四 鏡、転生す

 一方、鏡は無事転生しました。昭和の日本。高度経済成長が始まる前、とある田舎の大衆食堂の長男として生まれ変わりました。名前は各務一郎かがみいちろう

 赤ん坊の頃からラーメンの好きな子で、どんなにギャン泣きしていてもラーメンの匂いを嗅ぐやニコニコと笑い出したのでした。

 一郎はすくすくと健康に育ちました。一郎のファーストラーメンは意外にも遅く五歳になってからでした。或る日、一郎は近所の悪ガキにいじめられ泣きながら家に帰りました。父親は一郎の様子を見て、子供用の中華ソバを作ってやりました。


「ほら、食べろ。前から食べたがっていただろう? だから、泣くな」


 一郎は自分の前に置かれた中華そばを見て驚き、父親を見上げて言いました。


「本当に、本当に食べていいの?」

「ああ、食え。全部食べていいぞ」


 一郎は何もかも忘れて食べました。それこそ、ツユ一滴残さずに食べたのでした。

 以来一郎にとって父親が作ってくれる中華そばはご馳走になりました。

 一郎はスクスクと育ち、小学校に上がると当時人気だった野球に打ち込みました。中学でも野球を続け試合で負けた時は、チーム全員で父親の食堂へ行き中華そばを食べました。中華そばを食べ「次は勝つぞー!」と気勢を上げるのが恒例でした。高校ではピッチャーを務め甲子園に憧れましたが県大会で敗退、甲子園には行けませんでした。成績はそこそこ良かったので、父親は「大学に行きたければ金の心配はするな」と言ってくれましたが、一郎は大学に行くのではなく父親の跡を継ぎたいと思いました。両親の作った料理を食べた人達が満足そうな笑みを浮かべるのを間近で見て育った一郎は自身も同じように人を幸せにする職業に就きたいと思いました。調理師免許もとり、食堂屋の二代目として周囲からも期待され、自身も納得していました。趣味と言えば、リュックサック一つで旅に出ることでした。

 そして、運命の一杯に出会うのです。

 福岡は博多のラーメンでした。それは、父親の作る中華そばとは全く違っていました。細打ちの平たい麺、濃厚な豚骨スープ、甘辛く煮込まれたゆで卵、にんにくと生姜、その他のスパイスで味付けされた煮豚、上にかけられたネギまでよく吟味されていました。

 その一杯が一郎をラーメンの虜にしました。

 一郎は全国のラーメンを食べ歩きました。そして、最高のラーメンを作る師匠に出会ったのです。弟子入りした一郎は厳しい修行の末、師匠の許しを得て独立、最初は屋台から初めました。

 屋台を引いてラーメンを作って回り客の反応を見ました。不機嫌な顔が美味い物を食べた満足感で笑顔になる。一郎は客の満足した顔を見るのが大好きでした。

 一郎は自分が作るラーメンはこれだと思うレシピを極めると、郷里に戻り両親の許しをもらって小さなラーメン屋を国道沿いに開きました。

 最初はなかなか客がつきませんでしたが、トラックの運転手達の間で評判になり、徐々に売り上げを伸ばしていきました。

 店を大きくしようとした時、一郎は一つの選択を迫られました。自身が厨房に立つか、はたまた、経営者になるか。

 一郎は迷った末、自身が経営者になる道を選びました。男と生まれたなら天下を取ってみたいと思ったのでした。

 三十年後、努力の甲斐があって一郎は大きなラーメンチェーン店の社長になっていました。

 私生活では、優しい女性と出会い結婚、三人の子供に恵まれました。子供達は順調に育ち、彼の会社を手伝ってくれました。

 しかし、良いことばかりではありません。一郎は生活習慣病や老いに伴う様々な体の不調に悩まされていました。そこで、社長の座を長男に譲り自身は会長職に退きのんびり暮らすようになりました。


 そんな或る日、孫娘がダイニングテーブルでアイスを食べていました。先日、長男がヨーロッパに店を出そうと下見に行った際、お土産に買ってきた銀製のスプーンを使ってアイスクリームを食べていたのです。孫娘お気に入りの銀のスプーンでした。


「おじいちゃん、アイスをどうぞ」と孫娘がひと匙すくって一郎の口元に運んでくれました。


「あーん」


 一郎は笑いながらアイスを食べた瞬間、何かが頭に閃きました。


「昔、銀のさじをくわえていた」

「おじいちゃん、なあに?」


 孫娘が不思議そうに訊いてきます。一郎は孫娘の銀製のさじをもう一度くわえて見ました。

 声が聞こえます。


(「鏡よ、鏡。この世で一番美しいのは誰じゃ?」)


(なんだ? これは? 白雪姫の台詞じゃないか?)


 何故、白雪姫の有名な台詞が頭の中でリフレインするのか。

 一郎には皆目わかりませんでした。それも聞いたことのない女性の声です。

 奥さんに相談しようかと思いましたが、浮気をしていると勘違いされてはたまりません。


「鏡よ、鏡か……、確かに僕の苗字は各務かがみだが」


 孫娘が見ていたアニメを思い出しただけだろうと、一郎は自分に言いきかせたのでした。





 数日後、一郎は会社でヨーロッパ向けラーメンの試食をしていました。

 ヨーロッパの人たちにはどんな味が良いのか?

 ファストフード風にするのか? それとも、豪華な一品料理風にするのか?


「会長、箸の使えない人向けに、ラーメンをフォークとスプーンで食べるようにしてはいかがでしょう?」


 専務の提案に、一郎はフォークとスプーンを使ってラーメンを食べてみました。

 銀製のスプーンでラーメンの出汁をすくって食べた時、すべてを思い出したのです。転生前、お妃様と共にラーメンを食べた事を。世界中のラーメンをお取り寄せした事を。

 一郎は立ち上がりました。


「お妃様、あなた様はグリムが書いたような人じゃない。お優しい方だ。決して、白雪姫に毒リンゴを食べさせるような、そんな醜い悪魔のような人じゃなかった! 一体、誰がこんなひどい話を書いたんだ? それとも、私が転生した後、お妃様は変わられたのだろうか?」


 社員達が驚いて見守ります。


「一哉、ヨーロッパだろうと、アメリカだろうと、うちの味を守り通せ。いずれ、日本食ブームが起る。その前に香港とシンガポールに出店しろ。特に中国だ。対中国向けの企画案を至急作成しろ」


 会長が社内で息子である社長を「一哉」と名前で呼ぶのは珍しい事でした。たとえ家族であっても会社という公の場では社長、会長と呼び合う仲だったからです。よほどの事と社員達は社長共々一丸となって会長の命令を実現すべく働きました。

 しかし、その結果を見る事なく一郎は亡くなってしまったのです。脳溢血でした。家族や社員は試食会で叫んだ奇妙な発言は、脳溢血の兆候だったのかもしれないと話し合いました。

 葬儀の日、一郎のひつぎに孫娘がミニチュアを入れました。ラーメン屋の屋台のミニチュアです。


「おじいちゃん、天国でラーメンを作って神様にご馳走してあげてね」


 孫娘の声をどこか遠くて聞いたように感じた一郎は魂となってはざまの世界に居ました。

 

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