第4話
「ほうほうほう………ほーうほうほう、ほうほうほう………」
フクロウではない。
<マリアの御手>魔法学校一年生学年主任のマリア・ハルパルの唸り声である。
魔法学校の教師は皆、魔法学の創始者であるマリア・クルトリヒナーの名を教師名と受け継ぐのが習わしだ。
ゆえに少々紛らわしいがマリア・ハルパルは女性ではない。三十を少し跨いだ痩せぎすの魔法教師は、最近蓄え出した評判の悪い顎鬚を擦りながら、机上に並べられた二通の許可書を交互に見比べて口を開いた。
「こりゃあ、二つとも本物だな」
「そんなバカな!」
ミジョアの悲鳴にも似た叫びが花屋敷のリビングルームを震わせる。
「そんなことがあるはずないでしょう! ちゃんと見てください。こっちです、学年首席である俺に届いたこっちの許可書が本物で、そっちは傭兵稼業の娘がいやしくも偽造した偽物に決まっています。なんなら魔法鑑定にかけて確かめてもらってもいい」
「魔法なんてかけなくてもわかるんだよ」
「どうしてですか!」
「両方とも俺が書いたからだ」
「お前が書きやがったのか、この野郎!」
そう怒鳴りつけたい思いを、ミジョアは超人的な自制心で抑え込んだ。
「せ、せ、先生がこれを……お、お書きになられたのですか………な、な、なぜ?」
ただし、自制は表情にまでは及ばない。言葉に出すことを許されなかった感情が別の出口からダダ漏れだ。
「まあまあ、座れ。おっかねえ顔すんじゃねえよ、ちゃんと納得いくように説明してやるからよ」
ハルパルは今にもテーブルを乗り越えてきそうなミジョアを面倒くさげに宥めると、対照的に我関せずといったふうに椅子に収まっているエルキッサにちらりと視線を流してから話を始めた。
「いいか、お前ら。知っての通り<マリアの御手>魔法学校の試験はまず魔法学から行われる。そこでこのエルキッサは全教科満点という離れ業を達成した。こんなことは百年の歴史でも初めてのことだ」
「そうらしいですね。しかし、その後この俺が同じく一般教養で全教科満点を達成して華麗に抜き去ったわけですが」
他人への称賛を黙って聞いていられない性分のミジョアが、素早く己の功績をねじ込んでくる。
「そうなんだよ。こんなことも学校始まって以来のことだ。普通は魔法学で一位になった生徒がそのまま首席も取っちまうもんなんだよ」
「油断大敵ですね。やはり学年首席は総合力で判断されなくてはいけません」
「ちなみに、ここ最近学校は大忙しでよ。校長やら副校長やら総務長やらの重役連中は、試験が終わったらすぐに会議で出払う予定だったんだ」
「はあ、そうなんですか」
「つまり、学校に残されるヒラ教師はそれを見越して早目早目に仕事をこなさなきゃいけなかったわけだ。状況から推察するに、魔法学試験の結果が出た時点でよく考えもせずにエルキッサに花屋敷の許可書を発行しちまったんだろうな」
「誰が?」
「俺が」
「………………ほう」
「で、いざ採点が全部終わってみたら、一般教養でバカみたいに点取ってるやつがいるじゃねーか。そりゃあ、焦っただろうよ。慌ててそいつにも許可書を発行したんだろう。で、その結果許可書が二通出ちまったと。ま、状況から見るに、そういう事情があったんだろうな」
「……誰に?」
「俺に」
「…………」
「……納得したか?」
「するわけないだろう、バカ教師が!」
というミジョアの思いが、自制の壁をあっさりと突破して口から飛び出した。
「おい、教師に向かってバカはやめろ。傷つくだろ」
「バカじゃないなら、怠慢です!」
この教師に遠慮していては話が進まない。ミジョアは一時的に敬意の度合いを下げることにした。
「ちげぇよ。怠慢ってのは何も行動しないやつのことだろう。俺の場合は先んじて行動してしまったがための不幸な事故だ。断じて怠慢じゃねえ」
「この女の許可書を取り消さなかったのは怠慢でしょう! ミスに気付いた時点ですぐに動くべきじゃなかったんですか」
「簡単に言うなよー。すげーめんどいんだぞ、一回出した許可を取り消すのって。俺より上位の人間複数名のサインがいるんだからよー」
「書いてもらえばいいでしょうよ、何人だって。それが正しいことなんですから」
「だから、それが無理なんだって」
「どうして!」
「言っただろ。重役連中はみんな会議で出払ってるって」
「………あ」
テーブルに両手をついたままミジョアは絶句した。二階からピヨピヨと小鳥の置物のさえずりが聞こえてくる。
「まあ、そういうわけだからよ、しばらく状況は動かねえんだわ。わりぃな、帰るし」
「いや、待て待て待て! おかしいおかしい! じゃあ、俺達はどうすればいいんですか。いったいどっちがこの屋敷に住むんですか」
「二人で住めばいいんじゃねー?」
「もう少し考えてから発言してください! 今、結構凄いこと言ってますよ、あなた」
「……わかりました」
………は?
