十八 鏡

「ふむ、そなた確かに鏡であったのだな」

「お疑いだったのですか?」

「万が一があるからな。さて、そなたを壁にかけねばならぬな。侍従長、額縁を用意致せ」

「お待ちください。お妃様」

「なんじゃ」

「もしかしたら、私、一人で動けるかもしれません」

「は?」

「侍従長様、手を離して下さい」


 侍従長は大丈夫だろうかと思いましたが、一郎の言うように手を離しました。

 一郎は一瞬、倒れそうになりましたが、自立できました。


「なんとなく自分で立てるんじゃないかと思ってたんです。それに」


 一郎はその場で跳ねてみました。


「やっぱり、やっぱり跳ねられます」


 お妃様と侍従長は目を丸くして一郎をみています。

 一郎はポンポーンと飛んで、以前自分がかけられていた壁にピタッと引っ付きました。


「おお、そなたにそのような特技があったとはな。作った妾も知らなんだ。一体、どこで身に付けた?」

「強いて言うなら向こうで見たアニメの影響でしょうか?」

「アニメとは?」

「芝居のような物です。その中でティーポットやタンスが動き回るアニメがあったんです。それを思い出しまして。もしかしたら動けるのではとやってみました」

「ふむ、そなた向こうの世界でバージョンアップしたようじゃの。さて、それでは其方の能力に応じた仕事を与えねばな。何が良いかの?」


 お妃様が一郎の仕事を考え始めました。


「あの、お妃様、恐れながら申し上げますが、お妃様はどこかお悪いのですか? とてもお顔の色がお悪いようですが?」


 お妃様が一郎をじっと見ました。素早く考えを巡らせているのがわかります。


「心配してくれるのは嬉しいが、妾の体調は気にするでない」

「しかし、病状をおっしゃっていただけたら、検索して病の元を特定できると思います。どうか」

「鏡よ。そなたに命じる。妾の病いについて、決して検索するでない。わかったな」

「しかし、お妃様」

「ええい、口答えは許さんぞ。そなたは鏡に戻ったのじゃ。我が支配下にある。我が命令を聞かねばならぬぞ」


 鏡はおかしいと思いました。侍従長が微かに首を振っています。何か知っていそうです。一郎は一言「分かりました」と答えたのでした。


「我が病いより、我が民じゃ。そうじゃの。国境の見張りを頼もうかの。そなたの能力を使えば、長い国境線を見張るのはわけがないであろう」

「喜んで拝命致します」

「では早速国境線の確認じゃ、侍従長、地図を」


 侍従長が壁に下がったロープを引きました。壁を覆っていたカーテンが引き上げられ大きな地図が表れました。


「ここが我が国、我らの城がここじゃ。北は灰色スグリ山脈、南にモーイ海、東は大河マークス、西にザミセン荒地までが我らの領土じゃ。北の灰色スグリ山脈の奥には危険な北方民族が住んでおる。毛皮や貴重な木工品を輸出しておるが、時々食いつめた者達が我が領土に進入して略奪を繰り返すのじゃ。そなたは北方の国境線をよく見守り異常があれば知らせよ」

「承知致しました」


 お妃様は一郎の様子に満足したのでしょう、侍従長を連れ実験室から出て行かれました。

 窓の外はすっかり暗くなっています。

 振り返って一郎は自分自身の世界、鏡の中の世界を見回しました。灯りが漏れて近くに遠くに小さな窓が開いているのがわかります。懐かしい場所でした。

 一郎は国境の砦を検索しましたが、暗くて何も見えません。砦の中は松明の明かりでよく見えます。兵士達に異常は見えませんでした。


「屋外は明日明るくなってからだな。とりあえず、砦の中を見守っておこう」


 一郎は明日からの仕事の段取りを考えたり、店はどうなっているだろうかと考えているうちに意識をなくしていました。

 人という生き物から鏡という無生物に変身したのですから、眠りは必要ない筈でしたが、一郎の魂は休息を必要としていたのでした。




 翌朝、一郎はどこかから差し込んでくる光で目を覚ましました。カーテンが開けられ東向きの部屋にはさんさんと朝日が降り注いでいます。召使い達が掃除をしていました。一郎の顔の表面、つまり、鏡の表面もまた召使いが磨き上げます。鏡の前に踏み台を持って来て一心不乱に磨きます。くわえている銀のスプーンもまた銀磨きの布で丁寧に拭われました。一郎はうっかり「ありがとう。きれいにしてくれて。とても気分がいいですよ」と言いました。


「ぎゃあー」


 召使いはびっくりして悲鳴を上げ、踏み台から転げ落ちました。

 他の召使い達が驚いて振り返ります。皆、鏡の表面に人の顔が表れているのを見て悲鳴を上げました。


「ば、化け物!」


 召使い達が腰を抜かし倒けつ転びつしながら逃げようとしている所に侍従長が入ってきました。


「じ、侍従長様、か、鏡が!」

「落ち着きなさい。鏡がどうしたというのです?」

「お化けです、お化けが出ました。本当です」

「気持ちの悪い大きな顔が鏡に表れたんです」

「それはお妃様が新しく作られた魔法の鏡です。お化けではありません。実験室はお妃様の魔法が働いているのですから、何があっても驚き慌ててはいけないと言っておいたでしょう。いいですか、皆さん、お化けはいません。魔法の鏡があなた達に挨拶をしただけです。わかりましたね」


 召使い達はその場に座り込んで、侍従長の言葉にうなづきました。


「さ、改めて紹介しておきましょう」


 侍従長は召使達を鏡の前に整列させます。


「おはようございます。鏡さん、姿を見せて下さい」


 一郎はゆっくりと鏡の表面に自身の顔を映し出しました。

 召使達から声無き悲鳴が上がります。一郎はニコッと笑って、


「驚かせて申し訳なかったですね。きれいに磨いてもらってとても嬉しかったのです。これからもよろしく頼みますよ」


 と言いました。

 召使達は顔を見合わせ、あからさまにほっとした表情を浮かべます。一人が


「こちらこそ、化け物なんてひどい事を言って申しわけなかったです。毎日お手入れさせてもらいますのでよろしくお願いします」


 と言いました。他の召使い達も「よろしくお願いします」と言って頭を下げます。

 侍従長はそんな彼らに


「いいですか、前にも言ったようにこの実験室で見聞きした事は決して口外してはいけませんよ。くれぐれも注意するのですよ。わかりましたね」


 と念を押したのでした。

 一郎は侍従長が手際よく事態を収集する様を見て思いました。侍従長はとても有能な人です。その人がお妃様のご病気をどこか放置している。お妃様もまた、ご自分の病いについては検索するなと命令する、どうもおかしいです。

 一郎は検索はできないけれど、観察は構わないだろうと思って、国境警備の合間にお妃様の様子を見ていようと思いました。

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