!」

「蓋が開かぬでは白雪を入れられぬではないか!」

「お妃様、恐れながら申し上げます」一郎です。一郎は白雪姫を降ろした後、体を起こしていました。垂直に立った鏡にはお妃様とベレンテル候、ガラスの棺が映っています。真ん中から突き出た銀のサジが上下に揺れ一郎の顔が鏡の表面に浮き出ました。


「なんじゃ?」

「恐らくこれは宇宙人が残していった全自動医療システムかと思います。どこかにマニュアルがある筈です。お妃様の魔力をもってすれば使い方がわかるかと」


 お妃様は棺から一歩下がり棺を眺めました。以前、一郎を起こした時は魔力を使わなくとも太陽エネルギーが不足しているとすぐにわかりました。太陽のマークというとてもわかりやすい記号が並んでいたからです。今回は魔力を使った方が早そうです。

 ベレンテル候は短剣をしまい白雪姫の側へ庇うように膝をつきます。

 お妃様が呪文を唱え意識を集中させます。棺から文字が空中に浮かび上がりました。ふわふわと文字列が棺の周りに並びます。


「これか!」


 棺の土台に滑らせた指先が何かの模様を押しました。スーッと蓋が開きます。


「おお、さすがでございます」一郎は感嘆の声を上げました。


 ベレンテル候が白雪姫を抱き上げ棺に入れます。蓋がゆっくりと閉まりました。同時にガラスの棺が光り始めます。蓋が曇って中が見えなくなりました。治療が始まったのでしょう。五つあった太陽のマークが総て消えてしまいました。


「これで良いのか?」


 ベレンテル候が呻くように呟き、お妃様を振り返って睨みつけました。候の美麗な容貌が狂気に濁っています。


「そなただな。そなたが姫に毒をもったのだな!」

「な、何を仰せになります。妾がそのような事、する筈がありません」

「いや、お前だ。お前に違いない。お前は白雪姫が日に日に美しく成長して行く様に嫉妬していたのだ。そなたは醜く老いて行くばかりだからな。魔女め、この場で成敗してくれる」


 ベレンデル候がお妃様に向かって剣を抜き放ちました。振り下ろされる剣。


「危ない!」


 ベレンテル侯が振り下ろした剣は魔法の鏡にあたって跳ね返されました。

 ベレンテル候はハッとして後ろに下がりました。鏡には自分自身が映っています。剣を跳ね返され、驚きの表情を浮かべている自分自身。醜く歪んだ顔。等身大の自分自身。


「落ち着いて下さい」一郎が叫びます。

 後ろに隠れたお妃様が「何も言うでない。鏡よ。候の姿を映し続けよ」と囁きました。

 候は剣を振り上げ鏡にもう一度打ちかかろうとしますが、鏡に映った自分自身の姿に剣を振り下ろせません。醜い自分の姿を見せつけられ落ち着きを取り戻すベレンテル候。タジタジと後ろに下がります。

 鏡から顔を背けガラスの棺に向き直りました。棺に手をつき曇りガラスの向こう、微かに見える白雪姫を棺の上から抱きしめ涙を流します。


「妃よ、お前が悪いのだ。何もかもお前が。鏡の後ろになぞ隠れてないで出て来い! 我が裁きを受けよ!」


 とその時です。野太い声が響きました。


「そうです! お妃様が悪いのです。お妃様こそ、諸悪の根元!」


 森の国の大使でした。

 お城に滞在していた森の国の大使はベレンテル侯とお妃様が白雪姫を連れて飛んで行く様子に、千載一遇のチャンスとばかり、部下を引き連れてやって来たのでした。


「さあ、お妃様を成敗致しましょう、そうすればこの国はあなた様の物。世継ぎの君など廃嫡すれば良いのです。逆らうなら打ち滅ぼしましょう。そうすれば、王冠はあなた様の物。あなた様が王になるのです」

「私が、王!?」


 ベレンテル候の顔に恍惚とした表情が浮かびます。

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