二十 魔除けの鏡
お妃様はほーっとため息をつきました。目から溢れそうになっていた涙をそっと拭っていつものキリリとした表情になりました。テーブルの上のベルを鳴らします。
侍従長が壺を持って入って来ました。お妃様はその壺を受け取るや、指を喉に突っ込んで食べた物をすべて吐いてしまいました。侍従長が差し出したコップの水に、ポケットから出した水薬を数滴落として飲み干します。肩で大きく息をするお妃様。ぐったりとしていますが、先程より顔色がよくなったようです。
侍従長がテーブルの上の皿を片付け、新たに持って来たスープをテーブルに置きます。
お妃様はそのスープをゆっくりと飲んで行きました。終始無言です。飲み終わったスープを侍従長がやはり黙ったまま片付けました。
まるで何かの儀式のようでした。二人はとてもとても嫌な作業を、それでもしなければいけない作業を、黙々とこなしている。一郎はそんな連帯感と危機感を二人から感じました。
一体、何がどうなっているのでしょう?
一郎にはわからない事だらけです。ただ、お妃様が心配でした。こちらに戻った時、些か太ってはいたものの、以前にも増して溌剌と輝いていたお妃様。それが、たった半年でこうも痩せてしまうとは。今の食事に何か関係があるのでしょうか? あの薬は何なのでしょう?
一郎は侍従長が一人になった時を見計らって、この食事についてきいてみようと思いました。
「イチローさん、あの魔法の鏡が国境線に鏡を配置してほしいと願い出ておりますが、如何いたしましょう?」
侍従長が一郎の頼みをお妃様に報告してくれています。
「鏡をか?」
「はい、なんでも国境線を監視するのに必要だそうです」
「なるほど、水鏡では空ばかりだろうからな」
お妃様は俯いて考えていましたが
「砦に魔除けと称して鏡を配置させよう。国境線を見張る為と言う訳にはいかぬからな。あれが千里眼のごとく鏡を通して遠くの景色を見張れるとわかると敵も警戒するだろうが、魔除けの鏡と言えば敵も油断するだろうよ」
「見張るだけではなく、コンタクトも取れるようです」
「なんと」
「私の懐中時計を使って鏡と話せます」
侍従長が懐中時計をポケットから取り出そうとしました。一郎は慌てて今まで見ていた窓ではなく実験室の定位置に戻ります。
懐中時計、一郎の世界では小さな輪になった窓から侍従長の声が聞こえて来ました。
「一郎さん、聞こえますか?」
一郎は音声スイッチを入れ、小さな輪に顔を近づけました。
「はい、聞こえます」
「こちらにお妃様がいます。国境線に鏡を設置する話を今していたのですよ。あなたといつでもコンタクトを取れる話もしましたよ」
「ありがとうございます。お妃様、ぜひ、鏡を設置してください。そうすれば、クリアに国境線を見張れます。何かありましたら、懐中時計を通して侍従長に警告できます」
「其方、どこまでバージョンアップするのだろうの。侍従長よ、一郎の希望通りにいたせ」
「承知致しました」
侍従長はあの間(はざま)の女神の神殿で魔除けの鏡を売り出させようと思いました。お妃様の命令で魔除けの鏡を設置したら、何かの防衛手段ではないかと国境線を狙う山賊達に気づかれるかもしれません。ですが、神殿から魔除けと称して売り出された鏡なら誰もお妃様と結び付けて考えないでしょう。
自然発生的に魔除の鏡を国境線あたりに配置するにはどうしたらいいでしょう?
国境線を守る兵士達に敵の矢を避ける効能があると思わせるのがいいようです。侍従長は早速、神殿の巫女に会いに行きました。
「鏡の製造を支援して産業を育成する為に魔除けの鏡と売り出したいのです。ご協力願えませんか? この鏡を持っていれば不運を避けられるといえば皆買うでしょう」
話を聞いた巫女は言いました。
「申し訳ありませんが、そのような実際にはない効能をあると偽って売るなど、女神様に仕える身として出来かねます」
「本当にないのでしょうか?」
「ないに決まっているではありませんか! 女神様からそのようなお告げ、聞いておりません。お引き取り下さい。商売繁盛の為に女神様を利用しようとするなど、もってのほか!」
巫女様は無表情に言い放ちました。巫女様の怒りのオーラがあたりに満ち満ちています。
「ですが、鏡が魔除けとなる話は古くからある話です。魔除けとなるよう清めた鏡であれば尚のこと、ご利益があると皆信じるでしょう。本当は必然的に起きる筈だった幸運も女神様のおかげと思うかもしれません。そうすれば、女神様を信仰する人も増えるでしょう。何卒、ご承知いただけませんか?」
「ですが、魔除けにならなかったらどうします? 女神様が嘘をついたとなるのですよ」
「そこは信仰が足りなかったで済む話ですよ。聞き入れて頂けませんか?」
「……、鏡はどうやって清めるのですか?」
「泉の水で洗えばいいでしょう」
こうして説得された巫女は侍従長によって運び込まれた鏡を泉の水で洗い清めたのでした。清められた鏡は格安で庶民に売り出され玄関先に取り付けられました。家族の安全を祈る人々によって兵士の元へ届けられ砦のそこここにぶら下げられました。街道の道標に、宿屋に、あらゆる場所に魔除けの鏡は取り付けられました。こうして長い国境線を見張る体制が整ったのでした。
そんな準備が整っていく間も、お妃様は日曜日にはベレンテル侯が差し出すリンゴのジャムを、食べては吐き食べては吐きを繰り返していたのでした。
ある日、木々の新芽が緑に輝き始めた頃、白雪姫は朝食の盆の上に乗っていたリンゴのジャムをパンに塗って食べ、死んでしまったのでした。
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