『わかりました』
突然差し挟まれたその言葉に、ミジョアだけでなくハルパルまでもが仰天した。当の発言者はというと、そんな二人の顔を不思議そうに眺めながら長い黒髪に手櫛を通し、口元をほんの少しだけ窄めてみせる。私が何かおかしなことを言いましたか? そう訝しむように。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと来い、エルキッサぁぁ!」
バタバタと椅子を蹴り倒してエルキッサを部屋の端まで呼び込むミジョア、その鼻先にビシッと人差し指を突きつけた。
「何を考えてるんだ、貴様。自分が何を言ってるかわかってるか?」
――こくん。
即答で頷かれ、ミジョアは膝が崩れそうになった。
「わかってない、貴様は何もわかってない! 校長達がいったいどこに行っていると思うんだ? 重役が全員招集される会議なんてただごとじゃない。きっとどこかで物凄い問題が起きているに違いないんだ。つまり、いつ帰って来るかもわからないんだぞ。それまでずっとこの家で二人で住むことになってもいいのか?」
「まあ……………広いし」
「ひろっ――」
今度こそミジョアは耐え切れずに床に膝を突いた。ダメだ、この女は話にならない。
「おお、わかってくれたか、エルキッサ。いいやつだな、お前。ほい、ミジョア。後はお前だけだぞ。どうするんだ、塩屋。おい?」
「どうするって………」
もし承服できないと答えた場合はどうなるのか。ミジョアが恐る恐る顔を上げると、ハルパルはニヤリと笑ってみせた。
「それとも、寄宿舎に戻る方がいいか?」
そんなバカな話があるか! 膝だけでなく胸も腹も額も腿も床に突きたい気持ちになって、ミジョアはその通りに実行した。
ダメだ、この教師もダメだ。なんということだ、この家には話の通じる人間が一人もいない。いったいどういう理論を煮詰めたらこの俺が花屋敷を出て行くなんて暴論に辿り着くんだ。どこに正義がある。どこに真実がある。掲示板を見てみろ、学年首席は間違いなくこのミジョア・ヴィッテルスバッハなのに。
「……残ります」
「ん? なんだって?」
「残ります! 俺は絶対出て行きません!」
半ば自棄になっていた。べろーんと床に腹這いになったまま、ミジョアは出来うる限りの大声で宣言した。その決断がダメ教師の責任を曖昧にし、根暗女を喜ばせるだけだとわかっていても、ミジョアは退くことが受け入れられない男であった。
「おお、よく言った! それでこそ学年首席だ!」
案の定、ハルパルは面倒ごとが解決したと無遠慮に喜ぶ。そして隣のエルキッサはまた少しだけ口を窄め、長い黒髪に手櫛を通した。
その仕草がどんな感情の表れなのかはわからない。
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